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生と死と6
しおりを挟む感情がない。
感情が分からない、どうしたらいいのか分からない、嘘としか思えない。
「兵藤君?」
恩田さんが僕の隣に立って、握り込んでいた手を解してくれた、爪が食い込んでいたのに痛みすら感じない。
「ああ、あのね……ここ、僕が……さっき、まで、働いてた……店、なんだ」
声が震える、空気の吸い方が分からなくて言葉が途切れる。
「…………そうなんだ」
言葉にしたら、急に感情が襲ってきた、足が震えて胸が苦しすぎて、頭が割れそうに痛い、恩田さんが肩を掴んで、ゆっくりベッドに座らせてくれた。
【お兄ちゃん? 大丈夫? 誰かと一緒なの?】
「……うん、ああ、同級生……ちょっとごめん。またかけ直す、けど、寝てて、ごめんおやすみ」
桜の返事を聞かないで電話を切った。頭を抱え込んで、どうして? 何で? 僕はどうすればいいんだ? 病院に行くか? どこの病院に? 病院には翔子さんがいる、翔子さんがいるならじじいも……いや、もう、死んで……。
理解しようとして、現実を受け入れようとして、心が拒絶する。
勝手に頭が違うって左右に揺れてしまう。死んでない、まだ分からないじゃないか。だってさっきまで普通に話してたんだ。そうだ、バカみたいに冗談言い合ってたんだよ。
「兵藤君無理しないで?」
「無理……うん、でもああ、きっと翔子さんの方が不安なはずだから僕病院に行かなきゃ」
「翔子さん? 場所もわからないのに?」
「現場に行って、警察の人に話聞いたら教えてくれないかな、従業員だって言う」
「危険じゃない?」
「危険?」
「絵の事とか……一緒に言って私が聞く?」
恩田さんは本気の目をして言ってくれて、何十年ぶりに会った同級生にそこまでしてくれるなんて、こんな時なのに、初恋の人がこの人で良かったなと素直に思えた。一緒にいてくれたら、どんなに心強いだろうけど、彼女を巻き込む訳にはいかない。
「大丈夫、絵は……きっと今回の火事でバレるだろうね。僕も事情聴取受けるし、警察って勘が鋭いからさ、家の中調べさせてって言われるかも、そうなったら観念するよ。それより今は翔子さんの側にいてあげたい」
「うん……」
恩田さんの手を両手で握った。
「心配してくれて、ありがとう」
「うん」
恩田さんは頷くだけで、僕よりも泣きそうに見えた。ピアスがなくなって化粧がなくなって、彼女からはライブハウスで会った時の逞しい強さみたいなオーラは消えていた。
一人だったら、頭抱え込んで布団に包まっていただろう、でも恩田さんの手前か、僕もこの数日で少し心が成長したのか、さっきは取り乱したけど、じじいがいなくなった今、やるべきことはなんだって涙流して引きこもる選択肢はなしだ、と膝を叩いた。
よし、行こうと決心して。
「そうだ、夕飯は僕に払わせて? 素晴らしい音楽の世界を教えてくれて、話も聞いてくれて、たった数時間でたくさん勉強させてもらった、ありがとう。そのお礼がしたい」
「止めて? 私が無理矢理連れてきたのに」
「僕が勝手にライブハウスに行ったんだ。今日はずっと格好悪いからさ、これくらいさせて」
恩田さんが断るのは分かっていたけど、ここは僕だって引けない。椅子に掛けてあった肩掛け鞄を引き寄せて封筒を取り出した。給料袋って翔子さんの字で書いてある。うん、今直ぐ行くから。
多分20万位は入ってるだろう、実はまだ給料袋を開けてなかった、特にお金に困ってる訳じゃなかったし、貰ったまま忘れててリュックに入れっぱなしだった。
でも今朝出掛ける時、お金足りなかったら困るからと入れ替えたんだ。恩田さんの手紙は失念してたけど。
袋を開けて、お札の前に入れられている一枚の紙、じじいがいつも書いてる短歌に気付いた、何気なく抜き出して。
【よう燃やせ
心の炎は永遠に
迷わず真っ直ぐ、信じて進め】
嫌な感じがした。
ドックンドックンと血管が心臓の動きに合わせて脈を打ってるのが分かる。耳の奥に興奮した血流の音が響いてくる。まさか、そんなのある訳ないよな? 燃やせって炎ってこのタイミングで言うか? しかも、いつもみたいなバカみたいな短歌じゃない。
これは何を意味してるんだ? 紙を持つ手が僅かに震えたら、恩田さんが手紙を指差して。
「裏に何か書いてあるよ?」
「え?」
捲らない方がいいって心が警鐘を鳴らしてるのに、勝手に指が手紙を裏返してしまって。
【梧へ
一生懸命生きていても、やり直したい事くらい、誰にだってあるよな。それが人間だよ。
なあ梧、実はな俺の息子は、翔ちゃんの代わりに死んだんだ。息子からの手紙にそう書いてあった。事故に遭うのは翔ちゃんだった、翔ちゃんをを失った世界で俺は殺人犯になってしまったって、そんでそんなお父さん見ているのが耐えられないって。
信じられない話だろ、俺は一年寝込んだよ。
それであの日、俺達は梧の「火事だ起きろ!」の声で目が覚めた。お前は疲れて店の一階で寝てた。二階に駆け上がってきて、腰が痛い翔ちゃんをおぶって一度は三人で店を出たんだ。
真っ赤に燃えるお店の前で俺達は呆然と立ち尽くしていた、そしたら翔ちゃんがお前の背中でポツリと息子の名を呼んだんだ。するとお前は位牌を取って来るって、店に戻ろうとした。
もちろん、俺達は止めたけど、お前はその手を振り払って、炎に染まる店に戻ってしまった。
サイレンの音が遠くで聞こえていた。燃え盛る店の窓を突き破って位牌が転がってきた、泣き叫ぶ翔ちゃんを抑えるのに俺は必死だった。
保険と寄付金で店は再開できた、凄かったんだぞ。梧の桜の絵は話題になっていただろう? 炎に包まれる店に自ら飛び込んで行ったお前と、その過去と桜ちゃんのエピソード、感動に涙を呼んで多額の寄付金が集まった。
俺達はお店を続けることが何よりの供養だと思って頑張ってきたけど、働いても祈っても何も償えた気にならなかった。心はいつも空っぽだった、色んな雑誌に載って海外でも取り上げられたのに、何の名誉にもならなかった。
色々口うるさくて悪かったな。でも父親のいなかったお前と子育てを手伝わなかった俺と、今更だけど、助けてやりたくて仕方なかったんだよ。細かく言うのは時間がないな、でも楽しかったよ。
梧がいなくて、誰も荷物を運んでくれないから、腰痛が悪化した。突っかかってくるヤツがいないから物忘れも増えたな。
いくら悪態ついても翌日には戸を蹴とばして店に入ってくるお前に元気を貰ってた。ありがとう。
頑張って生きろよ。幸せに、翔ちゃん頼むわ】
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