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序章:ノア

02.三年

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 「失礼しまーす。あ、レオン様いたんですね」

 私室で荷物をまとめているところにやってきたのは、一人の少女だった。
 ロングスカートのクラシカルなメイド服に、ホワイトブリム。エプロンはフリルの付いた白色で、その他は黒をベースにした落ち着いたデザインだ。

 ノックもせずに勝手に入ってくるのはマナー違反だと思うけど、彼女に限っては今更だ。

 サイドテールにまとめている、艶のある淡い紫色の髪がふわりと揺れる。
 くりっとした蒼眼に、通った鼻梁と、整った顔立ち。デザイン的にあまり強調されない筈なのに、服の上からでも分かる豊かな胸元。
 少女らしさもありながら、女性としても魅力も十二分に持つ彼女は、僕専属のメイドであるリーゼだ。


「荷物をまとめている、と言うことは、言い渡されちゃいましたかー」
「ま、そういう事だね」

 肩を竦めて、リーゼを見遣る。
 彼女には僕の状況を伝えてあるため、公爵家を追放されるかも知れないことを知っている。
 そこまで打ち明けているのは、彼女がルートベルク公爵家の中でも数少ない、僕の味方だからだ。

「その革袋は何です?」

 荷物を詰めている鞄の隣に置かれた、見慣れない革袋に気付いたリーゼ。
 リーゼは、僕以上に僕の私物に詳しいから、さっき公爵から貰った物に気付いたのだろう。

「手切れ金かな。金貨三○枚分のお金が入ってたよ」
「うわー、少ないですねー。ケチですねー公爵様」
「そうは言っても、一年は十分に暮らせる額だよ」
「貴族じゃなければって条件がつきますけどねー。でも、今日の公爵様のカフスボタン片方も買えない金額だから、少なすぎますよ。ドンマイっ、レオン様」

 まぁ、確かに。アレは金貨一○○枚は下らないだろうからね。良い魔晶石いし使って、立派な魔術刻んでたから。

「そう思うと、またちょっと腹立ってきたよ。折角落ち着いてきたのに」
「レオン様は金貨三○枚の男という事ですよー」
「その言い方、まるで賞金首だね」
「デッドオアアライブっ」
「せめてアライブオンリーにして」
「渡世は厳しいのですよー。でもほらほら、元気出してください。きらりんっ☆」

 ウインクしつつ小首を傾げ、決めポーズ。リーゼが良くする仕草だ。

 会話内容は巫山戯てるのかって感じだけど、こうしてリーゼと話していると少しずつ荒んだ気持ちが落ち着いてくる。
 個性的な性格ではあるけど、この明るさに救われた経験は数知れないんだ。

「ありがとう。でも、もう一声欲しいな」
「この欲しがりさんめー。私に膝枕でもして欲しいのかな? 絶望の淵にいらっしゃる今のレオン様なら、金貨一枚で承りますよっ」
「え、お金取るの?!」
「リーゼちゃん渾身のサービスですからねー。更に今ならもう金貨一枚で耳かきもついてくるぞっ? 気持ち良すぎてトリップしちゃうかも知れないぞっ? ほらほら、そこにある革袋から金貨を三枚取り出して渡すだけですよっ?」
「高すぎるし、なんかリスキーな気配がするからやめておこうかな。 っていうか、金貨は二枚だよね? ぼったくろうとしないで」
「むー、むー! ノリが悪いですよ、レオン様っ」
「そうは言うけどね……」
「分かりました、じゃぁ、無料タダで手を打ちましょう。ほら、どんと来いー? 無料タダでトリップするチャンス」
「トリップの方は撤回しないんだね」
「てへっ」



 そんな話をしているうちに、荷物の整理も八割方終わってしまった。
 まぁ、私物なんて殆どないし、このことを見据えて、リーゼが昨日までにある程度まとめてくれてたからね。

