B級彼女とS級彼氏

まる。

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第2章 なんだか最近おかしいんです

第5話〜過去の悪習から逃れるために〜

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 薄暗い部屋の中。大きなクローゼットに組み込まれた鏡の前で、私は何度も自身の髪を濡れたタオルで拭いている。せっかく大きな鏡があると言うのに、こう薄暗いとスライムが取れたのかどうなのかも良くわからない。もう少し明るくしてと言ってみたものの、これが限界だとあっさり断られた。
 あえて聞かなくとも部屋の中央に大きなベッドが鎮座していると言う事は、ここが小田桐の寝室なのだと言う事がわかる。きっと、寝室用に元から明かりがぐっと絞られている照明を使っているのであろう。これが限界だと言う小田桐の言い分は、納得せざるを得なかった。
 しかし、照明一つでこうも場の雰囲気が変わるものなのかと思わず感心してしまう。リビングよりも狭いこの空間と、じっと見なければ相手がどんな表情をしているのかすらわからない絶妙なライティング。それに付け加えて、この大きなベッドの存在が私に妙な感情を抱かせた。
 視界に入っては来ないが、衣擦れの音などで小田桐がベッドに座っているのがなんとなくわかる。こっちを見ているかどうかもわからないのに、何となく見られているんじゃないかと感じて思わず背筋をピンと伸ばした。

「あのー、さ。向こう行ってていいよ?」
「いや、別にいい」
「いや、そうじゃなくて。後ろで待たれてると思うと何だか落ち着かないし」
「気にするな」
「いや、だからさ。……あ、まさかとは思うけど、私が何か悪さするとか思ってるんじゃ?」
「まぁ、そんなとこだな」

 薄暗いベッドルームに二人っきりと言うこの状況が嫌過ぎてさり気なく出て行って貰う様に言ってみたが、私の信用が無い所為であっさりと拒否されてしまい、深い溜息を吐いた。

「はぁ……。こんな事になるんだったら、あんな変な実験しなければ良かった」
「実験?」
「い、いや、何でもない! こっ、こっちの話だから、うん」
「?」

 再び沈黙が訪れる。何か話さなきゃ間が持たない。こういう時、一体何の話をするべきだろうか。小田桐に対して聞きたい事は山ほどあるが、果たして今このタイミングで聞くべき内容なのかと考えると少し違う様な気もする。いつ日本に帰ってきたのかとか、いつまで日本に居るつもりなのか。今は何の仕事をしていて、父親とは上手くやれているのかとか。そして、何故あんなにも“から揚げちゃん”に執着するのか、とかも問い質してみたい所ではある。……まぁ、これは“好きだから”って返答が返って来るのは間違いないのだろうけども。
 それともう一つ。どうしても確認しておきたい事があった。

「あのさ、さっきの」
「ん?」
「あ、いや。……やっぱいい」

 今自分が言わんとしている内容を一度冷静に考えてみて、慌てて口を噤んだ。先程の女性とは一体どういう関係なのかだなんて、部外者の私にはどうでもいい話だ。下手に聞いてしまって、それこそ偉そうに自慢されたりでもしたら腹が立つだろうし。

「……」

 それでも気になってしょうがないのは、きっと小田桐の事なら何でも知っていると思っていたあの頃の自分が、今の小田桐の事は何も知らないという事実を素直に受け入れられないと、拒絶反応を起こしている所為だ。
 高校生の頃の私は、小田桐の事なら何でも知っていたし彼の一番の理解者なのだと思い込んでいた。周りの女子がキャーキャー言う中、本当の小田桐はみんなが思うほどクールな王子様でも何でもないのを私は知っていた。家に来るなり制服を脱ぎ散らかし、パンツ一丁で平気で居座る様な露出狂気味な男。その内、体が冷えてくると勝手にタンスをあさっては私の服を着る、なんて事もあった。百七十センチある私が着ている服だとは言え、流石に百八十センチ以上ある男の小田桐が着るとお笑いにしかならない。一度その姿をカメラにおさめようとこっそり準備していたら、胸座を掴まれて本気で威嚇された事もあったりした。
 友達にそんな小田桐の本性を話しても誰も信じないだろう。小田桐は学校では比較的大人しくしていたからそんな事を言えば最後、私が何かひがんで言っているとか小田桐の気をひこうとしているだとか言われるのがオチだと思った。
 だから、私は二人の関係を誰にも話さなかった。自己保身の為とはいえ、そうする事でどうやら私は優越感と言うものを覚えてしまっていた様だ。
 あの女性を見た時、あの頃と違って“私だけが知っている本当の小田桐”ではなく、“彼女しか知らない本当の小田桐”が存在しているという事を知った今になってやっと、自分がそんなくだらない優越感を抱いていたという事に気付かされた。
 気付いたからにはあの女性は誰なのかと気軽に聞くことが出来なくなってしまった。かといって何も聞かないってのもそれはそれでちょっと不自然な気がする。小田桐とはこの先付き合っていくつもりはないんだし、くだらない優越感を断ち切る為にもすっぱり割り切った方がいいに決まってる。

