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第10話
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「俺のサインは、こんなミミズがはったような字じゃないぞ!」
「それは・・・悪かったと思ってますよ」
バーから出て馬車を待っていると、年配の男性に娘が大ファンだからとサインを頼まれた。
でも、私はアントニオのサインなんて書けないし、どんなものかも知らない。
マズイ。とは思ったものの、紙とペンを差し出され、つい流れで『ああ』と、受け取ってしまった。
「なぜ、断らなかった?」
「なぜって・・・話せないですから無理ですよ」
『ああ』『そうか』しか話せない私には、紙とペンを受け取った以上、もう書くという選択肢しかなかった。
屋敷に帰り、一応アントニオにサインを渡した話をした。
『どんなサインを渡したか書いてみろ』と言われ再現したところ、気分を害したという訳だ。
頭を抱えたアントニオはペンを持つと、紙にスラスラと書き出した。
そして、二枚の紙を私に見えるように並べた。
「これが俺のサインで、こっちがお前のだ」
二枚の紙を見比べると、確かに全く違う。
人の書いたサインを『ミミズのはったような字』など酷い言いようだ。と思ったけれど、アントニオのサインと並べてしまうと、癖のある字であることは認めざるを得なかった。
そういえば・・・思い返すと、私は字だけは本当に苦手で、家庭教師も指導を断念したんだっけ。
でも、今まで生きてきて、字に関してとやかく言われたことはない。
案外アントニオは細かい人なんじゃないか。
「決して似てませんし、アントニオの字と比べれば私の字は個性的ですけど、まぁその時の気分でちょっとサインが変わってしまったなんて「思う訳ないだろ」」
アントニオは目を閉じると、息を吐き、再び目を開くと私の目をじっと見る。
「真似て百回書いてみろ」
はいはい、やりますとも。
百回も書けば、それなりに近づくはず。鋭い視線を感じながらペンを手に取り、真剣に取り組んだものの。
「お前は、サイン禁止だ。
代わりに俺の身のこなしを完璧にマスターしろ」
「はい」
「不満そうだな。
でも、俺が・・・アントニオがその場に居れば、大抵は見惚れて話しかけられなくなる。
お前もそこを目指すんだ」
「それでもサインを頼まれたら?」
「自分でどうにかしろ。
あと、言葉を増やせ。
“悪いな”“済まない”とか、あるだろ?」
確かに言葉は足りない。
『ああ』「そうか』だけでは心許ない。
字は諦め、身のこなしと『悪いな』『済まない』の特訓をするが・・・
「身のこなしはまずまずだ。
引き続き練習。
『悪いな』『済まない』は使いものにならない」
「これは、どうでしょう。
『助かった』」
同じ言葉ばかり言い続けると飽きるので、他の言葉も練習してみたら『助かった』に手応えを感じた。
試しに御者に聞いてもらったら、褒められた。
「悪くはないが、それ使うか?」
使わない。
その通りだった。
仕事は慣れてきた。
葉巻と、濃い色付きレンズの眼鏡だけは、いつまで経っても苦手だったけど。
『そう嫌がらず眼鏡はかけろ。
俺のトレードマークの一つだ』
『ナッツのフレーバーは入手困難なんだぞ』
葉巻は臭いし、眼鏡は明るい場所や人混みの中ならまだしも、暗闇の中では歩き方がおかしくなる。
しかもサインの一件以降、アントニオは口うるさい。
前金をもらっている以上、不満は口にしないけど。
あの日逃げ出して二ヶ月が経っていた。
この仕事は三ヶ月契約だったはず。
アントニオはこの先も、まだ影武者が必要なんだろうか。
朝の鍛練、劇場、食事中、馬車の中。
聞く機会はいくらでもあるのに、先延ばしにしていた。
「シュガー、食事に行くぞ。
これに着替えてこい」
影武者の仕事を終え屋敷に帰ると、アントニオが玄関で待っていた。
「・・・ん、これは?」
渡されたのはワンピースではなく、ドレスだった。
こうして食事に行くことは何度もあったけど、いつもワンピースに赤毛のカツラをかぶっていた。
「・・・ん?ああ。
今夜、約束がキャンセルになって。
ドレスコードがある店なんだ」
キャンセルね、代わりって訳か・・・。
そういえば、初めて劇場に行った時、肌を露出した美女二人が部屋から出て来たっけ。
こんな魔王みたいな人に恋人がいない方がおかしいって話だ。
でも・・・
「このドレスに赤毛は合わないんじゃ」
「金髪のままで大丈夫だ。
個室だから問題ない」
アントニオの言う通り、高級レストランは完全個室だった。
入口では、誰にも会わないように配慮されている。
今日はアントニオも変装していない。
ギラついたシャツもジャケットも着ていないし、ジャラジャラしたネックレスも付けていない。
これが本来の姿なのかな。
「今日はおかわりは出来ないぞ」
「そんなの分かってますよ」
きっと、いつもこうして、誰かと食事に来ているんだろう。
何だか、もやっとした。
翌日は昼公演だった。
仕事も頼まれなかったので、屋敷に帰って中庭で木剣を振っていると雨が降ってきた。
食事を取ってデザートを食べていると、
「シュガー、仕事だ」
音もなく現れたスパイスさんから、小さなメモを渡された。
「それは・・・悪かったと思ってますよ」
バーから出て馬車を待っていると、年配の男性に娘が大ファンだからとサインを頼まれた。
でも、私はアントニオのサインなんて書けないし、どんなものかも知らない。
マズイ。とは思ったものの、紙とペンを差し出され、つい流れで『ああ』と、受け取ってしまった。
「なぜ、断らなかった?」
「なぜって・・・話せないですから無理ですよ」
『ああ』『そうか』しか話せない私には、紙とペンを受け取った以上、もう書くという選択肢しかなかった。
屋敷に帰り、一応アントニオにサインを渡した話をした。
『どんなサインを渡したか書いてみろ』と言われ再現したところ、気分を害したという訳だ。
頭を抱えたアントニオはペンを持つと、紙にスラスラと書き出した。
そして、二枚の紙を私に見えるように並べた。
「これが俺のサインで、こっちがお前のだ」
二枚の紙を見比べると、確かに全く違う。
人の書いたサインを『ミミズのはったような字』など酷い言いようだ。と思ったけれど、アントニオのサインと並べてしまうと、癖のある字であることは認めざるを得なかった。
そういえば・・・思い返すと、私は字だけは本当に苦手で、家庭教師も指導を断念したんだっけ。
でも、今まで生きてきて、字に関してとやかく言われたことはない。
案外アントニオは細かい人なんじゃないか。
「決して似てませんし、アントニオの字と比べれば私の字は個性的ですけど、まぁその時の気分でちょっとサインが変わってしまったなんて「思う訳ないだろ」」
アントニオは目を閉じると、息を吐き、再び目を開くと私の目をじっと見る。
「真似て百回書いてみろ」
はいはい、やりますとも。
百回も書けば、それなりに近づくはず。鋭い視線を感じながらペンを手に取り、真剣に取り組んだものの。
「お前は、サイン禁止だ。
代わりに俺の身のこなしを完璧にマスターしろ」
「はい」
「不満そうだな。
でも、俺が・・・アントニオがその場に居れば、大抵は見惚れて話しかけられなくなる。
お前もそこを目指すんだ」
「それでもサインを頼まれたら?」
「自分でどうにかしろ。
あと、言葉を増やせ。
“悪いな”“済まない”とか、あるだろ?」
確かに言葉は足りない。
『ああ』「そうか』だけでは心許ない。
字は諦め、身のこなしと『悪いな』『済まない』の特訓をするが・・・
「身のこなしはまずまずだ。
引き続き練習。
『悪いな』『済まない』は使いものにならない」
「これは、どうでしょう。
『助かった』」
同じ言葉ばかり言い続けると飽きるので、他の言葉も練習してみたら『助かった』に手応えを感じた。
試しに御者に聞いてもらったら、褒められた。
「悪くはないが、それ使うか?」
使わない。
その通りだった。
仕事は慣れてきた。
葉巻と、濃い色付きレンズの眼鏡だけは、いつまで経っても苦手だったけど。
『そう嫌がらず眼鏡はかけろ。
俺のトレードマークの一つだ』
『ナッツのフレーバーは入手困難なんだぞ』
葉巻は臭いし、眼鏡は明るい場所や人混みの中ならまだしも、暗闇の中では歩き方がおかしくなる。
しかもサインの一件以降、アントニオは口うるさい。
前金をもらっている以上、不満は口にしないけど。
あの日逃げ出して二ヶ月が経っていた。
この仕事は三ヶ月契約だったはず。
アントニオはこの先も、まだ影武者が必要なんだろうか。
朝の鍛練、劇場、食事中、馬車の中。
聞く機会はいくらでもあるのに、先延ばしにしていた。
「シュガー、食事に行くぞ。
これに着替えてこい」
影武者の仕事を終え屋敷に帰ると、アントニオが玄関で待っていた。
「・・・ん、これは?」
渡されたのはワンピースではなく、ドレスだった。
こうして食事に行くことは何度もあったけど、いつもワンピースに赤毛のカツラをかぶっていた。
「・・・ん?ああ。
今夜、約束がキャンセルになって。
ドレスコードがある店なんだ」
キャンセルね、代わりって訳か・・・。
そういえば、初めて劇場に行った時、肌を露出した美女二人が部屋から出て来たっけ。
こんな魔王みたいな人に恋人がいない方がおかしいって話だ。
でも・・・
「このドレスに赤毛は合わないんじゃ」
「金髪のままで大丈夫だ。
個室だから問題ない」
アントニオの言う通り、高級レストランは完全個室だった。
入口では、誰にも会わないように配慮されている。
今日はアントニオも変装していない。
ギラついたシャツもジャケットも着ていないし、ジャラジャラしたネックレスも付けていない。
これが本来の姿なのかな。
「今日はおかわりは出来ないぞ」
「そんなの分かってますよ」
きっと、いつもこうして、誰かと食事に来ているんだろう。
何だか、もやっとした。
翌日は昼公演だった。
仕事も頼まれなかったので、屋敷に帰って中庭で木剣を振っていると雨が降ってきた。
食事を取ってデザートを食べていると、
「シュガー、仕事だ」
音もなく現れたスパイスさんから、小さなメモを渡された。
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