「とにかく、僕は今日中に屋敷を出て行くよ」
「……本当なんですねー。じゃぁ、私も準備しないと」
「ねぇ、やっぱりリーゼはここに残った方が……」

 僕が屋敷を出るなら、自分も付いていくと宣言しているリーゼ。
 そこまで思ってくれるからこそ彼女を信頼しているというところはあるのだが、どう考えてもこれから先、僕について来たところで未来が明るいとは思えない。
 当てなど当然無いし、今の暮らしよりも厳しい生活になるのは目に見えているのだから。

「くどいですよ、レオン様。私の生涯はもうレオン様に捧げているんですー」

 とびきりの笑顔を見せてくれるリーゼ。普段から笑っていることが多い彼女だけど、この笑顔は別格だ。ころころと表情の変わる彼女だけど、偽りのない本心が垣間見えるような、そんな気持ちにさせてくれる優しい笑顔だ。
 だから凄く嬉しいし、ありがたい。けれど、どうしても心の片隅に申し訳無さがあるのも事実。
 そんな気持ちを察したかのように、彼女は笑みを深める。

「良いじゃ無いですか。味方少ないんだから、私くらいレオン様の味方でも。レオン様が私を必要として下さる限りは、どこまでもお供させていただきます。いい加減、諦めろー?」
「――分かったよ。じゃぁ、この話はここまでにしようか」
「はいな。そうして頂けると、私としましても助かりますですよー」

 そう言いながら、荷物の準備を手伝ってくれるリーゼ。
 鞄の中を覗き、足りない物をてきぱきと用意してくれる。



 とは言え、鞄に詰めるべきものはあまり無い。
 ものの数分で、残り二割も終わってしまった。

「何を忘れても構いませんけど、形見の指輪だけは忘れちゃ駄目ですよー」
「それは流石に忘れないよ」

 丈夫なチェーンに通して、首に掛けている指輪を、服の中から出してリーゼに見せた。
 リングトップには、小さいながらも鮮やかな青緑色の石が輝いていた。

 僕の、本当の父親が、本当の母親に贈ったと思しき指輪。自分の過去を探す上で見つけた、掛け替えのない宝物。
 これだけは、何があっても手放してはいけないもの。


 この宝石の輝きを見ていると、どんな窮地にあっても、何故か力が湧いてくる。


「きっと、お父様とお母様も応援してくれてますよ。声出していこー!って」
「うん、何かちょっと違う気もするけど、そう思っておくことにするよ」

 声出していこーって何だよ。何かの競技かな?

 ともあれ、準備は整った。整ってしまった。
 見慣れた部屋を見渡すと、少しだけ鼻頭がツンとなった。


「レオン様、お待ちしております・・・・・・・・・ね」
「ああ、リーゼも気を付けてね。お守り・・・は忘れちゃ駄目だよ」
「分かってますよー。 ありがとうございます。レオン様こそ、お気をつけて」

 リーゼはそう言って、部屋を出て行った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 テールス王国は、トレーネ川が長い年月を掛けて作り上げた、肥沃な平野部を中心とした国土を持っている。
 王都のフリーデンブルクは、平野のほぼ中心、トレーネ川の直ぐ傍にある。
 この平野で生み出される食糧こそが、テールス王国の国力の証であり、イルテア大陸の人類国家の中ではトップクラスの国力の礎だ。

 王都フリーデンブルクを出た僕は、トレーネ川沿いの街道を上流に向かって進んだ。
 途中で、支流のフルス川沿いの街道へと逸れて、フルス川を上流に向かって進んで行く。

 そうして、王都フリーデンブルクから馬車で揺られること凡そ四時間。
 フルスという街の外壁にある門までやってきた。

 人類の生活圏であっても、たまに魔物が存在する。
 流石に、街道沿いや主要都市近辺で遭遇することは稀だが、魔物による被害は後を絶たないため、街や村は魔物から居住区を守るために、壁や柵で囲われていることが殆どだ。
 フルスの街の外壁も、その用途で作られた壁になる。

