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第十四話 瘴霧と汚泥の塊

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 四人が剥き出しの土を踏み締めて歩いていく。その道は長年オーク達が何度も道無き道を往復する事で出来た採掘場へと続く道である。オーク達の頑健な足跡や鉱石を積んだ一輪車を引いた轍も一つや二つではなく、かつての隆盛が色濃く残された道である。だがそれも今は神殿と呼ばれる洞窟へと続く道でしか無い。朝の起き抜けに吹いていた風もすっかり止んでいて、四人の足音だけが周囲に鳴り響いていた。

「どうも霧が濃いな、といってもこれを霧と言ってよいものかは疑問なのだが……」

 セーニャが誰に言うのでも無く前を向いたまま言った。その言葉の通り、四人が進む道には霧が濃く出ている。しかしセーニャが感じた霧の異質さはその色にあった。その霧は通常とは異なり、黒色を存分に含んだ深紫色をしていた。その異様な霧をセーニャ以外も勿論気付いてはいたが、宗一に至っては異世界の霧はこんな色なのか、と勝手に納得してしまっていた。

「これはきっと霧では無いのです、私達はこれを瘴霧と呼んでいました。この瘴霧は私達が神殿を堀当てた後に崖から漏れ出すようになったのです。最初は僅かに煙が昇る程度だったのですけど、今ではこんなに色濃く……それにここまで届いているなんて……」

 ヴィルナの声が心なしか震えている。それはどこか脅えているようで、宗一は思わず「ヴィルナ、大丈夫か?」と声をかけた。

「うぅ……申し訳無いですぅ。この瘴霧に近付くと何か言い様の無い不安や違和感が込み上げてきて……皆は大丈夫なのですか?」
「俺は特段何も感じないけど……二人はどう?」
「私も同じだ。何も感じないが……強いて言うならこの色の霧は見ていて心地良いものでは無い、それだけだ」
「私は……私は少し気持ち悪い……うっぷ」
「リーナ、お前は食べ過ぎなのだ馬鹿者。神殿に向かうと言っているのに満腹になるまで食べる奴がいるか!」
「あぁ……リーナは腹一杯で苦しかったから口数が少なかったのか。うーん、どうする? ヴィルナもこの調子だし、少し休もうか?」

 宗一がそう提言すると、セーニャが答える間もなくリーナが「だはぁーっ! よし、休憩だ休憩!」と腰を降ろした。それを見てセーニャは眉間に皺を寄せて何か言いたげだったが、ヴィルナの様子を見て静かに路傍に腰を降ろす。それ程にヴィルナの様子は異常であった。時折キョロキョロと落ち着き無く周りを見たり、常に緊張している様子でとても大丈夫とは言えなかったからである。

「ヴィルナ、お前も一度ゆっくり休め。さっきから何か変だぞ」
「ごめんなさいです……皆は何か視線を感じませんか? さっきから何かが此方を見ている気がして落ち着かないです」
「……私は何も感じないが……だが、それはつまり……もしかしてヴィルナもオーク達の言っていた何かに呼ばれているのか?」

 その言葉に宗一は息を飲んだ。ヴィルナの返答次第でこれからの行動が大きく変わるのは明らかだったからである。ヴィルナはセーニャの言葉にゆっくりと首を振った。

「……わかんないです。呼ばれたと言ったオーク達は皆、何かしらの声を聞いたと言っていたです。私はまだそれを聞いていませんから……でも、この視線は……おそらくは……近いうちに……」

 宗一は一先ず胸を撫で下ろしたが、それが仮初めの安堵でしかないのは充分に理解していた。どちらにせよ神殿でオーク達への呪いと呼ばれる何かを解決しなければヴィルナに安寧は決して訪れないからである。

「……視線……か」

 宗一は誰にも聞こえない程小さく呟いた。視線というからには、何かに見られているのだろうか。更にオーク達はそれに続けて声まで聞こえるのだと言うのだ。勿論それを信じていない訳では無いし、魔法等が罷り通っているこの異世界でなら現実に呪いもあるのかもしれない。実際、日本にもこの類いの話は掃いて捨てる程存在している、例えば有名な所では丑の刻参りの名前が上がるだろう。

(呪いというからには対物間というか、かける側とかけられる側が存在するのだろうけど、神殿には一体何があるのだろうか。セーニャが言っていた呪いの根源が存在するとして、それは……何なんだろう)

