前略、僕は君を救えたか

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黒いポスト2

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 じじいは受け取って、タバコを眺めて口に咥える。ジッポで火を点けてやれば、月一の煙を肺の奥まで染み込むようにゆっくりと吸っていた。
 深く浸透するのか、吸い込んだ割に口から出てくる煙は少ない。僕もつられて一本火を点ければ二人の紫煙が店に立ち込めた。

「四月から東京都は受動喫煙防止条例で屋内全面禁煙になったんですよ知ってました? 店長殿」
「梧」
「何」

 じじいは僕の話を無視して、差し出した携帯灰皿に灰を落とすと、また煙を吸った。

「まだ具合悪いのか」
「体調が悪かったんじゃない」
「顔面が悪かったのか重症だな」
「治ったから出勤してきたんだけど?」
「で? いい年したフリーターがメンタル拗らせて三日も顔出さないって何様だよ。翔ちゃんを心配させるな」
「ああ……翔子さん……それは悪かったと思ってるから明日本人に謝るよ」
「俺にも謝れよ」
「考えとく」

 じじいはフンと鼻息をついてコーヒーを一口すすった。

「そうか失恋したか、梧なんて二度と恋愛なんてできないだろうに、それは寝込むな。何よりお前に恋人がいた事に驚きを隠せない訳だが」
「何勝手に話進めてんだよ。してないよ失恋」
「知ってた」

 じゃあ何だ? と言いたげな目で見て来て、うっわーこれ答えるまで店開けないんだろうな。なので当たり障りない話ではぐらかしておく。

 「なんっつーかさ……例えばじじいは、もしやり直せるならやり直したい過去ってあるの」
 「ない。俺は今死んでも悔いのないように毎日を全力で生きてるから」
 「そら格好いいクソじじい様だこと」
 「嘘だよ。あの時ああしてやればこう言ってやれば、なんてもんは誰にだってあるだろ。でも実際戻れる訳じゃないしな。もう悟ってんだよ、こんな町中に趣味でやってるような店、ミシュランに載るはずもない。むしろ知ってる人間の方が激レアだよ、でも俺はそれでいい」
 「ふうん? 悟るっつか諦め?」
 「一流の料理人だって根源は自分の料理を食べた人が笑顔になってほしいとか幸せになってほしいとかそんなありふれた理由だろ」
 「だろうな」
 「規模や値段は違くても俺だって同じ気持ちだ。だし、現にうちの店に来て皆また来るってお金払っていく。やってることは変わらない」
 「何が言いたいの?」
 「美味しかったーって帰ってくだろ。俺はそれで満足。そりゃ一流になりたい奴にはこんな店がゴールなんて失敗だと思うんじゃないか? 俺はこのまま年取って死んでくだけだ。そんなの不幸だろ」
 「バイトも感じ悪いしな」
 「そうだな、そいつが一番店の雰囲気壊してるよな。ま、そういうこった。何に幸せに感じるかなんて人それぞれ、俺は今満足してるから過去に戻りたいなんて思わない」
 「そうか」

 フィルターに熱が近づいて、二人でタバコをもみ消した。
 ひげの隙間から、真っ白い煙が昇る、じじいは先にキッチンに向かった。カウンター越しに手を洗いながら、口を濯いで僕を見て。

 「そうかじゃねえよ、俺の質問に答えてないだろ」
 「そうか?」
 「お前あれだな、うちにあるアレクサより頭悪いな」
 「ソノ質問ニハ、オ答エデキマセン」
 「まさかどうやったら過去に戻れるのかを三日間必死に考えてたなんて言わないよな?」
 「後一日くらい考えたら戻れてたかな」
 「お前のしょうもない人生なんて五年戻れたところで大した差はねえよ」
 「あー刺さるー五年って結構でかいと思ったんだけどダメか」

 僕もキッチンの隣に立って、今日はエプロンの紐を自分で結んだ。

 「ダメだな。今のお前が五年前に遡ってもまた同じことを繰り返すだけだ。肝心なのは【今】、今心入れ替えなきゃこれから先も過去に戻っても一緒だよ」
「何をどう変わればいいのかもっと具体的に言ってくれないと」
「だから気持ちの問題だって言ってるだろ。世間から見てどん底でも、そいつがハッピーならハッピーなんだよ」
 「僕、そういう精神論みたいなのすっげー嫌い。やっぱ年寄りとは気が合わないなって【今】痛感してる」

 シンクに手を出せばじじいは水を出してくれて、僕も手を洗う。

 「でも結局はそうだろ? 環境に嘆いたってお前ごときが世界なんて変えられないんだよ。自分が見方を変えるしかない」
 「僕、世界を変えたいなんて言ったっけ?」
 「てっきり若者お得意の自分探しみたいので悩んでいたのかと?」
 「自分探し……まあ間違ってもいないけど」
 「けど?」

 泡を流して嘆息。そうだな、じじいが言うように色々あったけど今生きてて僕ハッピーって思えればこれから先も楽そうだな、けど…………。
 本当は誰かに聞いて欲しかったんだろう、言えなかった胸のつかえが勝手に言葉になってしまった。

 「けど……ああー上手く言えない。んん……と、例えば僕が生きる為に誰かが代わりに死んだとするじゃん?」
 「は?」
 「そこは疑問持たずに聞いてよ。でさ、どう控えめに言っても、そいつが生きていた方が……それこそ世界の役に立っていたんだ、世界っつーか世の中。むしろ僕が生き延びたばっかりに妹にも迷惑かけて、いや、迷惑どころじゃないよ家族が崩壊した……まあ、どうなんだろうな僕が死んでても、それはそれで家族は崩壊してんのかな」
 「お前こそ何がいいたいのかサッパリだな」
 「サッパリだろ? アレクサ連れてきてよ。なんか陽気になる音楽かけて」
 「槇原敬之の」
 「ダメだな色々と! ……だからさ、そんな簡単に説明できるなら三日も悩んでないんだよ。そいつ犠牲にしてまで存在する僕ってなんだろうって、そいつの方が立派に生きられそうなのに」
 「梧」
 「何」
 「立派ってなんだ」
 「知らん、ただ言ってみただけ」
 「有名になること? 金持ちになること? そういうことじゃないだろう。正しく自分のやりたいことを貫いたらそれが立派な人生」
 「はいはいまた精神論?」
 「その、そいつとやらが、もしお前の代わりに生き延びて金持ちになって有名になったとしても、心残りがあって後悔のまま死んでいけば、そいつにとっては立派に天寿を全うできたとは言わないんじゃないのか」
 「ん……」

 無言でにんじんを渡されて、いつものようにピーラーで皮を剥く。じじいは横で適当に切ったタマネギをフードプロセッサーに放り込んでいった。
 その通りだと思う。本当か知らないけど、桔平の世界で僕は死んで桔平は今の僕と同じように、ずっと罪悪感と後悔を抱えて生きていたんだろう。

 「だからそれを申し訳なく思うなら、てめぇが心入れ替えてそいつの分も立派に生きるしかないだろ」
 「口でいうのは簡単だな」
 「一ミリの勇気も口に出すことができないなら、そのまま悔いて死んでいけよ、腰抜け」
「返す言葉もないね」
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