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カナデ編

第一話 記憶

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 私には幼い頃の記憶がない。

 私はリディア・ルーゼンベルグ。らしい。
 その名も周りの人々から、そう呼ばれるからそうなのだろう、という認識でしかない。

 五歳のときに魔獣に襲われ大怪我をしたらしい。そのせいで記憶がないのだ、と。
 周りの大人たちは心配をしながらも、きっといつか思い出すから、とどこか他人事。

 五歳の子供の部屋にしては豪華な調度品が並んだその部屋のベッドで毎日を過ごしていた。
 身体中が痛くて動けない。窓から外を眺めることしか出来ない日々。

 私はその時何を考えていたかしら。

 うーん、五歳だものね。何も考えてなかったかしら。自分が誰かも分からないし、周りには知らない大人ばかり。怖かったような気はする。

 そんなときに一番安らぎを与えてくれたのは、歳の近い侍女のマニカと庭師の息子のオルガ。
 二人は私のことをとても大切にしてくれていた。毎日会いに来てくれたときの態度で分かる。二人はとても優しかった。

 私の父と母らしい人たちよりも、二人の私を見る目が優しくて、幼心にも二人は自分にとって大事な人だったのだと理解出来た。

 そんな私を心配して、甲斐甲斐しく世話をしてくれ、過去の「私」を教えてくれる。
 毎日毎日、「私」のことを教えてくれる。それをいつもどこか他人事のように聞いていた。

 いつまで経っても思い出せず、怪我が治ってからも自分が誰なのか分からないまま。
 でも一生懸命「私」を教えてくれる二人に申し訳なくて、私は「リディア」になりきろうと必死だった。

 しかしどこか腫れ物に触るかのような態度に辛くなるときがあり、二人ともとても優しいからなおさら思い出せない自分が辛く苦しくもなった。

 そんな自分にいつも違和感を感じていた。どうしても今の生活に違和感が。
 記憶を失くしたせいだろう、と言われていたけど、この違和感だけはずっと胸の奥にあった。

 だからどうしても違う世界が見たかった。違う自分になりたかった。
 シェスレイト殿下との婚約が嫌な訳じゃない。みんなのことが嫌いになった訳でもない。

 ただ……、ただ、今の自分に違和感があっただけ……。




 記憶のある五歳のときから侯爵令嬢として、厳しい教育を受けて来た。それに違和感を覚えながらも、徐々に慣れていき、次第にその生活が普通になっていく。

 お父様もお母様も普段側にはいてくれない。特にお母様は怖かった。
 なぜだかお母様に厳しくされると怖くて萎縮してしまう。だからマニカの母である乳母サラによく甘えていたわ。

 サラは本当の「お母さん」のようだった。
 辛いことがあると優しく抱き締めてくれ、悪いことをすると叱ってくれた。叱った後は必ず抱き締めてくれ、なぜ叱られたかを納得出来るまで優しく説明をしてくれたの。

 そんなサラも私が十二歳の頃に病で亡くなり、マニカと二人で泣いた。
 亡くなる時にまで私のことを心配してくれた優しい人。

 サラがいなくなり心の拠り所がなくなり、私はますます毎日が辛くなっていった。
 マニカやオルガには悟られないよう必死に隠して来たつもり。

 そう思っていたの。
 でもやはりマニカには気付かれていたのね。ある時心配そうなマニカが世間話のように話し出した。

「お嬢様、最近街ではある噂が流れているそうですよ」
「噂?」
「えぇ、何でも、願いを叶えてくれる魔術士がいるとか」
「願いを叶えてくれる魔術士?」
「えぇ、どんな願いも大抵叶えてくれるらしいです。凄いですねぇ、一体どんな魔術なんでしょうね」