 宗一の異世界への知識はほぼ無いに等しかった。出会った人達も片手で足りる程で、そこから得られた知識が宗一の全てであった。
呪いも神殿も皆目見当も付かず、そんな状態でオーク達には少なくない期待を寄せられている。自信も無く、解決策も浮かばないが、その中で唯一の希望はセーニャに思えた。自身とは違う正真正銘の勇者、セーニャが居れば事態は好転するのではないか。そう縋ってしまうのは、心の何処かに潜む不安がそうさせてしまうのか。宗一は溜め息のような深呼吸をしながら、脅えたように身体をすくませるヴィルナに何気無く視線を送った。
 ヴィルナはキョロキョロと落ち着きが無く辺りを見渡していて、震えたその小柄な身体はいつもより一層小さく見えた。何処かからの視線に脅えているのか、宗一はそんな状態のヴィルナに少しでも励ましの言葉でもと考えてはみたものの上手く言葉を纏めれなかった。ただ励ますだけではヴィルナの不安を取り除くのは難しいと思えたからだ。宗一は考えが纏まらないままヴィルナに近付いた。それでも何か話せばヴィルナの気が紛れるだろうと考えたからである。

(ん……?)

 宗一の足がピタリと止まる。

(何だあれ……ヴィルナの肩に……何かが乗っている)

 それは確かに宗一には見えているが、当のヴィルナが気付いた様子は無い。宗一はその存在を確認するようにゆっくりと近付いて行く。一歩、また一歩と近付いて行く度にそれはより鮮明に存在を確かな物へと変えていく。
 気付けば宗一はヴィルナの目の前に立っていた。ここまで近付いたのだから、当然ヴィルナも宗一の存在に気が付き「なんですぅ……?」と、ゆっくりと宗一を見上げる。
 ──だが、それと同時に、ヴィルナの肩に居座る異形とも言うべき化物も、宗一を睨むようにして見上げた。まるで真っ赤な汚泥を固めたようなドロドロとした塊に付いた夥しい数の目玉。その数は一つ、二つ……実に三十を超えており、その全てが宗一をじっと見詰めている。

「うわあああぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ!!」

 宗一は叫び声をあげたまま手でその異形を払い除けた! べちゃっとした感触と同時にぶちっと音が鳴り、その異形はヴィルナが身体を預けていた後ろの樹に叩き付けられ、樹の根本へと転がり落ちた。

「な……な、なんだこれ!?」
「え? 虫でも居たですかぁ?」

 ヴィルナはその叫び声に驚いてはいたものの、異形については一言も言及しない。宗一が「いや、これ! これ!」と根本に転がる異形を指差しても「えぇ……どれですかぁ?」と目を凝らして首を傾げるばかりである。
 そうこうしている間に異形はその身体をべちゃりと翻し、ずるり、ずるり……とヴィルナの元へと近付いて行く。この異形は……ヴィルナの肩へと戻る気なのだ。宗一にゾワリとした悪寒が背筋を登っていく。駄目だ、この異形を止めなければならない。宗一は意を決してそれを思い切り踏み潰した!
 ぐちゃりと音をたてて異形が目玉を飛び散らせながら潰れる。飛び散ったその目玉の全てが地面に落ちても尚、宗一をじっと見詰めているようである。その怨みがましいとも思える視線は、じっくりと此方を観察をしているように感じた。

「きゃんっ! んもう、宗一ったらどうしたんですぅ?」
「なんだ、何か居たのか?」
「うーっぷ! ちょっと走るのも苦しい……うぷっ」

 ヴィルナは自身の真横をいきなり宗一が足で踏みつけたのもあり、ビクッと驚いた後に困惑した表情で宗一を見る。続いて騒ぎを聞き付けた残りの二人も駆け寄ってきた。

「ごめん、大きな虫が……いてさ……」
「えぇ……そんなの居たですかぁ?」
「ふむ。どれ……宗一、足を上げてみろ」

 宗一はゆっくりと足を上げる、だがそこにはもう何の痕跡も残されていなかった。飛び散った肉片と目玉もまるで周りの霧に溶け込むようにして消え失せていたからである。

「何も踏んでいないようだが、仕留め損なったのか?」
「あぁ……そうみたいだ。騒がせてしまって悪かった」

 いや、異形は確かに居た。怨みがましい視線が自身の身体をねっとりと纏わり付いていたのを今でも感じている。しかしその存在も今は霧散してしまい、更にそれはヴィルナには全く見えていなかったようである。これでは異形の事を話しても逆に混乱を招きそうだ、と宗一はわざと皆に嘘を吐いた。

