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第二話 女騎士推参、からの遁走

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「…………っ! …………きろっ!」

 ぐらぐらと揺さぶられる感覚に揺りかごのような心地好さを感じながら、宗一の意識はゆっくりと覚醒していく。

「……このっ、起きろぉ!」
「へぶぅ!」

 しかしそれを待ってくれる余裕もないのか、セーニャは宗一の頬を思い切り引っ叩いた。その痛みの鋭さで宗一の意識は急速に覚醒していき、まるで電気が走ったかのように宗一は勢い良く飛び上がる。

「ど、どうした! 何かあったのか!?」

 ズキズキと痛む頬を手で擦りながら、宗一はセーニャに訪ねた。周りを見渡すとセーニャが先に消したのか、焚き火は既に消えている。

「……何かが近付いてくる、兎に角先ずは身を隠そう。こっちに着いてきてくれ」

 セーニャは子供に言い聞かせるかのように宗一に目線を合わせて静かに言った。宗一は眠気眼を擦りながら頷き、セーニャの後を着いていく。

「……こっちだな。宗一、ここから余り物音を立てるなよ」

 セーニャの言葉に従って宗一は忍び足で進もうとしたが、一歩も踏み出すことなく宗一の足は止まった。

「セーニャ、ちょっと待ってくれ。もしかしてその何かに近付こうとしていないか? 何かから離れようとしているんだよな?」
「……何を言っているんだ。危険かどうかは見てみなければ解らんだろう? それに、もしかしたら私の同胞かもしれない。何にせよ、何者かが何者かに追われているようだ。行くぞ」

 宗一はその有無を言わせぬ言葉尻に苦い顔をしたが、どちらにせよ己がこの森林に置いていかれても途方に暮れるのは間違いないので、渋々といった様子で歩き出した。

「彼処だ、あれはどうやら……人間とオーク共だな……」

 木の裏からこっそりと顔を出すと、開けた場所で確かに甲冑の様な物を着込んだ女性が何かに追われている。追っている者は全身がちりちりとした固そうな毛で覆われており、その体格からまるで二足歩行の熊を想像させた。二者の体格差は歴然で、充分な大人と見られる女性ですら小柄な子供に見える程である。

「おいセーニャ、あのままだとあの女性が危ないんじゃないのか? 何か手助けを……」

 言葉を待たずにセーニャは宗一の言葉を手で制した。

「……あの人間の様子……気勢が全く削がれていない。どうやらただ追い込まれた訳では無いようだな。オーク共相手に何かするつもりだぞ……」
「オーク……あれがオークか。それにしても何かって何だよ……」

 誰に呟くでもないその言葉を宗一は噛み殺し、オーク達と対峙する女性を固唾を飲んで見守る。女性とオーク達は距離を保ちながらお互いに手槍で牽制し合っていた。

「しかしあの防具で何を守れると言うんだ……」

 オーク達と対峙する女性の甲冑を見ながら宗一は呟いた。女性の甲冑と呼べる部分はおよそ胸当てから肩、腰部分それと小手程度の物で、それ以外……臍や足等は外気に晒されていた。それは例えばオーク達が持っている雑な槍でも腹回りを掠めれば致命傷になりかねない程の心許なさで、見ている宗一は得も言われぬ焦燥感を覚えさせた。

「……ふむ。大分時間も稼いだし、この辺りでよかろう。オーク共……覚悟せよっ! 我が槍の錆となれ……獣閃衝哮っ!」

 女性がそう叫んだ瞬間、森全体が女性を中心にして大きくうねりを打った! その衝撃は物陰に隠れている宗一の身体が強張り暫く動けない程であり、宗一は自らの身体を抱え込むようにして身を守った。

「ぐっ……な、なんなんだ……っ!?」

 宗一の文句を嘲笑うかのように風の衝撃に遅れてまるで獣の咆哮に似た音が耳を劈いた。

「ほう……あの人間、見掛けに依らずかなりの実力者だな。宗一、見てみろ。オーク共が木端微塵だぞ」
「はぁ? セーニャ、お前は一体何を言って……」

 その先の言葉を宗一は飲み込んだ。衝撃から逃れ、漸く開いた眼前に広がる光景に次の句を告げる事は出来なかったからだ。セーニャの言葉通り、オーク達は大きな塊を幾つか残して木端微塵に近い惨状を示していた。そして残った大きな塊もその多くは周りに身を擦り付けられたように血の飛沫の跡を残している。

