旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう

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本編

第八話 本当に偶然?

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 霧島きりしまさんは、ルームサービスで朝食と私が頼んだ新聞の朝刊を手配すると、バスルームへと向かった。その後ろ姿を見送りながら、もう一度ベッドに誘ったらどんなことになるかしら?と想像してみる。一日中ベッドの中にいられたらと思いつつ、そんなことになったら、こっちの体力が持たないわよねと思い直した。

「ああダメダメ! それに今日は、昼から予定が入ってるんだから!」

 仕事を放り出してホテルに一日中こもるなんて、そんな無責任なことができるわけないじゃない、うちの父親じゃあるまいし。

「こういう思考が、父親に似ているって言われるところなのかしら?」
 
 そんなことを考えて微妙な気分になりながら、テレビをつけてベッドの上に座りメイク用品を広げた。

 本当は部屋に取りに行きたいものもあるのだけれど、着ていた服のボタンが飛んでしまったせいで、それすらできない。だからと言ってそれだけのことで、削ってしまった杉下すぎしたさんの家族の時間を、さらに削るのは申し訳ないと思い、今朝は手元にあるもので何とかすることにした。

「ふむ。老舗しにせのホテルともなると、アメニティグッズも馬鹿にできないわね」

 バスルームに置いてあったアメニティグッズの中には、メイクに必要な最低限なものはそろっているので、問題なさそうだ。それを使ってメイクをしている途中、霧島さんがバスルームから出る気配がして、クローゼットを開ける音が聞こえてきた。どうやら着替えは持ってきていたみたいだ。

「素顔のほうが可愛いのに」

 しばらくして、着替えを終えて戻ってきた彼が残念そうに言った。ふむ、いつもの黒っぽいスーツでないことよりも、眼鏡をかけていないところがものすごく新鮮。今の言葉、そのまま返してあげたいかも。

「あのね、仕事をしに行くのに、スッピンのまま人前に出るわけにはいかないでしょ? ただでさえ女性週刊誌では、服装がどうとか髪型がああだとか言われるのに」
「芸能人なみに大変だな」
「まったくよ。私達は見てくれで仕事をしてるんじゃないんだから」

 そうこうしているうちに朝食が運ばれてきた。メイクはしたもののいまだバスローブ姿の私は、ベッドルームにおとなしく引っ込んで、ホテルマンが部屋を出ていくのを待っておくことにする。

「それで本日の先生の御予定は?」

 しばらくして、新聞を読みながらオレンジジュースを飲んでいると、質問をされた。

「今日は、お昼から超党派の女性議員だけで、ちょっとした会合」
「議員先生達の女子会なのか?」
「まあ簡単に説明すると、そんなところね。与党野党どちらも、まだまだ男性社会でしょ? たまには党の垣根を越えて、あれこれ愚痴も言いたくなるのよ。だからこの会合だけは、党のわずらわしいしがらみがなくて気楽なの。その代わり話すことも可能な限り、政治絡みのことは避けるようにはしているの。やっぱりその辺りはお互いに譲れないこともあって、話題に上がるとギスギスしちゃうから」

 とは言え、対外的に愚痴り大会なんて言えるはずもないから、もっともらしい会合の名前をつけてある。そしてその会合の開かれる時間が昼からになったのは、家庭を持ちお子さんがいる議員のことを考えてのことだ。終わらせる時間も、普段の会合よりもかなり早めで、その点も同じ事情から。

「それが終わったら?」
「今のところは何もないわね、明日は日曜日でお休み。貴方のほうはそうでもないのかしら? たしか、伊勢谷いせたに先生は総理とゴルフじゃなかった?」
「君のお父さんも一緒だ」
「そうだった。三爺様の愉快な休日ってやつね」
重光しげみつ先生、きっとプレイ中も引退を思いとどまるようにうるさく言われて、今回は思うようなスコアが出ないだろうな」
「ああ、御機嫌斜めで帰宅する様子が目に浮かぶわ」

 ただ、父親の決意は変わらないだろうというのが、娘である私の予想だ。

 そして、杉下さんは予告時間ピッタリにやってきた。迎えに出た霧島さんから朝の挨拶をされても驚くこともなく、普段からそうしているかのようにおはようございますと挨拶をすると、私からルームキーを受け取って、一足先に私のとった部屋へと向かった。

「先生、もし都合がつくなら今夜の夕飯を一緒にどうかな」
「そうね、会合が終わったら連絡します。それで良いかしら」
「それでかまわない。無理なようなら遠慮なく言ってくれ。そっちの仕事が最優先だ」
「わかった。じゃあ」

