誰が為の理想郷

古河夜空

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第一章

01.「お前、クビな」

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 「そうだ。お前、クビな」

 それは、まるで『そうだ。本を読もう』みたいな軽いノリの言葉だった。

「え?」

 言葉のノリと、言葉の意味するところがあまりにも乖離しすぎていたためか、声を掛けられた少年は意味を理解出来ず、ただ困惑していた。

 この少年の名はアーカイル。年は一六歳。
 黒――というよりは濡羽色のようなショートヘアで、身長は一七三センチメートル。全体的に線の細い印象だ。
 戸惑いに満ちた瞳は金色。光の加減で茶色に見えることもある眼が揺れていた。

 彼の装いは革製の胸当てと動きやすいブーツ。背には大きなリュック。中には野営道具や予備の装備、水や食料等々がぎっしり詰まっている。
 荷物持ちの冒険者、と言った風体だ。

「ちゃんと聞けよ。クビだって言ったんだよ、クビ」

 クビを宣告した青年は、遠慮の無い蹴りを少年の腹に見舞った。
 アーカイルに比べると一回りは大きな恵まれた体躯に、しっかりと鍛えられた筋肉を持つ青年の蹴りは相当な威力だったのか、アーカイルの身体はくの字に曲がり、数メートル先まで転がった。

 アーカイルは激しく咳き込み、腹を押さえながら、蹲った態勢で蹴りを見舞った青年を見上げる。

「ど、どう、して……」

 アーカイルが見上げる青年の名は、ハンス。
 【祝福された炎ブレスドブレイズ】という冒険者パーティのリーダだ。
 短く刈り揃えた赤髪に、甘いマスク。そして、立派な鎧を纏い、背には業物の大剣を装備している。
 二一歳にして、冒険者としての実績から、次代の“剣聖”候補の一人と評されている実力者。

 普通にしていれば非常に魅力的な好青年だが、今、その顔は醜悪な笑みに歪んでいる。

「どうして? じゃねぇよ。そこは、分かりました、だろ? 口ごたえが許されるとでも思ってンのかよ」

 ハンスはゆっくりとアーカイルのすぐ近くまで歩み寄り、怜悧な視線で見下ろした。
 アーカイルの瞳に、怯えの色が浮かぶ。


「ハンスー、ちょっと可愛そうよ。もう少し分かりやすく言ってあげないと、お馬鹿なアーカイルには理解出来ないんじゃ無い?」

 口を挟んだのは、ハンスに撓垂れかかるように身を寄せる一人の女性だ。名をステラと言う。
 【祝福された炎ブレスドブレイズ】の後衛で、攻撃魔術と治癒の両方を受け持つ魔術士だ。
 緩く波打つ長い青髪をかき上げながら、豊かな胸をハンスの腕に押しつけた。
 ハンスはそれに答えるように、ステラの腰を抱き寄せる。

「ったく、面倒だなぁ」

 ハンスは心底面倒そうに顔を歪め、頭を掻いた。

「ここがどこだか分かってるか?」
「……神獣の谷、だけど」

 アーカイルは痛む腹に手を当てながら、ふらふらと立ち上がった。
 真っ直ぐ立つことすら出来ず、苦しそうに顔を歪めていた。

「そう、神獣の谷だ。出てくる魔物も強けりゃ、罠や仕掛けも高難度のダンジョンだ」
「魔物はともかく、仕掛けの方は本当、嫌になる程鬱陶しいのが多いわよね」

 ハンス達の言っていることは正しい。

 今、彼らが居るのは、神獣の谷と呼ばれるダンジョンの中だ。
 底の見えない深い谷を降りていく形のダンジョンであり、未だ踏破者はいない。
 浅層は、初心者でも探索できるような簡単な難易度だが、一○層を越える辺りから一気に難易度が上がる。
 崖沿いを降りるという特性上、足場が狭いことが多いこのダンジョンでは、魔物からの襲撃を回避することが難しい。
 また、狭い道に仕掛けられた罠や、隠し通路のような仕掛けが探索者を悩ませる。

「あー! ステラ、アタシが居ないからってハンスにくっつくなよ! 狡いぞ!」

 場違いな程大きな声で会話に割って入ってきたのは、大きな盾を担いだ黒髪ポニーテールの女性、アネッサだ。
 防御力を重視した鎧を纏う彼女は、【祝福された炎ブレスドブレイズ】の盾役タンクとして活躍している。
 男性顔負けの膂力を持ち、強力な魔物の攻撃も防ぐ彼女だが、鎧の隙間から覗く身体のラインは非常に女性らしい。特に、鎧の胸部が、彼女の豊かな双丘を強調するようなデザインであることも手伝い、無骨ながらも色気を十分に感じる装いだった。

 不快感を隠そうとしないアネッサを見たステラは、小さく舌打ちして、口をとがらせながら名残惜しそうにハンスから身体を離した。

「少しくらい良いじゃない」

 ステラはアネッサに半眼を向けた。かなり迫力のある威圧が籠った視線だが、アネッサは気圧されるどころか、逆に睨み返す。

「良いわけ無いだろ。アタシとフリッツが周囲の警戒に出てる間の抜け駆けってのが特に許せないね。きりきり働け!」

 アネッサの後ろには、存在感が薄い細身の男性が居た。
 茶色の髪は短めだが前髪は目に掛かるほど長く、視線を隠しているかのようだった。
 革製の胸当てを纏い、背には弓矢を背負う、冒険者にしては軽装の彼――フリッツは【祝福された炎ブレスドブレイズ】の斥候だ。