「ん、んぐっ……ふぐぅ……っ!」

 宗一は咄嗟に口を抑えて不意に沸き上がった吐瀉物を押さえ付け、呼吸を落ち着かせる。多少離れているとはいえ、あの惨状を引き起こしたとみられる本人が未だ視界に鎮座している状況で迂闊に物音でもたててしまっては此方の存在が露見してしまうだろう。女性に見付かってしまったその後がどうなってしまうかは、想像すらしたくなかった。

 一方、隣のセーニャは惨状に大して動揺した様子は見せずに、物陰から伺うようにして女性を見ている。すると女性は元オークの成れの果てである肉片を一瞥し、ゆっくりと此方に向き直った。

「……そこに何かいるな? 言葉が通じるのなら今すぐに出てこい! 通じぬならばそのまま骸と化すがいい……っ!」

 女性はそう言い捨てると、先程の様に槍の穂先を此方に向けて腰を落とし、呼吸を整えた。宗一の脳裏には先程の衝撃が過り、冷や汗と共に身体の震えを覚えた。隣のセーニャはふむ、と考えている様子で身の危険を感じている様子は無い。

「……セーニャ、とりあえず姿を表そう。このまま隠れていたら俺達もあれの後を追ってしまう」

 宗一は木端微塵にされたオーク達を指を差して言った。指が多少震えているのは仕方の無い事だろう。このままではいずれ自分達もあの様になってしまうのは明白だからだ。

 しかし宗一の提案にもセーニャは口元に手を当ててふむ……と思案している様子だった。

「おい、セーニャ! 今は考えてる暇なんて無いだろ!」

 宗一の声にもセーニャは反応しない。慌てる宗一達に視界の奥に見える女性は構えた槍を微動だにせず、声をあげた。

「……最終通告だ、十秒だけ待ってやる! しかし怪しい動きをすればその首が胴体から離れると思え!」
「セーニャ、おい、セーニャ! 後十秒しかないぞ! あの死体の後を追う気か!?」

 宗一の必死の掛け声にセーニャはうむ、と頷くとゆっくりと宗一を見た。

「宗一、先ずは君から出た方が良さそうだ。あの女と同じ人間同士なのだから姿を出していきなり襲われるという事も無かろう」
「よ、よし、わかった! それなら俺から出るぞ!」

 そう言うと同時に宗一は物陰から飛び出した。がさがさと大袈裟な音をたてながら姿を表した宗一を女性の視線が宗一を真っ直ぐに射抜いた。

「ーー三、二……む、貴様……人間か?」
「そそ、そうだ! お前と同じ人間だ! フレンズ! フレンズ! オーケー!?」

 宗一はゆっくりと手をあげた。自分の世界では通じることも、このネイゲアで同じ様に通じるかは判断がつかなかったが、宗一は自分なりに害意の無い事を必死に示したのだ。

「ごちゃごちゃと煩いな……おい、そこで止まれ!」
「ひっ!」

 女性の掛け声で宗一はぴたっと動きを止めた。女性の槍は依然として宗一の方へと向けられている通り、彼女の敵意が宗一の身体を強張らせた。

「どうやら言葉は通じるようだが……貴様、私がオーク共と対峙している間、ずっと隠れて見ていたな? 何が狙いだ!」
「えっ!? いや、その……隠れて……見ていたというか、その……」

 宗一は急な尋問にしどろもどろになりながら答えるが、女性の眉間に皺が寄っていくのを見るに、どうやら意に応えられなかったようだった。

「……言葉が通じ、同じ人間でありながら私を助けようともせずただ隠れていただけ……」
「ちがっ! 違うんですっ! いや、あの此方にも事情があって、その、ちょっちょっと待って……っ!」
「ーーその腐った性根、既にオーク! 胡乱な奴め、ここで始末してくれる! 覚悟せよっ!」
「お、おいセーニャ、全然話が違うだろ! 何が同じ人間同士なら襲われる事は無いだ! 順調にあのオーク達と同じ末路を辿ってるじゃねーか!」
「ふむ……あまり人前には姿を現したく無いのだがな……仕方無いか」

