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風邪
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あれはおばあちゃんの三回忌が終わった夜だった。
私は高校生で母の憧れだった女子高の制服に袖を通して列席していた。
お母さんの束縛がキツくなっていった頃だ。
線香の煙を見ながら、優しいおばあちゃんがいなくなってもう二年かと思っていた。
おばあちゃんは老衰、介護サービスを受けながら家で息を引き取った、昼間その最後を看取ったのはお母さんだった。
お母さんがほぼ一人で介護をしていた、私がしていたのは買い物に代わりに行くくらい。
亡くなった後、役所から通夜、葬儀の支度、お寺に近親者への連絡と全部お母さんが手配して私達は指示された通り動くだけで前もって段取りしていたんだなと思った。
おじいちゃんは癌で先に死んでて、独り身になったおばあちゃんをうちが引き取ったのだ。
私はおばあちゃんが好きだった。
いっぱい褒めてくれて、お菓子をくれたり、お母さんからは飲んじゃダメって言われている炭酸飲料をくれたり、こっそりお小遣いをくれたり。
お母さんに怒られたら背中に隠れる事もしばしばあった、優しくて温かくて仲が良かった。
それでも最後の何年間は認知症も進行して死んだ年には孫の顔も分からなくなっていた、トイレも行けないし、ご飯をあげるのにも一苦労、昼夜問わずお母さんの名前を呼んで泣いて……来なくて怒って怒鳴って、その子供のような声は今でも耳に残っている。
ボケるとあんな温厚だったおばあちゃんでも変わってしまうんだなって思った。
おばあちゃんはお父さんはわからなくてもお母さんだけは最後まで覚えていた。
受験と重なっていたのもあって……徘徊してしまうおばあちゃんを勉強の手を止めて近所を探したり大変だった、夜中に叫んだりするもんだから、声がうるさいな、迷惑だななんて思ってしまった。
あんなに好きなおばあちゃんだったのに。
お父さんは家事にも育児にも介護にも深く関わる事はなかったけれど、別に放棄している訳でもなく、仲は良好だった、と思う。
それで、お葬式……。
ああ、本当に死んじゃったんだって棺を見て喪失感、この感情は慣れたくない、逃げたくなる。
そして薄情な孫かもしれないけど、楽しい思い出が胸に溢れても涙が落ちる程の悲しみはなかった。
お父さんもお兄ちゃんもそんな感じ、悲しいけどもう年だったしなっておばあちゃんの死を受け入れていた。
そう思ったのはおばあちゃんの最後に疲れていたからかも、やっと解放されるって少し安心してしまった最低ね。
参列者も涙を流してお別れをする人はいなかった。
だからそんな中、声を我慢せずに泣くお母さんの姿は印象的だった。
それで、三回忌。
お酒の弱いお父さんは会食のビールで酔ってリビングの机に伏していた。
お母さんは車で親戚を送っていて、やっぱり出来た奥さんだと褒められていた。
お兄ちゃんとお父さんの背中に布団を掛けるか部屋に連れていくか話していたら、唐突にお父さんが言ったのだ。
「すまない」
と一言。
私達は意味がわからなくて、酔ってるの? ってお父さんに聞いた。
そしたらまた、
「すまない、全部お父さんのせいだ」
今度は涙混じりに言うのだ、意味が分からなくて、お兄ちゃんが肩を揺すったら、お父さんはポツリと話した。
「お母さんな、ずっとおばあちゃんにいじめられてたんだって」
その言葉に心臓が冷えた。
お父さんはそのまま机に伏せたまま続ける。
「四十九日が終わって納骨した夜、お母さんに私の役目も終わりました離婚して下さいと言われた。何を急に言い出すんだって、そうしたらお母さんに分厚い日記帳とボイスレコーダーを出された。日記帳には何月何日何時何分、自分が何をされたか、何を言われたか書かれていた、痣の着いた体の写真も張られてた。ボイスレコーダーにはおばあちゃんがお母さんを罵倒する声とそれにただ謝り続けるお母さんの声が入っていた携帯の動画は三分以上見る事が出来なかった」
お兄ちゃんは瞬きをするだけで無言、私も無言だった。
「お父さんな、お母さんからおばあちゃんのいびりが辛くて同居を解消したいって何度か言われてたんだよ。でもおばあちゃんに聞いてもそんな事してないと言うし、お父さん達にはおばあちゃんは優しくて孫を可愛がって孫もおばあちゃんが好きでって、そんな風に見えていたからお母さんの言葉を信じてあげられなかった。お母さん中卒で身寄りがないから子供の勉強が出来なかったらあなたの劣化した遺伝子のせいだとか言う事きかないのは生みの親が悪いからだとか、そんな…………本当に声はおばあちゃんなんだけど、お父さんも信じられない位人格が違くて戸惑った」