 因みに、王都フリーデンブルクには、城壁のような立派な外壁があって、大きな都市をぐるりと囲んでいる。


「魔物の襲撃があったとは言え、無事に着けて良かった。助かりました」

 御者台に座る壮年の行商人が、荷台に座る冒険者達へ労いの言葉をかけた。

「いえいえ、これが仕事ですから。それよりも、皆さんが無事でこちらも一安心です」

 答えたのは、リーダー格の男性だ。
 プレートアーマーを身に着けた盾役タンクで、社交的な性格の好青年だ。

「私からもお礼を言わせてください。便乗させていただけて助かりました」

 壮年の行商人も、護衛についていた冒険者パーティの面々も、初対面の人達なので余所行きモードの僕である。

「それこそ気にしないで欲しい。依頼主の承諾もあったし、直接契約させてもらったのだから当然さ」

 冒険者に対して、今回のような依頼を行う場合、殆どの場合は冒険者ギルドが仲介する。
 それは、その方が冒険者にとっても依頼者にとってもメリットがあるからだ。
 依頼者としては、素行が著しく悪い冒険者を避けることができるし、依頼の難易度に見合った冒険者が斡旋されることがメリットとなる。
 冒険者としては、依頼料を支払えない依頼者や、明らかに違法であったり悪意があったりするような依頼をギルド側が弾いてくれるため、依頼選びが楽になる。
 また、冒険者ギルドを通した依頼を成功させると、その冒険者の実績として記録され、一定以上の実績を残した冒険者のランクが上がるというメリットもある。
 冒険者のランクは、初心者がFランクで、E、D、C、B、A、Sランクと上がっていき、高ランクになればなるほど、高報酬の依頼を受けることができるようになる。──もっとも、それだけ達成困難な依頼でもあるわけだけれど。

 ただ、例外も存在する。
 それが今回僕が取ったような場合で、依頼者が直接冒険者と交渉することだ。
 冒険者としては、ギルドのランク査定の実績に反映されない依頼となるため嫌煙する者が多いのだが、ギルドの仲介手数料が無いため、その分報酬が良くなることが多い。

 丁度都合良く、王都フリーデンブルクを出発する行商人とその護衛冒険者を見かけたため、便乗させて貰うよう交渉したのが功を奏した形だった。
 依頼人の行商人も、護衛役の冒険者も話の分かる人で助かった。


「何にしても、本当に助かりました」


 冒険者達と行商人にしっかりとお礼を言って、報酬を支払い、みんなと別れる。
 門の中へ入るのではなく、その前に合流すると約束した待ち合わせ人が居ると告げて、僕はその場から離れた。

 街の門には憲兵がいて、来訪者の身分証や積み荷の確認を行っている。
 程度の差はあれ、街の居住区が囲われている以上、その中へ入るモノと出るモノをチェックする仕組みは、殆どの街にある。

 そのチェックを待つ人の行列を見遣りつつ、僕はゆっくりとその場を離れた。


 王都を出たのは昼前なので、今は夕陽が薄赤く辺りを照らしている。
 完全に暗くなる前に灯された魔術の光。魔物を倒す事で得られる魔晶石を光源に転用した、光の魔晶石が門を照らし始めた。


「行くか」


 誰もこちらを見ていないことを確認して――、僕は街を背にして一気に駆け出した。






 魔力を体内に循環させ、両脚と体幹を強化する。
 割とポピュラーな魔術である、身体強化だ。修得している者は多い。
 そのスキルを極めれば、文字通り目にも止まらぬ速さで駆け、素手で岩を砕き、魔物の一撃を無傷で耐える身体能力を得ることが出来るのだが、僕の場合は全力疾走で長距離を走れるようになる程度。