 ハンス、ステラ、アネッサ、フリッツ。そして、アーカイル。
 この五人で構成されたパーティが、【祝福された炎ブレスドブレイズ】だ。

「で、これはどんな状況なんだい?」

 アネッサの視線が、ふらつくアーカイルとハンスを交互に向けられた。

「アンタが話の腰を折っちゃったけど、アーカイルにクビを言い渡したところよ。で、今はハンスがその理由を説明しようとしてたところ」
「あぁ、そう言うことかい。残念だねぇ」

 肩を竦めるアネッサだったが、残念だと口にしてはいるものの、特に驚いた様子も、悲しむような素振りも無い。
 フリッツは相変わらず表情が良く見えなかったが、こちらも特に変わった様子は無かった。

 アーカイルはパーティメンバの顔を見て、青ざめた。
 自分にとっては突然の宣告だったが、彼らの中では既に確定していること、もしくは不自然な出来事では無いと思われていることが分かってしまったからだ。

「あー、話が逸れちまったが……、まぁ、きちんと説明する必要も無いもんな。実際、お前は居ても居なくても変わらないような存在なんだ」
「そ、そんな……。僕だって頑張って荷物運んだり、補助魔術で補助したり……」

 アーカイルの小さな反論は、ハンスの大きな態とらしい溜息でかき消された。

「荷物は俺達だって運べる。補助魔術は使ってはいるみたいだが……、別にレベル1の補助魔術なんざ、あっても無くても大差は無ぇよ」
「それはそうかも、知れない、け、ど……」

 ハンスが言う通り、アーカイルの補助魔術は覚えたての「1」だ。確かに、メンバの力を上昇させることは出来るけれど、今のレベルでは微々たる量。それこそ、あっても無くても大差ないと言っても良い程度の。

「消耗品の買い付けや、クエストの準備、僕に出来ることは何でもやってきました!」
「そりゃそうだけど」

 ハンスは面倒くさそうに眉を顰めた。
 ここまで言わなければ分からないのか、とでも言いたげに、聞き分けの無い子供を見るような目つきで。

「だって、どこまでいっても、所詮は“天稟無しノーギフト”じゃん、お前」

 頭をハンマーで殴られたかのように、アーカイルが目を見開き、固まった。


 ギフトとは、誰もが一二歳になると天よりけるとされている、その人の称号のようなものだ。
 ギフト自体には何の効果も無いが、ギフトが示す方向性に努力を重ねれば、比較的容易にスキルの取得が可能であるとされている。

 例えば、ハンスは『紅蓮のカーマイン剣豪ソードマスター』というギフトを持っている。この恩恵で、火属性の魔術と剣術関連のスキルの伸びが良い、という具合だ。
 因みに、『紅蓮のカーマイン剣豪ソードマスター』というギフトは、かなり珍しいギフトであり、剣士、魔術剣士を目指す上では非常に優秀なギフトでもある。
 また、ギフトは当人の努力等によって成長することもあるのだが、それでもアーカイルにはギフトは発現していない。

 なお、スキルとは、剣術、魔術、気配察知、木工細工というような、各種技術に関するものであり、本人の努力や成長で後天的に身につく技能だ。
 基本的にはどんなスキルであっても、努力によって身につけることができるとは言われている。
 しかし、ギフトの有無により、習得度合いに大きな差が生まれるため、関連するギフトを持っている者が圧倒的に有利だった。


 ハンスが言う様に、アーカイルはギフトを持っていない。
 アーカイルの年齢は一六。つまり、ギフトが発現していても不思議は無い年齢だ。しかし、何も無い。これは、前代未聞レベルの珍事ではあるのだが、アーカイル本人にとっては、ただただ悲劇である。

 先程話題になった補助魔術のスキルを一つとってみても、それは決定的だった。
 アーカイルは少しでもみんなの力になれるようにと、補助魔術の学習を続けてきた。知り合いに頼み込んでは魔術書を借り、手で書き写し、それが擦切れるまで何度も何度も読み返した。
 それだけでは無く、魔力を向上させるのに効くと言われる食材も、手に入れられるものであれば手に入れ、体作りも怠らなかった。
 そんな生活を数年続け、やっと習得したのが、身体強化の補助魔術だ。スキルに『補助魔術 Lv1』が記された時には、その興奮から眠ることが出来なかった程だ。

 しかし、『四大エレメンタル術士マスター』という、魔術に秀でた優秀なギフトを持つステラは、身体強化の補助魔術を、学習を初めてほんの数日で習得している。

 ステラのギフトはかなり優秀であり、レアなものではあるが、持つ者と持たざる者の差は、ここまで顕著に出てくるものだった。


 ギフトを持つ者同士でも、その優劣によってランク付けされてしまうことがしばしばある社会の中で、天稟無しノーギフトのアーカイルは、嘲笑の対象となることがままあった。
 そして、彼の人生は、何をするにしても、何を目指すにしても、人の何倍もの努力が必要となる茨の道が確定しているという事でもあったのだ。


 その事実を、パーティ追放の理由として挙げられることは、アーカイルにとってこれ以上無い衝撃だった。
 自分が他者より劣っていると言うことは、これまでの人生で嫌と言うほど体験してきた。
 自分の努力をあっさりと越えて行く者達を見て、堪えきれない程の羨望を覚えた。
 誰でも持っているギフトが、何故自分には無いのか。自問しない日は無かったと言っても良いだろう。

 しかし、天稟ギフトが無いことは、アーカイル自身でどうこうできる問題ではないのだ。


 だから、アーカイルは悔しくて、悲しくて、情け無くて、仕方なかった。


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