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プロローグ
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「シュガー、仕事だ」
スパイスさんから、小さなメモを渡される。
こんな雨の夜に仕事だなんて。
ああ、嫌だな。
言われてみれば、最初から嫌な予感がしていたかも。
今さらながらに、そう思う。
でも、前金を頂戴している身の上、断れるはずもなく長めの金髪をまとめて黒髪のカツラを被る。
下着姿になり、舞台で使われるズッシリ重い特殊なシャツを着れば、逞しい上半身が出来上がる。
ギラついた黒いシャツは胸元をはだけさせ、ジャケット、スラックス、特別仕様の身長が十センチ高くなるブーツを身につけ、クロスのジャラジャラするネックレス、異国のピアスと呼ばれるものに似せた耳飾り、時計を装備。
一瞬むせかえるエキゾチックといわれる香水を一振り。
そして、仕上げに髭を三箇所に付ければ、
今をときめくミステリアスな舞台俳優、アントニオが鏡の中に居た。
【葉巻をふかしながらサンセットブリッジを西から東へ。
途中、物憂げに橋の欄干に手を置き、川を眺める。
橋を渡り、五十メートル先のバー、“ディスティニー”に入りカウンター席へ。
ウィスキーをダブルで注文。
美女がいれば、さり気なく甘めの笑顔で対応。
だが、決して必要以上に絡むな。
バーを出て数分で迎えの馬車が来る。
以上】
メモに数回目を通して、一連の流れを復唱後火を付ける。
徐々に紙がチリチリと小さくなり、跡形もなくなったことを確認して部屋を出た。
私はアントニオ。
私はアントニオ。
呪文のように唱え、ジャケットの胸ポケットから色付きの眼鏡を取り出して、馬車を降りる。
夜だってのに、こんな黒っぽいレンズ越しに行動しろだなんて。
雨が止んでいるのは幸いだけど、葉巻に火をつけなきゃいけなくなったし。
なにが『珍しいナッツの香りだぞ』だ。基本臭いからナッツも何もあったもんじゃない。
憂鬱な気持ちに蓋をして、やや大股を意識して歩き出す。
サンセットブリッジの美しいライトアップの中を、キャラメルの様な匂いを微かに放つ葉巻をたまに口元に持っていき、欄干に手を置いた時だった。
ちょうど少し離れた場所から、騎士二名が私に向かって来るのがわかった。
・・・・・・ん?
何度かアントニオのサインを欲しがる人に遭遇したことはあったけど、この騎士二名がサインを求めている可能性は限りなく低いだろう。
『ああ』『そうか』『助かった』
幾つかの場面を切り抜けてきた、これらの言葉が役立つとも思えなかった。
川を物憂げに見つめながら、この状況があまりよろしくないのを理解し、職務質問とやらの場合の切り抜け方の知恵を絞っていると、耳の辺りから何かが、いや、魅惑的と世の女性が声を揃えるバリトンボイスが聞こえてきた。
[シュガー、聞こえるか?]
「・・・!何?」
[よし、聞こえているな。後方から騎士二名接近。得意の回し蹴りでこの場を回避して、東側の橋のたもとの馬車に飛び乗れ]
「・・・・・・は?・・・いや、・・・ちょっと!」
[さぁ、来るぞ。検討を祈る。
それから、通信は一時解除する]
ブチッ
嘘でしょ。何言ってんだ、この人は。
しかも、この場を回避って・・・もしやアントニオは犯罪絡みで追われているとか?
声が聞こえてきた発信源らしい、こんな耳飾りを持ってるだけで一般人じゃないのは明らかだろう。
とにかく、騎士なんかに手を出せる訳があるはず・・・・・・、
「おい、今女性の声がしなかったか?」
「・・・そうか?空耳じゃないか?
