47 / 124
第4章 恋の手ほどきお願いします
第7話〜初出勤〜
しおりを挟む晴れ渡る青い空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。今日はカメラアシスタントとしての初出の日。てっきり朝も早いのかと思いきや、太陽がすっかり真上に昇った頃からの勤務開始となった。
今日はモデルを使って外での撮影と言うことで、カメラなどの機材を取りに一旦事務所に寄ってから桑山さんと共に現場の最寄り駅へと向かう。二人で手分けして荷物を持っているものの、重いわ取り扱いに気をつけなければならないわで、変なところに力が入る。面接時に『体力はあるか?』と問われた事に今更ながら納得した。
「……あの子かな?」
駅前に着き、待ち合わせの目印となる公衆電話の横に佇む一人の女性を見て、桑山さんがそう言った。確信を得たのかそう言いながらも足はずんずんその女性へと向かっていく。桑山さんが彼女の前に立つ前に、先に女性の方が桑山さんに気が付いた。その女性は『あ』の口をしながら視線を外す事無く軽く会釈をしている。どうやら正解のようだ。
「すんませーん、“週刊エレクト”からの依頼で来た者ですけど。えーっと、山野辺さん?」
「あ、はいっ」
「あ、良かった。えーっと僕は……」
図体がでかいわりに軽いノリの桑山さんに少々戸惑った。いや、人を外見で判断するのはよくないが昼間に見る桑山さんはさしずめ動物園から脱走したクマと見紛う程だ。そんなわけだからノリの軽さに驚くのも無理は無いと思う。
桑山さんが名刺を出して一通り挨拶を済ませている間、私はキョロキョロと辺りを見渡していた。
「――じゃ、現場すぐそこなんで。いきましょーか。――芳野? 何してんだ、いくぞ」
「あっ、はい!」
桑山さんと談笑しながら歩くモデルさんの後姿を見ながら私は首を傾げた。モデルの割りに背も低く、身体の線も細くない。どちらかと言うとぽっちゃりな彼女。髪も肩くらいで揃えた真っ黒のストレートでモデルの様な派手さが全く感じられない。正直、彼女がモデルになれるなら恵美ちゃんでもなれるんじゃないかと思う程だ。それに、モデルってマネージャーとか居ないのだろうか? 先程キョロキョロとそれらしき人物を探してみたのだが、やっぱりこの女性一人だけの様だった。
モデルの世界も色々あるんだなーと、うんうんと一人頷いていた。
◇◆◇
「あ、じゃー彼女、どっかで適当に衣装に着替えてきてくれるかな」
「は、はいっ」
撮影現場に到着し、桑山さんが機材を床に広げだす。私はと言うと、その撮影現場と称したこの部屋の中央でドーンとその存在を主張するように設置された大きなベッドに目が釘付けになっていた。ここに入ってくる前から歩いている人たちの雰囲気がやや怪しげだとは思っていたが、こんな場所に来た事の無い私はこのまあるいベッドを目の前にするまで確信出来なかった。
天井を見上げてみれば何人もの私と目が合い、その傍らで同じく何人もの桑山さんがしゃがんでいる。
「――。……っ!」
パタンっとバスルームの扉が閉まった音が聞こえると、私はやっと意識を戻す事が出来た。
「あ、あの、桑山さんっ? こ、ここって、その、……あの」
「あーん?」
桑山さんは視線を動かさず、レンズをカメラに装着している。話しかけている私など眼中に無い様で生返事を繰り返した。
「あの! ここって、つまり……ラブなホテルです、……よねっ?」
「は? 見ての通りだ。お前も一緒に入り口から入って来たろ?」
「いや、そうですけど!」
「なら、別に初めて来たとかじゃないだろうし、そん位で慌てなくて……も」
「――っ、」
下から私を見上げた瞬間、桑山さんの顔が一気に引き攣ったのがわかった。私は機材を床に置く事もせず両手でバックの持ち手をギュッと握っている。
「――まさか、……ラブホテル入ったの初めてとか?」
桑山さんのその言葉に肩が小さく震えた。徐々に熱くなってくる頬を感じながら私は小さく頷くしか出来無かった。
最悪だ。初勤務にていきなり私の“性的な事に奥手”な部分が明らかにされてしまうなんて。私がラブホテルに入った事が無いなんて事は、三年近く勤めたコンビニメンバー誰一人知らないことだと言うのに、桑山さんはたった一日でその事を知ったのだ。
ここがラブホテルだと知った途端、視界に入るものが全てがいかがわしい物に見えてきて、私はどこに視線を定めればいいのかわからなかった。……こんなんじゃ、仕事はおろかじっとすることすら出来やしない。
情けなくて、……涙が込み上げてきた。
「――。……あっはっ! そうか、そうか! お前こんなトコくんの初めてだったのか! いやーそりゃ悪かったな。初めて来たラブホテルがこんなクマみたいな男とだなんて!」
桑山さんはその事を別段気にも留めず、自虐的にそう言って一蹴すると自分の後頭部をペチッと叩いた。自分がクマだと言うことは自覚しているんだと思いつつ、私は必死で愛想笑いを浮かべる。ふと気付けば、いつの間にやら込みあがっていた涙は引っ込んでいた。
ひとしきり桑山さんは笑った後、「じゃ――」とその場のスイッチを切り替えるように優しく微笑んだ。
「取りあえず、モデルさんバスルームでメイク直しして待ってると思うからそこの衣装渡してきて。んでメイクとヘアセットの確認もよろしく」
「あ、あの、私メイクとかへアセットとか良くわからないんですけど」
「あー、適当でいいよ。“歩”がこれでいいかなって思う感じで」
急に呼び名が“芳野”から“歩”に変わった事に少々困惑しつつも、今は目先の事で頭が一杯になっていた。
「いえ、あの、私いつも髪型はおろしたまんまで何もしないですし、化粧も……。すみません」
桑山さんが又目を見張った。おもむろに立ち上がり、私の顔をジーッと見つめてくる。「あれま、歩はスッピン派か」と呟いたときに息がフッとかかってしまうほどの距離に桑山さんの顔があった。あからさまに避けた風に悟られない様に少しだけ首を後ろに下げると、桑山さんも屈んでいた身体を起こし腕を組んだ。
「んー、まっ、今日は俺が後でチェックするわ」
「今日、は――?」
「メイクとヘアセット。ちょっと勉強しといて。そういうのも専門家を雇えないへっぽこスタジオのアシスタントの仕事」
「はぁ」
「ほら、わかったら早く行った行った! モデルさん風邪引いちゃうぞ」
「あ、はい!」
私は両手に握り締めていたバッグをやっとの事で床に置くと、衣装が入っているバッグを持ち直しバスルームへと向かった。
「あの、入っていいですか? 衣装持ってきました」
(はいっ、どうぞ!)
