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第2章 なんだか最近おかしいんです
第11話〜威嚇〜
しおりを挟む「兄さん、あゆむ連れてきたよー」
目の前の扉が開かれた時、そこに立ちはだかっている人は私を見るなり眉間に皺を刻み、険のある言い方で私を出迎えた。
「お前、ジャックが迎えに行ったら来るって、どんだけ自分はお姫様気分なんだよ」
「だって、ジャッ君がわざわざ家まで迎えに来てくれたのに、無下に断れないっしょ」
「……俺が迎えに行ってたら?」
「勿論行かない」
即答でそう答えた事に小田桐は疎ましく思ったのだろう、更に冷たい視線が注がれた。
そうは言ったものの、本当に行きたくなかったらそれが例えジャッ君だとしても同じ答えを出していたと思う。結局の所、最後に見た寂しげな目をした小田桐の顔が頭に焼きついて離れなくなってしまった私は、一方的に小田桐を拒絶している様にとられてしまうのが何だか腑に落ちなくて、ジャッ君に誘われるがままここにやって来てしまったのだった。
昨夜はなんだか妙な事になってしまったが、わざわざ私の家の前で待ち伏せてまで謝りに来たし、今日は梨乃さんもジャッ君も居る。昨日の妙に艶っぽい小田桐はきっと他の誰かに見せる為の顔であって、あの時はちょっと相手を間違えてしまっただけなんだ。今、目の前で仏頂面して立っているのが本来私が見るべき小田桐の姿なんだ、と、丸一日かけて考え込んだ結果、そう思える様になった。
「ほ、ほら! ジャッ君、やっぱ小田桐怒るじゃん!」
「大丈夫だよ。兄さんこんな事言ってるけど、歩が来てくれて嬉しいんだって」
「ジャック、お前いい加減な事を――」
「あーもう、ほらほら! 歩、入って入って」
「あ、ちょ」
ジャッ君は私の手首を掴まえると、入り口に立ち塞がる小田桐の胸をポンポンッと叩いて押し退けた。腕を引っぱられるようにして家の中へ入る時、いつものしかめっ面の顔を横目で見た私は不覚にも安心してしまった。
「梨乃? 歩、連れてきたよ」
「はーい」
リビングに入ると、ジャッ君はジャケットを脱ぎながら姿の見えない相手に向かって声を掛けた。キッチンの奥から梨乃さんの声が聞こえ、どうやらこちらへ顔を見せようと思っているのか、食器をカチャカチャと置いた音が聞こえてくる。
「ようこそ、いらっしゃい。歩さん」
そして姿を見せた梨乃さんは、相変わらずフェロモンが駄々漏れている。若い男二人と一緒に居て、この人は平気なのかと赤の他人の私が心配してしまうほど、梨乃さんのその色っぽい佇まいに下世話な考えばかりが頭を過ぎった。
「あ、こんばんは。すみません、ずうずうしく来てしまって」
「また会えて嬉しいですわ。……貴方とは色々と話したい事があるんです。だから、丁度良かったって思ってるんですよ」
――あ、何だろう。そこはかとなく威嚇されている様な気がするのは、私の被害妄想なのだろうか?
今の梨乃さんはきっと監視役としての顔をのぞかせているのだろう。ただ単純に私と話がしたいだけ、なんてそんな奇特なこと思うわけが無いだろうし。
どんな風に返事をしていいのかわからなくて、微笑んでいる梨乃さんに対し、私はヘラヘラと馬鹿みたいに笑って見せる事しか出来なかった。
「あ、そうだ。お客様に対して申し訳ないのですけれども、よろしければ食器を並べるのを手伝って貰えないですか?」
「あ、はい。わかりました」
私は荷物をソファーに置かせて貰うと、シャツの袖を捲った。
「梨乃、それ位僕がやるよ。いくらここが日本だからって、女性が何でもやらされているのを見るのは僕は好きじゃないな。歩はお客さんなんだから、座っててよ」
「え? でも……」
肩にポンッと手を置かれ、私はソファーに座るように促された。
――ああ、やっぱりジャッ君素敵過ぎる……。
こんな何気ない気遣いを目にする度に、忘れかけてた乙女心がくすぐられてしまうんだろうな。と、改めて実感する瞬間だった。
しかし、そんな紳士なジャッ君に対し、なぜか他の二人はすこぶる冷静な受け答えをした。
「聖人さんがやると、余計な仕事が増えるので遠慮させて頂きます」
「あ! 酷いなぁー。僕だってやるときゃやるのに」
「ああ、確かにお前はやるな。――で? あの危険ゴミの次の回収日はいつだったっけ、梨乃」
「一昨日回収に来たばかりですから、次は来月ですね」
小田桐が指差した方を見ると、部屋の隅に新聞紙で包まれたものがいくつも入っているゴミ袋があった。
「となると、しばらくあそこに置いたまんまにしとかないといけないってワケか」
「あ、あれは! 手が滑って……」
「お前は手に油でも塗ってんのか? 朝からパリン、パリン……。うちの主要の食器、殆ど無くなったぞ?」
「大丈夫ですわ、聖夜さん。今日、昼のうちに買っておきましたので」
「そうか、悪いな。――で? どれを運べばいいんだ?」
ジャッ君に対する皆の扱い方が余りにも酷いなとあっけに取られている間に、小田桐が梨乃さんの手伝いをする為にキッチンへと向かった。私がやるって言ったのに何故か華麗にスルーされてしまう。小田桐がキッチンへ入ろうとしたその時、丁度そこから出てきた梨乃さんとかち合った。
「聖夜さんも遠慮します。どうぞ座ってらして? ――歩さん? いいかしら?」
「あ、はい」
ソファーから立ち上がりキッチンへと向かおうとすると、大きな小田桐の手がパッと私の方へと開き、私は即座に立ち止まった。
「お前、俺の言ってる意味が判らないのか? 俺が手伝うと言ってるんだ。なのに、何故そんなに芳野にこだわる」
なんだか不穏な空気が流れ出す。小田桐がほんの少し目線を下げた所にいる梨乃さんは、小田桐から発せられる威圧感に一切怯む事無く笑顔を保っていた。
いや、別に食器並べるくらいやりますよ、って心の中で思っていてもどうにもそんな事言えそうな雰囲気ではない。一体この二人の間に何があったと言うのか今にも喧嘩をおっぱじめそうなこの雰囲気に、私はただうろたえるだけだった。
「勿論、おっしゃってる意味は判っておりますが」
「ならちゃんと俺の言う事を聞け。ほら、どれを運んだらいいんだ?」
「――お言葉を返す様ですが。聖夜さんの方がやけに歩さんにこだわっている様に見えますが。それに、私の雇い主は聖夜さんではなくあなたのお父様、トレス氏です。トレス氏に信頼して頂いて、聖夜さんの身の回りの事に関しては全て任されております。私がトレス氏に雇われている限り、貴方の一存で私を動かす事は出来ないのです。よって――」
「ああ! もう、いい! わかった!」
「……わかって頂けて良かったですわ」
小田桐は舌打ちをしながらダイニングテーブルへと向かうと、足と腕を組んで座り、面白く無さそうな表情を浮かべている。一方、勝者の余裕か、梨乃さんはそんな小田桐に向かってにっこりと微笑を返していた。
「あーあ、兄さんったら。梨乃相手に勝てるわけないのにね?」
ジャッ君が私の隣に来ると、耳元でそう呟いてから小田桐の向かいに腰をかけた。
――梨乃さんって何気に凄い。あの、しつこい小田桐をあっさり言い負かすなんて。