「はぁぁ……虫も殺せんとはな! 宗一、それでは勇者の名が泣くぞ! あぁ情けない情けない!」
「追い払っただけで上等だろ。それよりリーナの方こそ腹の具合はもういいのか? 騎士様は普通そんな動けなくなるほど食べるとは思えないけどな!」
「いつも私の体調は万全ですー! 宗一と一緒にしないでくださいー!」
「ええい、二人ともあまり騒ぐな! まだ神殿にも辿り着いて居ないのだぞ!」

 セーニャはそう言って二人に拳骨を繰り出した。その凄まじい威力に二人とも地に足を着けて頭を抱えながら「ぐおぉぉ……」と唸るばかりであった。

「何で私まで叩くんだ……ぐぅぅ、宗一だけでいいだろ……っ!」
「馬鹿、逆だ逆! 俺が巻き込まれてる側なんだよ! ンポポの時だってそうだし、いつもいつもリーナが原因なんだぞ!」
「ンポポを怒らせたのは宗一だろ!? こっちはお前の後始末をしてやったんだ、感謝しろぉ!」
「リーナが怒らせろって言ったんだろ!? おまけにろくな策も考えずにンポポ相手に半べそかいて俺に頼ってきたじゃないか! 寝てりゃ涎は垂らしまくるし、あとお前は寝相も悪いからな! 人の上でゴロゴロゴロゴロしやがって、それもちゃんと覚えておけよ!」
「あわ、あわわわわ……お、お前こそお前こそぉ……お、おおおぉ……乙女覇拳っ!!」
「おっごぉ! ちょっおま、ぐぅぅ……っ!」
「あ、危なかった! この私がもうすこしで負けてしまうところだった……! ふぅ……はいっ! これで私の大、勝、利ぃーっ!」
「さ、わ、ぐ、なぁっ! 同じことを何度言わせる気だ馬鹿者共! いい加減にしろ!」

 セーニャは言葉と同時にまたもや拳骨という鉄槌を二人に振り下ろした。それは先程よりも何倍もの力であり、打たれたリーナは地面に踞って「あぁぇぁ……っ!」と声ならぬ悲鳴が口から漏れる程である。一方で乙女覇拳からの拳骨という踏んだり蹴ったりの宗一は最早物も言えぬ屍のように踞っていた。

「ふふふ……二人ともこんな場所なのに相変わらずですぅ!」

 宗一とヴィルナが言い合い、セーニャが仲裁する、そのいつもと変わらぬ顛末にヴィルナは笑みを溢した。

「んぐ、ぐふ……ヴィ、ヴィルナは……もう大丈夫なのか?」
「宗一、私はむしろお前が心配だぞ。打たれたお腹は大丈夫か?」
「あ、あぁ……乙女覇拳も二回目だしな、セーニャの拳骨の方が痛むくらいだが、もう大丈夫。それよりヴィルナ、その……視線とかはどうだ? もう何も感じないか?」

 息も絶え絶えな宗一の言葉にヴィルナはハッとして周りをキョロキョロして、首を傾げた。

「あれぇ? そういえばもう何も感じないです。ううん、それどころか何かスッキリしてきたですぅ! ふぬぬぬぬぅ……ち、力が溢れて、ふぉおぉぉ……乙女覇拳っ!?」
「おっぐぅ! な、なんでなのぉ……っ!?」
「はわわわ、ご……ごめんなさいですぅ! つい力が有り余ってしまったです!」

 宗一は朝から数えて三発目の乙女覇拳をその身に受け、再度膝から崩れ落ちた。それはリーナの拳に比べて数段重く、それが小柄ながらもヴィルナがオークたる所以でもあった。ヴィルナは崩れ落ちそうな宗一を支えると頭をペコペコと何度も下げた。

「ごめんなさぁい、ごめんなさいですぅ!」
「大丈夫、大丈夫……でも、乙女覇拳はもう禁止ね? ねっ!?」
「うぅ……わかったです!」
「そうだぞヴィルナ。大体なぁ、乙女覇拳は私もさる高貴なお方に教わって初めて打つ事を許された由緒正しき技だ! そんな思い付きで使おうなどとは到底許されることではない!」

