旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう

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本編

第十七話 結花先生の写真

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「どっちの写真が良いと思う?」

 選挙ポスター用に撮った写真を机の上に並べ、首をかしげてみせた。告示はまだまだ先だけど、あれこれと細かい選挙に向けての下準備は水面下ですでにスタートしている。こういう時に東京に近い議員は有利だよねとは、宮崎選挙区の日高ひだか先生のお言葉だ。

「そうですねえ……私は左上の写真が良いと思うんですが」

 私と並んで写真を見下ろしていた杉下すぎしたさんが、首をかしげながら左上の写真を指さした。

「僕もかなめちゃんと同意見かな」

 顎に手をやりながら杉下さんの向こう側で写真を見ているのは、父の秘書をしている竹野内たけのうちさん。次の選挙で私が無事に当選すれば、私の政策秘書になってくれる予定の人だ。

「皆そう言うのよね、他の三枚と何が違うのかしら」

 同じ日に何枚も撮った写真のうちの一枚を選び出す作業って意外と面倒くさい。見れば見るほどどれも同じじゃないのって気分になってしまい、なかなかこの写真でという決め手が見つからなかった。事実すべてが私の顔なんだから、どれを選んでも間違いじゃないんだものね。

霧島きりしまさんはどれが良いって言ってました?」
「見せてないわよ」

 私の返事に杉下さんと竹野内さんは驚いた顔をした。

「え?! だって昨晩はお会いになったんですよね?」
「会ったわよ」
「まさか見せる暇がないぐらい、他のことに熱中していたんじゃないよな?」
「そんなことはありません。今日もお互いに仕事だから、食事をして早々にそれぞれの家に帰りました」

 うちの父親と一緒にしないでほしい。

「食事をしていた時に見せなかったんですか? たしかお座敷で個室でしたよね?」
「どうしてこんな写真を見せなきゃいけないのよ。見せたらなんて言われるか」
「こんな写真て……」

 選挙ポスターを見たことのある人なら分かると思うけど、誰も彼もが同じような笑顔を浮かべて写真に写っている。そしてそのお揃いの笑顔がずらりと掲示板に並ぶ光景って、ちょっとしたホラーじみてない?

「これを撮る時、どんだけ我慢したと思ってるの? もうちょっと顎を引けだとか、上を向けだとか右を向けだか。いやになっちゃう。しかもずーっと笑顔でだなんてもう無理、顎が痛くなっちゃった。今回のことでずーっと同じポスターを使い続ける先生の気持ちが分かったわ」

 たまに何十年も同じポスターを使っている先生がいて「ええ?この先生のポスターはこのままで良いの?」なギャップに驚くことがある。

 だけど今回のような写真撮影の経験してみると、それほど変わらなければ、使いまわしでもかまわないわよねって気分になるのもうなづける。とにかく、私達はモデルでもなければアイドルでもないってことだ。うちの父親は、よくもまあそんなことを何十年も続けてきたものだと、改めて尊敬してしまった。

「ですが短い期間でも、選挙区で大勢の人の目にとまるものですからね。ちゃんと自分で納得できるものを選ばなければ」
「私にはこの四枚の写真の違いがまったく分からない」
「分からないなりに、自分が気に入ったものを選べば良いんじゃないかな。結花ゆいかちゃんはどれが良いんだ?」
「そうねえ……」

 胡散臭うさんくさい笑顔を浮かべてこっちを見ている自分の写真を見比べた。

「……やっぱり左上?」
「だろ? じゃあ決まり。この写真でポスターの製作をすることで決定だ」

 自分でも、どうしてその一枚を選んだのかいまいちよく分からないまま、選挙ポスター用の写真が決まった。

 じゃあ決まったからさっさと印刷をして、ペタペタ貼れば良いのかと言えばそうじゃない。当然のことながら、告示されるまでは貼ることは許されない。じゃあ告示後は貼り放題かっていうと、これもまたそうでもない。

 立候補の届け出をして、選挙管理委員会からいわゆる選挙七つ道具なんてものが渡されるわけで、その時にポスターやチラシに貼るシールタイプの証紙というものを受け取る。その証紙を貼らないと、ポスターやチラシは貼ることも配ることも許されないのだ。これを悪しき慣例ととらえるかどうかは、それぞれの考えにもよるところだけれど、一枚一枚貼っていくのは、非常に手間のかかる作業であることには違いない。

「ほんと、やることは山のようにあるのに、ポスターの写真選びだけですでにうんざりね」

 印刷の手配が済んだところで溜め息をついてしまった。

「そんなことを言って。だったら結婚式の写真はどうするんだい? あれだってかなり大変だぞ? なあ、かなめちゃん」
「それとこれとはまったく違うわよ」
「いいえ先生。結婚式の前撮りをする方が、今回の撮影よりもずっと過酷で大変です」

 経験者の杉下さんが重々しく宣言する。

「過酷……」
「ドレスのドレープが一本足りないとか、ベールの角度がどうのこうのとか。こだわるカメラマンさんなら、ブーケの花の角度からリボンの位置にまでこだわって、うるさく注文してきますからね」

 どちらが主役か分かりませんよと憤慨した口調で言った。

「……それって杉下さんの経験から?」
「はい」
「……なんだか一気にマリッジブルーが押し寄せてきそうな気分になってきた」
「おいおい。ブルーになっている場合じゃないぞ、その前に選挙なんだから。ブルーになるのはそれからにしてくれ」
「それ酷いですよ、あきらさん」
「でもかなめちゃん、俺達の生活もかかってるからな」

 竹野内さんにそう言われて杉下さんは考え込んだ。

「そうですね。うちは旦那さんが働いていますけど、竹野内さんは一家の大黒柱ですものね。先生、ブルーになるのは選挙が終わってからにしましょう」
「ちょっと杉下さん」

 あの選挙区から出ると決めてから、杉下さん達から父親と同じような扱いを受けるようになってきたのは、気のせいだろうか?

