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本編
第十五話 たまには違うカクテルにしませんか
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自宅療養期間も終わり、私と霧島さんは再び、夜のバーでデートを重ねる元の生活に戻った。そして今夜もいつものようにカクテルを飲む私の横で、銀縁眼鏡のSP様は怖い顔をしてあれこれとお説教をしている。
「こっちの仕事中に、流し目をよこしてくるのはよせ」
「私は何もしていません。貴方が自意識過剰になっているだけでしょ?」
私の返事にますます怖い顔になる。
「嘘をつくな嘘を。今日だって、廊下ですれ違う時にさりげなく触ってきただろ」
怖い顔で睨んでくるけれど、その手の脅しが私に効かないことは、彼だって十分に承知しているはずだ。
「気のせいでしょ? あそこの廊下は狭いんだもの。貴方達みたいな大男が横並びにぞろぞろ連れ立って歩けば、イヤでも擦れ違う時に体の何処かが触れるものよ。それがイヤなら縦一列になって隅っこを歩くことね」
まあ確かに偶然とは言え、お尻に手が触れちゃったのはまずかったかしらね?と心の中で呟く。でも、あくまでもその件に関しては偶然の産物だ、誓ってわざと触れたわけではない。
「そんなことをしたら警護にならないだろうが」
「だったら諦めなさい。貴方達のために立ち止まって道を譲るほど、こっちはヒマじゃないんだから」
私の言葉に彼は溜め息をついた。
「疑ってるの? 私は仕事とプライベートをごっちゃになんてしません。いくら貴方のお尻が魅力的でもね」
「そうだと良いんだがな」
「当たり前でしょ。来年は父の選挙区から出馬することになるんだから、お行儀よくしなきゃ」
グラスを口にした動きが止まった。そしてこちらを見る。
「出ることに決めたのか?」
「ええ」
親しい議員達は、何とか父親に引退を思いとどまらせようとしていたみたいだけれど、当然のことながら、父の妻孝行をしたいという気持ちを覆すことはできなかった。そういうわけで、夏から晴れて自由の身になる父親は、今から妻孝行と称した旅行をいそいそと準備している。
「父には、ゆっくり答えを出せば良いって言われていたけど、こういうことって色々としなきゃいけない事がたくさんあるし、今から準備を始めておかないと夏まであっという間だもの」
「そうか」
霧島さんはうなづくと、グラスの中身を飲み干した。そして私が手に持っているグラスを何となく見つめている。
「なあ、たまには別のカクテルを頼もうとは思わないのか?」
「これ? だっていきなり別のを頼んだら、マスターだって困っちゃうじゃない? 私の顔を見たら体が勝手に、スプモーニを作る態勢になっちゃうって言ってるんだもの。ねえ?」
カウンターの向こうに立っているマスターに同意を求める。
「それが結花さんのウェルカムドリンクみたいなものですからねえ。何かリクエストがあるならお作りしますよ?」
「貴方、何か飲みたいカクテルでもあるの?」
「……マスター、これを頼みます」
スーツの内ポケットからメモ書きを出した霧島さんは、私にそれを見せることなくマスターに手渡した。メモを読んだマスターは一瞬だけ驚いた顔をして、ニッコリと微笑んだ。
「おやおや、これをここで作るのは久し振りだな」
「そうなんですか?」
「何を頼んだの?」
「光栄ですよ、霧島さん。頑張ってください」
「柄にもなく緊張してますが」
「ねえったら私の質問に答えなさいよ」
私が霧島さんから答えを聞き出そうとしている前で、マスターは御機嫌な顔をして準備を始めた。パッソアにアマレット、ライチ。そしてこの匂いからして恐らくパイナップルのジュース、そしてグレナデンシロップ。何となくトロピカルな感じだし、色合いはオレンジっぽくて私の思い描く霧島さんのイメージカクテルじゃない。