 部屋を出ようとしたところで、腕を掴まれて引き止められ、振り向かされると同時にキスをされた。首に腕を回してキスに応じると、あっという間に濃厚なものになる。霧島さんが満足して離してくれる頃には、お互いに息が上がってしまっていた。彼の顔を見上げてクスリと笑い声が漏れる。部屋に戻ったら口紅を塗り直さなきゃ。

「口紅、部屋を出る前に拭き取るのを忘れないで」

 そう言って、霧島さんの唇を指でつつくと部屋を後にした。


+++++


「おや、重光先生じゃないですか。珍しいところでお目にかかりましたね」

 杉下さんと合流してフロントへ降りる途中、エレベーターで見知った顔と乗り合わせた。同じ党に所属する議員で満田みつだ先生。私より三期先輩の議員で、総理の椅子を見据えながら党内での基盤を固めようと、現在進行形でギラギラしている人だ。

「おはようございます、満田先生。こちらでお泊りだったんですか? それとも何か秘密の会合でも?」
「まあそんなところかな。そういう重光先生はどうなんだい? もしかして秘密の恋人と会っていたのかな?」
「まあ。秘密の恋人だなんて人聞きの悪い。私は独身なんですから、もし恋人でもできたら堂々と会いますよ」

 私と霧島さんのことに関しては、この満田先生がその中に含まれていないだけで、伊勢谷先生を始め知っている人にとっては既に今更なことだ。特に秘密にしているわけでもなく、現実問題としてお互いに仕事で忙しいから遅い時間にしか会えなくて、それがこそこそしているように見えるだけ。だけどこの先生はどうだろう? ちらりと杉下さんの方に目をやると、彼女は微かにうなづいた。あとでチェックしてみますということだ。

「満田先生こそ、国民の皆さんに言えないような悪巧みでも、しているんじゃありません?」

 もちろん冗談ですよと分かるような悪戯いたずらっぽい口調で、質問をしてみる。実際、この人はその手のことに関しては、清廉潔白せいれんけっぱくではある。今のところは。

「まさか! 僕はいつも、有権者には誠実でありたいと思っているよ」

 アハハハと、本人が言うところの爽やかな笑い声をあげると、こちらに流し目をよこした。

「ま、結花ゆいか先生とだったら、秘密の悪巧みをしてみたいところだけどね」
「あら怖い。私、そんなことをしたら、きっと父に叱られちゃいますわ」
「その大先生は、そろそろ引退を考えているって言うじゃないか」
「お耳が早いこと。ですけど、自分より先に引退して楽隠居だなんてけしからんって、仰っている先生もいらっしゃるから、どうなるか分かりませんよ」

 それは嘘ではない。現に伊勢谷先生はそう言って、父親にチクチクと文句を言っているらしいのだから。

 ポーンと軽い音がして、エレベーターが止まり扉が開いた。満田先生はうやうやしく頭を下げると、お先にどうぞと手を振る。

「ではお先に失礼します。週明けの国会でまた」
「今日は女性議員達の会合だったね。皆さんによろしく」
「はい。あ、そうだ。先生の奥様によろしくお伝えください。毎年うちの母の誕生日にお花を贈ってくださっているみたいで、先週でしたか綺麗なお花が届いたと母が話していました」
「ん、言っておくよ。では」

 一瞬だけ目が泳いだように見えたのは、気のせいだろうか。チェックアウトの手続きをして支払いを済ませると、地下駐車場に向かう。今日は杉下さん自身が車を運転してきていたので、彼女が運転席、私が助手席に座った。

「どう思う?」
「満田先生ですか? さっきのは結花先生に、仕事ではなくプライベートな意味合いで、粉をかけてきたという感じでしたね。いい加減に諦めればよいのに。まったくりない人です」
「既婚者の時点で論外なのに、何を考えているのかしらね」
「あの手の人の思考はまったく理解できません」

 なんだか変な粉が本当についてそうな気がして、急いで服をはらう。

「そろそろ、オフリミットの看板を立てておくべきかもしれませんね」
「そんな看板があるの?」
「まあ心当たりはあります。その前に……」

 杉下さんは車を出す前に、後ろのシートに置いてあった自分のバックに手をのばした。そして膝の上に乗せると、中からいつもの手帳を取り出す。

「昨晩は、主だった先生達の予定はそこそこ入っていたと思うんですが、満田先生との会合だなんて無かったような気がします」

 彼女はページをめくっていき、他の先生達の予定が書いてあるページを開くとうなづいた。

「やっぱり。あの先生と近しい人は、ほとんど他の予定が入ってますね。そりゃ、別の先生と突発的にというなら話は別ですが、宿泊用のバッグをお持ちのようでしたし、あの御様子からして、急に予定が入ったとは思えません。それに先生が奥様のことをおっしゃった時、明らかに挙動不審きょどうふしんでした」
「驚いた、そこまで見ていたの?」
「はい」

