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第2話
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信じられなかった。
お母様はお父様と仲睦まじくしていた。
なのに、財産を持って駆け落ちなんて。
しかも相手は執事のサイモン。
私は幼い頃からサイモンを知っているが、いかにも頭の切れる真面目な人物だった。
お母様とサイモンがそんな関係だったなんて、これっぽっちも感じたことはない。
でも、お母様からの手紙を手に放心状態のお父様の姿を見て、全てが事実なんだと悟った。
【愛する人と生きていきます。
さようなら】
二人は屋敷の財産をほぼ根こそぎ手にして、既に国を出ていた。
我が家が窮地に立たされているのが、ひしひしと感じられた。
この話はすぐに噂話として、様々な尾ひれがついて面白おかしく広まった。
『夫人と執事には隠し子がいた』
『アッシュフィールド伯爵家は没落寸前』
『実は騎士団長が浮気しまくりで捨てられたらしい』
“没落寸前”はあながち間違いではないが。
そして、醜聞はライアン様との婚約にも影響を及ぼし、ハーバード伯爵家から婚約解消を望む話を受け、およそ七年間に渡る婚約は呆気なく解消されることになった。
ハーバード伯爵家は三男二女と五人の子がいて、末娘であるルイーズは半年後に結婚が控えている。
財産も無く、今や醜聞でその名を馳せている我が家と関係を断つのは、懸命な判断だろう。
申し訳なさそうなハーバード伯爵夫妻、ライアン様に対し、明らかにアルコールが抜けていないお父様を見ていると、なんともしょうがない。としか感じなかった。
近衛騎士になり一段と逞しくなったライアン様。
シャイで細身だった少年と、頑丈な枝を拾って打ち合いした日々を懐かしく思いながら、私は笑顔で三人に大きく手を振り、あと一年で家族になるはずだっライアン様とお別れした。
お母様がサイモンと駆け落ちし、ライアン様と婚約が解消。
立て続けに起こった災難ともいえる出来事に、まだ頭がついていかない状態だった。
こんな時は鍛練に限る。
私は木剣をひらすら振り、架空の敵相手に回し蹴りをくらわせ続けた。
クヨクヨしていたって、状況が変化したり、お金が湧いてくる訳ではない。
何とか学園を卒業して、騎士団に就職して、少しずつ地道にやって行こう。
そう思っていた矢先だった。
まさかお父様が近衛騎士団長の勧めで通っている紳士倶楽部という社交の場で、詐欺に遭うなんて誰が思うだろう。
お父様は上手い投資話しに乗り、僅かな財産、屋敷までも担保に入れた。
もちろん詐欺なので投資の話自体が嘘。
近衛騎士団長と第二騎士団長、二人が通う紳士倶楽部での詐欺事件は徹底的に捜査が行われているが、いまだに詐欺師は捕まらず、我が家には借金だけが残った。
しかも、追い打ちをかけるようにお父様は仕事中に倒れ入院。
胃の病にかかっていることが発覚する。
明らかにアルコール摂取が原因だと誰もが感じていたが、当分は安静にと、そのまましばらくの間入院することになった。
お父様に紳士倶楽部を紹介した近衛騎士団長が、入院費用の支払いを申し出てくれたので、有り難く受け入れることにした。
入院の件はひとまず安堵したが、今の状況がまずいのは理解していた。
お父様の作った借金は地道に働いて返せるようなものではないうえに、この苦境を作り出したのが当主本人だったりする。
いっそ、爵位を返上するのが得策とも感じるが、そう思い通りに行かないのが人生だ。
お父様には義弟がいる。
裕福な男爵令嬢と結婚し、多額の富を手にして、ただいつも遊び歩いているきな臭い義弟が。
私達家族には猫撫で声を出して、使用人にはまるで態度が違うのを見たことがあった。
「使用人の分際でぶつかったよね。
君の顔覚えたから。
いずれ伯爵になった時が楽しみだなぁ」
奴がアッシュフィールド伯爵家に乗り込んで来るのは目に見えていた。
だから予め使用人の退職金分のお金を工面して、家礼にお願いしておいた。
今頃屋敷には誰も居ないだろう。
そして、予想通り義弟は資産を使い借金を返済。
弱っているお父様は自分の尻拭いをしてくれた義弟に感謝して家督を譲り、奴はアッシュフィールド伯爵となった。
ひとつ誤算があったのは、夫人との間に二人の息子がいるというのに、私を養女に迎えたことだった。
「姪が心配なんだよ~」
寮生活をしている私に、しきりに帰って来いと言う。
この不気味な行動には裏があるに違いない。
辺りが薄暗くなる夕刻の時間帯を狙って、屋敷の裏手から敷地内に入る。
木の生い茂るこの場所は覗き見にもってこいだ。
しかも、甲高い義弟の声は窓越しにもはっきりと聞こえる。
つまない話が続いた後、会話に変化が表れた。
「高く買うのはどっちの爺いだい?」
「こちらかと」
「ずいぶんとお金使ったから。
あの小娘には稼いでもらわないと割に合わないよ。
金もないくせに、使用人に給金まで支払って。
卒業まで待たなくてもいいね」
誰が売られるか!