「何だか分からないけれど、貴方らしくないカクテルね」
「俺らしくない? まあそうかもしれないな」
ますますわけが分からなくて、首をかしげながらマスターがシェイカーを振るのを眺める。そしてシェイクしたものをグラスに注ぐと、最後にマスターは珍しくベルローズをグラスに添えた。こんな花がお店に常備されていたことにびっくりしていたら、さらに驚くことに、マスターはそのグラスを私の前に置いた。
「? 貴方が飲むんじゃないの?」
「君にだ」
「私に?」
グラスを手にして中身をジッと見つめる。
「何か変なものが入ってるんじゃないでしょうね?」
「マスター、何か入れましたか?」
「レシピ通りにしか作ってないよ。それと……そうだな、あえて言うなら祝福の気持ちを少々、かな? じゃあごゆっくり」
マスターはニッコリと笑って、バックヤードへと引っ込んでしまった。
「ねえ、どういうこと?」
この時の私は、ものすごく胡散臭げな顔をしていたと、後に彼から聞くことになるのだけれど、それはまた別の話だ。
霧島さんは私の方を体を向けると、スーツのポケットにもう一度手を入れた。そして手を握りしめたまま私の前に突き出すと、大きく深呼吸をしてから真っ直ぐに私の顔を見つめる。
「そのカクテルの名前はプロポーズと言うらしい。そんな名前のカクテルがあること自体がビックリなんだが、色々と他にもあったんだ。ウエディングベルとかあれやこれや。だけどあまりアルコール度の高いものは君が苦手そうだからこれにした」
「プロポーズ……?」
「そう」
そして手のひらを上にして握っていたこぶしを開くと、そこには小さなビロードのケースがあった。霧島さんがフタをそっと開けると、控えめなお店のライトに照らされてキラキラと光る指輪が現われた。
「突発的な出来事が起きて、一週間という予想外の時間を君と一緒にすごした後に、色々と考えた。自分とはまったく生活スタイルの違う相手と、果たしてうまくやっていけるのかとか、仕事中に俺が殉職したらどうするんだとか、その他諸々のことも。だがそれからしばらく考えて、君がそばにいてくれれば、そんなことはどうでも良いように思えてきた。まあ後は、君が俺のことをどう思っているかってことなんだが、この数週間の態度を見れば聞くまでもないよな」
あまりにも大胆すぎて冷や汗が出たけどなと、霧島さんは苦笑いを浮かべる。
「それで? 先生、俺と結婚してくれるか?」
私は霧島さんの顔、そして彼の掌の中で輝いている指輪、そしてカクテルを順番に見た。
たしかにお互いに住んでいる世界がまったく違うから、一緒になっても上手くいかないかもしれない。それに私だってあの時のような事件が起きてもっと大きな怪我をして、下手をしたら命を落とす可能性が無いとも限らない。その時になって、彼と一緒にならなかったことを後悔する? しなかった後悔よりした後悔、よね? 何て言ったって、我が家の家訓の一つは後悔先に立たずだもの。
ただ、先手必勝をモットーとしている私としては、今回も彼に先手を取られてしまったのが実に悔しいけれど。
私は手にしたカクテルグラスに口をつける。たぶんマスターが私のために、いつものようにアルコールを控えめにしてくれていたせいだろう、むせることもなくグラスの中身はあっという間になくなった。そして左手を突き出す。
「何をそんな情けない顔をして待ってるの? さっさとその指輪をはめて私のことを捕まえたら?」
彼の名誉のために言っておくと、この時の彼は、決して情けない顔をしていた訳じゃないとだけは言っておこう。
「良いのか? これをはめたら二度と逃げられなくなるぞ?」
「あら、それはこっちのセリフ。私に指輪をはめただけで終わると思ってるの? それを私の指にはめたと同時に、貴方の首には私の名前が入った首輪がつけられることになるんだけれど?」
「君は本当に特注の首輪を持ってきそうで怖いな」
「それは良い考えね、ちょっと考えてみようかしら?」