 宗一が後ろに向けて叫ぶとセーニャはやれやれと言った感じでゆっくりと姿を現した。セーニャは憮然とした表情で向かいの女性に視線を向けた。

 女性は驚いた様子で眉を上げたが、それも一瞬の事で女性の構えを解くには至らなかった。

「……エルフが何故人間と一緒に行動している?」

 女性はじろりと音が聞こえそうな程の目付きでセーニャを睨み付ける。しかしセーニャはふんっと鼻息を鳴らすと「人間は武器を構えないと話も出来ないのか」と言い放った。

 その言葉を聞いた瞬間、宗一は気が遠くなるのを感じた。セーニャの言葉に依って、自分達は今正に眼前に散らばっている肉塊と変貌したオークの二の舞になろうとしているのだから。

「…………良いだろう。とりあえず話は聞いてやろう」

 女性は言葉と同時に構えた槍の穂先を天へと向けた。それを見た宗一の口からは安堵の溜め息が漏れた。どうやら命の危険性は去ったようだと宗一は上げていた手を下ろした。

「だが、少しでも貴様等を危険と感じたらその首を撥ね飛ばす! いいな?」
「いいわけ無いだろ!」
「……む?」

 思わず出た言葉に一度は天に向けた槍の穂先がまた宗一に向けられる。そうして宗一は下げた手をまた上げ直す事となった。

「……す、すみません。つい、言葉が出ちゃって……」
「ふん、言葉に気を付けるんだ。貴様等が胡乱な輩というのは変わっていないのだからな。それで……貴様等は一体ここで何をしていたんだ。怪しい格好の男に人間嫌いな筈のエルフ族が一緒になって何を企んでいる!」
「……セーニャ達って人間が嫌いなの?」

 こそっと小声で宗一が聞くと、セーニャは困った顔で言葉を返した。

「私達の里は森林の奥まった所にあったから、そもそも余り他種族と関わらないんだ。それに私が人間を見たのは君が初めてだったしな。それを踏まえると人間に対して好きも嫌いも無いが……」
「そうなのか……」
「まぁ、エルフ全体がそうとは言わないが私達の里は他種族に対しては排他的なのかもしれないな。他種族との関わりを避ける為に態々森林の奥地に里を作っていたのだし……」
「おい、ごちゃごちゃと五月蝿いぞ! さぁさっさと理由があるなら話せ! さもなくばこの場で素っ首を撥ねて捨て置く!」

 ひそひそと話す宗一とセーニャに業を煮やしたのか、女性は苛立った様子で声を粗げた。宗一は困った顔でセーニャを見詰めた。自分ではこの窮地を脱する言葉を紡げそうに無かったからだ。セーニャは宗一の視線を受け止めるとゆっくり頷いて語りだした。

「私達は確かに他種族との関わりを是とはしない! だが此度はここに居られる勇者殿の従者としてこの地に参ったのだ! それを貴様は何だかんだと……それがこの世の希望ともいえる勇者殿に対する言葉か!」
「ゆ、勇者……だと……? この男が……?」

 セーニャ言葉は女性に対して効果的だったと言わざるを得ない。事実、女性は狼狽して宗一をまじまじと何度も見直しているのだから。だがしかし、それ以上に宗一は狼狽していた。

「え……? おま、何を言って……?」
「宗一、いいから落ち着け。深呼吸をして堂々とするんだ」
「いや、勇者って……勇者ってセーニャなんだろ!? 俺は付き人程度だってさっき言ったろう!? そもそも俺ではセーニャの様に……」

 女性に聞こえない程度に声を粗げて宗一はセーニャに詰め寄るが、セーニャは手を此方に向けて宥めてから言った。

「いいから落ち着け! いいか、今のネイゲアで一番繁栄しているのは我々エルフではない、人間達だ。だから私が勇者では色々不都合なんだ。しかし宗一、君は人間だろう? しかも光の素質をきちんと持っている。だから何の心配もいらない、落ち着いて勇者毅然とすればいい」

 そんな事を言ったって……と口ごもった宗一に女性は詰め寄り、じろじろと見定め始める。時折ふむ、ほう、と言葉が漏れるがそれでも納得出来ないのか、女性は宗一の方へ向き直る。

「そこの宗一とやら……貴様が勇者というのなら、その力を見せてみろ! 勇者の勇者たる所以をこの場で見せて貰おう!」

 そう言い放つと槍の穂先が真っ直ぐに宗一の胸へと向けられた。宗一の頬に冷や汗がするりと滑り落ちる。そして視線を槍先とセーニャを行ったり来たりと忙しなく動かして途方に暮れた。

(その力を見せてみろって……戦えって事か? いやいや無理無理、向こうに見えるオークみたいな惨状になるのがオチだろ……セーニャ、どうにか助けてくれ!)

 宗一の心の慟哭に反応したのか、セーニャはうむ……と軽く頷いて宗一に私に任せておけ、と囁いた。

「いいだろう、宗一……お前の力をそこの女に見せてやれ!」

 手振りを大きく振り、大見得を切るように言い放ったセーニャを見て宗一は本日何度目かの血の気が引く音を感じた。

「で、出来るわけないだろ! 死ぬ、絶対に死んじゃうって! あんな訳の解らない呪文だか魔法だかくらってみろ! 肉塊を通り越して挽き肉になっちゃうよ!」
「……それがお望みならばそのようにしてやろう……っ!」
「止めろ! 俺はこれっぽっちもそんなこと望んでない! いいからそっちは少し黙ってくれ! ちょっとタイム、ターイム! おいセーニャ、ちょっとこっち、こっち来い!」

 宗一は構える女性を片手で制し、残った手でセーニャを引っ張って女性から距離を取った。女性は勢いに圧されたのか構えた槍を訝しげにまた下げる。

「無理、無理だから! セーニャさん、力を見せろって言われても俺は戦ったことも無いの! あんなの相手にできるかっ!」
「……宗一、勘違いをするな。力を見せてやれと言ったのは違う形でだ。何もあんなのと戦えなどとは言ってはいない」
「それならどうしろって言うんだ。力って言っても自慢じゃないが俺の体力は並かそれ以下だぞ……」

 そう言った宗一の言葉尻が小さくなった。事実、宗一自身は元の世界でも突出した力などは無かったからだ。身体をまともに鍛えた経験も無い自身では、実践経験が豊富そうな女性に敵いそうも無いだろう。

「……思い出せ宗一、君には力があるだろう?」
「無いよ、何も無い。ましてやあの女が放ったとんでもな力なんて望むべくも無い……俺に出来る事と言ったら……あっ!」
「そうだ、思い出したか。君には光の顕現者の証でもある勇者の資質がある。君は自覚が無いかもしれないが、このネイゲアで勇者の資質を示せる者など他には居ない!」
「……いや、セーニャも出せるじゃないか!」
「私の事は置いておけ、暫くは隠し通すつもりだからな。よし、決まったな。では行くぞ!」

 宗一は引っ張ってきたセーニャの手に今度は逆に引っ張られて行く。向かう先は当然待ち構える女性の前であるが、宗一はまるで絞首台に上がるが如くの足取りの重さを感じた。女性が自分の力に納得すれば良いが、納得しなければ……と泳いだ視線の先には肉塊と化したオーク達の遺体が無惨に転がっている。

「ほう、覚悟は出来たようだな! では、いざ……」
「待て、おいちょっと待って! つまり君は勇者としての俺の力を見たいんだろう? 今その目に見せるから、大人しくしててくれ!」

 その言葉に女性はまた槍を下げるが、何度も繰り返されているからかその表情は不満げに見える。しかし宗一はそんな些事には目もくれず集中し始めた。

「……はぁぁぁぁぁぁぁ…………出ろぉぉぉ、出てくれぇぇぇ! 光ってくれぇぇぇ! 俺の身体よぉぉぉ光れぇぇぇぇぇーーーーーっっ!」

 それは呻き声とも見分けがつかぬ言葉だったがやがて叫びとなって辺りに木霊する。宗一は自身の胸に熱が集まっていくのを感じたが、それが光となって現れているのを願っていた。

