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第一章 ルイーザ建国

34.本物の矜持

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■□■---Side: クラウス---■□■

  初めは、意味が分らなかった。
 急に、頭にねっとりとした何かが降り注いだ。
 天気は良いから雨では無いし、そもそも雨の様に冷たくはなく、生温かい。

 何事だと思って髪をかき上げる――

「うわああっ!」

 手が真っ赤に染まっていた。

 どういうことだ?!
 これは何だ、何が起こった?!


 慌てて振り返ると、まずは地面に倒れたダミアンが、視界に飛び込んできた。
 背中をばっさりと切られたようで、重厚な鎧ははじけ飛び、今もどくどくと鮮血が溢れでている。
 屈強なダミアンの体を囲う程の血だまりができていて、紅は、今この瞬間も増え続けている。


「ダミアン様!」


 俺付きにしていた女騎士がダミアンに駆け寄り、その直ぐ近くに膝を折ってしゃがみ込んだ。
 血で鎧や服が、長く美しい金色の髪が汚れようと気にする様子は無く、回復魔術を掛け始めた。


「ほう、殺しきれなかったか。思った以上に頑丈だったようだな」
「だ、誰――ッ」


 謎の声が聞こえた方向――上を見遣ると、そこには絶対的強者が居た。
 喋りかけていた言葉が喉の奥に引っ込む。
 手足が震える。

 何なんだ、あれは。



 いや、違う。俺は知っている。
 この目で見るのは二度目だからだ。


 二メルトを優に越える筋骨隆々な巨体。短めに揃えた灰色の髪と、側頭部にその存在を強く主張する、黒く大きな捻れ角。
 臀部には俺の腕何本分もの太さがある、巨大な尻尾を持った強者。

 それが、黄金色の瞳の奥にある縦長の瞳孔をギラつかせ、こっちを見ていた。

 たったそれだけで、俺は呼吸すら忘れてしまう。


 もう一度機会があれば、倒せる? 『聖炎』を当てさえすれば倒せる?
 そう思って居た筈の心が、既に折れ掛かっている――。


「…………」

 その絶対的強者は、俺を数瞬だけ見ると、直ぐに視線を切った。
 一気に肺が活動を始める。
 金縛りにあったかの様に何も出来なかった体が酸素を欲して、慌ただしく呼吸を再開した。

 思わず咳き込み、片膝を着いてしまうが、体裁を取り繕う余裕など在るわけが無い。

 動き始めることが出来た途端、全身が痙攣したかのように震え出すのだ。


 本能が告げている。
 アレには勝てない。アレに逆らってはいけない。


 勝てるビジョンはおろか、逃げ出せるビジョンすら思い描くことができない存在。
 何も出来ない俺は、奴から視線を外すことさえ出来ず、ただ、見ていることしかできなかった。

 俺から視線を切った奴は、ダミアンを見据えていた。
 ダミアンの直ぐ傍には、回復魔術を掛け続ける女騎士。他の騎士達も、ダミアンを庇うように集まり始めている。
 何だよ、なんで動けるんだよ、お前等。


「……さて、見たところテールスの騎士のようだが、こんな所で何をしている?」

 奴の剣呑な視線が、俺達を射貫いた。
 それだけで、騎士の連中は一瞬動きが止まった。
 だが、ダミアンに回復魔術を掛け続けている女騎士だけは止まらなかった。

 それに触発されたのか、他の連中も直ぐに復活して、ダミアンを庇う様に立ちはだかる。

「……答えぬか」

 奴が大きく溜息を吐いた、その瞬間だった。

「ぼ、防御陣形ッ。何としてもクラウス様をお守りしろッ」

 ダミアンの一声で、全盾兵が俺の前に並んだ。馬鹿でかい盾を構え、俺を守る為に二重三重の防御壁を作っている。
 その様子を見ながら、明らかに瀕死のダミアンが立ち上がった。
 足下は覚束なく、ただ立っているだけで精一杯という感じだ。
 その巨体がぐらついた瞬間、女騎士がダミアンの脇の下に入り、支える。そしてゆっくりと、俺の方へと近づいてきた。


 上空の暴威は、その様子をただ黙って見つめていた。


「クラウス……そこの小童のことか?」

 黄金色が、俺を射貫いた。

 ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――ッ。
 全身が痙攣し、この場に縫い付けられたかのように動けなくなる。
 ただ、奴がこっちを見ただけでッ。

「息の仕方すら忘れるような弱者に、守られる価値はあるのか?」

 それは、俺のことか? 俺のことなのか?!
 頭ではそうだと分っているが、到底受け入れられない。だが、既に折れ掛かった心は抵抗という選択肢を選ばせてくれない。
 手が震え、足が震え、体が震え、脳が震える。

 再び、奴の視線が俺から外れる。次に奴が見据えたのはダミアンだ。
 ダミアンは、奴の視線を真っ向から受けて尚、吼えた。

「彼は、我が主が見込んだ希望だ! 身命を賭して守り抜く!!」



 ――――今、何て言った?

