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 真っ黒な闇だった。

 眠っているのかと思った、でも瞼を開けても目の前の景色は何も変わらなかった。
 歩くのも憚られる暗闇に、私は一人で座っていた。
 それでも諦めないと自分に言い聞かせながらも、実際は立ち上がることをしなかった、前向きに考えるのが精一杯だった。
 そしたら突然光が見えて、そっと私に触れてくれた、温かくて優しい気持ちになれた。












「おい」
「あ」

 一瞬何か夢みたいのが目の前を彷徨って、現実に引き戻される。

 今ここは玄関で、目の前にはタツミ……の弟がいた。
 話された内容が私の許容を越えて、ショートしちゃったんだ。

 彼は言った、私欲の為に命を踏みにじった猫に罰が下ったのだ、と。
 生きている以上その犠牲を踏み台にした我ら一族はその祟りを受け続ける。
 無理矢理に死を押し付けられた者の、恨み、嫉み、怒り、悲しみ、全ての負の感情を、生命を包む緑の瞳が罪を負う。

 黙って聞いて反芻したって難儀な話だった、到底理解なんてできなかった。
「ねえ」
「あ?」
「どうしてそんな重しをタツミ一人が背負わないといけないの」
「兄様一人ではない、恨みの念は留まる事を知らない、念が念を呼んで膨れ上がって、今じゃ一人では堪えきれなくなって僕の目にもその呪いが現れた。もちろん兄様程の力はないけれど」
「…………納得できない」

 納得っというか、そっかわかった……なんて頷けない。
 そうしたら、ドロの方こそ意味が分からない、とでもいう様に首を傾げた。
「じゃあ聞くが、お前は今、お前が望んだ通りの人生を歩んでここまで来たのか?」
「え」
「お前に生きる道に選択の余地はあったのか?」
「それは……」
「捨てられた事もお前が選んだ道か?」
「……」
「お前が兄様に拾われるよう仕向けたのか」
「……」
「ここでこうして、誰に接触するのも許されず限られた知識しか与えられず籠の中で暮らしている現状も、お前が自ら望んだ道か? 違うな? お前とて運命に強制されて自分の意思と関係ない他人に決められたレールの上を歩いているにすぎないんだ。誰しもどうだ、そういう事だ、僕と兄様は世界から嫌われ呪われる運命にある忌み子として生まれてきた」
「でも」
「でも、その中で最善を尽くしている。帝国では嫌われ恐れられ、でもその力を利用されながら、対国にも畏怖されて。そういう人の目が、心が、僕達の呪いを加速させ殺そうとする。この目の呪いが解かれれば豹のみが授かった絶対的な力が消えると言われている、真実はわからないでも不確かなそれと、確実な豹の力と呪いを信じて、誰もこの目に触れようとはしない」
「…………あなた……苦しいね」
 ドロは緑の目を手で覆って青い目を細める。
「見下すなよ性具風情が、僕達は心まで呪われてはいない。自分自身が苦しいと思った事は一度もない」
「本当に?」
「兄様がそう言うからそうなんだ。僕達は決して自分達の運命を呪ったりはしていない。この生を恨んだりはしいない。この目で人を殺したりなんか…………僕はしてない」
「…………」

 目力と裏腹に、ドロの目には現れた時の怒りみたいな、そういう表情は消えているように見えた、むしろ心なしか声に覇気がないように感じた。

「タツミは……今、何してるの?」
 少し呼ぶのに躊躇する、タツミをタツミって呼ぶことに、でも私は彼の名をタツミでしか知らない。
 ドロは右目から手を離すと右に左に目を動かして深く目を閉じた、後ろに隠れていたピヨが肩に乗ってきて、いつでも飛び立てるように、羽をしまわずにドロを睨んでる。
「眠っている」
「眠ってる?」
「ああ、僕はこの眼帯と、兄様は眼鏡のお陰で、今までの忌み子のように誰彼構わず人を呪い殺すような暴走はなくなった。でも兄様はこの世の怨嗟をその瞳に一手に受けているから、体力の消耗も激しいんだ」
「そんな話、聞いた事……ない」
 思い出すのは、いつも私より後に寝て、先に起きてるタツミの姿だ。 

「当然だろ。名前も教えない信用ならない赤の他人に自分の秘密なぞ教えると思うか? 兄様は世界から隔離された誰も寄り付けぬこの地で、静養しながら生きていたというのに」
「そんな……」
「何もかも、お前が邪魔なんだ。名もなき玩具が兄様を苦しめて」
「私はタツミを苦しめてなんかいない」
 だって、タツミはいつも笑ってたもん、苦しい顔してたら直にわかる。朝だって笑顔で額にキスして出て行ったんだ。
 これだけは引けないって一歩踏み込んで、ピヨもあんな見た目だけど、怒って羽バタつかせてた。でもドロはため息をついて、
「じゃあ教えてやるよ、兄様の得意とするのは幻術だ。お前の知っている兄様だって本物かどうか分からぬな? お前のネネという名も肩に乗ったジャンクのヒヨコも愛の言葉も囁きも、全ては兄様のまやかしだ」
「違う! そんな魔法使ってない。私は毎日眼鏡を外した緑の目を真っ直ぐ見て、話してるもん」
「だからそれが幻術だと言うんだよ」
「言わない」
「それは、真の、言葉か?」
 ドロは長い人指し指で自分のこめかみ突きながら。
「ここに直接来た念ではなかったか? 抗えない、脳にじかに縛り付ける
「そんな………の、やだ、違う! 絶対、だってだって、だって! タツミはたくさん私に遊んでくれるし、好きって言ってくれるし……」

