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第5章 予想もつかないことって結構あるもんですね
第5話〜訪問者〜
しおりを挟む通された部屋は、つい最近までそこに人が住んでいたとは感じさせられないほど綺麗に整理整頓されていた。壁に埋め込まれた大きなクローゼットに鏡が三面ついたドレッサー、セミダブルのベッド。いずれも使い古した感は全くといっていいほど無い。言われなければ先住者がいたなんて到底思えず、日頃から丁寧に扱っていたのだろうと言う事が伺えた。
見ただけでわかる、寝心地の良さそうな白いシーツが敷かれたベッド。風をはらむ度に揺れるカーテンから、零れ落ちる明るい日差し。黒を基調にした小田桐の部屋とは違い、この部屋は全体的に明るい雰囲気がした。
「どうだ? 悪くないだろ」
後方から声が聞こえ振り返ると、扉の入り口に前腕を付いた小田桐が私の様子を伺っていた。
「うん。凄く綺麗だし、2DKある私の家より広い気がする」
「お前ん家はごちゃごちゃと物を置き過ぎなだけだろ」
つい先日。一緒に住まないかと小田桐に突然言われたのだが、私がはっきりと返事をしないからか『実物を見た方が現実味が湧く』と、半ば強引に此度の内覧会に連れて来られた。そもそも前に一度ワインを零した私に梨乃さんが着替えを用意してくれて、この部屋を借りて着替えた事があったからわざわざもう一度見なくても良かったのに。……まぁ、あの時は他人の部屋だからジロジロ見ちゃいけないって思ってたのと、スカートの生地の少なさにどうしようかと頭が一杯であまりこの部屋の記憶は頭に残ってはいなかったのだが。
立地も部屋も申し分ないという事は見なくてもわかっているのに、それでもすぐに首を縦に振らなかったのには私なりに理由があった。どうしてもその事が納得いかなくて、踏ん切りをつけられないで居た。
「――やっぱ無理かも」
「何で?」
「家賃を折半したとしても、今の家より高いのは目に見えてる」
またその話か。
そう言いたげに小田桐は鼻から息を吐いた。
「いらんって言ったろ」
「そういうわけには。やっぱりお金の事はきっちりしないと後々気持ち悪いし」
そう言って目を逸らした私に、今度は大きな溜息を零しながら頭を垂れた。再び頭を上げたときには既に眉間に皺を刻んでいて、今無性にイラついているということを私に示すように目を細めながら私を睨みつけている。
「……前にも言ったけど、別にお前が住んでも住まなくても俺は同じ家賃を払うわけだし変わりないっての」
「あんたが良くても、私が嫌なんだって!」
そしていつも小田桐のそんな態度に私も釣られ、つい喧嘩口調になってしまう。お互い顔を合わせればいつもそうなるのに、何故未だにこの関係が続いているのかもはや誰にもわからない。いつ喧嘩別離れしてもおかしく無いはずが、どこでどうなったか一緒に住む話にまでなっている。一緒に住んでしまっていざ別離れる事になったら、その時私は何処に住めばいいのかと。
先の事を考え無しにその場の感情に流されてしまわないよう、現実から目を背けてはいけないのだと必死で自分に言い聞かせた。
「別に“身体”で払ってくれてもいいんだが」
「はぁっ!?」
――あんたは一体何処のお代官様ですかっ!?