おっと、それより流石は舞台俳優。後ろ姿も様になるなぁ」
「だな」
「失礼。我々は第一騎士団のものです。
少しお時間を宜しいでしょうか?」
手を出せる訳が・・・
あるはず、
ガッ!ヒュッ!ドカッ!
ないのに・・・。
体が勝手に、幼い頃から得意とする回し蹴りを・・・。
葉巻も色つき眼鏡も飛んでいったが、お構いなしに橋の東側へとダッシュ。
余計な事など考えず走りだしたと同時に、馬から飛び降りたであろう音と背後に人の気配を感じた。
迎えの馬車は見えている。
そのまま走れば良いのに、何を思ったか私は足を止めて、もう一発回し蹴りを食らわす為に勢いよく反動をつけた。
「・・・っ、すいません・・・隊長」
蹴りを食らった騎士が苦しげに声を発する。
隊長・・・?
確かさっきの騎士は第一騎士団って話してなかったっけ?
第一騎士団の隊長って何人かいるけど、隊長クラスに私の回し蹴りが効くとは思えないし、師匠だったら・・・。
躊躇するものの時すでに遅く、私は足を蹴り出しており、回し蹴りの最終段階にはいっていた。
ゴッ!
はいった?いった?
・・・いいや。
私の足は隊長とやらに、がっしりと固定されていた。
・・・嗚呼、終わった。
橋のたもとから馬車が走り去って行くのを目にすると、私はいかにもアントニオがやりそうな両手を広げてお手上げを意味するジェスチャーをわざとらしくする。
開き直ったようにアントニオの影武者を最後まで演じることを決意した表れでもあった。
失敗、失敗。
苦笑いを浮かべて顔を上げると、そこには驚愕の表情で私の顔を見つめる人物が居た。
私が心の中で勝手に師匠と仰ぐその人、端正な顔立ちの第一騎士団隊長ブラッドリー・マイヤーズ様の姿があった。
「・・・ジュリアナ・アッシュフィールド伯爵令嬢」
呟くように発せられた言葉に、言うまでもなく私の体は固まった。
スパイスさんから、小さなメモを渡される。
こんな雨の夜に仕事だなんて。
ああ、嫌だな。
言われてみれば、最初から嫌な予感がしていたかも。
今さらながらに、そう思う。
でも、前金を頂戴している身の上、断れるはずもなく長めの金髪をまとめて黒髪のカツラを被る。
下着姿になり、舞台で使われるズッシリ重い特殊なシャツを着れば、逞しい上半身が出来上がる。
ギラついた黒いシャツは胸元をはだけさせ、ジャケット、スラックス、特別仕様の身長が十センチ高くなるブーツを身につけ、クロスのジャラジャラするネックレス、異国のピアスと呼ばれるものに似せた耳飾り、時計を装備。
一瞬むせかえるエキゾチックといわれる香水を一振り。
そして、仕上げに髭を三箇所に付ければ、
今をときめくミステリアスな舞台俳優、アントニオが鏡の中に居た。
【葉巻をふかしながらサンセットブリッジを西から東へ。
途中、物憂げに橋の欄干に手を置き、川を眺める。
橋を渡り、五十メートル先のバー、“ディスティニー”に入りカウンター席へ。
ウィスキーをダブルで注文。
美女がいれば、さり気なく甘めの笑顔で対応。
だが、決して必要以上に絡むな。
バーを出て数分で迎えの馬車が来る。
以上】
メモに数回目を通して、一連の流れを復唱後火を付ける。
徐々に紙がチリチリと小さくなり、跡形もなくなったことを確認して部屋を出た。
私はアントニオ。
私はアントニオ。
呪文のように唱え、ジャケットの胸ポケットから色付きの眼鏡を取り出して、馬車を降りる。
夜だってのに、こんな黒っぽいレンズ越しに行動しろだなんて。
雨が止んでいるのは幸いだけど、葉巻に火をつけなきゃいけなくなったし。
なにが『珍しいナッツの香りだぞ』だ。基本臭いからナッツも何もあったもんじゃない。
憂鬱な気持ちに蓋をして、やや大股を意識して歩き出す。
サンセットブリッジの美しいライトアップの中を、キャラメルの様な匂いを微かに放つ葉巻をたまに口元に持っていき、欄干に手を置いた時だった。
ちょうど少し離れた場所から、騎士二名が私に向かって来るのがわかった。
・・・・・・ん?
何度かアントニオのサインを欲しがる人に遭遇したことはあったけど、この騎士二名がサインを求めている可能性は限りなく低いだろう。
『ああ』『そうか』『助かった』
幾つかの場面を切り抜けてきた、これらの言葉が役立つとも思えなかった。
川を物憂げに見つめながら、この状況があまりよろしくないのを理解し、職務質問とやらの場合の切り抜け方の知恵を絞っていると、耳の辺りから何かが、いや、魅惑的と世の女性が声を揃えるバリトンボイスが聞こえてきた。
[シュガー、聞こえるか?]
「・・・!何?」
[よし、聞こえているな。後方から騎士二名接近。得意の回し蹴りでこの場を回避して、東側の橋のたもとの馬車に飛び乗れ]
「・・・・・・は?・・・いや、・・・ちょっと!」
[さぁ、来るぞ。検討を祈る。
それから、通信は一時解除する]
ブチッ
嘘でしょ。何言ってんだ、この人は。
しかも、この場を回避って・・・もしやアントニオは犯罪絡みで追われているとか?
声が聞こえてきた発信源らしい、こんな耳飾りを持ってるだけで一般人じゃないのは明らかだろう。
とにかく、騎士なんかに手を出せる訳があるはず・・・・・・、
「おい、今女性の声がしなかったか?」
「・・・そうか?空耳じゃないか?
おっと、それより流石は舞台俳優。後ろ姿も様になるなぁ」
「だな」
「失礼。我々は第一騎士団のものです。
少しお時間を宜しいでしょうか?」
手を出せる訳が・・・
あるはず、
ガッ!ヒュッ!ドカッ!
ないのに・・・。
体が勝手に、幼い頃から得意とする回し蹴りを・・・。
葉巻も色つき眼鏡も飛んでいったが、お構いなしに橋の東側へとダッシュ。
余計な事など考えず走りだしたと同時に、馬から飛び降りたであろう音と背後に人の気配を感じた。
迎えの馬車は見えている。
そのまま走れば良いのに、何を思ったか私は足を止めて、もう一発回し蹴りを食らわす為に勢いよく反動をつけた。
「・・・っ、すいません・・・隊長」
蹴りを食らった騎士が苦しげに声を発する。
隊長・・・?
確かさっきの騎士は第一騎士団って話してなかったっけ?
第一騎士団の隊長って何人かいるけど、隊長クラスに私の回し蹴りが効くとは思えないし、師匠だったら・・・。
躊躇するものの時すでに遅く、私は足を蹴り出しており、回し蹴りの最終段階にはいっていた。
ゴッ!
はいった?いった?
・・・いいや。
私の足は隊長とやらに、がっしりと固定されていた。
・・・嗚呼、終わった。
橋のたもとから馬車が走り去って行くのを目にすると、私はいかにもアントニオがやりそうな両手を広げてお手上げを意味するジェスチャーをわざとらしくする。
開き直ったようにアントニオの影武者を最後まで演じることを決意した表れでもあった。
失敗、失敗。
苦笑いを浮かべて顔を上げると、そこには驚愕の表情で私の顔を見つめる人物が居た。
私が心の中で勝手に師匠と仰ぐその人、端正な顔立ちの第一騎士団隊長ブラッドリー・マイヤーズ様の姿があった。
「・・・ジュリアナ・アッシュフィールド伯爵令嬢」
呟くように発せられた言葉に、言うまでもなく私の体は固まった。
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