婚約指輪は男性から女性に贈るものだけど、だからといって、女性から男性に何か贈ったらダメなんてことはないわよね? 首輪に近いもの、彼の仕事に邪魔にならない程度のネックレスならどうだろう? そんなことを考えながら、彼が左手の薬指に指輪をはめてくれるのを見つめていた。
「うちの父は母の手に指輪をはめるまで、六年かかったって言っていたけど、それを遥かに上回ったわね貴方」
「十三年越しだからな。ま、法的に結ばれるのはもう少し先になりそうだが」
「どういうこと?」
彼の言葉に首をかしげる。
「実はこのことに関しては、君には申し訳ないとは思ったが、事前に重光先生に相談した」
「父に?」
「ああ。政界のことを身近で見ていても、俺には内情までは分からないからな。そうしたら、来年の夏の選挙が終わるまで待ってやってほしいと言われたんだ、もちろん君がここでYESと言ってくれたらの話なんだが」
「お父さん、何を勝手に返事をしているんだか」
呆れてしまうと同時に、霧島さんからそんな話をされて、さぞかしびっくりしたでしょうねと愉快な気分になる。
「お父さんを責めるな。結婚式の準備が考えている以上に大変なのは、君だって分かっているだろう? そこに選挙への準備が重なったら、いくら元気な君でもへとへとになってしまうよ。重光議員はそこを心配していた。君だってげっそりやつれた花嫁姿なんて、本意じゃないはずだ。……少なくとも俺はそんなのはイヤだ」
反論しようとしたら先に制されてしまった。
「一生の思い出の写真がクマ付き花嫁なんて、イヤなんじゃないか?」
「まあたしかにね。貴方のために綺麗な花嫁になりたいわ、もちろん自分のためにも」
「だろ? だから結婚式は次の年の……」
「それは嫌」
この時の霧島さんの顔は、ちょっとした見ものだった。
「俺がいま話したこと、理解しているんだろうな?」
「分かってるわよ。だけど式を挙げるのは選挙が終わった年の秋、それ以上は待たないから」
「選挙が終わってから数か月で準備を整えるなんて、君のような立場の人間には無理な話だろう。準備期間が重なったら、何のために選挙が終わるまで待つのか分からないじゃないか」
「霧島さん、私が何歳か分かってる?」
「……たしか二十八?」
私の質問に、首をかしげながら霧島さんは答えた。
「そう。で、来年の冬には二十九歳になるのね。私、できることなら三十になる前にママになりたいの。ああ、別に根拠はないんだけれど、何となく昔からそう考えてたから。私は別に順番がどうなろうと知ったことじゃないけれど、国会議員としてはそれって問題でしょ? だから結婚式は来年の秋。できることなら私の誕生日、十一月七日までに挙げたい。そして二人で頑張って子作りするの。どう?」
「分かった分かった、先生のお望みどおりに」
一気にまくしたてた私の勢いに気圧されたのか、霧島さんはやれやれと首を振って笑う。
「だが準備はどうやって進めるつもりなんだ? 花嫁は色々と大変なんだろう? しかも君は国会議員だ」
「そこはなんとでも。うちには優秀な秘書がいますから」
「なるほどね」
杉下さんが苦労しそうだなと呟いた。その点は心配していない。というのも、父親の元で働いていた心強い秘書様達が、そろって私の元にやってきてくれるのだから。彼等がいれば不可能なことはないはずだ、多分きっと。
「しかし俺と結婚するとなると、君の可愛い秘書を雇ってお嫁さんにするという野望は、かなわなくなるんだな。そこはかまわないのか?」
思いがけない言葉にギョッとなる。
「ちょっと、それを何処で聞いたの?! 父親から? それとも母親から?!」
問い詰める私の顔を眺めてニヤニヤしている彼の顔に、パンチを食らわせたくなった。その代わりにとスーツの襟をつかんで問いただす。
「白状しなさい。一体、誰から、聞いたの」
「お言葉だが先生、小さい頃の君は、それを公衆の面前で大声で宣言して回っていたらしいぞ? つまりは情報源は君自身だ」
まったく……!! 小さい頃の私のお口にチャックをしてあげたい……。
「それとだ、君は俺に指輪をはめることは認めてくれたが、ちゃんとした返事をしてくれていないぞ」
「え?」
「もう一度たずねる。結花、俺と結婚してくれるか?」
茶化して答えようかと一瞬迷ったけれど、彼の顔が真剣だったのでこちらも真面目に答えることにする。
「ええ、霧島さん。私、貴方と結婚します。……ただし、式は来年の秋よ?」
そこは譲れないから。
「こっちの仕事中に、流し目をよこしてくるのはよせ」
「私は何もしていません。貴方が自意識過剰になっているだけでしょ?」
私の返事にますます怖い顔になる。
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「気のせいでしょ? あそこの廊下は狭いんだもの。貴方達みたいな大男が横並びにぞろぞろ連れ立って歩けば、イヤでも擦れ違う時に体の何処かが触れるものよ。それがイヤなら縦一列になって隅っこを歩くことね」
まあ確かに偶然とは言え、お尻に手が触れちゃったのはまずかったかしらね?と心の中で呟く。でも、あくまでもその件に関しては偶然の産物だ、誓ってわざと触れたわけではない。
「そんなことをしたら警護にならないだろうが」
「だったら諦めなさい。貴方達のために立ち止まって道を譲るほど、こっちはヒマじゃないんだから」
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「当たり前でしょ。来年は父の選挙区から出馬することになるんだから、お行儀よくしなきゃ」
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「ええ」
親しい議員達は、何とか父親に引退を思いとどまらせようとしていたみたいだけれど、当然のことながら、父の妻孝行をしたいという気持ちを覆すことはできなかった。そういうわけで、夏から晴れて自由の身になる父親は、今から妻孝行と称した旅行をいそいそと準備している。
「父には、ゆっくり答えを出せば良いって言われていたけど、こういうことって色々としなきゃいけない事がたくさんあるし、今から準備を始めておかないと夏まであっという間だもの」
「そうか」
霧島さんはうなづくと、グラスの中身を飲み干した。そして私が手に持っているグラスを何となく見つめている。
「なあ、たまには別のカクテルを頼もうとは思わないのか?」
「これ? だっていきなり別のを頼んだら、マスターだって困っちゃうじゃない? 私の顔を見たら体が勝手に、スプモーニを作る態勢になっちゃうって言ってるんだもの。ねえ?」
カウンターの向こうに立っているマスターに同意を求める。
「それが結花さんのウェルカムドリンクみたいなものですからねえ。何かリクエストがあるならお作りしますよ?」
「貴方、何か飲みたいカクテルでもあるの?」
「……マスター、これを頼みます」
スーツの内ポケットからメモ書きを出した霧島さんは、私にそれを見せることなくマスターに手渡した。メモを読んだマスターは一瞬だけ驚いた顔をして、ニッコリと微笑んだ。
「おやおや、これをここで作るのは久し振りだな」
「そうなんですか?」
「何を頼んだの?」
「光栄ですよ、霧島さん。頑張ってください」
「柄にもなく緊張してますが」
「ねえったら私の質問に答えなさいよ」
私が霧島さんから答えを聞き出そうとしている前で、マスターは御機嫌な顔をして準備を始めた。パッソアにアマレット、ライチ。そしてこの匂いからして恐らくパイナップルのジュース、そしてグレナデンシロップ。何となくトロピカルな感じだし、色合いはオレンジっぽくて私の思い描く霧島さんのイメージカクテルじゃない。
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「? 貴方が飲むんじゃないの?」
「君にだ」
「私に?」
グラスを手にして中身をジッと見つめる。