毎夜毎夜、『よいではないか』とか言いながらこの部屋に侵入するおつもりか!? ってか私の身体ってここの家賃半分程の価値があるのか。とか、ろくでもない事が頭を過ぎっているのを見透かされてしまったのか、具体的に話を詰めてきた。
「掃除とか洗濯とか? たまにメシ作ってくれたら御の字」
「あ、ああ、そうですか」
意外とまともな交換条件が返って来て、邪な感情を抱いていたのは小田桐では無く自分だったのかもと、恥ずかしくて顔が熱くなるのがわかった。
「そ、そん位だったら別にいつもしてることだし? 出来ないわけじゃあないけ、――ど」
小田桐の顔を直視するのが難しくなって背を向けた途端、後ろから抱き締められた。背中に伝わる熱も、小田桐が愛用している嫌味の無い爽やかな香りも直で感じ、脈が一気に速くなった。
「別に――」
「……ひゃっ! ち、……ちょっと、耳元で喋んなっていつも言って――」
耳元での低音の声は心臓に悪い。それだけでも十分弱いのに、囁くように声を発するのは私がそれに弱いのを心得ているからなのだろう。息が吹きかかる度に背筋が震え、巻きつく腕を剥がそうとした手は自らの意思とは反し、ぎゅっときつく握り締めてしまう。逃げ出したいはずなのに捕らわれているのが妙に心地良い。本当に自分でもどうかしてるんじゃないかと思うくらい、自分をコントロールすることが出来なくなっていた。
「……ここのベッドいらなくね?」
「っわ、も……やめっ」
徐々に迫り来る波。この後どうなってしまうのかなんてわからない振りをしているだけで本当は判っていて、それどころか期待すらしてしまっている。頭のてっぺんから足のつま先まで、身体全体を一気に血が巡り始めたような感覚が私を襲った。
「どうせ同じベッドで寝る事になるんだろーし」
「――っ、……や、もっ……」
ゾワリと首筋を生暖かい舌が滑り、一気に腰砕け状態になった。さっきまで喧嘩腰で話していた相手だというのに、小田桐の手に掛かればそんな空気はいとも簡単に一変させられてしまう。首筋を攻めながら大きな掌がTシャツの裾から這い上がり、その行く手を遮ろうと込めたはずの力は、あっさりとその侵入を許してしまった。
「――? ……チッ」
と、その時。訪問者が現れた事を知らせる軽い音が聞こえ、小田桐が舌打ちをした。彼の気が逸れたと同時に我に返った私は急いで彼の腕から抜け出た。
服の乱れを直し自らを抱き締めるようにして両手を組む。背中越しに衣擦れの音が遠のいていくのがわかり、小さく息を吐いた。
――どんどん、……飼い慣らされてる、私。
自分が自分じゃないようなそんな気がして、その恐怖でブルッと身体が震えた。
プッと通信を切る音が僅かに聞こえ、もう用件は済んだのかと部屋の入り口からリビングを覗いてみると、何も映っていないモニターの前で小田桐は立ち呆けている。
「……どうしたの?」
声を掛けられた小田桐はハッとした表情を浮かべ、明らかな動揺の色を見せた。
「何でもない。……そろそろメシにするか」
「え? あ、うん。――?」
不自然に目を逸らした小田桐の事が気になりつつも、私達は食事の準備に取り掛かった。
しばらくして、再びチャイムが鳴った。小田桐の包丁捌きに見惚れていた私はその音が聞こえた瞬間、彼の手がビクッと大きく震えたのがわかった。
二人してキッチンからドアモニターに映る映像に目を向けると、そこには帽子を被り作業服を着た男性が、手にした大きなダンボール箱を見せ付けるようにしてジーッと画面越しに見つめていた。恐らく宅配業者だろうと言う事がわかると、横にいる小田桐の口から小さな――、本当に小さな安堵の溜息が零れたことに気が付いた。
包丁を置いた小田桐はモニターへと向かい、ピッと何やらボタンを押す。その男性はオートロックのドアが開いた事に気付くとすぐにモニターから姿を消した。
「芳野。荷物が届いたみたいだから、代わりに受け取り頼む」
「あ、うん」
ホッとした様な表情を浮かべた小田桐はシンクで手を洗うと、再び包丁を握り締めた。
「……」
――なんだろう? この胸の奥がざわつく感じは。
滅多なことではそのポーカーフェイスが崩れる事は無いのに、さっきは必死で平静を保とうとしてるようなそんな雰囲気が感じ取れた。いつも沈着冷静な小田桐にあんな顔させるなんて一体何があったのだろう。
部屋のチャイムが再び鳴り、頭の片隅でそんな事を考えながら私はその扉を開けた。
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