「…………うるさいっ!」
「ぷぎゃっ!」

 ぼこっという可愛い擬音ではなく、正しくは鉄塊で叩かれたようなゴンッとした音が響く。女性が宗一を槍で叩いたのだった。

「いったぁ、お前……いってぇぇーーーっ!」

 余りの痛さに宗一はゴロゴロと頭を抑えながら転がり続ける。火花が飛んだとも言えるその衝撃は宗一の頭に大きな瘤を作ったほどである。

「さっきから言葉だけではないか。やはり貴様等は怪しい、ここで切っておいた方が良さそうだ……」
「……ふんっ! 全く人間はせっかちでいかん。宗一、ほら立て! 立ってこいつにお前の力を見せてやれ!」

 転がり続ける宗一の手を掴むと、セーニャはぐいっと引き起こしてそのまま宗一の身体を支えた。宗一は未だに痛みで苦しんでいたが、最後の力を振り絞って集中した。すると微かながらに宗一の胸の辺りが淡い光を滲ませた。

「なっ!? これは光の資質……貴様、まさか本当に……勇者、なのか?」
「だからこの男、宗一が今世の勇者だと言っているだろう! 先程からの我等に対する振る舞い、無礼だぞ!」
「いや、しかし……これは余りにも……光が弱いというか……薄いというか……勇者ならもっとこう、ばぁーっと景気良く光ったりしないのか? いや、実際に見たことは無いが……」
(光が薄いのは仕方がないだろ! 俺の隣にいるセーニャが勇者なんだから!)

 それから女性は暫くうーむ、と唸っていたがやがて自身の中で折り合いがついたのか、宗一達に向かって一礼をした。

「先程は失礼した。まさか本物の勇者殿が私の前に現れるとは思ってもみなかったものでな。私の名はエカテリーナ、リーナと呼んでくれて構わない」
「うぅ……まだ頭が痛い。俺の名前は宗一。俺も呼び捨てで構わない。よろしく、リーナ」
「私はセーニャ・クイン。クインの里で生まれたエルフだ。セーニャと呼んでくれ」

 三人は各々が頭を下げて自己紹介をした。ただし宗一は未だに頭をすりすりと擦りながらだったのだが。

 それから三人はお互いに見知った情報を交換した。宗一の事、黒い騎士の事、この森の異変の事、様々な情報を交換したが、本物の勇者がセーニャであるということは二人共黙っていた。

 その話し合いの中で二人はリーナからこんな事を聞いた。曰く、自分が王国出身の騎士団の一人だということ、最近各地で暴れまわる色々な種族が出没している事、今回の出兵はその一部の鎮圧の為だという事。

「それで二人はこれからどうするつもりだ? 見たところ野営の準備も無いようだが、はっきり言ってこの辺りは最早安全では無い。見ての通り自我を失ったオーク共が闊歩している状況だからな。此方としては出来れば光の資質を持つ宗一を保護したいのだが……」
「いや、私達は一度私の里へと戻るつもりだ。宗一は人間なのだからそちらの言い分も勿論理解できるが、勇者とは生きとし生ける者全てにとって勇者である。先ずは私の里に挨拶に行かねば私も里へ向ける顔が無くなる」

 リーナの此方を伺うような言葉にセーニャは事も無げに言葉を返した。

「……宗一はどう思う?」

 そう聞いたリーナに宗一は一呼吸置いて答えた。

「リーナには悪いけど、俺はセーニャに着いて行くよ。助けられた借りも返せて無いしな」

 ははは、と笑いながら答えたが宗一には違う考えが浮かんでいた。そもそも本物の勇者はセーニャなのだ、自由に出せないちっぽけな豆電球の様な光が現れるからといってこのままリーナに着いて行っても破滅の未来しか見えない、と。

「……そうか。宗一がそう言うなら引き止めはすまい。しかし私達の騎士団はコサンド村の近くを駐屯地としている、何かあったらそこで私の名前を出してくれれば多少の融通が利く筈だ」
「あぁ、分かった。必ず寄らせて貰うよ」
「……宗一、ではそろそろ私達は行こうか。リーナ、ここで君に会えたのは僥倖であると思う。君とはいずれまた会う事になるだろう」
「……勇者は生きとし生ける者全てにとっての勇者である、この言葉を返すようで気が引けるが、宗一という勇者の存在は魔王の居ないこの世であっても希望そのものだ。死なせるなよ?」
「そのような事はリーナに言われなくとも充分に心得ている。私が居る限り宗一をみすみす死なせる真似はしない。それはこの私が固く誓おう」

 セーニャとリーナがお互いに頷きあって言葉を交わすが、それを尻目に宗一の頭の中では一つの言葉がぐるぐると回っていた。

(え、魔王……いないの? リーナが今、魔王の居ないこの世って言ったよな?)
「さぁ宗一、いつまでそこでぼーっとしているんだ。早く進まないといつまで経っても私の里には着かないぞ!」

 言い終わるや否やセーニャは宗一の手を引いて歩き出した。宗一もそうして手を引かれるままに身体を任せようとしたが、リーナが宗一と行き交う寸前そっと手で宗一の頭を撫でる。

「……先は槍で叩いて悪かった。宗一、君が勇者だというのなら私はまた君に会いたい。その日が来るまで……死ぬなよ?」

 そう言って最後にぽんっと宗一の頭を軽く叩いた。リーナの背丈は宗一より高く、切れ長な目元にショートに纏めた黒髪が宗一の目には大人を感じさせるのに充分であり、また誇張が激しい胸元もその要因の一つであった。

「あ、あぁ……頑張るよ」

 脊髄反射の様に取って付けた返事が口から出たが、宗一はそのままセーニャの手に導かれながら歩いていった。そうして数分も歩くと振り返ってもリーナの姿を確認することができないほど距離ができていた。

(俺はいつかまたリーナに会うことがあるのだろうか……)

 宗一はふと浮かんだ気持ちを浮かべたまま後方を見据えた。槍で無造作に叩かれたとはいえ、この見知らぬ世界では二人目の知り合いでもあるし、自分を保護してくれるとまで言ってくれた人だ。会えるものなら、また会いたい……そんな想いが宗一には根付いていた。

 暫く二人は手を繋いだまま森の中を進んでいく。道中はぬかるんでいたり、触っては危険な植物があってはいけないとセーニャが笑って言ったが、道は通れる程度には整っていたので、それはセーニャの言い訳に思えた。それでもその手を離さなかったのはセーニャの手から感じる温もりがこのネイゲアという世界で宗一が久方ぶりに得られたものだからであろうか。

 二人の周りに起きる木々の葉が擦れて鳴らすざわめきも、時おり聞こえる小鳥の囀ずりも現代社会のコンクリートに囲まれた中で生きてきた宗一には新鮮に聞こえた。

「……丁度良い枯れ木があるな。これなら二人共座れるだろう。宗一、少し休憩しないか?」

 宗一は何も言わずに頷き、セーニャに促されるままに腰を降ろした。そして深く呼吸をして尋ねた。

「なぁ、本当に俺が勇者だなんて言ってしまってよかったのか? 何だかリーナを騙したみたいで気が引けるんだが……」
「なんだ、そんな事を気にしていたのか? 嘘は言っていないし、宗一にだって立派な資質があるんだ。もっと気を楽にするといい」

 セーニャは宗一の肩をぽんっと励ますように軽く叩いて言葉を続ける。

「それに先程も言ったが、出来れば他種族に私が勇者だと知られるのは……避けたい。そうだな、宗一はこの世界を余り知らないだろうから少し説明しようか……」

 それからセーニャはこんこんと説明を始めた。それを宗一は自分なりに噛み砕いて整理していく。

(……つまり、この世界では他種族間での交流はあれど種族間の垣根を越える程親密では無いってことか? 種族は多々あれど、中でも大きく繁栄しているのが人間達らしい……)
「どの種族にしても自らの種族から勇者が出たとなれば種を挙げて奉り上げるだろう。魔王という勇者の対となる存在もいないしな、もしかすると勇者を使って他種族を制圧するところも出てくるかもしれない」
「それって尚更俺が勇者だと言わない方が良かったんじゃ……」
「……まぁ待て、話には続きがある。誰かの口から口へと何十年と渡り歩いた勇者と魔王の存在。私達エルフの里にも口伝として二つの存在は語り継がれている。それほど長い間勇者と魔王は現れなかった訳だ」
「……そうなのか」
「そうだ。そして私は前に言ったな? 今現在、この世で一番繁栄しているのは人間達だと。その起こりは勇者と魔王……二つの存在が噂でしか語られなくなった頃から始められた魔石の研究が大きく影響している」
「魔石……」
「リーナの格好を思い出してくれ。おおよそ甲冑とは言えない格好だったが、胸元に緑色に光る石を見ただろう?」
(……過激な格好に気をとられていたが、思い返すとリーナの胸元には確かにあったような……)

 宗一の脳裏にリーナの身体が浮かび上がる。健康的に締まった四肢を惜しげもなくさらけ出した格好は確かに甲冑とは思えなかった。しかしよくよく思い出してみれば、リーナのふくよかな胸元には緑色の石が大袈裟に付けられていたかに思える。

「…………ふんっ!」

 セーニャは荒い鼻息と共に宗一の頭を勢いよく叩いた。ぽこっと可愛らしい音で宗一が慌てて我にかえる。

「君はあれだな、すけべというやつだな! 全く人間という種はすけべでいかん! 年中発情期とは噂で聞いた事があるが……まさかここまでとはな! 鼻の下を伸ばして締まりの無い顔を晒して情けないぞ!」
「あ、いや……魔石を思い出していたんだよ。セーニャの誤解だよ誤解っ!」
「魔石に興奮していたとでもいうのか? 宗一はとんだ変態さんじゃないか! 全くもう、いいか……話を続けるぞ?」

 セーニャはそう言って此方に向き直した。

「人間達は魔石の研究し、それによって魔法の技術が革新的に向上した。私達エルフも魔法を使うが、それは自然の力を借りてやっと使えるものだ。しかし人間達は魔石の力を借りて我等、いや……どの異種族をも超える力を手にしたんだ」
「……つまり?」
「エルフで勇者だというのはその人間達の地位を脅かしかねない。私が光の資質を持つ勇者だと知れ渡れば、人間達は直ぐに私を捕らえに来るだろうな。捕まえた後は投獄か、それとも……」
「いやいや、そんなまさか……」
「そうなるとも。宗一、君も直に痛感するだろう。このネイゲアで生きるという事がどういうことなのかを……」

 セーニャが神妙な顔で頷く。宗一は一呼吸置いてから言葉をかけた。

「だけど随分詳しいんだな、前に言っていたけどセーニャって人間を見たのは俺が初めてなんだろう?」
「……その通り、私が人間を見たのは初めてだぞ。だけど私達の里には色々なエルフが居るんだ。人里に降りるのも居ればひたすらに森の奥に籠り続ける者も居る。皆がそれぞれの考えで里を守る為に動いている。だから里に居ても色々な情報が入ってくるんだ」

 宗一はへぇ……色々あるんだな、と相槌を打ってから上を見上げた。森が織り成す緑の天幕が頭上を覆っており、涼やかな風が頬を撫でた。そう、とにもかくにも今は休憩時間である、宗一は誰に言われるでもなくゆっくりと目を瞑った。

 しかしその瞬間、ずんっと重く大きな音が何処か遠くから鳴り響いた。それは宗一達の耳に届くだけではなく、座っている枯木を震わせる程の震動を伴っていた。

「な、なんだぁ!?」

 宗一の声に反応するようにもう一度ずんっと響く、但し今回は先程より大きい。いや、近付いているのだと宗一は直感した。

「な、なぁセーニャ、何かまずくないか!? 何かが近付いてくる感じがするぞ!」
「確かに向こうの方から何かが近付いてくる感じがする。宗一、いつでも走れる準備をしておけ!」

 セーニャの言葉に宗一は頷き、いつでも走れるようにと体勢を整えた。しかしその僅かな間にも音が震動を連れて近付いてくる。するとセーニャは器用に木をするすると登っていき、音の鳴る方に顔を向けた。

「どうだ? 何か見えるか!?」
「……あれは、リーナだ! エカテリーナが何かに追われて此方に走ってくる!」
「リ、リーナ!? リーナとはさっき別れたばっかだってのに一体どうして……それで、リーナは何に追われているんだ!?」

 宗一はそう言ってからセーニャを見上げると、セーニャは首を振って答えた。

「正直、私には分からない……オークに見えるが、いくらなんでも大きすぎる。オークと言えばがっしりとした頑健な体型が特徴だが、あれは恰幅だけではなく、私達の身長をも軽く超えている。私はあそこまで大きいオークなんて見たことも聞いた事も無い」