 さる高貴なお方って誰だよと、宗一は訪ねようとしたが喉元でその言葉を止めた。何故なら今重要なのは、ヴィルナを見る視線が消えたという事だからである。
 ヴィルナからは姿が見えず、絶えず視線を送り続けていたあの異形。それを踏み潰したらヴィルナは視線を感じなくなったという。それを踏まえるとおそらく、オーク達を襲う災厄の種、呪いというのは──あの異形なのだ。
 何故、異形が宗一にだけ姿が見えたのかは分からない。また、リーナとセーニャが姿を見ることが出きるのかも確認できなかった。そして先程は見えた宗一でも先日はヴィルナとオーク達に異形の影すら拝む事も出来なかった。

(だけど、何故今更見えたんだ? ヴィルナが呼ばれそうだから? それなら既に正気を失っていたヴィルナの兄にも見えてもおかしくないだろう。それ以外に何か……何か……)

 ふと、四人を取り囲む瘴霧が目に入った。先日との大きな違いはこの瘴霧に間違いないだろう。呪いの根源を抱える神殿から溢れ出ているらしいこの瘴霧が、より呪いを色濃く映した結果があの異形なのではないか。有り得ない話ではない、宗一はそう結論付けた。

「うーん、それにしてもこんなに身体が軽いのは久し振りですぅ! しゅっしゅっ! しゅっしゅっ!」

 ヴィルナは身体の軽快さを周りに知らしめるようにファイティングポーズから拳を何度も軽やかに繰り出した。その風切り音がヴィルナ達、オークという種族の身体能力の高さを思わせた。

「ふんっ! 何やら調子に乗っているようだが、オークと言えどもその程度では騎士たる私には傷一つ付ける事も出来んわ! 大人しくしておくんだな!」
「お? やるです? いっちょやるですかぁ? しゅっしゅっ!」
「ほう……どうやら小娘には躾が必要なようだな……っ!」
「むむむ……どうやら何か勘違いしてるようですけど、私はリーナより年上ですからね。このお姉さんたる私が背だけは大きい小娘に上下の厳しさを教えてやるですぅ!」
「なんだとぉ! やるかチビっ子!」
「やってやるですぅ! このデカ女ぁ!」

 二人は宗一達から距離を取ると、素手で取っ組み合いを始めた。リーナはその長身を活かしたリーチの長さでヴィルナを牽制し、逆に小柄なヴィルナは手数とスピードで勝負を仕掛けていた。

「お、おい! 二人ともよせ!」
「宗一、二人はとりあえず放っておけ。じゃれあっているだけだろう、直ぐに収まる」

 二人に駆け寄ろうとした宗一をセーニャは手で制すると「それより……」と続けた。

「宗一、お前は一体何を見た?」
「……それは、だな」
「おい、私に誤魔化しは止めてくれ。正直に話して欲しい、何が居たんだ?」

 言い淀む宗一にセーニャは念を押す様にしてじっと見詰める。ヴィルナ達には見えずとも、本物の勇者であるセーニャにならあの異形を見ることが出来たのかもしれない、同じ資質を持つセーニャになら……いや、本物の勇者と同じ資質を持っているからこそ、自身にも見えたのかもしれない。そう思い宗一は静かに話し始めた。

「……ヴィルナの肩に異形が居たんだ」
「イギョー? なんだそれは」
「いや、俺には異形としか言えない。俺の知る昆虫や動物の中に類似する物が見付からないんだ。大きさはこの拳ぐらいで、赤い泥を積み重ねたようなドロドロの身体を持ち、その身体全体に散りばめられた30は下らない目玉でヴィルナをずっと見ていた」
「むぅ、そんなものが肩に居てヴィルナは気付かなかったのか?」
「気付くもなにも、ヴィルナに異形は見えていない様子だった。俺が手で振り払った後も見えた様子が全く無かったからな」
「それを取り逃がした、というわけか……」

 宗一は首を振った。確かにそれを踏み潰した感触が、今も足に残っているのだ。また、散らばった数多の視線もこの身がいまだに覚えている。

「その異形がまたヴィルナの肩に向かって行こうと動いていたから、俺がこの足で踏み潰したよ。すると異形は飛び散った肉片ごと消えて無くなったんだ」
「消えた、か……異形を倒してからヴィルナのこの騒ぎようを見ると、どうやらそれがオーク達への呪いの形象と考えていいだろう」
「やっぱりセーニャもそう思うか、俺もそう考えたんだ。だけどあれは一体何を目的にしているのだろう?」
「……そうだな……異形の声を聞き、正気を失ったオーク達は目的も無くただ暴れているだけでは無かった事を考えると……」

