前略、僕は君を救えたか

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黒いポスト9

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 今日は七時から十一時の間にアーティストが八名、持ち時間三十分で代わる代わるパフォーマンスをするそうだ。恩田さんは八時からなので、おお、次が出番だ、そうか次なのか、緊張する。

 拍手が終わって、最前列が入れ替わる、知り合いのパフォーマーが終わればそのまま後方で一緒に飲んだりするみたいで、女の子達が移動を始めた。僕はちょうど前が空いたのでステージに近付いた。唾液を飲み込む、だってここに裸にペイントしておけさ被った恩田さんが現れるんだろう?

 目の前で女性がなにやら機械の準備をしていて、シンセサイザーの調整をしてる、そして直に横を向いて照明の人に合図を送ると、会場の照明が落ちた。

「え?」

 と声に出した瞬間、ドンッ! と地響きを立てながら重低音が爆発した。ステージを真っ赤なレーザービームが飛び散って、地割れの音が反響する、目の前のアンプから音が振動になって靴の裏から伝わってきた、初めての経験だった。音が耳からじゃなくて皮膚から入って来た。

 天井にあるスポットライトが眩しい赤に輝いて、一直線光を落とせばさっきの女性を照らす、顔を上げた彼女は、恩田さんだった。

 てっきり裸でくると思っていたから、予想外だった、白いワンピース、裸足、何か病んでそうな顔、うん、恩田さんで間違いない。
 そして目が合った。僕はビクッと体が強張ったが、恩田さんはノーリアクションだった。

 シンセサイザーをまた調整しながら、左手にはフルート、響くドラムのビート、恩田さんの背景には大勢が乱れ踊る影が投影されて、いよいよ妖しい雰囲気になってきた。
 体にビリビリ感じる電子音楽にフルートの音が乗る、メロディーは特にない! それがまた凡人の僕を不安にさせる。だって歌詞がないんだよ、何を感じていいのかわからないんだ。

 周りは、さっきと全く違う曲調に臆する様子もなく体を揺らして音を感じ取っている、ぼーっと音楽を聞いてる人もいる。そうかそういうものなのか、サビは? とか無粋な考えだな。YouTubeで視聴したはずなのに、本物の迫力は別格だった、体感ってやっぱり凄いな。

 ボリュームをいじれば音が波のようにうねって、その波を維持したまま、キーボードを弾いて(これも特にメロディーはない)エコーが会場を駆け回る、そして今度はヴァイオリンまで弾き出した。繰り返される破壊音のようなサウンドにギーギーと弦が擦れて空気が震える、もう僕にはどう表現していいのかわからない、それがずっと続く頭がおかしくなりそうだ。

 わからない癖にこんな位置にいるのは失礼なんじゃないかって思ったけど、最前列にいるのに、場所を変えたら失礼だし、と思っていたら恩田さんが大きく頭を振り出して、同時に映像もレーザービームも暴れ出す、会場も一際熱くなって皆の頭も大きく揺れていた。

 熱気が最高潮に達した瞬間、ヴァイオリンの弦が弾けるんじゃないかって位弓を強く弾いて、恩田さんは膝から崩れ落ちた。音が止んだ、終わった。
 溢れんばかりの拍手だった、何が驚きってもう三十分経っていたのかって所、訳わからないのに気付いたら演奏が終わっていた、途端に会場がシンとなって、耳の奥がキリリと痛む、直にバックミュージックがかかって、恩田さんは立ち上がった、演奏中もだったけど、皆彼女の写真を撮ってる、人気なんだな。

 顔を上げた恩田さんは笑顔で応対してて小学生の時の面影を感じた。ステージでは次の準備が進められている、恩田さんが僕に気付いたかはどうかは分からないけど、僕としては衝撃的な再会だった。
 目を擦って頬を叩いて、ライブハウスの後方に移動した、会場が暗くなって背後から次の演奏者の音の波が襟足に伝わってくる、音楽ってこういう聞き方もあるんだな、灰皿があったので振り返ってステージを見ながら煙草を吹かした。

 ここで帰っても二千円は高くないな、当たり前だけどさ、家から出てみるってすげーよな。
 家にいたらいつもの自分以外出会えない。実際ここに来て一言も会話してないし、この先僕の人生に何も影響がないかもしれないけど、一歩踏み出してみて良かった。

 何も達成してないのに変な自信みたいのがついた、きっとここに出入りするようになれば、今の自分とは全く違う友達ができて、会話が変わって生活が変わって、最後には未来も変わるんだろう。
 が、正直この音楽を共感するにはまだ修行が必要で、僕の耳はヨミミのギターの方が恋しくなっていた。

 タバコが短くなって、そろそろ帰ろうかなと出口の方を見た。

 恩田さんに声もかけずに帰るなんて本当に腰抜け of 腰抜けなんだけど、彼女の姿は全く見当たらないし、きっとこの空間が好きな者同士でゆっくり話したいだろ?
 灰皿にタバコをもみ消して、フードを被ろうとしたら、人混みの中からスッと見覚えのある顔が出てきて僕は怯んだ。

 急に出てきた恩田さん、曲が始まった時と同様に無表情でこちらを見ている。

 笑うべきか会釈かお辞儀か土下座か、いや待て僕の笑顔は怖いと評判だ、自慢の歯並びもここじゃ見えないし、考えてる内に恩田さんはこちらにフラフラ歩いて、僕の前でピタリと止まった。

 靴を履いてる、演奏している時は大きく見えたけど、近くで見ると小柄な細い女性だった。大きな目の横と鼻と口の下にピアスは健在で、お嬢様を夢見てる谷口が見たら泣くかもしれない。
 とりあえず僕は「お疲れ」と言ってみた。正確には音がうるさくて声は届いていないと思うけど、僕の動いた口元を見て、恩田さんはにいと口角を上げる。真っ白い歯と矯正具がブラックライトに反射した。

 恩田さんは手を顔の横まで上げて手招きを繰り返して頭を下げてとジェスチャーしてきた。何? と顔を傾ければふわりと微風、黒いロングの髪が揺れて背伸びをした恩田さんの口元が僕の耳まで近づいた。

「まさか兵藤君に会えるなんて」

 そっか、やっぱり恩田さんは僕だって分かってるんだ。顔を離して、大きな目と視線がぶつかる。
 病んだ顔してるが表情は嬉しそうだ。僕は彼女の耳に口を寄せると、素直に。


「君に会いに来た」


 と答えた。距離を取ったら、恩田さんは耳と口に手を当てて驚いたような顔で瞬きしながら僕を見上げる、その表情は何だ? と首を傾げたら細い指が僕のパーカーの胸倉をぐいっと引っ張って、また恩田さんの唇が僕の耳に寄る。




「二言目が口説き文句なんて兵藤君もやり手だね」




「え」
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