 慌てた様子も無くセーニャはそのまま音の鳴り響く方に目を凝らす。すると次第にセーニャの額には皺が寄って行き、苦々しく言い放った。

「しかしリーナの奴め、私達の事を知ってか知らずか真っ直ぐに此方へ向かって来るぞ。このままでは私達もあの化け物じみたオークに見付かってしまうだろう」
「……それで、オークに追い掛けられてるリーナの様子はどんな感じなんだ?」
「うーむ、どうもリーナの旗色はよろしくない。あんな体格のオークが出鱈目に手を振り回すだけでも此方からすれば丸太を振り回されているようなものだからな。それをまともに受ければ例え槍の柄で受けても身体ごとぶち折られるだろう」

 宗一の脳裏にセーニャが口にした通りの嫌な映像が浮かび上がる。セーニャの口振りからすると、いずれはそうなるのが目に見えているとでも言いたげだったからだ。先程別れたばかりの女性が、今正に命の危険に晒されている。その考えに宗一はぶるっと身震いを感じたが、震えた身体と及び腰な自分を治める為に握り拳をぐっと固める。宗一はそうして固めた拳と意思をはっきりと大声で口にした。

「セーニャ、君の言う通りにリーナが危険なら……俺はリーナを助けたい! でも、俺には正直どうしたら助けられるかわからない……だから力を貸してくれ! 頼む、セーニャ!」

 口振りにしては頼りないその言葉に少し微笑みながらセーニャは言葉を返した。

「……ふふ、良い顔をしているな。いいだろう、では私達で少しリーナを助けてやろうじゃないか!」

 セーニャは木に登ったまま大きく息を吸い、リーナの方へ向けて叫んだ。

「リーナッ! 聞こえるかリーナッ! 格好を付けて別れた割りにはまたこうして直ぐに会うことになったようだな! いいか、そのまま私達の方へ真っ直ぐに走ってこい! ここに来るまでに後ろのノロマに捕まるようなヘマをするなよ!」

 そしてセーニャは手近な木の実をもぎ取り、素早く真上に投げ放った。ぐんぐん昇っていく木の実はそのままにしてセーニャはするすると木から降りてきた。

「なぁセーニャ、リーナはこっちに気付いてくれたか? それにあの木の実には何の意味が……?」
「あれか? 私としては一応この場所の目印のつもりなのだがな。リーナは私の言葉に反応して僅かながら顔を此方に向けていた。言葉が正確に届いていたかは不明だが、おそらくあのオークを引き連れて私達の方へ向かってくるだろう。ここまではいいな?」

 宗一はごくりと生唾を飲み込んで頷く。おそらく自分一人ではリーナを助ける事は出来ない。なので自分が今出来ることはセーニャの言うことをしっかりと守る事だけだと感じたからだ。

「私達にはあのオークに通用しそうな武器は無い。そして他には私の魔力を使うという手もあるが、魔石や魔具を介さない私の魔法ではあの巨体相手では致命傷を与えるのは難しい」
「へぇ、セーニャも魔法を使えるのか……」

 そう大した魔法では無いがな、とセーニャは笑った。

「では話を戻すぞ? 私達には武器は無いが……リーナにはある。あのオーク達を葬り去った技も持っている。だから私達はあの大きいオークをなんとか足止めをして、リーナに技を放って貰う。この策が単純且つ効果的だと思うが……宗一はどう思う?」
「足止めか……リーナと細かい打ち合わせが出来ないこの状況で成功するかな? いや、足止めに失敗すればリーナの命……それにおそらく俺達も襲われるだろうし、成功だのなんだのそんな事を言ってる場合じゃないよな! やってみよう!」
「よし、大筋は決まったな。では私は直ぐに準備に掛かるから宗一は荷物を纏めて少し待っててくれ」

 セーニャは宗一の返事を待たずに森の中へと消えていった。宗一はそれを見届けると言われた通りに多くはない荷物を纏め始めた。

 威勢良く啖呵を切ったのはいいものの、宗一はセーニャ頼るしかない自身を不甲斐なく感じた。だが自身の知識もこのネイゲアでは役に立たちそうになく、これも仕方が無い事と割り切ってセーニャの帰りを待つ。しかしその間にも二人を脅かす驚異は轟音と大地を揺るがす振動を伴って確実に迫っている。その現実感の無い恐怖を肌身で感じる度に冷やりと背中を伝う汗だけが唯一このネイゲアで宗一に自身の存在を感じさせていた。
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