 『継承』しかスキルを持たない僕の限界なのかも知れない。

 ただ、それでも無いよりはマシ。
 街の近くの草原を一気に駆け抜け、森の中へと入る。
 夕陽は森の中にまでは差し込まず、周囲は既に暗くなっていた。



 ――視力強化。



 魔力消費的には、小さな光球を浮かべて光源とする方が効率的なのだが、敢えて視力を強化し、少ない光量でも周囲を判別出来るようにする。

 暗い森の中を、走る速度を落とさないまま、なるべく目立たないように疾駆しながら、僕は、フルスのすぐ近くにある山を登り始めた。


 山自体はどこにでもありそうな、普通の山だ。
 フルスの住人が、山の恵みを採りに入ったり、木を切り出すために入ったりする山。
 標高自体もそう高くは無いし、この山を越えれば村もあるため、細いながら街道も整備されている山だ。

 とは言え、夜の帳が下りようとしている今、山を登る――しかも街道ではなく森の中を駆け上る――者は存在しない。
 夜間は魔物の活動も活発になる傾向があるため、尚更だ。



 目指す場所は、この山の中腹にある山小屋。
 フルスの街から見ると反対側の斜面に位置するその場所に、三年間で僕が自由に使えたお金のほぼ全額にあたるお金を注ぎ込んで作った隠れ家を目指す。



 ――ルートベルク公爵に切り捨てられるかも知れない。



 そんな、確信に近い予感を抱きながら、ただその時を待つと言うのは愚か過ぎる。
 しかも相手は様々な意味で強大な力を持つ公爵様だ。
 思いつく限りの準備をしておくことは当然だし、それでもまだ足りないかも知れない。

 更に、ルートベルク公爵が僕を追放するならば、殺されるかも知れない。
 汚点になるかも知れない存在は消すに限るし、実際僕には身寄りも無いのだから、消してしまう方が面倒が無くて良いとも言える。
 公爵様からしてみれば、他人の子供を盗んだなんて事実を知る者はこの世に居てはならないし、その証拠が息をしているというのも度しがたい筈だ。

 公爵様は、僕が自分の出生の秘密を知っているという確証までは得ていないだろうけれど、ある程度は知っていると思っているのだろうと思う。

 やるからには徹底的に。
 将来の禍根になる可能性があるなら、潰しておく。
 そこに、人道的な考慮は無い。

 僕が見たルートベルク公爵という人物は、きっとそう思う筈だ。


 だから、あの日。
 十二歳の誕生日――『天稟てんぴんの儀』で、神託の御子らしからぬ役立たずなスキルを得た時から、この日のための準備は確りとしてきた。


 多くは無い小遣いの中から資金を捻出し、隠れ家を確保し、逃亡に必要な物資を集め、自衛のための装備を隠し――
 思いつく限りの準備を行ってきた。


 それだけではない。
 無駄と言われようと、剣術、槍術、魔術と、様々な訓練に明け暮れた。
 薬草学、鉱物学、商学――学べるものは何でも学んだ。


 何れ切り捨てられる可能性があるなら、切り捨てられても困らないよう準備をする。
 未来に待つのが破滅だと分かっていて何もしないほど、僕は愚かでも無いし、諦めてもいないつもりだ。



「でも、こんな準備は無駄になるのが一番良かったんだけどね――」



 力ない独白。

 思っていた中で、最悪に近いシナリオが現実となって、流石に精神的に参っているのかも知れない。
 シニカルな笑みを浮かべながらも、僕はひたすら走る。


 ここまでしたのだから、絶対逃げ延びてやる。


 固く、心に誓い。
 僕は走って、走って、転びそうになりながらも全力で走って――



























 漸く辿り着いた小さな山小屋。


「お。来たぞ」


 僕は、敵意を隠そうとしない黒ずくめの者達に囲まれた。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
■Tips■
テールス王国[国名]
テールス王家が代々治めている、イルテア大陸を代表する国家の一つ。
王族、貴族、平民という身分制度を持つ、血統主義の国。貴族らしい貴族(頭のおかしい方)もちゃんと居る中、貴族らしい貴族(ノブレスオブリージュを体現するちゃんとした貴族)も居る国。
ルートベルク公爵に財務を担わせてから、お金にがめつい国になったともっぱらの噂。
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