52 / 124
第4章 恋の手ほどきお願いします
第12話〜心の闇〜
しおりを挟むさて、どうしたものか。
シャワー中に突然扉を開け放たれ、当然の事ながら素っ裸の私はなす術も無く激しくうろたえた。咄嗟に上と下を手で隠してみたものの、今小田桐の視界に入るであろうものはきっとお尻なわけで。下を隠す手をお尻に持って行くも今度は前が心もとなくなり、結局また上と下を隠すようにした。
「ちょっと! な、何で開けんのよ! 早く閉めっ、……」
猫背で丸まった背中一杯に、シャワーの温水とは違う人の温もりを感じる。私の左肩に顔を埋め腹部に回された両手と温水が弾く音が変化した事が、今、私は小田桐に抱き締められているのだと言う事をまざまざと感じさせられた。
腹部に置かれた小田桐の両手がピクリと動き、更に強く抱き締められる。胸の鼓動がドクンドクンと激しく脈打ち、ついに来るべき時がやって来たのかと覚悟を決めたが、それは思っても居ない展開へと変わっていった。
「……の、――な……か」
「え? 何? 聞こえない」
恥ずかしくて小声になってしまうのは素っ裸でいる私の方なのに、いつに無く弱々しい声で話す小田桐が気に掛かる。今すぐどうこうするつもりは無いのだろう。裸を見られる事は無いと思った私は胸元に置いた手をそっと外し、出しっぱなしになっているシャワーを止めた。
びしょ濡れになってしまった袖口から、ポタリポタリとタイルに向かって雫が流れ落ちる。シャワーを止めたせいでシンと静まり返った浴室は、ただ熱気だけがこもっていた。
「お前も、……俺をジャックの代わりにしてるのか」
「なに、それ」
小田桐が発した言葉に当惑した。見た目が同じってだけで私が小田桐をジャッ君の代わりにしてるとかありえない。本来なら鼻で笑ってお終いってところなのだが、尋常ではない彼の様子を見ると、とてもじゃないがそんな風に簡単に片付ける事が出来なかった。
私の知らないところで何かあったのだろうと容易に推測出来る『お前も』と言った三文字のその言葉。親も姉妹も居ない私にとってどちらも持っている小田桐が羨ましいとさえ思っていたが、一概にそうとは言えないのだなと感じさせられた。
「ジャッ君に嫉妬するなんて、そんな無駄なこと止めなよ。きっと向こうもいい迷惑だって」
「どうだかな」
「とっ、とにかく! 話は後で聞くからさ、さっさとここから出てってよ!」
小田桐が変な事を口走ったから思わず会話を続けてしまっていたが、自分だけが今素っ裸だと言う事を改めて認識する。お尻はもう隠しようが無いと流石に諦めもついたが、せめて前だけは死守せねばと必死になる。私の片腕と一緒に腹部に巻き付いた腕を解くため、下を守りつつグイグイと腕で払い除けようと試みたが、その腕は決して解かれる事は無かった。
「ち、ちょっともう離し――」
「それと」
「――え?」
「今の仕事も辞めたきゃ辞めればいい。カメラの仕事がやりたきゃもっと他のちゃんとした所に俺が幾らでも口利いてやる」
「な、いや、別に辞めたいわけじゃ」
その言葉を聞いた途端、ピタリ、と私の手は動きを止めた。
小田桐は人の心を読むことが出来るのだろうか。意気揚々として足を踏み入れたアシスタントの仕事だったからこそ、そう簡単に愚痴や弱音など吐く事が出来なかった。己が選んだ道は正しいのだといつも自分に言い聞かせ、周囲にも私が不安に思っていることなど悟られないように接してきたつもりだった。なのに、小田桐の目は誤魔化せなかったのか、簡単に本音を言い当てられてしまったような気分だった。
「そもそも、お前は別に仕事なんかしなくていいんだ」
「何言ってんの。仕事しなきゃ生きてけないじゃん」
「芳野一人位、俺でも――」
何かを言いかけて小田桐は口を噤んだ。その先の言葉が一体何なのかが気にはなったが、聞かなくて良かったとも思った。今の私だときっと小田桐のその厚意に甘え、簡単に自分を見失ってしまいそうな、そんな気がした。
「はっ、俺ってマジ情けねー。芳野に関わる人間全員排除してやろうとまで思ってしまう」
「小田桐……」
「正直、こんな剥き出しの嫉妬心を自分が持ち合わせていたって事自体驚きだ」
クックッと自嘲すると腹部に回していた腕を離し、私の両腕を掴みながら背中に額を寄せた。