「何一人で百面相やってんだよ」

 それに、そうだ。小田桐だって、とっとと出てってくれとしか思っていないだろう。優越感だの劣等感だのと何だかぐるぐるしていたが、小田桐には何の関係もない事じゃないか。二人きりになったからと言ってまさかあの小田桐に対して意識してしまっていた事に、別の意味で恥ずかしさが増した。

「あー、のさ」
「だから、なんだよっ!?」

 強い口調で返事をする小田桐に、言い淀んでいた自分が馬鹿らしくなった。

「――っ、さ、さっきの人! ……誰なのかなって」
「はぁっ!?」
「だからっ……。――さっきの綺麗な女性ひとよ!」

 言いたい事を言わない私が余程鬱陶しかったのか、小田桐がイラついた口調に変わる。よせばいいのにまたもや逆切れをしてしまった私は、売り言葉に買い言葉で突っ慳貪つっけんどんな物言いになってしまった。
 少し間が空き、小田桐は何か考えている様子だ。

「なんで?」

 すると、先程までとは違い、比較的冷静な声で聞き返してきた。

「質問に質問で返さないで下さい」

 私は相変わらず小田桐に背を向けたまま、もうどうにもならないとわかりきっているスライムを手持ち無沙汰にひたすら擦り続けている。またしばらく間が空くと、慎重に言葉を選ぶようにして小田桐が話し始めた。

「……あれは、梨乃りの、ってんだけど、まぁ所謂いわゆる専属の日本語教師ってとこだな。喋りはまぁ大丈夫なんだが、読み書きがまだ苦手だからな。特にビジネスでの日本語の表現はありえないにも程がある」
「へ、へぇ? 随分綺麗な先生ですこと」

 少々嫌味っぽく言ってみたが、当然この小田桐にそんなのは通じない。

「そりゃまぁ、日本語を教えるだけのただのおっさんよりかは、プラスアルファがあるやつの方がいいだろう」

 その言葉にスライムを擦る手がピタリと止まる。
 ――プラスアルファがある?
 それはつまり、二人はイケナイ関係だと言う事を遠まわしに言いたいのだろうか。互いの欲望を満たす為だけの割り切った大人の関係なのだと。
 多分、このセリフを慎吾さんが言ったとしてもそんな風には思えないのだろうが、まるで色気が服着て歩いている様な小田桐とフェロモン駄々漏れのあの女性を見ると、イケナイ妄想がどんどん膨らんでくる。

「――!」

 ――不潔だ、不潔過ぎる!
 しばらく見ない間に、小田桐は見た目どおりのエロ魔王になってしまった事を知り、私は開いた口が塞がらなかった。それと、同時にもうあの頃の小田桐では無いのだとわかり、少し寂しくも思えた。

「んなことより、どした? さっきから手が止まってんぞ?」

 鏡越しに人影が映った事に気付き、私は少し身体をずらしてその人影を見た。

「……っ」

 黒を基調にした大きなベッドの縁に腰を落とし、組んだ足の上に肘を付きながらじっとこっちを見ている。鏡越しで目が合い、咄嗟に目を逸らしてしまった。そこで止めておけばいいのに、ベッドに座っているであろう小田桐を私はまた鏡越しに覗き込んでしまった。
 次に目が合ったときは、視線を逸らす事が出来なかった。肘をついた手で顎を支え、何か言うでもなくただ無表情で私を見つめている。もしかすれば、その視線の先は私ではなく、単に髪についているスライムへと注がれているだけなのかも知れないが、仮にそうだったとしてもその小田桐の視線は私の胸の音を早めさせるのには十分なものであった。
 何か言葉を返さなければ変に怪しまれる。そう思いながらも、丁度いい言葉が浮んでこない。髪を拭く手を止め、私はその場で俯いていた。

「……? ――っ!」
「お前さ、もしかして」

 頭の上で突然小田桐の声が聞こえ、いつの間に隣に来たのかも気付かなかった私は思わず肩を竦める。左手の前腕部分をクローゼットに押さえつけながら、まるで囲むようにして上から覗き込んでくるその距離感に驚き、私はそのまま身を強張らせた。




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