「そんな、の……ってそんなの、なんでその時に録音したの父さんに聞かせないんだよ」
「それは、同居解消の話をしてるのをおばあちゃん聞かれて、ここはお父さん名義の家なんだから出ていくのは他人のお前だと言われ、自分が出ていった後、今度このいじめが子供にいったらと思うと怖くて、もうそれ以上は何も出来なかった。混乱もしていたと思う、自分が子供二人を引き取ってもお金もないし、子供はおばあちゃんの味方だし、自分さえ我慢すれば……ってだから耐えるためにもこうやって残しておいたって言ってた。子供の成績もどこの子にもあるような小さな癖も反抗も、何だってお前の素養がないからだ躾が悪いからだって怒鳴られる毎日だった辛かったって……泣いてもう別れて下さいと言われた。出て行こうとするお母さんをお父さんは引き留めてしまった」
そこまで聞いて、ある日の私を思い出した。
部屋を片付けなさいって言われて、絵を描くことに夢中になって忘れてしまった日。
少し経ってまたお母さんに怒られて咄嗟におばあちゃんの背中に隠れた。
おばあちゃんを盾にして、今やるつもりだったと言えば、おばあちゃんは私の味方になってくれた、怒る暇があるならあなたが片付ければいいでしょうとお母さん言ったんだ。
お母さんははいとだけ答えて私が散らかした部屋を一人で片付けていた。
そのお母さんの小さな背中を思い出した。
鳥肌が立った。
そんなあの日がたくさんあった事を思い出して、急に息が吸えなくなった。
【あら、漫画家になるの辞めちゃうの? お母さんにダメって言われたの? 可哀想に】
【背が伸びないの? 小さくても寧々ちゃんは可愛いわよ】
他にも……他にも……。
そんなの信じられないと言うお兄ちゃんに差し出された日記には【また寧々の将来の事を言われた、悔しいあんなに絵が上手なのに悔しい悔しい】【身長なんてまだまだこれから伸びるのにうるさい】【お友達なんて仲が良い子が一人いれば充分でしょう寧々はこんなに可愛いのに】【ここで逃げたら負けだ】【桂馬のテストが返ってくる怖い】【結果を出さないとまた叱られる】【苦しい】
そして、最後にはまじないのように毎ページ同じ言葉が書かれていた、
【私が何とかしないと】
と強い、筆跡で。
だから私を怒る時はいつも外だったのかとよろめいて。
何も考えられなくなる。
「好きな人の言葉を信じてあげられなかったお父さんが悪いんだ本当にごめん。別れるか迷って……でもここまで蓄積された怒りがお前たちに向かったら怖くて……友達の弁護士に話を聞いた、争った場合お父さんが親権取れる可能性なくてさ、まあ親権と言ってもここまできたら寧々だけだけど……」
外でガレージが開く音がした、お母さんが帰ってきた。
お母さんがお葬式で泣いていた理由を私は知らない。
あんなに優しかったおばあちゃんの裏の顔を私は知らない。
一緒になってお母さんをいじめてしまっていた過去を私は知らなかった。
そんな私が今更
ごめんなさい。
だなんて言えない。
夕飯のカキフライを前に、私は中々手をつけられないでいた。
お母さんは顔を傾げて、
「どうしたの寧々、あら顔が赤いじゃない、熱があるんじゃないの? 無理して食べない方がいいわよ。あなた直ぐ胃腸にくるんだから入れるならお風呂入ってもう横になりなさい」
「…………うん、そうする」
てっきり、季節のせいかと思っていた寒気は本物だったみたいだ。
辰巳さんとのドキドキで感覚が麻痺していた。
お風呂に入って、まだ数時間しか着けてないし、洗わなくていいよねってブラジャーは洗わなかったクローゼットに隠してベッドに横になる。
辰巳さんに連絡……と思ったけど思いの外体調が悪くて心配させてもいやだから止めておいた、薬は……もったいなくて飲めなかった。
夜中に目が覚めた。
枕元にはポカリスエットが置かれていた、それとみかんと水と解熱鎮痛剤。
やっぱりお母さん私の部屋に勝手に入る。
私を………………心配して……。
寝起きは最悪だった。
久々にこんな風薬引いたなってくらい怠い熱い、喉だって痛いしこれ多分39℃コースだ。
会社には休むと伝えた、辰巳さんにもお休みしますって送った。
そしたら直ぐ【sorry honey :,-(】ってきた、え、何かあれかな、これこないだニュースで見た国際結婚詐欺みたいな、ロマンス詐欺じゃないよね?! 今度ロシアに住む家族を君に紹介したいんだけど航空券と滞在費が必要なんだ……とか言われない?!! 大丈夫?