 あっさりと答える杉下さんに感心してしまう。

「夫に不審人物かどうかを見極めるポイントというのを、聞いたことがあるんですよ」
「あ、そっか。旦那さんって刑事さんだったわよね」
「まさか、自分にとっては無駄知識と思っていたものが役立つとは、思ってもみませんでしたけど」

 意外なところで役に立つものですねと言いながら、スマホを出して何処かにメールか何かを送っている。

「何してるの?」
「途中で知り合いを拾いたいんですが、よろしいですか?」
「私はかまわないけど……」

 公私混同こうしこんどうなんて彼女にしては珍しいことだと思っていると、すぐに彼女のスマホに返信が来た。それを読んでうなづくと、杉下さんは車のエンジンをかける。

 駐車場を出てしばらく走ったところで、歩道に誰か立っていた。それに気づいた杉下さんはスピードを落とし、路肩に車を寄せる。どうやら女性のようで、その人は車が止まるとさっと後ろのドアを開けて乗り込んできた。そして車は、何事もなかったように再び走り出す。

「おはようございます、重光先生」

 明るい声で挨拶をされて戸惑う。

「あー、えーと……おはようございます」

 どちら様だろう?

「こちらは私の大学時代の後輩です」
三ツ矢みつやと申します」

 そう言って、その女性は名刺を差し出してきた。そこに書かれた社名を見て、目が飛び出そうになった。

「女性週刊誌の記者さん?!」
「はい、まだ駆け出しの下っ端ですが」
「彼女、さっきのホテルを張っていたんですよ、他の取材で」
「え……」

 私の顔をみて手を振る三ツ矢さん。

「あ、御心配なく。私は議員さんを対象にした取材はしませんから。だけどたまに、偶然居合わせたりして写真は撮れちゃうんですよね、ああいうところで張り込みをしていると」

 ニコニコしながら、バッグの中から何やら引っ張り出す。

「これ、昨晩偶然撮ってしまった代物しろものなんですけど、先生の党のかたですよね?」

 プリントアウトされた数枚の写真。写真に写っているのは、満田議員と奥様ではない若い女性だ。腕は組んでいないものの、親しげに話をしているところが撮られていた。ホテルのロビーで部屋をとっているであろうところ、満田先生がルームキーを受け取っているところ、そして二人で親しそうに話しながらエレベーターに乗り込むところ。

「私はこの手のことに関してはまったく興味が無いので、編集長に話を持っていくことはありませんが、他の記者はどうでしょうね。今回あのホテルにいたこっちの関係者は私だけでしたけれど、他社さんにすっぱ抜かれでもしたら、党にとっては大打撃でしょう? 来年の夏には選挙もあることですから、重光先生から忠告してさしあげたらどうでしょう? きっと泣いて感謝されるのでは?」
「満田先生に対して大きな貸しになりますね」

 杉下さんがすました顔でつぶやいた。

「もしかしてこれがオフリミットの看板ってこと?」
「高圧電流が通った有刺鉄線ほどではないですけど、役に立つのではないでしょうか」
「たしかにそうだけど……あの、これ使わせてもらっても良いのかしら?」

 後ろに座っている三ツ矢さんに確認を取る。

「どうぞ。私も仲の良い先輩が失業するのは、本意ではありませんから」
「ありがとう、美香みかちゃん。助かった」
「だったらその内、れいのお店でビールジョッキのパフェをおごってください。あ、そこの信号を渡って次の通りで止めてもらえますか。そこから職場まですぐなので」

 そろそろ選挙ですね頑張ってくださいと三ツ矢さんはニッコリ笑顔で言うと、車から素早く降りてビルとビルの間の通りに姿を消した。そして車は再び何事もなく走り出す。あまりのことに頭がついていかない。

「ねえ」
「なんでしょう?」
「彼女があのホテルを張っていたのは偶然なのよね?」
「そうですよ。どうしてですか?」

 杉下さんが首をかしげる。

「満田先生を張っていたわけじゃないのよね?」
「さっき彼女が言っていましたけど、彼女は政治家を取材対象にはしないんですよ。たとえ写真を撮ったとしても、その写真は余程のことがない限りゴミ箱です」
「よほどのことって、今回のようなことじゃなくて?」

 不倫現場をおさえられるなんて、議員にとっては議員辞職にもつながる致命的な一大事なんだけれど。

「彼女曰く、国家転覆をたくらむぐらいじゃなければ、どんなネタもゴミ箱にポイッだそうです」
「なんだか凄い大物ね、彼女。それが雑誌社にとって、良いことなのかどうかは分からないけれど」
「少なくとも私達にとっては良いことですよ、今回の偶然は」
「偶然ね……」
「はい、偶然です」

 まあそういうことにしておこう。
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