すっかり梨乃さんにやりこまれてしまった小田桐を見て、私は驚いたと同時にしてやったりな気分になる。いつも傲慢な態度の小田桐がギャフンと言わされているのを見るのは結構、いや、かなり気持ちがいい。
「歩さん? いいかしら?」
「あ、ああ、はい!」
何だか、ちゃんとしないと私まで怒られそうな気がする。変に緊張しながら梨乃さんの後に続いてキッチンへと入った。
「ごめんなさいね。こんな事お願いして」
「あ、いえ! でも、すみません、私自炊とかあまりしないので手際が悪くて……」
梨乃さんと二人でキッチンに立つと、今日のメニューを教えられる。そして、その料理に必要なカトラリーとお皿を人数分用意して欲しいという指令と同時に、食器棚を指差した。カトラリーというものが一体何なのかがわからず、あたふたしている私を見て梨乃さんがクスッと笑う。どうにもこうにも役に立たないと思われたのか指令内容は変更し、冷蔵庫の中からシャンパンを出してそこにある銀色のバケツに氷と水を張ってテーブルに持っていってくれと言われ、私はその任務を今完了して再び梨乃さんの居るキッチンへと舞い戻ってきた。
「……あ! グラス、ですよね? この長細いのでいいですか?」
「正解。お願いします」
――良かった。こういうのなら何度か飲んだ事があるからわかったよ。料理も出来ない、酒も飲まないだったら、何の手伝いにもならない所だった。
見るからに高級そうなグラスをそーっと食器棚から出していると、
「所で、少しお聞きしたい事があるのですけれども」
「ひゃいっ!?」
突然、耳のすぐ側で声がして身体が大きく揺れる。軽くグラスの縁が棚に当たってしまい、私までジャッ君と同じ扱いをされてしまったら梨乃さんに免疫の無い私は食事どころではなくなる。すぐに割れていないかを確認し、無事なのがわかるとホッと胸を撫で下ろした。
いつの間に近くに来ていたのか、すぐ後ろに梨乃さんが立っている。誰にも聞かれたくないのか口の横に手をあてがいながら、なにやらヒソヒソと話し掛けて来た。
「な、何でしょう??」
「貴方は聖夜さんの?」
「聖夜さんの?」
――しまった。つい、つられて私まで聖夜さんとか言ってしまった。気持ち悪い。
梨乃さんは一度耳を澄ませて、小田桐とジャッ君がお喋りしているのを確認すると、身体をより一層屈めた。その事で自然と距離も縮まり女性らしいフレグランスが鼻孔を掠め、艶やかな赤い口紅が上下に動くのが間近で見える。自分より背の高い女性などそうそう会う事が無かったが、この梨乃さんはヒールを履くと多分小田桐と同じ位かそれ以上あるだろう。でかいだけの私に比べ、うんと女性らしさを感じる梨乃さんの事が、とても羨ましく思えた。
「え? なんですか?」
梨乃さんが何を言おうとしているのかがわからず、思わず聞き返してしまったが、私はその事をすぐに後悔する事となった。
「歩さんは、聖夜さんとは身体だけのお付き合いなのかしら?」
「……はっ?」
――って! いやいやいや、にっこりと微笑みながら聞くことじゃありませんよ! やっぱり、この人……いや、この人達、言ってる事が毎回毎回おかしすぎる。もう素人はとてもじゃないですが太刀打ちできません。
「ち、ちちちち違いますっ!!」
「そう?」
「はいっ! あ、当たり前じゃないですかっ! 何でそんな事聞くんですか!?」
食器棚にびたっと背中を貼付けながら、ひっくりかえった声で取り乱した。そんな私を見て嘘を吐いているのでは無さそうだと思ったのか、梨乃さんは安堵の表情を浮かべた。
「いえ、ならいいんです。ほら、聖夜さんってあんなですから、一応念の為、ね」
――ちょっとちょっと! あんなだからってなに!? 気になるから変にぼかすのやめて貰えないでしょうか。
百戦錬磨の梨乃さんからすれば、こう言えば通じるって思ってるのかも知れませんが、ズブの素人の私にはその言葉の裏にある本来意図するものが何なのかがさっぱりわかりません。
「いや、あの!」
「あ、じゃあそのグラス持って行ったら、もうそのまま座って下さってて結構ですわ」
誰にもばれないよう、ただその事を確認するためだけに手伝わされた感が漂っていて、なんだか釈然としなかった。
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