家族は皆仕事……ちゃんと病院行くのよってお母さんに言われて、とりあえず病院が開くまでソファーで丸まってた。
水槽のポンプと時計の秒針の音しかしないリビング。
うとうとしてたら、お母さんがセットしたんだろう病院が開く時間にアラームが鳴った。
ゆっくり起きて、フラフラしながら着替えた。
昨日はゴールドのショーツ履いたからブラもゴールドでいこう、なんか縁起よさそうだから早く風薬直るかもってつけてみる。
マスクするからリップクリームは迷ったけど熱で口ガサガサだったから塗っておいた。
家を出て、商店街の奥にある溝田橋診療所。
健康優良児なもんで前回体調を崩したのは四年前のインフルエンザだ。
小さい時は良く風邪を引いてお母さんと手を繋いで診療所に行ったなって思い出した。
あれかな……辰巳さんと一晩中裸でいたからかな。
と、あの日が頭に浮かんで熱上がるばか。
八百屋さんや魚屋さん肉屋さんはまだやってない、薬屋さんはもうやってる。
お地蔵様は今日も可愛いからいい子いい子、花屋はもう開店準備してる。
商店街に人は少なくて、でも診療所に入ったらたくさんの病人で溢れていた、さすが冬。
診察券と保険証と…………何となく受付の人の人柄とか男女比とか見てしまう。
あ、これか医療事務募集のポスター……。
と思ったらちらしもあったから、一枚取っておいた暇な時見よう。
町の商店街にある病院にしてはちょっと立派な診療所、手術はできないけど上の階は入院できるし、レントゲンも撮れるし内科に小児科に耳鼻科、整形外科もある。
お年寄りがたくさん来てて、一時間待ちだった。
事務員募集のチラシを穴が開くくらい見た後、名前が呼ばれて診察室に入った。
久々に来たなぁってキョロキョロ部屋の中を見てたら、
「八雲…………寧々、さん?」
名前を呼ばれて、返事をして顔を上げた先生と目が合う。
あれ? この顔と声…………ああ、えっと。
「三小田…………君?」
私は高校生で母の憧れだった女子高の制服に袖を通して列席していた。
お母さんの束縛がキツくなっていった頃だ。
線香の煙を見ながら、優しいおばあちゃんがいなくなってもう二年かと思っていた。
おばあちゃんは老衰、介護サービスを受けながら家で息を引き取った、昼間その最後を看取ったのはお母さんだった。
お母さんがほぼ一人で介護をしていた、私がしていたのは買い物に代わりに行くくらい。
亡くなった後、役所から通夜、葬儀の支度、お寺に近親者への連絡と全部お母さんが手配して私達は指示された通り動くだけで前もって段取りしていたんだなと思った。
おじいちゃんは癌で先に死んでて、独り身になったおばあちゃんをうちが引き取ったのだ。
私はおばあちゃんが好きだった。
いっぱい褒めてくれて、お菓子をくれたり、お母さんからは飲んじゃダメって言われている炭酸飲料をくれたり、こっそりお小遣いをくれたり。
お母さんに怒られたら背中に隠れる事もしばしばあった、優しくて温かくて仲が良かった。
それでも最後の何年間は認知症も進行して死んだ年には孫の顔も分からなくなっていた、トイレも行けないし、ご飯をあげるのにも一苦労、昼夜問わずお母さんの名前を呼んで泣いて……来なくて怒って怒鳴って、その子供のような声は今でも耳に残っている。
ボケるとあんな温厚だったおばあちゃんでも変わってしまうんだなって思った。
おばあちゃんはお父さんはわからなくてもお母さんだけは最後まで覚えていた。
受験と重なっていたのもあって……徘徊してしまうおばあちゃんを勉強の手を止めて近所を探したり大変だった、夜中に叫んだりするもんだから、声がうるさいな、迷惑だななんて思ってしまった。
あんなに好きなおばあちゃんだったのに。
お父さんは家事にも育児にも介護にも深く関わる事はなかったけれど、別に放棄している訳でもなく、仲は良好だった、と思う。
それで、お葬式……。
ああ、本当に死んじゃったんだって棺を見て喪失感、この感情は慣れたくない、逃げたくなる。
そして薄情な孫かもしれないけど、楽しい思い出が胸に溢れても涙が落ちる程の悲しみはなかった。
お父さんもお兄ちゃんもそんな感じ、悲しいけどもう年だったしなっておばあちゃんの死を受け入れていた。
そう思ったのはおばあちゃんの最後に疲れていたからかも、やっと解放されるって少し安心してしまった最低ね。
