B級彼女とS級彼氏

まる。

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第3章 とうとう自覚してしまいました

第7話〜差し伸べられた手〜

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 アパートの階段を照らす外灯の白い明かりに誘われるように、何匹もの蛾が忙しなく羽をバタつかせている。外灯からジーっと僅かな音を発しているのが聞き取れる程、辺りはしんと静まり返っていた。
 腕を掴まれて逃げ場を失った私は、せめて今の自分の顔を見られないようにとずっと顔を背けている。そんな態度をする方が妙に不自然で、余計に変な誤解を与えてしまうかもしれないと言うのに。
 私はさっき一体何を考えていたのだろう。手を差し伸べてあげたい? 誰が? 誰に? ――何の為に? 普通の人ならまだしも、小田桐に対してそんな風に思うなんて私はきっとどうかしている。身の程知らずとはまさにこのことだ。
 
 将来を約束されたエリートコースまっしぐらの小田桐は、既に手に入らないものなど無いに等しいだろう。英語と日本語が堪能で、顔もスタイルも並外れている。アメリカではどうなのかはわからないけれど、少なくとも日本では“S級”とランク付けされるほど、女の子達にもてはやされていた。だから、父親との確執はあれどどうみても恵まれている人のカテゴリーに小田桐は属している。
 そんな小田桐に対しこんなボロアパートに住み、コンビニのバイトでギリギリの生活を送っている様な自分が一体何をして上げられると言うのだ。

 ――それに、何かをしてあげようとか私が思う以前に、小田桐には……

「芳野、お前」
「……っ、水持ってくるから。――手、放してくんない?」

 腕に掛かる圧が弱まったのがわかると、小田桐をそこに残したまま私はおもむろに階段を上り始めた。
 
 急いで部屋の中に入り冷蔵庫の前に跪く。ミネラルウォーターが入ったペットボトルを手に取ったところで、大きな溜息が零れ落ちた。

「……」

 ――小田桐には婚約者がいる。
 七年前、私は全てを曝け出して何もかも小田桐に話したあの時、小田桐からも急遽日本に留学した経緯を聞く事になった。
 
 アメリカの高校卒業を控え、父親から突然知らされたのが会ったことも無い婚約者の存在。大手通信社で部長をしている父を持つその女性の事を、『将来的にトレス家において有益になるであろう人物に間違いないのだから、今から彼女に吊り合う様な男になる準備をしておけ』と、父親から一方的に告げられ、初めてその存在を知ることとなったそうだ。
 その事が、当時まだ十七歳の小田桐には重く圧し掛かった。父親と言う存在そのものを否定し、そして小田桐の父親に対する感情は猜疑心で塗り固められてしまった。
 未来の伴侶すら自分では決める事が出来ないこの現実に嫌気が差した小田桐は、一時とはわかっていても父親から離れる事を望み日本へ逃げてきたのだと言っていた。
 政略結婚だなんて一昔前にとっくに衰退したものだと思っていた私は、小田桐は全く無縁の世界に住成す人種だと知ると共に、友達以上の感情を持ってはいけない人物なのだと自然と線引きをしていた。
 今、その婚約者とどうなったかはわからない。ただ、ジャッ君と梨乃さんの無茶振りと小田桐との会話の中でその話が一切触れられていなかったという事から推測して、まだその話が生きているとは思えなかった。しかし、仮にこの話が立ち消えになっていたとしても、あの強欲にまみれた父親の事だ。すぐに代わりの女性を長男である小田桐にあてがうのだろう。
 そして、きっと小田桐はそれを受け入れる。以前、「この家に生まれてきてしまった時点で、これが己の人生なのだと割り切る覚悟はとおに出来ている」、「日本に来たのはそうなる前の最後の“足掻き”だ」と言っていたように、相当な覚悟を決めて帰国したのだろうから。

「……はぁーっ」

 自分がさっき考えていた事は、やはり浅はかな事だったのだと思い改める事となった。当の本人がそれでいいと望んでいる限り、私が考えていることなんて単なる余計なお世話でしかならないのだから。
 力なく冷蔵庫の扉を閉め立ち上がろうとしたとき、玄関の扉がキィッと開く音が聞こえた。その音に振り返って見ると何の躊躇いも無く扉を開け、小田桐が玄関へと足を踏み入れていた。

「……はぁ。何であんたは仮にも女性の部屋だと言うのにそう堂々と入って来るのかな」

 過去に何度も家に上げた事があったから、別段騒ぎ立てるような真似はしなかった。
 溜息交じりに玄関にいる小田桐にペットボトルを差し出すと、小田桐の手もそれにあわせて伸ばされる。が、その手の行く先はペットボトルではなく、何故か私の左手首をぐっと捕らえていた。
 その手を辿って小田桐の顔を見てみれば、次はもう逃がさないと言わんばかりの真剣な眼差しで小田桐は私を見下ろしている。その目を見た途端、収まっていたはずの心臓の鼓動がまた一際大きく跳ねるのを感じた。

「な、に……?」
「――お前、やっぱり俺のこと好きだろ?」
「は?」
「こないだお前の店に行った時から今日までずっと、……俺の事で頭が一杯になってたんだろ?」
「ま、またその話? あれは違うって言ったじゃ……」
「なんで! ……なんでお前はそうやってすぐ誤魔化す? なんで俺が一歩踏み出せばお前は一歩逃げ出すんだ?」
「……い、意味わかんない」

 矢継ぎ早に浴びせられる小田桐の質問に、私はまともな答えを見つける事が出来ず、餌を求める鯉の様にただパクパクと口を開けていた。早くこの状態から抜け出したいがために、手首を何度も振り解こうとすればするほど、余計にぎゅっと力が込められてしまい私は小さく悲鳴を上げた。

「……痛っ、――? あ、ちょ……」
「やっぱり俺の勘違いかと思って引いたら、今度はお前の方からのこのことやって来るし」

 私の手首を掴んだまま小田桐は器用に踵を擦り合わせて靴を脱ぎ、部屋の中へと足を踏み入れた。私が手にしていたペットボトルはポトリと床へと落下し、ゴロゴロと鈍い音を響かせながら玄関へと転がり落ちていく。
 半分怒りに近い表情を浮かべながら小田桐は力任せに部屋の奥まで私を追い詰めた。背中が壁に当たった衝撃を受けると同時に小田桐の左手が顔の横を掠め、私の左手を握っていた手を逆手に握り直すとそれも一緒に壁に貼り付けられてしまう。

「……そんなに俺をからかうのが面白いか?」

 地を這うような低い声で呟くようにそう言った。
『からかう』とか『勘違い』とか、一度に色んな事を聞かれて頭の中を整理出来やしない。

「ちょっと、小田桐。さっきから何言ってんのかわからな……っ」

 睨みつけるようにして小田桐を見上げていると、怒りの表情を見せていたはずの小田桐の顔がみるみる歪み始めていた。まるで悲しみに打ちひしがれた様な今まで見た事も無い表情を見せた小田桐に、私は思わず口を噤んでしまった。

「なぁ、認めろよ」
「な、にを……?」
「俺を好きだって。……いい加減認めてくれよ」
「小田、桐……」

 苦しそうに眉根を寄せている小田桐を見ていると、私までもが苦しくなってしまった。



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