「タツミ、は僕もだけど?」

 クスッて鼻で笑われて、胸元ぎゅうって握ってヒョウ柄の尻尾は怪しく揺れてるけど、私の耳も尻尾も怒りのような怖いような、とりあえずガビガビしてる。
 胸苦しくって、だって今までの色んな事が、嘘だ、なんて信じられないもん。
「でも…………で、も……だって、タツミは毎晩私を優しく抱いてくれるよ? あの温もりと肌から伝わる感情と感覚は嘘じゃない」
「へえ、よく自分の立場を分かってるじゃないか。そんな小さな体でも黒猫玩具としての機能は働いているんだな。常に発情するよう遺伝子で組み込まれてる、お前達はそういうモノだからな。まだわからないか? お前は自分が兄様に大事に扱わられてると思っているのかもしれないけれど、よく考えてみろ、本当に大事なものであれば僕達は絶対にそれを




 側に置かない」




「いや……タツミは……ネネを大好きだよって言うもん! 嘘じゃないもん!!」
「だから? ああ、そうだお前…………目が弱ってるんじゃないのか?」
「え?」
「その眼鏡。一緒に居れば呪いの浸食を受けるだろうよ、僕達と同じ目から。魔力だって不安定だ」
「目なんて悪くない、私はそんな力に負けない」
「強がりはよせ。その眼鏡をかけているのが呪いの浸食を受けた証だ。この世には存在しない眼鏡」
「なんでそれ……」
「ほら、本当に大切な人を側に置くか? お前なら愛しい人に迷惑かけたくないだろう?」

 泣きそうで、そんなの、この人の方が嘘言ってるって思ってる、私はタツミを信じてるんもん、泣かない泣かない! 泣かない、って思っても鼻の奥ツンときて目もジワジワ痛くなる、瞬きしたら零れちゃうから絶対しない。

 悔しくって苦しくって言葉にならなくて、唇を噛む事しかできなくて、なんて私って格好悪いんだろう。
 私の肩でピヨが猛抗議してるけど、私には今まで言われた事を、明確な証拠を持って覆す事ができなかった。
 もちろんタツミが好きなのに、大好きなのに、それを言っても譫言と言われてしまうんだろうし。

 そうしたら、ドロが一歩私に近寄って体を屈めて鼻を鳴らした、ピヨは飛び跳ねて怒って、私は怯む。
 私の体の匂いを嗅いで一言。

「匂いがしない」
「?」
「抱いてくれてると言うけど、お前の体から兄様の精の匂いがしないのだが?」
「え?」
「兄様の匂いはするよ。間違いなく、くまなく隅々まで残ってる、でも肝心な精がお前の体から香らない。毎晩してもらっていて、優しく愛を囁かれているのに、肝心な精は授かってないのか? ああ、まさかそれにも気付かず自分だけ欲を満たして寝ていたのか売猫が」
「待って……えっと、そ……の」
「愛の印を残さないセックスになんの意味がある? わかったろ? お前と同様に兄様もまた、お前で性欲を吐き出せればそれで良かった。それだけの存在なんだよ黒猫は。分を弁えろ」

 これは、ちょっとグッサリきて……。
 お腹の中に出す所、私見てなくて……ってゆうか奥までしてくれたの最近の話なんだ。
 それで気持ち良くなって気を失っちゃうとその後タツミがどうしてたのか知らない、何にも反論できない。
 返事できないでいたら、緑の目を赤い布で隠しながらドロは言った。
「極金の鈴でも付けられて舞い上がっていたんだろ?」
「極金?」
「帝都の一等地で家が買える程の価値のある鈴」
 もう頭こんがらがって、何がどうだったか、よく分からなくなってきた、その上この鈴の話されても。
 お前には似合わないって黄金に光る鈴に指先が伸びてきて、怖いって思った、でも直に体は反応してくれなくて、触れた指先がチリン鈴を鳴らした瞬間だった。
キュルキュルっとあの帝都に瞬間移動した時みたいに世界が歪む、鈴から眩い閃光が吹き出して、首輪が燃えるように熱くなる、玄関で光と風が暴れだして体が浮きそうだ。
「な、何? 何々何??」
「ピヨッ!!!!」
 猛烈な光と風に飛ばされないように踏ん張って、ドロもマントで顔を隠してる、玄関にあった色んなものが倒れる音がして、膨れ上がった虹色の光が爆発した。
目をしかめて、少し光が落ち着いたかと思えば、薄目を開けた私の前に誰かが立っていた。
金色の髪の毛が胸の下で揺れる。





「オイコラ、イキってんじゃねえよ。ボク達のネネに触るなクソが」
「タツミに代わってオレが葬ります」
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