 セーニャが確信めいた言い方をしたので、宗一は「ちょっと待ってくれ、どうしてそんな事が分かるんだ?」と聞き返した。宗一にとってはヴィルナの兄しかり、リーナを襲っていたオーク達もただ暴れていたようにしか思えなかった。

「私を襲ったオーク達も、リーナを襲っていたオーク達も徒党を組んでいたのだぞ? 明確な仲間意識、または声を聞いたオーク同士で連携が取れるように情報が共有されていると考えて構わないだろう」
「……言われてみればその通りだ! ということは呪いというのは……」
「オークという種族を丸々使って意のままにするのを目的としているか、自分の息が掛かった者以外を襲うように条件付けがされているかのどちらか……かもしれない」
「なんだよ、歯切れが悪いな。でも確かにこれ以上の事は分からないか……」
「そういう事だ。あぁ、それともう一つ、この瘴霧と呼ばれている物について宗一にだけは話しておくが……」

 言葉と同時にセーニャがぐいっと宗一に近寄る。肩と肩が寄り添うぐらいに近付いているが、セーニャは尚もぐいぐいと身体を寄せてきた。宗一は思わず身体を避けようとしたが、セーニャが腰を抱くようにして引き寄せて来るのでほぼ密着といった形にまでなってしまった。

「ななな、何だ、ちょっとセーニャ……近いよ!」
「落ち着け宗一、後ろの二人には見られたくないんだ。いいか、よく見てろよ……」

 ふわっ……と柔らかな光がセーニャの指を灯す。身体全体ではなく、指先のみが発光するようにして光の資質を表に現したのだ。セーニャはその柔らかな光を瘴気にゆっくりと近付けると、瘴霧はスッと薄く散らばっていく。

「消えた……のか?」
「うむ、どうやら私達の持つ光の資質に反応しているらしい。もしかしたらこれが今回の鍵になるやも知れん。よく覚えておいてくれ」
「あぁ、わかった。だけど、俺の拙い光でもこの瘴霧には効くのかな?」
「心配ならばやってみればいい──む、どうやら向こうは決着したらしい」

 宗一が言葉につられて振り返ると、地面に伏したリーナの隣でヴィルナが拳を掲げながら此方に満面の笑みを浮かべている所であった。

「えへへ……やったったですぅ!」
「いや、やっちゃ駄目だよ! おい、リーナ大丈夫か?」
「オーク相手に素手で敵う筈がなかろうに……ほら、大丈夫か?」

 二人が駆け寄るとリーナは地面に伏したまま「いつか……いわす……」と恨み言を吐き出していた。隣で恨まれた本人は鼻息を荒く「ふふーんっ!」と得意気である。

「……とにかく! リーナの回復を待ってから出発にしよう。ここでヴィルナの調子が良くなったのは僥倖でもある、私達四人は一人一人が貴重な戦力なのだからな」

 それから暫く小休止の時間を取り、リーナの回復を待ってから四人はまた歩き出した。ヴィルナの話を聞くにあと一時間も歩けば採掘場代わりの崖に着くという。
 歩き出して数分もすると瘴霧が一段と濃くなったのが見てわかる。中でも上空は特に酷い、葉の隙間を縫って見えるのは青空ではなく、紫掛かった気色の悪い空である。

「嫌な色の空だな……」
「瘴霧とやらが空に溜まっているのだろう。皆の体調に変わりは無いか?」
「私は大丈夫です! 元気バリバリですよ、バーリーバーリーッ!」

 ヴィルナが両手を上げて元気を誇示するが、リーナは少し元気が無さそうである。

「リーナ、どうした? 大丈夫か?」
「ん、あぁ……体調は大丈夫なんだが……視線が気になる」
「視線!? まさかリーナまで視線を感じるようになったのか?」

 しかしリーナは「ん、まぁ……」と歯切れが悪い。セーニャ「はっきりしてくれ、これは大事な事なのだぞ」と答えを急かすとリーナは宗一の方を見て言った。

「うむ、先程から宗一が私の肩ばかりを見てきて何だか居心地が悪い!」
「宗一……見すぎだ、馬鹿者!」
「いや違うんだって、これは仕方ないだろ!?」
「宗一ぃ……私の肩が魅力的なのはわかるが……今はそういう場合じゃないというか……な? わかるだろ?」
「むぅ、やっぱり宗一はすけべさんですぅ……っ!」