「失礼しまーす」
洗面台の前で先程とは特に変わった所も無くモデルさんが手持ち無沙汰に立っている。私はそそくさと中に入って座り込むとバッグの中を開けて衣装を探してみたが、フィルムやら書類やらばかりで衣装らしきものが入っていなかった。
――おっかしいな? このバックに入ってるって言ってたはずなんだけど……。
ガサゴソと探しているとモデルさんが小さな声で話しかけてきた。
「あの、多分、ソレだと思います」
「え?」
「その、小さな袋に入った……あ、そうです、きっとソレだと」
モデルさんの言う小さな袋を持ち、こんな小さな袋に衣装なんて入ってるわけないと思いつつ中身を出してみて愕然とした。
片方の掌にすっぽり収まってしまいそうなほどに軽く小さい黒いレース素材のソレは、紛れも無く女性用の下着だった。
◇◆◇
「ああ、いいよー。はい、もうちょっとエロい顔してみてー……あ、そう! いいねーそそるわ。じゃあ今度はもっとおっぱい寄せてみよっか。うん! そう! もっとギューッと……、あーもう最高! 俺襲っちゃいそう」
先生、私は今一体何をしてるんでしょうか。先程までクマだったのがいきなりエロ親父に変身し、目の前で繰り広げられている出来事に私は直視する事ができず、この現実から目を背け耳を両手で塞いでいます。さっきまでおどおどしていたモデルさんはいつの間にやら桑山さんのトークと言うか、エロエロな言葉にまんまと踊らされてかどんどんポーズがエスカレートしていっているようです。
……つーか、『早くしないとモデルさん風邪ひいちゃうぞ』って。だからって総レースの下着を渡して一体どうなるのかと。
普段は隠されているはずの場所が開けっぴろげな事に、私は同性とは言え目のやり場に困ってしまった。
最初のうちはそれでもまだ我慢出来た方だった。しかし、桑山さんの甘言に上手い具合にのせられどんどん解き放たれていくモデルさんを見ていると、とうとう私は限界を感じレフ板係を放棄してしまったのだった。
「うん、いいよー、……歩? ちゃんと当ててくれよ? せっかく綺麗に写る様に頑張ってんのに」
「あ、ああっ、はい。すみません」
「あ~、桑山さん。自分の腕がいいって言いたいんだ~」
「いやー違うよー、カオリちゃんが綺麗だからもっと綺麗に写そうとしてるだけだよ~」
モデルさんも言うが、桑山さんも負けていない。いつの間にやら名前で呼び合っている軽さも相まって、聞いてる私はさっきから鳥肌が出っぱなしだ。
「……」
――早く帰りたい!
私の魂の叫びはここにいる二人には勿論、誰にも伝わる事は無かった。
0
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「好き」の距離
饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。
伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。
以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。

溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
訳ありな家庭教師と公爵の執着
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝名門ブライアン公爵家の美貌の当主ギルバートに雇われることになった一人の家庭教師(ガヴァネス)リディア。きっちりと衣装を着こなし、隙のない身形の家庭教師リディアは素顔を隠し、秘密にしたい過去をも隠す。おまけに美貌の公爵ギルバートには目もくれず、五歳になる公爵令嬢エヴリンの家庭教師としての態度を崩さない。過去に悲惨なめに遭った今の家庭教師リディアは、愛など求めない。そんなリディアに公爵ギルバートの方が興味を抱き……。
※設定などは独自の世界観でご都合主義。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日(2025.1.26)からHOTランキングに入れて頂き、ありがとうございます🙂 最高で26位(2025.2.4)。
※断罪回に残酷な描写がある為、苦手な方はご注意下さい。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜
梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーレットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。
そんなシャーレットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。
実はシャーレットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーレットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーレットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。
悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。
しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーレットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーレットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーレットは図々しく居座る計画を立てる。
そんなある日、シャーレットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる