神様達の転職事情~八百万ハローワーク

鏡野ゆう

文字の大きさ
上 下
23 / 35

第二十三話 ボイラーの神様2 1

しおりを挟む
「……ん? なんか焦げ臭くないですか?」

 その日、お昼休みが終わり、午後からの仕事にかかろうとしていた時、焦げ臭いに気がついた。発生源はどこなんだと、事務所内を嗅ぎまわる。

「たしかに、なにかにおうわね」

 榊さんも気がついたらしく、眉をひそめた。

「まずはコンセントの確認を。一宮いちみやさん、そっちはどう?」
「いま見てるんですけど、コンセントに異常はありませーん」

 あちらこちらから「異常なし」の返事が返ってくる。だが、間違いなく焦げ臭い。

「いったい、どこから……?」

 窓に近づき、そっと開けてみる。するとにおいが一気に強くなった。

「うわっ、外でにおってるみたいです!」
「どこかで、き火でもしてるのかしらね?」

 けっこうなにおいなので、窓をいそいで閉める。

「ここ、住宅地のど真ん中じゃないですか。そんな広い場所、ありましたっけ?」
「児童公園とか? 公園の落ち葉を集めて燃やしているとか」
「あそこの落ち葉は、市の清掃局さんが集めて、契約している堆肥たいひ工場に持ち込んでいるって、聞きましたけど?」

 その場の全員で首をひねっていると、課長がやってきた。

「隣の事務所から電話が来たんだけど、うちの事務所で漏電してないかーって」
「なんでそんな電話が?」
「焦げ臭いかららしいよ?」

 課長は呑気に返事をしたが、自分を含めたその他の面々は、憤慨ふんがいした顔つきになった。

「失礼な! なんでこっちが疑われるんですか。においの元は、あっちかもしれないのに」
「そりゃまあ、こっちは古い町家まちやだからねえ」
「作りが町家ってだけで、配線やらなにやらは、きちんとリフォームされてるんですよね?」
「そりゃまあね」
「だったらやっぱり、失礼な!」

 そう言うと課長が笑った。

「まあ、しかたがないよ。あっちは鉄筋コンクリートだから」
「鉄筋コンクリートでも火事にはなりますよ!」
「そりゃそうなんだけど。でも、こっちは屋根裏を、ネズミやイタチが走り回ってるからね」
「そんなの関係ないですよ」

 とは言え、電気の配線をかじる可能性は、無きにしもあらずだが。

「で、こっちが問題ないとなると、においの発生源はどこなんだろうね」
「うちのハロワでないことは、間違いないと思います」

 昼一番の相談者がいないことをこれ幸いにと、その場にいた全員が事務所の外に出た。焦げ臭いにおいは強くなる一方だ。

「うわー、こりゃ本格的にヤバそうなにおいだねえ……」

 通りを歩いている買い物帰りの人達も、妙な顔をしながら周囲を見回している。

「……あ、課長、あそこ!」

 民家の屋根越しに、黒い煙が見えた。

「こりゃまずい。火事だね、あれは」
「俺、ちょっと一っ走りして確認してきます」

 珍しく事務所にいた浜岡はまおかさんが、スマホを片手に走っていく。

「あ、じゃあ私、事務所に戻ります。浜岡さん、なにかあったら事務所へ!」
「りょうかーい!」
「課長、私は事務所に戻りますね」
「そうだね。一宮さんも、羽倉さんと一緒に戻ってくれるかい? 転職希望の神様が来るかもしれないから」
「はい!」

 私と一宮さんは、屋根越しに見える黒い煙をもう一度見てから、事務所に戻った。相談に来る神様はいないので、いつもの自分の席ではなく窓際にいき、窓をあけて外を見る。見つけた時は細い一本の黒い線だったのが、今は黒い煙のかたまりが、どんどん上へと上がっていくのが見えた。

「あの方向って、なにがあったっけ? 民家だけだったかな」
「えーと……お風呂屋さんがありませんでしたっけ?」
「そう言えば……」

 言われてみれば、あのへんで『湯』とかかれた暖簾のれんを見かけたような気がする。

「まさか、そこが火事?」
「あれだけ煙がもくもく出ているってことは、けっこう燃えてますよね……」

 二人で話していたら、遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。その音はどんどん近づいてくる。このタイミングだと、浜岡さんが到着する前に、誰かが119番に通報したようだ。ご近所の奥さんやお年寄り達が、家から出てくる。そして、黒い煙を不安そうに見あげた。

 事務所の電話が鳴ったので、急いで自分の席に戻る。

「……はい、八百万やおよろずハローワークです」
『ああ、羽倉さん? 浜岡です。やっぱり火事で、火元は銭湯せんとうだった。今、消防車が到着して、消火活動を始めたよ。隣近所への延焼の心配はなさそうだから、安心して業務に戻ってくれてかまわないと思う』
「了解しました。戻ってくる時に、課長達をこっちに追い立ててください。ぜんぜん戻ってくる様子がないので」
『りょうかーい』
「一宮さん、やっぱりお風呂屋さんが火事なんだって」
「お湯をわかすのに、大きなボイラーがありそうですもんねー」

 それからしばらくは、ご近所周辺はかなり騒々しいことになった。もともと住宅地で道路が狭いのと、集まってきた消防車があちらこちらに止まったせいで、周辺一帯が大渋滞になってしまったのだ。

 ちなみに119番に電話をしたのは、お風呂屋さんの奥さんだった。ボイラーにまきをくべていた御主人は、火傷やけどはおったものの、幸いなことに軽症ということだ。

「あそこのお湯は、柔らかくて心地良いって評判だったらしいよ。まきを使って、お湯を沸かしていたそうだ」

 一人だけ遅れて戻ってきた課長が教えてくれた。一人だけ戻ってくるのが遅いと思ったら、そんな情報を一体どこから?

「それ、どこ情報ですか?」
「お向かいのお爺ちゃん情報。今さっき教えてもらったんだ」
「もー、課長ってば。仕事してください、仕事!」
「これも仕事のうちさ。ご近所さんと良好な関係を築くのも大切なことなんだよ? 一応うちも、ここの町内の一員なんだし」
「そこは正しいと思いますけど!」

 ただ、タイミングが!という話なのだ。

「でも、続けられるんでしょうかね、お風呂屋さん」
「どうだろうねえ」
「隣接しているお宅への延焼は、なかったんですよね?」
「水浸しになったぐらいだね」

 とは言え、まったく被害がなかったわけではない。火元になったお風呂屋さんは賠償責任を負うことはないけれど、ご近所づきあいをしていく上では、そう簡単に割り切れるものでもないだろう。なかなか難しい問題だ。

まきをくべるボイラーって、今どき珍しいですよね」
「そうだね。まあそれが、今回の失火の原因になってしまったみたいだけど」

 昔は町中にたくさんあった銭湯も、各家庭にお風呂が普及するようになってから、その数をどんどん減らしている。そんな中で営業を続けていたお風呂屋さん。廃業ということになったら、残念がる人も多いだろう。

「お風呂屋さんが廃業になったら、新しい居場所を探す神様も出てきますよね、きっと」
「そうだね」
「さすがにもう、ボイラーの神様の空き枠はないですよ……」

 しかも今回は失火だ。神様のせいではないとは言え、今までの経験から、かなり責任を感じているだろうと予想できた。新しい行き先を見つけることもだが、今回は神様の心のケアも必要な気がする。

「火事で神様もショックを受けてますよね。そういう場合の対処って、どうしたら良いんでしょう」
「話を聞くことに徹することだね。下手に口出ししないほうが良いかな」
「そういうものなんですか」
「聞くことに徹すること。判断は神様自身がするからね。そしてその判断に疑問を感じたとしても、神様が決めたことは尊重すること。ここが大事かな」

 そこが人間とは違うところだった。

「ま、羽倉さんなら心配ないよ。とても聞き上手だし、神様との関係も良好なことが多いからね」

 とは言え相手は神様。うっかり怒らせたら天変地異てんぺんちいで国家滅亡の危機だ。これからも気を引き締めて、神様への新しい居場所の斡旋あっせんにのぞまなければ!
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシャリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

【完結】獅子の威を借る子猫は爪を研ぐ

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
 魔族の住むゲヘナ国の幼女エウリュアレは、魔力もほぼゼロの無能な皇帝だった。だが彼女が持つ価値は、唯一無二のもの。故に強者が集まり、彼女を守り支える。揺らぐことのない玉座の上で、幼女は最弱でありながら一番愛される存在だった。 「私ね、皆を守りたいの」  幼い彼女の望みは優しく柔らかく、他国を含む世界を包んでいく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/06/20……完結 2022/02/14……小説家になろう ハイファンタジー日間 81位 2022/02/14……アルファポリスHOT 62位 2022/02/14……連載開始

新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!

月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。 そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。 新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ―――― 自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。 天啓です! と、アルムは―――― 表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

処理中です...