 あのダミアンだぞ? 俺を散々コケにしていやがったダミアンだぞ?
 文句ばかり言って俺の邪魔をして、実力も隠して手抜きしていやがったダミアンだぞ?

 それが何だって……。



「そうは見えぬがな。……そうだ、思い出したぞ。貴様、キースリングと一緒にいた騎士だな」
「だったら何だと言うのだ」
「成る程、主というのは彼の男の事か。――彼奴と言い、貴様と言い、人族にしては骨があると思っていたが、真贋を見極める目は持ち合わせて居ないようだな」



 ――――は?

 ちょっと待て。今何て言った。
 真贋だ?
 てことは、俺が贋者だって事か?



 その瞬間、俺の中の何かがキレた。



「冗談じゃねぇ!!!!! 誰が偽者だ!!」



 そこからは、良く覚えていない。
 ただ、今まで頑ななまでに動かなかった体が、何の障害も無く、普段通りに動いたことだけは覚えている。

「クラウス様! お下がり下さいッ!!」

 ダミアンが何かを叫んでいるが、もうそれ以上は耳に入ってこなかった。

 全力で魔力を錬り、全力で宝剣に纏わせる。
 『魔剣術』と『聖炎』の合わせ技だ。
 燐光燦めく聖なる炎を宝剣に宿す。纏わせるのではなく、宿すのだ。
 俺の残りの魔力を全て注ぎ込んで発動させた『聖炎』を、白銀の剣に宿していく。

 凡百の剣なら、この力に負けて崩壊するのだろうが、王様から賜った宝剣は俺の力を全て吸い込んでいった。
 どんなに押し込んでも押し込んでも、貪欲に力を喰らっていく宝剣。

 だったら、俺の生命力すらも持って行け。
 今の俺の全てを力に変えて、『聖炎』と成してお前にくれてやる。


 俺の体が、淡い光に包まれた。それが何なのかは分らなかったが、後になって考えたら何重にも重ね掛けされた身体強化フィジカルブーストだったのだろう。ダミアンがそう命じたに違いない。

 それだけではない。上空の暴威に向かって、ありったけの魔術と矢が放たれた。
 そこにはもう、斉射などという概念は無い。今持てる最大火力を次々と放っていくだけの攻勢。
 だが、シンプル故に眼前の敵を屠るという目的に於いては、この上ない効果を発揮する攻撃だ。

 それは、俺が全ての力を篭め終わるまで、途切れる事無く続いた。

 熱気が、冷気が、岩塊が、風が、四方八方から奴を攻め立てる。
 猛攻の余波が森を照らし、周囲の木々を焼き、凍らせ、散らせ、奴がいる空間ごと破壊していくようだった。

 炸裂する魔術の光に遮られ、奴の姿は視認出来ない。
 だが、それでも、肌がひりつく存在感は全く薄れていない。

 あの光の向こうに居ることは確かなのだ。



「訂正しやがれ、俺は、偽者じゃねぇえええええええええッッッッ!!!!!!」



 全ての力を注ぎきった宝剣を、俺は投げ放った。


 轟、と空を裂く宝剣。
 鋭い剣先が、直前の空気を焼き尽くしながら、直視すら叶わぬ程の光を纏って奴へと向かう。

 辺りに散っている騎士達の魔術残滓すらも飲み込んで、渾身の一撃が、上空の暴威を――穿った。


 その刹那、森が一瞬静寂に包まれた。
 一切合切の音が消え、暴れ狂っていた魔力が凪ぐ。

 そして、全てが一気に爆裂した。

 大きすぎる轟音は、静寂にも似ていて。
 眩しすぎる閃光は、暗闇にも似ていた。


「完全防御態勢!!! クラウス様と村人を守り切れ!!!!」


 ダミアンの叫びを聞きながら、俺はただ一点を見据える。



 ――どれくらい経っただろうか。
 数分? いや、数瞬かも知れない。

 閃光と轟音が消えて行き、空が見えてくる。


「どうだ?」

 ダミアンが、そう呟いた時だった。





























 ――俺の意識は暗転した。

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
■Tips■
宝剣ナーゲルリング[固有名詞・剣]
テールス国王より下賜された名剣。
宝剣の名が示すとおり、煌びやかな装飾が施されている。
形としては、ツーハンデッドソードであり、一撃の重さを重視した作りになっている。
剣身は白銀で、魔法銀ミスリルをベースに希少金属がふんだんに使われており、魔力との親和性と鋭さが両立された業物。

テールス王国の宝物庫で眠っていたが、勇者誕生のセレモニーで日の目を見た。


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