「ねえ」
「なんでしょう?」
「次からのポスター、しばらくは今年のものを使い回ししない? 経費削減で」

 もちろん即効で却下されてしまったのは言うまでもない。


+++++


「へえ。それは是非とも見てみたかったな」
「イヤよ、あんな胡散臭うさんくさい笑顔の写真なんて」

 写真の話をすると、霧島さんはさっそくその写真を見たがった。

「一ヶ月の研修の間、宿泊先のホテルに飾っておこうと思ってたんだが」
「だからって何でその写真なの? だめだめ、あれは選挙用の顔をしているから駄目」
「それは残念だな、すました顔の君もなかなか可愛らしいんだが」
「そんなこと言っても渡さないから」
「ふーん……」

 霧島さんは気のない返事をしながら、体を起こして私にのしかかってきた。

「だったら、こういう時の君の写真を撮らせてもらっても良いかな? かなりプライベートな写真だから、飾ることはできないが」

 そう言いながら、ゆっくりと熱くなったものを押しつけてくる。

「この変態。そんな写真が流出したらどんな騒ぎになると思ってるの?」
「駄目か、残念」
「当り前です。シシャモ会議の時の写真で我慢なさい」

 その写真は、霧島さんが我が家のシシャモ同好会に入会して、二度目の会合で撮った写真だった。自分で言うのもなんだけど、完全にプライベートな時間だったからかなりリラックスしていて、随分と可愛らしく撮れていたのではないかと思っている。

「そしてあの写真を見ながら、俺は毎晩のようにシシャモの禁断症状に苦しむわけだな」
「恋しいのは私じゃなくてシシャモなわけね」

 なんだかちょっと腹が立ったので、押し入ってこようとした彼のものを片手で掴んで動きを阻止した。そして意地悪い笑みを浮かべながら、戸惑っている彼の顔を見上げる。

「おい」
「私じゃなくてシシャモちゃんに愛してもらったらいかが?」
「君のこともシシャモのことも愛しているが、シシャモはこんな風に俺のことを愛してはくれないだろ?」

 霧島さんは、自分のものを掴んだ私の手の上に、自分の手を重ねてきた。そしてそのままゆっくりと動かす。

「でも禁断症状が出るのはシシャモの方なんでしょ?」
「ああそうだな。君のことは、出発直前までしっかりと食いだめしてから渡米するつもりだから、何とかなるだろう」

 そしてニヤッと笑った。

「というわけで、俺があっちにいくまでは、しばらくここに通いつめてもかまわないかな、先生?」
「通いつめるって……そのう、毎晩ってこと?」
「そういうこと」

 自分のものを握っていた私の手を離させると、そのまま胎内へと入り込んでくる。

「もちろん翌日が仕事の時は配慮させてもらう。俺だって仕事だからな」
「どのぐらい、配慮してもらえるのかしら……?」

 体の中で彼のものが動くのを感じて、うっとりとしながら見上げた。

「夜はしっかりと寝かしつけ、朝はすっきりと目が覚めるように御奉仕させていただく、とか?」
「それって霧島さんの体でってこと?」
「何てことを言うんだ、先生。破廉恥はれんちだぞ?」
「あら、違うの? 私てっきりそうだと思って期待しているのに」

 そう言いながら足を霧島さんの腰に絡める。そうすることでさらにに彼のものが深く入り込んできた。

「でもそんなことを一ヶ月も続けていたら、渡米する前に貴方の体力が尽きてしまうって言うなら仕方がないわね。大人しくしていてあげても良いわよ?」
「ほう。それは俺に対する挑戦だな?」
「私は親切心から申し出てあげているだけ。せっかくのアメリカでの研修だもの。あっちに行くまでにクタクタになっちゃったら困るものね」

 無邪気な笑みを浮かべて見せると、彼は楽し気に笑う。

「俺がその程度でくたばるような男だと思われているとはな。では先生、今夜から試してみようじゃないか。俺がクタクタになるのが早いか、君が音を上げるのが早いか」
「今夜、から?」
「ああ、今夜から。先ずは寝かしつけるところからだな」

 そう言いながら、それまでゆるゆるとした腰の動きを力強いリズムへと変えた。

 寝かしつけると言われたから、もっと優しく愛されるものだと思っていた。まさかそれが、意識を飛ばして気を失うようにして寝ることだったなんて。しかも朝もあんなに激しく愛されて起こされるだなんて、ちょっと予想外。

 もちろん、見える場所にはキスマークをつけないという徹底ぶりには感心したけれど、見えない場所に関しては関知いたしませんという態度は、いかがなものかと思うのだ。


+++++


 それから一ヶ月、梅雨入り宣言がそろそろ出そうだとテレビで言われ始めた六月初旬、霧島さんを含めた数名の警察官達が、研修のために渡米した。そして私の方はいよいよ夏の総選挙、夏の陣が始まる。


 え? 一ヶ月間の勝負はどうなったかって? もちろんお互いに譲らずで不本意ながら引き分けです。
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