 マニカはお茶を入れながらフフッと笑う。

「魔術……」

 どんな願いも叶えてくれる……。

「お嬢様?」

 お茶を飲む手が止まったことを不審に感じたのか、マニカが不思議そうな顔で見詰める。

「な、何でもないよ」
「そうですか?」

 このときのマニカは私にそんな行動力があるとは思いもしなかったのでしょうね。

 私自身もびっくりだもの。ずっと言われるがままに厳しい教育を受けて来た。自分の意見ややりたいことを言ったことはないもの。

 ただひたすらシェスレイト殿下の婚約者になるべく、勉強をし間違ったことを正し補佐をする、それだけを必死に学んできた。

 だからこのときの私はどこかおかしくなってしまったのではないかしら。

 マニカから魔術の話を聞いた翌日、オルガに頼んでその魔術士を探してもらった。
 何日も……、何年も……。

 オルガは何も聞いて来なかった。ただひたすら私の求める魔術士を探してくれた。

 マニカも分かっていたでしょうに、何も言わなかった。
 二人とも私のすることを見逃してくれていた。

 そのことに嬉しさや申し訳なさ、罪悪感を感じもしたが、一度堰を切った感情は抑えることが出来なかった。


 そしてついに魔術士を見付けた……。


 オルガに案内をされた場所は街外れにある人通りの少ない路地。そこにあった小さな店。しかし小さいが特に見付かりにくそうな、という訳でもない至って普通の、というよりどちらかと言うと可愛らしい雰囲気の店。

 もっと薄暗い店を想像し、気合いを入れて来た割には肩透かしを食らったような、少し気が抜けたようになってしまう。

「ここ?」
「そうだよ。普段は魔術具で店自体を隠しているらしいよ。だから何年も見付からなかったんだよ」

 オルガが苦笑しながら店を見上げる。

「店の四隅に石が置いてあるでしょ? それを媒体に魔術で見えないようにしてあるらしい」
「オルガは何で見えたの?」

 普通に疑問になっただけなんだけど、オルガはフフッと笑う。

「たまたまだよ。たまたま魔術士が店から出て来たときに遭遇したの」

 たまたま……、そんなことあるだろうか……、魔術で店の存在を消しているのに魔術士が出て来たところに遭遇……、偶然にしては出来過ぎているような……。

 疑いの目でオルガを見詰めると、オルガは少したじろぎ苦笑する。

「本当だよ? 本当に偶然見掛けたの。ただ……」
「ただ?」

 オルガは少し躊躇いながら答えた。

「ただ何日も怪しい噂のあった場所で張り込みしてただけ」
「何日も……」

 そうやってずっとオルガに無理をさせて探させていたのね……。

「ごめんなさい、オルガ……」
「謝らないで! 謝られたくて俺は頑張ってた訳じゃない! 俺はお嬢に喜んで欲しくて頑張ったんだよ……」

 オルガは私の両手を握り締め見詰めた。

「ねぇ、ごめんじゃなくて、ありがとうって言ってよ」
「オルガ……」

 オルガは微笑んだ。

 理由も説明しないまま、ただ魔術士を探して欲しいとお願いし、何年も一人で探してくれていた。
 感謝なんて言葉では足らない……。涙が零れそう……。

「ありがとう、オルガ……」
「うん」

 オルガはその一言だけで幸せそうな笑顔を見せてくれた。
 あぁ、私は何て酷い人間なんだろう……。なぜ魔術士を探したのかも、これからやろうとしていることも、何も伝えずに……。

 でももう後には引けない。

 オルガに何度もありがとうと伝え、両手を離した。ここから先へは一人で行くわね。

「二人ともここで待っていて」

 オルガも見守っていたマニカも驚き止めた。

「お嬢様! 私たちも一緒に入ります!」
「そうだよ! 何かあったらどうするの?」

「その魔術士さんはそんなに信用出来ないような人だったの?」
「え、いや、そんなことないけど……」

 オルガはたじろぎながら答える。

「お店が私にも見えるということは、今日ここに私が来ることを魔術士さんは知っているのでしょ?」
「え? あ、うん。見付けたときに今日来ることを伝えたから」
「なら、きっと大丈夫」

 別に自信がある訳ではないけれど、でも心配する必要もないと思えたから。

 マニカとオルガはそれでも止めたが、一人で店の扉を開いた。二人をこれ以上私の我儘のために巻き込みたくはないから。

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