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時間を止めたい二人は白い海に溺れる。

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「このまま時間が止まっちゃえばいいのに」

同じベッドの中、隣に横たわる男がつぶやく。
数刻前に取り替えられたばかりのシーツの海は、二人分の熱でぬるま湯のように心地良い。
込み上げる笑いを噛み殺せず小さく笑うと、男は不満そうに眉を寄せた。

「なんで笑うの」
「急に詩人みたいなこと言うから」
「何それ。オレだってそれくらい普通に言うけど」

ゆるく頭を撫でていた手が、非難するようにぐしゃぐしゃと乱雑に髪を乱す。
こら、と叱りながら、その手を止めるように自分の手を重ねた。
すると、今度はゆっくりと指を絡めながら、その手をベッドに縫い付けられる。
覆い被さられ天井が見えなくなったかと思えば、唇に柔らかい感触が伝わった。

次第に深くなる口付けに、次の行為を仄めかすような熱を感じて、覆い被さる体をやんわりと押す。
そうすれば、こちらの意図を汲み取って、二人の間に僅かな隙間が埋まれた。

「なんで」
「キスだけで止まらなさそうだったから」
「止めなくていいじゃん?」
「あほか。さっき何回したと思ってんの」

喋る度に息が掛かる程の近い距離で、お互いに不満げな視線を送る。

「あれだけじゃ足りない」
「明日から二週間、公務で隣国に行くんだろ。早く寝ないとバテるよ」
「だからじゃん。二週間も会えないんだから、今のうちに補給しとかないと」
「オレを物資みたいに言うな」

距離を詰めようとする男の口を空いてる方の手で塞ぐ。

「ふぁんで」
「あんたはこれでもこの国の王子なんだから、寝不足でお粗末な仕事をされるのは一国民として避けるべきだと思って」

その言葉に、アルバートは塞がれたままの口で抗議する。
何を言っているのか聞き取れず、いっそ聞き流してしまおうかと考えたところで、手のひらを舐められた。
驚いて手を放すと、目の前の男がしたり顔で鼻を鳴らしていたので、舌打ちで答える。

「帰ってきたらオレが満足するまで補給させてくれるなら考えてあげる」
「上から目線がムカつくな」
「王子なんだから上からで何が悪いの?」

溜息混じりに了承すれば、ようやく諦めてくれたようで、隣にぽすりと音を立ててアルバートが寝転がる。

「二週間、上手くやれるかな。あっちの方が強国だし、何のトラブルもないといいけど」
「アルは口だけは上手いから、上手く立ち回れるんじゃね?」
「それ褒めてる?…まぁ、穏便に親交を深めて、何事もなく戻ってこられるように頑張るけどさ」

隣国との国際親善に努めるため、明日早朝にアルバートは隣国へ訪問する。
話を聞く限り、互いの国情について会談したり、友好を深めるためのパーティーに出席したり、隣国の王室の案内の下、重要拠点を巡遊したりするらしい。
おそらく日夜、隣国の王室の人々と行動を共にすることになる。気疲れは半端なものではないだろう。
大変だなと思う一方で、不意に同僚たちが話していた噂を思い出す。
”友好を深める”とざっくりとした言葉を使っているが、城内では密やかにとある噂が広まっていた。

「隣国の王女と、仲良くなれるといいね」

――今回の訪問は、王子と隣国の王女のお互いの顔合わせも兼ねている。
聞いた噂を思い返していたら、ふと言葉が口をついて出て行ってしまっていた。

責めるような言い方には、なっていなかっただろうか。
性別や身分差を考えても、オレとアルバートじゃ、ずっと一緒にはいられない。
だから、諦観はあれど、アルバートを責める気持ちはなかった。

ギシリと、隣でベッドの軋む音が鳴る。
ハッとして隣に視線を移そうとすると、それより先に両腕をベッドに押さえつけられた。
苛立ちを滲ませた冷えた視線に見下ろされる。

「それ、本気で言ってんの?」

底冷えするような声が問う。
あぁ、完全に怒っているな、と、つい先刻の自分の失言を後悔する。

「ごめん。責めるつもりとかはなくて、本当に純粋に」
「純粋に何?応援とかいうつもり?だったらむしろ、責めてもらった方がいいんだけど」
「アルとオレは、王子とただの一騎士だから」
「だから?」
「将来のことを考えたら、隣国の王女と仲良くなっておくのは良いことだって…んんっ」

続くはずだった言葉は重なった唇に飲み込まれる。
押さえつけられた腕を動かして抵抗しようとしても、強い力に阻まれた。
時間にして、どのくらい経ったのかは分からない。
ようやく解放された時には、息も絶え絶えに呼吸を乱していた。

「オレ、一生エリオットを手放すつもりないけど」

目を見開いて、息を飲む。
その驚いたようなオレの様子に、アルバートは眉を顰めながら、首筋に顔を埋めた。

「え、待って、今日はもうしないって」
「気が変わった。オレの言うこと信じてくれるまでやめない」

首筋にチクリとした痛みが走る。
触れられる場所が徐々に下へと下がっていく。
最初は慌てて抵抗していたオレも、アルバートの意志が固いことが分かり、次第に腕の力を緩めていった。

――このまま時間が止まってしまえばいいのに。
数刻前の言葉を思い出す。
笑い飛ばした言葉だったけれど、どこかにそれを願う自分もいた。

今、この時だけは、国を背負うこの男を独り占めできる。
なら、このまま時を止めてしまえたらどんなにいいか。

――オレだって、本当は、手放したくなんかないよ。

その思いに揺り動かされるように、ベッドに預けた腕に力を入れて、その背に回した。
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