「何か変なものが入ってるんじゃないでしょうね?」
「マスター、何か入れましたか?」
「レシピ通りにしか作ってないよ。それと……そうだな、あえて言うなら祝福の気持ちを少々、かな? じゃあごゆっくり」
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「ねえ、どういうこと?」
この時の私は、ものすごく胡散臭げな顔をしていたと、後に彼から聞くことになるのだけれど、それはまた別の話だ。
霧島さんは私の方を体を向けると、スーツのポケットにもう一度手を入れた。そして手を握りしめたまま私の前に突き出すと、大きく深呼吸をしてから真っ直ぐに私の顔を見つめる。
「そのカクテルの名前はプロポーズと言うらしい。そんな名前のカクテルがあること自体がビックリなんだが、色々と他にもあったんだ。ウエディングベルとかあれやこれや。だけどあまりアルコール度の高いものは君が苦手そうだからこれにした」
「プロポーズ……?」
「そう」
そして手のひらを上にして握っていたこぶしを開くと、そこには小さなビロードのケースがあった。霧島さんがフタをそっと開けると、控えめなお店のライトに照らされてキラキラと光る指輪が現われた。
「突発的な出来事が起きて、一週間という予想外の時間を君と一緒にすごした後に、色々と考えた。自分とはまったく生活スタイルの違う相手と、果たしてうまくやっていけるのかとか、仕事中に俺が殉職したらどうするんだとか、その他諸々のことも。だがそれからしばらく考えて、君がそばにいてくれれば、そんなことはどうでも良いように思えてきた。まあ後は、君が俺のことをどう思っているかってことなんだが、この数週間の態度を見れば聞くまでもないよな」
あまりにも大胆すぎて冷や汗が出たけどなと、霧島さんは苦笑いを浮かべる。
「それで? 先生、俺と結婚してくれるか?」
私は霧島さんの顔、そして彼の掌の中で輝いている指輪、そしてカクテルを順番に見た。
たしかにお互いに住んでいる世界がまったく違うから、一緒になっても上手くいかないかもしれない。それに私だってあの時のような事件が起きてもっと大きな怪我をして、下手をしたら命を落とす可能性が無いとも限らない。その時になって、彼と一緒にならなかったことを後悔する? しなかった後悔よりした後悔、よね? 何て言ったって、我が家の家訓の一つは後悔先に立たずだもの。
ただ、先手必勝をモットーとしている私としては、今回も彼に先手を取られてしまったのが実に悔しいけれど。
私は手にしたカクテルグラスに口をつける。たぶんマスターが私のために、いつものようにアルコールを控えめにしてくれていたせいだろう、むせることもなくグラスの中身はあっという間になくなった。そして左手を突き出す。
「何をそんな情けない顔をして待ってるの? さっさとその指輪をはめて私のことを捕まえたら?」
彼の名誉のために言っておくと、この時の彼は、決して情けない顔をしていた訳じゃないとだけは言っておこう。
「良いのか? これをはめたら二度と逃げられなくなるぞ?」
「あら、それはこっちのセリフ。私に指輪をはめただけで終わると思ってるの? それを私の指にはめたと同時に、貴方の首には私の名前が入った首輪がつけられることになるんだけれど?」
「君は本当に特注の首輪を持ってきそうで怖いな」
「それは良い考えね、ちょっと考えてみようかしら?」
婚約指輪は男性から女性に贈るものだけど、だからといって、女性から男性に何か贈ったらダメなんてことはないわよね? 首輪に近いもの、彼の仕事に邪魔にならない程度のネックレスならどうだろう? そんなことを考えながら、彼が左手の薬指に指輪をはめてくれるのを見つめていた。
「うちの父は母の手に指輪をはめるまで、六年かかったって言っていたけど、それを遥かに上回ったわね貴方」
「十三年越しだからな。ま、法的に結ばれるのはもう少し先になりそうだが」