「すまん、今日の事は忘れてくれ。……俺、どうかしてた」
「え?」
「帰る」
「か、帰るって、そんなビショビショじゃん! せめて着替えてから――」
「いい。このままここに居たら、またお前に嫌われるようなことしてしまいそうになる」
「そ、んな」
――嫌ったりしない。だからここに居て。
すぐそこまで出掛かっていた言葉は結局吐き出されることは無く、小田桐は背中を向けると振り返りもせずに立ち去ったのだった。
◇◆◇
翌日――。
迎えに来た小田桐は昨夜の事など何も覚えていないかの様に普段通りに振る舞い、当然その事に自ら触れてくることも無かった。
自身を覆い尽くす闇を必死で払い除けようとしても、結局払いきれずに又その闇に埋もれてしまう。そこから抜け出る為に誰かに向けて手を伸ばそうと思っても、ポケットから手を出せないまま時が過ぎて行く。
言いたい事は全て吐き出してるように見えて実はそれが全てでは無いのだと、そんな風に心の中で訴えながらもがき苦しんでいるようだった。
「中に梨乃がいるから。準備を手伝って貰うといい」
連れて来られたのはとある高級ホテルの一室。カードキーを通し、部屋の扉を開けると見たことも無い空間が私の目の前に飛び込んできた。
宿泊施設だというのに見た感じそこにベッドなどは見当たらない。その代わりと言っては何だが、大きな応接セットがこれ見よがしに部屋の中央で鎮座していた。きっとベッドルームは他の部屋にでもあるのだろう。学生時代の修学旅行で泊まったホテルなど足元にも及ばないほど、絢爛豪華な部屋を前に私は目を見張った。
「すっご、これってスイート?」
「いや、スイートはゲスト用にあてたからジュニアスイートしか空いて無かった」
「ほえー、ジュニアスイートねー」
特に関心も無いくせに、大きなテレビの横に置いてある高そうな壺をしげしげと見つめていた。
「あら、いらしてたんですね」
別の扉から梨乃さんが出てきた。すっかりドレスアップしていて、太腿まで切れ込みの入った赤のロングドレス姿はまさに“梨乃さん”って感じがしてとても似合っている。
ボケーッとその美しさに見惚れていると、小田桐は用事でもあったのか「後は任せたぞ」とだけ言って、さっさと部屋から出て行った。
「ところで歩さん。贈り物は気に入って頂けましたか?」
「あっ! そうですよ! 梨乃さん何であんな、……し、下着なんか」
「お気に召さなかった?」
「いや、そうじゃないですけど。……何かもう色々といっぱいいっぱいで」
『役に立つから』との伝言を思い出し、私は顔が徐々に熱くなってきたのを感じた。
「さあ、これからが私の腕の見せ所。歩さんの本来の美しさを存分に引き出して見せますよ」
梨乃さんはニッコリと微笑んで私の手を取り、奥の部屋へと導いた。
0
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
甘々に
緋燭
恋愛
初めてなので優しく、時に意地悪されながらゆっくり愛されます。
ハードでアブノーマルだと思います、。
子宮貫通等、リアルでは有り得ない部分も含まれているので、閲覧される場合は自己責任でお願いします。
苦手な方はブラウザバックを。
初投稿です。
小説自体初めて書きましたので、見づらい部分があるかと思いますが、温かい目で見てくださると嬉しいです。
また書きたい話があれば書こうと思いますが、とりあえずはこの作品を一旦完結にしようと思います。
ご覧頂きありがとうございます。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。
夜の声
神崎
恋愛
r15にしてありますが、濡れ場のシーンはわずかにあります。
読まなくても物語はわかるので、あるところはタイトルの数字を#で囲んでます。
小さな喫茶店でアルバイトをしている高校生の「桜」は、ある日、喫茶店の店主「葵」より、彼の友人である「柊」を紹介される。
柊の声は彼女が聴いている夜の声によく似ていた。
そこから彼女は柊に急速に惹かれていく。しかし彼は彼女に決して語らない事があった。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる