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第32話

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《リリー!教えてもらいたい言葉があるの。
今いいかしら!》

《はい!今行きますね》

ボルコフ王国へ来て三週間になる。
あの後、家族に別れを告げてから、伯爵家の侍女二名と護衛三名での出発と思いきや、トリド商会の馬車四台とかなりの数の護衛騎士が現れ、守られるかのようにボルコフ王国へ向かうことになった。

『お気になさることは御座いません。
私共はちょうど仕事でボルコフ王国へ向かうところでしたので、ご一緒させて頂くこととなりました。
こちらの方こそ大変光栄に存じます』

トリド商会といえば国外の取引も数多く手掛けているとは聞くけれど、どう考えたって・・・。
あの方公爵の姿が浮かんだ。
しかも、商人風の服装に身を包んでいるこの黒髪の男性は、トリド男爵本人で間違ない。

途中休憩を取りながら、大きな街の快適なホテルや貴族の屋敷に宿泊し、四日後にはボルコフ王国の王都に到着した。
トラブルなど一切ない快適な旅だった。

『トリド男爵、ありがとう御座いました』

『変装してみたものの、ご存知でしたか』

別れ際にお礼を述べると、頭を触りながら恥ずかしそうにしていた。
そして、トリド男爵と入れ替わるように現れたのが、クィーン前侯爵ご夫妻だった。

《ようこそ、ボルコフ王国へ。
お待ちしておりましたわ。
我が家はここからすぐですのよ。
ええ?ホテルに行く?
ああ、そんなに遠慮しないでくださいな。
じゃあ、とりあえず今夜は我が家に宿泊して、また明日考えましょう。ね?
ほら、あなたも行きますよ》

《ああ、勿論だ》

《この人ったら、花に目がないの》

街路樹の周りに咲いている花を観察している前侯爵は、花全般、特に野花や雑草といった研究をしている。

空も薄暗くなってきていることもあり、一晩だけお世話になるつもりだった。

『リリー、遠慮しないで。
私達もあなたが居てくれると嬉しいの。
二人の娘は、お茶だ。ドレスだ。香水の匂いをさせているザ・貴族でね。
あの娘達にここは合わないみたいで、滅多に顔を見せないの。
リリーは語学にも長けていて、博識があり、私達の趣味も理解してくれる。
もう一日滞在してくれると、とても嬉しいんだけれど』

でも、それが毎日延長されて、現在に至る。

《あ、リリー、この説明が分からなくて》

《ええと・・・“くさり編みと長編み、引き抜き編みでレースの空間を”ですね》

《助かったわ。ありがとう。
グレッソン語は、どうも苦手でね》

夫人はの刺繍、レース編み好きが高じて、現在では何十年、時には百年前といった古い資料から再現をする研究をしている。
その中には外国語の資料も多く、たまにこうしてお手伝いする。

パウリー様、ナタリア様と過ごす毎日は私にとって楽しく、居心地が良く、毎日があっという間に過ぎていく。
そして、お屋敷の近くに“ストーリーズ”がある。
本の品揃えもさることながら、ホッとできる空間であり、裏庭はいつも見頃を迎えた花が愉しめる。
ラクチーは、秋のフルーツだからもうしばらく先だ。

ここへ来て、素敵な素晴らしいご夫妻に巡り会えたこと。
トリド商会と護衛騎士に守られ、安心する旅だったこと。
あの方公爵には、感謝しかない。


そんなある日、私宛に小さな贈り物が届いた。
これは・・・・・・。
差出名は、ディラン・スタインベック。
箱を開けると、中には小さなリリーのブローチが入っていた。

・・・・・・綺麗だわ。

白いリリーのブローチには、宝石がついている。
シンプルでいて、上品で。
そして、私の名前の花であることが嬉しかった。
でも、カードや手紙の類いは同封されていない。
私宛よね・・・?
宛名を確認すれば、リリー・ウィンチェスターになっている。

《どうしたんだい?
何か困り事かな?》

パウリー様が私の様子を心配したようだった。
せっかくの気遣いに説明をすると、

《ディランときたら、レディに紛らわしい事をして。
どれどれ、良かったらワシにブローチを見せてくれるかな?

おお・・・これは・・・・・・。
ディランのやつ、なかなかやりおる》

《・・・・・・なかなか、やりおる?》

《リリー、このブローチの花は、ネリネ。
または、ダイヤモンドリリーともいう。
で、この宝石はダイヤモンド。
な?やりおるじゃろ?

こんな事をするなら、花言葉か?

ダイヤモンドリリーの花言葉は、“また会う日を楽しみに”

何か、約束でもしとるのか?》


その日を境に、ブローチを身につけた。
三日に一度は“ストーリーズ“に通い、ボルコフ語の小説の翻訳を始めた。
じきに夏が過ぎ、風が冷たく感じる季節がやって来た。

《酸っぱい!》

《リリーは、ハズレだったのね。
ほら、水を飲んで!》

ラクチーは、ピンクの皮に包まれたフルーツ。
食感は葡萄に似ている。
ただ、このフルーツ、アタリとハズレがある。
アタリは甘くて、みずみずしく、たまらなく美味しい。
でも、ハズレはとんでもなく酸っぱい。

《ディランもよく、ハズレに当たってたわね》

ラクチーのパイはこの国では秋限定のスイーツとして有名らしい。
もちろん、パイにもアタリとハズレがある。
“ストーリーズ”に出掛ける時は、カフェに寄ってラクチーのパイがあるか偵察を始めた。


【ルボア王国、エリオット国王陛下、婚約者であるスパンディア王国リリアージュ第二王女殿下を夜会でお披露目】

新聞の見出しを見て、ほっとした。
季節が移りゆくように、物事は進展していく。
私がここで、新しい生活を送っているように。


ネリネのブローチを見つめて、肌寒い乾いた空気を感じながら外を歩いた。

“また会う日を楽しみに”

ラクチーのパイを扱うお店は随分と減ってしまった。
だけど、あの方公爵が忙しいのは仕方ないこと。
そんなの百も承知だ。
私の一件で、多くの方にどれだけ負担を負わせてしまったか。

いつものように“ストーリーズ”に向かい、店内を一周する。
今日は何の本にしようか。
すると、幼い女の子が一冊の絵本を持って、ぴょこぴょこ走っていた。
危ない!
と、思った時には女の子は転んでしまい泣き出した。
母親が駆け寄り、私は床に落ちてしまった絵本を拾った。

《ありがとうございます》

その絵本には見覚えがあった。

“エミリーは小さなレディ”

私は、引き寄せられるように絵本コーナーへ向かい、目的の絵本の前にしゃがみ込んだ。

この絵本が大好きだった。
エミリーのようなレディに憧れて、幼い私は『れでぇ、れでぇ』と連呼した記憶がある。

『リリー、お誕生日おめでとう。
はい、これは殿下・・からリリーへのプレゼントだよ』

殿下・・・・・・

『そうだよ、殿下・・からのプレゼント』

殿下・・・

おうてい でんか・・・・・・
王弟殿下。

あの絵本は、

その時だった。

背後から、低音に響く、心待ちにしている方の声がした。

「ラクチーの季節に間に合っただろうか?」

・・・空耳だろうか。

私は、絵本を持ったまま立ち上がり、振り返った。

「・・・・・・」

「・・・リ、リリー?」

「背後からレディに話しかけるのは如何かと思いますが、王弟殿下」

嬉しいのに、それなに、なぜか泣き出しそうで、よく分からなかった。

そんな私を見て、貴方は柔らかく微笑んだ。





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