「どういうこと?」
彼の言葉に首をかしげる。
「実はこのことに関しては、君には申し訳ないとは思ったが、事前に重光先生に相談した」
「父に?」
「ああ。政界のことを身近で見ていても、俺には内情までは分からないからな。そうしたら、来年の夏の選挙が終わるまで待ってやってほしいと言われたんだ、もちろん君がここでYESと言ってくれたらの話なんだが」
「お父さん、何を勝手に返事をしているんだか」
呆れてしまうと同時に、霧島さんからそんな話をされて、さぞかしびっくりしたでしょうねと愉快な気分になる。
「お父さんを責めるな。結婚式の準備が考えている以上に大変なのは、君だって分かっているだろう? そこに選挙への準備が重なったら、いくら元気な君でもへとへとになってしまうよ。重光議員はそこを心配していた。君だってげっそりやつれた花嫁姿なんて、本意じゃないはずだ。……少なくとも俺はそんなのはイヤだ」
反論しようとしたら先に制されてしまった。
「一生の思い出の写真がクマ付き花嫁なんて、イヤなんじゃないか?」
「まあたしかにね。貴方のために綺麗な花嫁になりたいわ、もちろん自分のためにも」
「だろ? だから結婚式は次の年の……」
「それは嫌」
この時の霧島さんの顔は、ちょっとした見ものだった。
「俺がいま話したこと、理解しているんだろうな?」
「分かってるわよ。だけど式を挙げるのは選挙が終わった年の秋、それ以上は待たないから」
「選挙が終わってから数か月で準備を整えるなんて、君のような立場の人間には無理な話だろう。準備期間が重なったら、何のために選挙が終わるまで待つのか分からないじゃないか」
「霧島さん、私が何歳か分かってる?」
「……たしか二十八?」
私の質問に、首をかしげながら霧島さんは答えた。
「そう。で、来年の冬には二十九歳になるのね。私、できることなら三十になる前にママになりたいの。ああ、別に根拠はないんだけれど、何となく昔からそう考えてたから。私は別に順番がどうなろうと知ったことじゃないけれど、国会議員としてはそれって問題でしょ? だから結婚式は来年の秋。できることなら私の誕生日、十一月七日までに挙げたい。そして二人で頑張って子作りするの。どう?」
「分かった分かった、先生のお望みどおりに」
一気にまくしたてた私の勢いに気圧されたのか、霧島さんはやれやれと首を振って笑う。
「だが準備はどうやって進めるつもりなんだ? 花嫁は色々と大変なんだろう? しかも君は国会議員だ」
「そこはなんとでも。うちには優秀な秘書がいますから」
「なるほどね」
杉下さんが苦労しそうだなと呟いた。その点は心配していない。というのも、父親の元で働いていた心強い秘書様達が、そろって私の元にやってきてくれるのだから。彼等がいれば不可能なことはないはずだ、多分きっと。
「しかし俺と結婚するとなると、君の可愛い秘書を雇ってお嫁さんにするという野望は、かなわなくなるんだな。そこはかまわないのか?」
思いがけない言葉にギョッとなる。
「ちょっと、それを何処で聞いたの?! 父親から? それとも母親から?!」
問い詰める私の顔を眺めてニヤニヤしている彼の顔に、パンチを食らわせたくなった。その代わりにとスーツの襟をつかんで問いただす。
「白状しなさい。一体、誰から、聞いたの」
「お言葉だが先生、小さい頃の君は、それを公衆の面前で大声で宣言して回っていたらしいぞ? つまりは情報源は君自身だ」
まったく……!! 小さい頃の私のお口にチャックをしてあげたい……。
「それとだ、君は俺に指輪をはめることは認めてくれたが、ちゃんとした返事をしてくれていないぞ」
「え?」
「もう一度たずねる。結花、俺と結婚してくれるか?」
茶化して答えようかと一瞬迷ったけれど、彼の顔が真剣だったのでこちらも真面目に答えることにする。
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