 そのリーナの叱るというより科だれた甘い声で窘めるような言い様に宗一は「そういうつもりじゃないよ!」と突っぱねるが、宗一がどう弁解しようともリーナはニマニマと笑いながら受け止めて気を良くするばかりであった。
 それからも四人は進むが、宗一が懸念したように採掘場の崖に辿り着くまで誰かの肩に異形が現れる事は無かった。心配しすぎだったかと宗一は安堵の表情を浮かべた。

「む……着いたみたいだな……」

 セーニャは手で制して皆の動きを止める。四人はまだ採掘場に面した森の中だが、その身を木陰から出すのは躊躇われたからである。

「……やはり居たか」
「兄、上……?」

 切り立った崖の前に以前より大きさを増したオーク──ヴィルナの兄が明後日の方を見上げながら直立不動で立っていたのだ。崖からは滲み出るように瘴霧が溢れだし、辺り一面を満遍なく覆っている。ヴィルナとリーナは予想だにしない相手の登場に面食らってしまったが、宗一とセーニャはこの展開を半ば予想していた。
 呪いが異形を使ったオークをコントロールするためのシステムなら、呪いの大元であるこの神殿を内包している断崖には誰も近付かせないであろうと二人は感付いていた。異形を介してオーク達に視線をやっていたのなら、或いは声も聞いていたのやも知れぬ。そうなれば神殿に出立した四人を阻むのも当然と思える。逆に周りに他のオーク達の姿が見えないのは、巨大なオークだけで充分だと思われたか、それとももしかするとヴィルナまで向こうの頭数に入っている予定だったのか。

「まだ気付かれてはいないようだが……どうする?」

 リーナは自慢の魔装具である槍を握り直すと皆の返答を待つ、ヴィルナも判断は任せるといった様子で押し黙っていた。そんな中で宗一だけは「まずいな……気付かれたぞ!」と身構えた。ヴィルナの兄、その巨体の肩にはやはり異形とも言うべきモノが鎮座しており、その数多の目が此方を睨み付けている。

「いや、まだ気付いていないだろう。こっちを見てすらもいないぞ?」
「駄目だ、見られている。皆、来るぞ!」
「宗一、お前は一体何を言って──」
「バオオォォォオォォォォーーーーーーッッッ!!!」

 その咆哮は全くの見当違いの方へと向けられていたが、肩の異形がぐじゅりぐじゅりと身を動かすと、巨大なオークは此方に顔を向けた。もしかすると異形がオークに皆の位置を知らせたのかもしれない。

「どわぁっ! きっきき気付かれた! どうする!?」
「だから気付かれてるって言ってたじゃないか! セーニャ、どうする!?」
「……森から出るぞ! 奴を迎え撃つ!」
「えぇっ!? 出るのぉ? えぇーい、どうにでもなれぇ!」

 先ずはセーニャが、次いで自棄糞気味にリーナが森から飛び出した! 宗一も続こうとしたが、隣のヴィルナが巨大なオークを見上げたまま固まっていた。無理もない、ヴィルナにとっては実の兄との会敵は最悪なシナリオの内の一つだろう。だけど、行かなくては……宗一はヴィルナの手を固く握り、森の外へと引っ張って行く!

「宗一……?」
「ヴィルナ……オーク達が君の帰りを待っている。行こう、呪いを解くんだ!」
「……っ! はい……行くですっ!」

 その表情には最早恐れは無い、妹としてのヴィルナでは無く、オーク達の長としての覚悟を決めた姿がそこにはある。悲壮感すら秘めたその赤い瞳の隣で宗一はただ一人、希望を胸にひた走る!

(異形が目に見えてる今なら……このヴィルナの兄を救えるかもしれない……やるんだ、助けるって決めたんだから……力の限り足掻くんだ……っ!)

 三人が巨大なオークの一挙手一投足を警戒する中で、宗一はただ一人異形を睨み付けるが、うじゅるうじゅると身を蠢かせる異形もまた宗一を睨み付けていた。そしてその後ろには、神殿へと繋がる断崖が瘴霧を滲ませながら不気味な雰囲気で佇んでいる
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