私は寮には帰らず、お父様の病室を訪れた。
眉間に皺を寄せて眠るお父様の大きな手を握ると、
「・・・マドレーヌ」
お母様の名前を口にした。
【愛する人と生きていきます。
さようなら】
お父様はお母様を愛していた。
愛する人からの残酷な言葉に傷つかない訳がない。
アルコールだけが原因じゃないのは分かってる。
「お父様、ゆっくり休んで」
節くれだった立派な騎士の手を両手で優しく包んでそう言うと、私は病院を出て、もうすっかり暗くなった道を街に向かって歩き出した。
お母様はお父様と仲睦まじくしていた。
なのに、財産を持って駆け落ちなんて。
しかも相手は執事のサイモン。
私は幼い頃からサイモンを知っているが、いかにも頭の切れる真面目な人物だった。
お母様とサイモンがそんな関係だったなんて、これっぽっちも感じたことはない。
でも、お母様からの手紙を手に放心状態のお父様の姿を見て、全てが事実なんだと悟った。
【愛する人と生きていきます。
さようなら】
二人は屋敷の財産をほぼ根こそぎ手にして、既に国を出ていた。
我が家が窮地に立たされているのが、ひしひしと感じられた。
この話はすぐに噂話として、様々な尾ひれがついて面白おかしく広まった。
『夫人と執事には隠し子がいた』
『アッシュフィールド伯爵家は没落寸前』
『実は騎士団長が浮気しまくりで捨てられたらしい』
“没落寸前”はあながち間違いではないが。
そして、醜聞はライアン様との婚約にも影響を及ぼし、ハーバード伯爵家から婚約解消を望む話を受け、およそ七年間に渡る婚約は呆気なく解消されることになった。
ハーバード伯爵家は三男二女と五人の子がいて、末娘であるルイーズは半年後に結婚が控えている。
財産も無く、今や醜聞でその名を馳せている我が家と関係を断つのは、懸命な判断だろう。
申し訳なさそうなハーバード伯爵夫妻、ライアン様に対し、明らかにアルコールが抜けていないお父様を見ていると、なんともしょうがない。としか感じなかった。
近衛騎士になり一段と逞しくなったライアン様。
シャイで細身だった少年と、頑丈な枝を拾って打ち合いした日々を懐かしく思いながら、私は笑顔で三人に大きく手を振り、あと一年で家族になるはずだっライアン様とお別れした。
お母様がサイモンと駆け落ちし、ライアン様と婚約が解消。
立て続けに起こった災難ともいえる出来事に、まだ頭がついていかない状態だった。
こんな時は鍛練に限る。
私は木剣をひらすら振り、架空の敵相手に回し蹴りをくらわせ続けた。
クヨクヨしていたって、状況が変化したり、お金が湧いてくる訳ではない。
何とか学園を卒業して、騎士団に就職して、少しずつ地道にやって行こう。
そう思っていた矢先だった。
まさかお父様が近衛騎士団長の勧めで通っている紳士倶楽部という社交の場で、詐欺に遭うなんて誰が思うだろう。
お父様は上手い投資話しに乗り、僅かな財産、屋敷までも担保に入れた。
もちろん詐欺なので投資の話自体が嘘。
近衛騎士団長と第二騎士団長、二人が通う紳士倶楽部での詐欺事件は徹底的に捜査が行われているが、いまだに詐欺師は捕まらず、我が家には借金だけが残った。
しかも、追い打ちをかけるようにお父様は仕事中に倒れ入院。
胃の病にかかっていることが発覚する。
明らかにアルコール摂取が原因だと誰もが感じていたが、当分は安静にと、そのまましばらくの間入院することになった。
お父様に紳士倶楽部を紹介した近衛騎士団長が、入院費用の支払いを申し出てくれたので、有り難く受け入れることにした。
入院の件はひとまず安堵したが、今の状況がまずいのは理解していた。
お父様の作った借金は地道に働いて返せるようなものではないうえに、この苦境を作り出したのが当主本人だったりする。
いっそ、爵位を返上するのが得策とも感じるが、そう思い通りに行かないのが人生だ。
お父様には義弟がいる。
裕福な男爵令嬢と結婚し、多額の富を手にして、ただいつも遊び歩いているきな臭い義弟が。
私達家族には猫撫で声を出して、使用人にはまるで態度が違うのを見たことがあった。
「使用人の分際でぶつかったよね。
君の顔覚えたから。
いずれ伯爵になった時が楽しみだなぁ」
奴がアッシュフィールド伯爵家に乗り込んで来るのは目に見えていた。
だから予め使用人の退職金分のお金を工面して、家礼にお願いしておいた。
今頃屋敷には誰も居ないだろう。
そして、予想通り義弟は資産を使い借金を返済。
弱っているお父様は自分の尻拭いをしてくれた義弟に感謝して家督を譲り、奴はアッシュフィールド伯爵となった。
ひとつ誤算があったのは、夫人との間に二人の息子がいるというのに、私を養女に迎えたことだった。
「姪が心配なんだよ~」
寮生活をしている私に、しきりに帰って来いと言う。
この不気味な行動には裏があるに違いない。
辺りが薄暗くなる夕刻の時間帯を狙って、屋敷の裏手から敷地内に入る。
木の生い茂るこの場所は覗き見にもってこいだ。
しかも、甲高い義弟の声は窓越しにもはっきりと聞こえる。
つまない話が続いた後、会話に変化が表れた。
「高く買うのはどっちの爺いだい?」
「こちらかと」
「ずいぶんとお金使ったから。
あの小娘には稼いでもらわないと割に合わないよ。
金もないくせに、使用人に給金まで支払って。
卒業まで待たなくてもいいね」
誰が売られるか!
私は寮には帰らず、お父様の病室を訪れた。
眉間に皺を寄せて眠るお父様の大きな手を握ると、
「・・・マドレーヌ」
お母様の名前を口にした。
【愛する人と生きていきます。
さようなら】
お父様はお母様を愛していた。
愛する人からの残酷な言葉に傷つかない訳がない。
アルコールだけが原因じゃないのは分かってる。
「お父様、ゆっくり休んで」
節くれだった立派な騎士の手を両手で優しく包んでそう言うと、私は病院を出て、もうすっかり暗くなった道を街に向かって歩き出した。
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