私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう

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本編

第十七話 キャラメルの入院

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 桜の季節もあっと言う間に終わって、気がつけば季節は花火とスイカの季節間近。

 去年までは、電気代のことを気にして扇風機もクーラーも遠慮がちに動かしていたけど、今年からはそんなことはない。ああ、別に私が贅沢に慣れちゃったというわけではなく、先生が、快適に暮らせる設備があって資金もあるのに使わないのは非常にばかげていると、梅雨のシーズンから除湿を使っていたから。お蔭で私もキャラメルも、毎日を快適にすごさせてもらっている。

 そして今日からキャラメルは、いつもお世話になっている動物病院に一晩お泊り入院。つまるところ、避妊手術をすることになっていた。

「キャラメル、先生の言うことちゃんときくんだよ? シャーとかフーとか言って、困らせたらダメだからね?」

 ゲージの中から私のことを見詰め、不安げにニャーニャー鳴くキャラメルに何度も言い聞かせ、後ろ髪をひかれる思いをしながら、先生にお願いしますと言って診察室を後にした。可哀想だけど、こればかりはきちんとしておかないといけないことだし、明日の夕方には一緒にお家に戻れるんだからと、自分に言い聞かせながら病院を出る。

 ……でも、分かっていてもやっぱり寂しいかな。これまでずっと一緒にいて、キャラメルがいない夜なんてなかったんだもの。そう言えば先生も、出掛ける前にわざわざキャラメルの頭を撫でていたっけ。きっと先生も、寂しく感じているに違いない。

「あ、そうだ。ちゃんと知らせておこう」

 先生にも、無事に病院に送り届けましたって知らせておくことにする。そして、キャラメルのことばかり考えてしまう自分の頭を切り替えようと、普段仕事で使っている画材で、補充しなきゃいけないペンが何本かあったから、それを買いに行くことにした。

 行きつけの画材屋さんには、色々な色のペンや用紙があるから、つい時間を忘れて長居をしちゃうこともしばしば。だから気分転換にはもってこいの場所なのだ。ただ、気をつけないと、めったに使わない変わった色のコピー用紙やペンが増えちゃって、大変なことになるのが困ったところ。

 ちょっと前にも、うっかり誘惑に負けて買ってしまった京藤色という色のコピー用紙があって、自宅のファックス用紙として使っている。これがかなり文字が読みづらくて、ファックス用紙としては大不評。先生も自分宛に届いたファックスを微妙な顔をしながら読んでいて、自分専用のメモ用紙にしておけばよかったと、今でも少しだけ後悔している。

「?」

 買おうと思っていたペンの他に新色が出ていたので、試しに使ってみようと一緒に買ってレジを離れたところで、メールが入っていることに気がついた。まだお昼の時間じゃないのに、早い返信だなって首をかしげながら携帯を確認すると、メールの送り主は先生じゃなくて西入にしいり先生だった。

『キャラメルがいなくて寂しいなら、今からでもモンブランに会いにおいで』

 西入先生のお宅のモンブランちゃん! 

 西入先生のお宅にいる猫のモンブランちゃんは、長毛種のラグドールという種類の猫ちゃん。

 なんでも、大きなショッピングモールに入っていたペットショップにいた子で、ずっと飼い主さんとの御縁がないまま残っていたところで、西入先生一家と出会ったんだとか。あの可愛い目で見詰められて、どうしても連れて帰らなきゃって皆で思ったんだそう。そういうわけで先生のお宅の皆さんは、モンブランちゃんにベタ惚れなのだ。

 そんな西入先生一家の愛情を、一身に受けているモンブランちゃんはとても人懐こくて優しい女の子。私の具合が悪い間は、ずっとキャラメルのことをお世話していてくれていたらしくて、その様子を見た西入先生達は、子猫を育てたことがない子なのに、不思議なものだねって感心していたらしい。

 その後に何度かキャラメルと一緒にうかがった時も、それはそれは甲斐甲斐しくお世話してくれていたっけ。

『ありがとうございます! 今日は先生達はお休みなんですか?』
『僕も妻も休みだよ。帰りは東出ひがしでに迎えに来るように知らせておくから、遠慮せずにおいで』
『うかがいます!』

 せっかく御夫婦そろってお休みなのに、うかがっても良いのかなって一瞬だけ迷いはしたんだけど、急ぎの仕事も無いし、キャラメルもいないのでお邪魔させてもらうことにした。ちなみに西入先生のお宅は、ここから二つ目の駅の近くにあるマンションで、意外と御近所さんだ。先生曰く、西入とはもう少し離れていても困らないということなんだけど、それってどういう意味なんだろう?


+++++


「こんにちはー!」
「いらっしゃーい」

 下のオートロックのドアを開けてもらってエレベーターで上がると、西入先生の奥さんが玄関ドアから顔を出して私のことを待っていてくれた。こんなに優しそうな笑顔を浮かべているのに、外科医でものすっごく怖い先生なんだって。誰情報かって? もちろん西入先生に決まってるじゃない。

「これ、お土産のケーキです。なにが良いか分からないから、適当に選んできちゃったんですけど」

 そう言って、近くのケーキ屋さんで買ったケーキの入った箱を手渡す。

「そんな気を遣わなくても良いのに」
「いえいえ。モンブラン姫への、袖の下とでも思っていただければ」

 そう言いながら、ペットショップで売られていた、猫ちゃん用ケーキが入った箱も差し出した。ここでモンブランちゃんが食べるケーキも買うって聞いていたから、買ってきたんだけど良かったかな?