参列者も涙を流してお別れをする人はいなかった。
だからそんな中、声を我慢せずに泣くお母さんの姿は印象的だった。
それで、三回忌。
お酒の弱いお父さんは会食のビールで酔ってリビングの机に伏していた。
お母さんは車で親戚を送っていて、やっぱり出来た奥さんだと褒められていた。
お兄ちゃんとお父さんの背中に布団を掛けるか部屋に連れていくか話していたら、唐突にお父さんが言ったのだ。
「すまない」
と一言。
私達は意味がわからなくて、酔ってるの? ってお父さんに聞いた。
そしたらまた、
「すまない、全部お父さんのせいだ」
今度は涙混じりに言うのだ、意味が分からなくて、お兄ちゃんが肩を揺すったら、お父さんはポツリと話した。
「お母さんな、ずっとおばあちゃんにいじめられてたんだって」
その言葉に心臓が冷えた。
お父さんはそのまま机に伏せたまま続ける。
「四十九日が終わって納骨した夜、お母さんに私の役目も終わりました離婚して下さいと言われた。何を急に言い出すんだって、そうしたらお母さんに分厚い日記帳とボイスレコーダーを出された。日記帳には何月何日何時何分、自分が何をされたか、何を言われたか書かれていた、痣の着いた体の写真も張られてた。ボイスレコーダーにはおばあちゃんがお母さんを罵倒する声とそれにただ謝り続けるお母さんの声が入っていた携帯の動画は三分以上見る事が出来なかった」
お兄ちゃんは瞬きをするだけで無言、私も無言だった。
「お父さんな、お母さんからおばあちゃんのいびりが辛くて同居を解消したいって何度か言われてたんだよ。でもおばあちゃんに聞いてもそんな事してないと言うし、お父さん達にはおばあちゃんは優しくて孫を可愛がって孫もおばあちゃんが好きでって、そんな風に見えていたからお母さんの言葉を信じてあげられなかった。お母さん中卒で身寄りがないから子供の勉強が出来なかったらあなたの劣化した遺伝子のせいだとか言う事きかないのは生みの親が悪いからだとか、そんな…………本当に声はおばあちゃんなんだけど、お父さんも信じられない位人格が違くて戸惑った」
「そんな、の……ってそんなの、なんでその時に録音したの父さんに聞かせないんだよ」
「それは、同居解消の話をしてるのをおばあちゃん聞かれて、ここはお父さん名義の家なんだから出ていくのは他人のお前だと言われ、自分が出ていった後、今度このいじめが子供にいったらと思うと怖くて、もうそれ以上は何も出来なかった。混乱もしていたと思う、自分が子供二人を引き取ってもお金もないし、子供はおばあちゃんの味方だし、自分さえ我慢すれば……ってだから耐えるためにもこうやって残しておいたって言ってた。子供の成績もどこの子にもあるような小さな癖も反抗も、何だってお前の素養がないからだ躾が悪いからだって怒鳴られる毎日だった辛かったって……泣いてもう別れて下さいと言われた。出て行こうとするお母さんをお父さんは引き留めてしまった」
そこまで聞いて、ある日の私を思い出した。
部屋を片付けなさいって言われて、絵を描くことに夢中になって忘れてしまった日。
少し経ってまたお母さんに怒られて咄嗟におばあちゃんの背中に隠れた。
おばあちゃんを盾にして、今やるつもりだったと言えば、おばあちゃんは私の味方になってくれた、怒る暇があるならあなたが片付ければいいでしょうとお母さん言ったんだ。
お母さんははいとだけ答えて私が散らかした部屋を一人で片付けていた。
そのお母さんの小さな背中を思い出した。
鳥肌が立った。
そんなあの日がたくさんあった事を思い出して、急に息が吸えなくなった。
【あら、漫画家になるの辞めちゃうの? お母さんにダメって言われたの? 可哀想に】
【背が伸びないの? 小さくても寧々ちゃんは可愛いわよ】
他にも……他にも……。
そんなの信じられないと言うお兄ちゃんに差し出された日記には【また寧々の将来の事を言われた、悔しいあんなに絵が上手なのに悔しい悔しい】【身長なんてまだまだこれから伸びるのにうるさい】【お友達なんて仲が良い子が一人いれば充分でしょう寧々はこんなに可愛いのに】【ここで逃げたら負けだ】【桂馬のテストが返ってくる怖い】【結果を出さないとまた叱られる】【苦しい】
そして、最後にはまじないのように毎ページ同じ言葉が書かれていた、
【私が何とかしないと】
と強い、筆跡で。
だから私を怒る時はいつも外だったのかとよろめいて。
何も考えられなくなる。
「好きな人の言葉を信じてあげられなかったお父さんが悪いんだ本当にごめん。別れるか迷って……でもここまで蓄積された怒りがお前たちに向かったら怖くて……友達の弁護士に話を聞いた、争った場合お父さんが親権取れる可能性なくてさ、まあ親権と言ってもここまできたら寧々だけだけど……」
外でガレージが開く音がした、お母さんが帰ってきた。
お母さんがお葬式で泣いていた理由を私は知らない。
あんなに優しかったおばあちゃんの裏の顔を私は知らない。
一緒になってお母さんをいじめてしまっていた過去を私は知らなかった。
そんな私が今更
ごめんなさい。
だなんて言えない。
夕飯のカキフライを前に、私は中々手をつけられないでいた。
お母さんは顔を傾げて、
「どうしたの寧々、あら顔が赤いじゃない、熱があるんじゃないの? 無理して食べない方がいいわよ。あなた直ぐ胃腸にくるんだから入れるならお風呂入ってもう横になりなさい」
「…………うん、そうする」
てっきり、季節のせいかと思っていた寒気は本物だったみたいだ。
辰巳さんとのドキドキで感覚が麻痺していた。
お風呂に入って、まだ数時間しか着けてないし、洗わなくていいよねってブラジャーは洗わなかったクローゼットに隠してベッドに横になる。
辰巳さんに連絡……と思ったけど思いの外体調が悪くて心配させてもいやだから止めておいた、薬は……もったいなくて飲めなかった。
夜中に目が覚めた。
枕元にはポカリスエットが置かれていた、それとみかんと水と解熱鎮痛剤。
やっぱりお母さん私の部屋に勝手に入る。
私を………………心配して……。
寝起きは最悪だった。
久々にこんな風薬引いたなってくらい怠い熱い、喉だって痛いしこれ多分39℃コースだ。
会社には休むと伝えた、辰巳さんにもお休みしますって送った。
そしたら直ぐ【sorry honey :,-(】ってきた、え、何かあれかな、これこないだニュースで見た国際結婚詐欺みたいな、ロマンス詐欺じゃないよね?! 今度ロシアに住む家族を君に紹介したいんだけど航空券と滞在費が必要なんだ……とか言われない?!! 大丈夫?
家族は皆仕事……ちゃんと病院行くのよってお母さんに言われて、とりあえず病院が開くまでソファーで丸まってた。
水槽のポンプと時計の秒針の音しかしないリビング。
うとうとしてたら、お母さんがセットしたんだろう病院が開く時間にアラームが鳴った。
ゆっくり起きて、フラフラしながら着替えた。
昨日はゴールドのショーツ履いたからブラもゴールドでいこう、なんか縁起よさそうだから早く風薬直るかもってつけてみる。
マスクするからリップクリームは迷ったけど熱で口ガサガサだったから塗っておいた。
家を出て、商店街の奥にある溝田橋診療所。
健康優良児なもんで前回体調を崩したのは四年前のインフルエンザだ。
小さい時は良く風邪を引いてお母さんと手を繋いで診療所に行ったなって思い出した。
あれかな……辰巳さんと一晩中裸でいたからかな。
と、あの日が頭に浮かんで熱上がるばか。
八百屋さんや魚屋さん肉屋さんはまだやってない、薬屋さんはもうやってる。
お地蔵様は今日も可愛いからいい子いい子、花屋はもう開店準備してる。
商店街に人は少なくて、でも診療所に入ったらたくさんの病人で溢れていた、さすが冬。
診察券と保険証と…………何となく受付の人の人柄とか男女比とか見てしまう。
あ、これか医療事務募集のポスター……。
と思ったらちらしもあったから、一枚取っておいた暇な時見よう。
町の商店街にある病院にしてはちょっと立派な診療所、手術はできないけど上の階は入院できるし、レントゲンも撮れるし内科に小児科に耳鼻科、整形外科もある。
お年寄りがたくさん来てて、一時間待ちだった。
事務員募集のチラシを穴が開くくらい見た後、名前が呼ばれて診察室に入った。
久々に来たなぁってキョロキョロ部屋の中を見てたら、
「八雲…………寧々、さん?」
名前を呼ばれて、返事をして顔を上げた先生と目が合う。
あれ? この顔と声…………ああ、えっと。
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