「あら。もしかしたらこっちのほうが、嬉しいかも♪」

 猫ちゃん用のケーキが入っている箱を見て、奥さんの美鈴さんが嬉しそうに微笑んだ。

「さ、上がって。モンブランもお待ちかねだから」
「でも良かったんですか? 二人そろってお休みの時に」
「いいのいいの。猫友なんだから仲良くしなきゃ」
「あ、そう言えば東出先生のお兄さんも、また猫ちゃんを飼うことになったそうですよ」

 玄関で靴を脱ぎながら、そう言えばと先生のお兄さんから届いたメールの話をする。

 あの後、家に戻ったら見知らぬニャンコが、お兄さんのことを玄関でお出迎えしてくれたんだそうだ。近くの交番で保護された野良ちゃんで、飼い主さんが見つからないので、お兄さんのお宅で引き取ることになった子らしい。年齢は多分三歳ぐらいじゃないかっていうのがお兄さん達の見立てで、昨日に送られてきた写真では、お兄さんに買ってもらった水色の首輪をして、すっかり家猫さんの顔になっていた。

「あら、東出先生のお兄さんのところ、もう猫ちゃんは飼わないって言っていたのに」
「先代猫ちゃんと同じ柄だったから、運命を感じちゃったみたいですよ?」
「そういうものなのね、やっぱり」
「はい。初対面のお兄さんにも驚くぐらい懐いていて、本当に前の子が帰ってきたんじゃないかって、話してるそうです」

 そう話していると、廊下の向こうからフワフワの尻尾を立てたモンブランちゃんがやってきた。

「ちゃんとめぐみさんのことを覚えているのよ、この子」
「そうなんですか? こんにちは、モンブランちゃん。今日はキャラメルはいないんだよ、ごめんね」

 キャラメルが入ってくるバスケットが無いものだから、モンブランちゃんは不思議そうな顔をして、私の周りのにおいを嗅いで回っている。キャラメルを探しているのかな?

「明日には退院なのよね?」
「はい。順調にいけば夜には連れて帰れるそうなので、先生と一緒に迎えに行こうと思ってます」
「東出君がなんだかそわそわしていたらしいわよ?」
「そうなんですか?」

 奥さんとリビングに行くと、テーブルでお茶の用意をしていた西入先生がいらっしゃいと、にっこり微笑んで迎えてくれた。こういうところが西入先生の凄いところなんだよ。繊細なティーポットを手にしていても、すごくサマになる外科医さんって一体……。

「今日は御招待ありがとうございます」
「ケーキをいただいたから、みんなで食べましょ。子供がいない時ぐらい、自分で好きなのを選びたいし。モンブランにもいただいたから、三人と一匹でティータイムね」

 西入先生は君は本当に自分の欲望に正直だねえと笑いながら、お皿とフォークを取りにキッチンへと戻っていった。

「もしかして今日は、先生が主婦の日なんですか?」

 テーブルにケーキの箱を置いた奥さんが、ソファに落ち着いてしまったのを眺めながら尋ねる。

「そうなの。あれこれ私に用事を言いつけられたくないから、恵さんを招待することにしたのよ、あの人」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うもんじゃないよ。僕は、キャラメルちゃんが入院して恵さんが寂しがっているだろうと思ったから、招待したのに」
「あら、そうなの? てっきりお客さんがいれば、私が鬼軍曹にならないって考えたからだと思っていたわ」

 奥さんがすました顔で言い放った。

「君は自分がなりたければ、お客さんが居てもかまわずに鬼軍曹になるだろ?」
「それこそ人聞きが悪いじゃない。私、そんな鬼嫁じゃないわよ」

 二人が言い合っているのを見上げていたモンブランちゃんは、優雅な動きで私の膝の上に乗ってきた。キャラメルとはまた違った毛並みがなんとも気持ちいい。ゴロゴロいっているモンブランちゃんを撫でていると、奥さんがブラシを差し出してくる。

「そろそろ毛が夏毛にかわる時期だから、抜け毛がすごいでしょ? もし良ければ、ブラッシングしてあげてくれる? 帰る時に、服についた毛もちゃんと取るわね」

 言われてみれば、たしかにいつもより手につく毛が多いような気がする。一年中快適なお部屋暮らしのお姫様も、ちゃんと夏毛に生え変わるんだなあって、変なところで感心してしまった。

「モンブランちゃんはサマーカットはしないんですか? ほら、ライオンみたいにしないまでも短く刈るとか……」
「最初の年にやったら、変な見た目になっちゃってね。それ以来、定期的に短く刈りそろえる程度しかしてないんだよ」

 女の子だしねと先生が笑った。

 私はキャラメルと違う毛並みを楽しみながら、お茶の用意ができるまでブラッシングをさせてもらった。特に血統にはこだわらないけど、こういう長毛の猫ちゃんも、なかなか可愛いよね、キラキラしている首輪も可愛いし。……あ、こういうのってもしかして浮気? ち、違うからね、私はキャラメル一筋だから!
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