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第七話 井戸の神様 3
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それから数日後、バスを降りると、いつもとは違うルートを通って、職場に向かった。その道のりの途中に、あの井戸の神様がいる、古いお宅があるのだ。
「あ、荷物出しをしてる……」
朝も早い時間だというのに、お引越し屋さんのトラックが止まっていた。家の中から、大きな家財道具を抱えた、業者のお兄さん達が出てくる。その様子からして、ちょっとしたリフォームではないらしい。
「本格的に建てかえするのかー。ま、見た感じ、そうとう古いもんね……」
段ボール箱を抱えた若いご夫婦が出てきて、トラックの後ろに停めてある軽自動車に運びこんだ。
「おー……家族総出でお引越しとは大変」
古いお宅だから、きっと家財道具やなにやら、あふれんばかりになっていることだろう。これはなかなか大変そうだ。奥さんと目が合ってしまったので、思わず頭を下げてしまった。
「朝からご苦労様です」
「すみません、朝から騒々しくて! ご迷惑をおかけしてますー!」
「あ、いえいえ。私は通勤途中で通りかかっただけなので、お気になさらず。お引越しですか? 大変ですねー」
「古い家なので、お爺さんお婆さんより昔の道具がいっぱいで。引越しより、大型ごみに出す費用のほうが高くついちゃって、もう大変!」
「あー、それは大変ですね。最近のゴミ出しは、分別もうるさくなりましたから」
その中にはきっと、神様がついている道具もあるんだろうなと、ぼんやりと考える。近々ここのお宅の神様達が、うちのハロワにやってくるかもしれない。
「思い出の品が多いので、残すものと処分するものを分けるのも大変なんですよ。お爺ちゃんお婆ちゃんが、あれもこれも残したいって言い張っちゃって。処分したくない気持ちはわかるんですけど、さすがに全部残すのはねー」
奥さんは苦笑いをした。
「おかーさん! 井戸、本当にうめちゃうのー?」
小学生ぐらいの子が、小さな箱を抱えながら出てくると、奥さんを見上げた。
「そうなるんじゃないかなー」
「夏、スイカ冷やすのできないじゃん!」
「冷蔵庫があるでしょー?」
奥さんがそう答えたけれど、お子さんは納得していない様子だ。箱を車に乗せながら、ブツブツとなにか言っている。
「なに?」
「ふぜーがないじゃん!って言ったの!」
「ちょっと、いつのまにそんな言葉、おぼえたの?」
「井戸があるんですか。今の時代、珍しいですね」
「ええ。モーターでくみ上げていて、見た目は水道とほとんど変わらないんですけどね」
「お爺ちゃんもお婆ちゃんも、井戸の神様にいつもお供えしてるの、もうできないじゃん?!」
お子さんが口をはさむ。
「そうなったら二人とも少しは楽でしょ? 年になって足を悪くしてるんだから」
「でも神様、いる場所なくなってかわいそうじゃん! お供えは私とお兄ちゃんでもできるのに!」
「神様なんだから、きっと他に行く場所なんて、すぐに見つかるわよ」
―― いやいや、なかなか難しいんですよ、次の場所を探すのも…… ――
お子さんの言葉を聞いて、井戸の神様が離れたくないと思う気持ちが、わかったような気がした。ここの井戸は、本当にこのお宅の生活に密着しているのだ。そしてお子さん達も、神様にとても親近感を持っている。
―― そりゃ、神様としても、離れたくないよね…… ――
言い合いをしながら家の中へ戻っていく二人を声をききながら、その場を離れた。
「風情がない、か。そりゃ井戸水でスイカを冷やして食べるなんて、今の子はほとんど経験できないよね。ほんと、もったいないなあ……」
そんなことを考えつつ職場に向かう。その途中で一宮さんと出くわした。
「あ、おはようございます、羽倉さん!」
「おはよー」
「あれ? バス停ってあっちですよね。なんでこっちから?」
一宮さんがバス停がある方向と、私が歩いてきた方向を指でさす。
「ん? なんとなく気分を変えてみたくて」
「そうなんですか」
「そのかいがあって、自販機でおもしろい缶コーヒーを見つけちゃったよ。ほら」
向こうの角にあった自販機で買った、イラスト入りの缶コーヒーを見せた。
「あ、これ。いま人気のアニメキャラですよね。しかもこれ、レアモノですよ?」
「そうなの? 私、スーパーの福引すら当たったことないのに」
こんなところでなけなしの運を使ってしまうなんて……と、本気で悲しくなってくる。今年はもう、宝くじを当てて豪邸を購入する夢は、あきらめたほうが良いかもしれない。
「ここのメーカーの自販機、なかなかなくて。どこにあったんですか?」
「あそこの角を左に曲がったところ」
自分が歩いてきた方角を指でさす。
「いいこと聞きました。今日の帰りにでも寄って買います!」
「なにか特典でもあるの?」
「たしか貼ってあるシールのバーコードで、くじ引きができるらしいんです。うちの妹がこのアニメが好きで、見かけたら買ってくるようにって頼まれてるんですけど、私、コーヒーはあまり好きじゃないので」
それもあって、なかなか親身になって探せないらしい。
「じゃあ、缶だけでも持って帰る? 中身は休憩時間中に飲んじゃうけど」
「いいんですか?」
「うん。ああ、ちゃんと洗って渡すから」
「ありがとうございます!」
通用口から事務所に入る。八時ちょっと前なのに、すでに課長と鎌倉さんが仕事モードで話をしていた。
「おはようございます」
「おはようございまーす!」
私と一宮さんが挨拶をすると、二人は表情をゆるめてこちらを見る。
「ああ、おはようさん」
「おはよう」
「なにか問題ありですか?」
「さてー、どうやろうなー」
課長が愛用の指圧棒で、肩をぐりぐりしながら笑った。ちなみにあの棒、「神様の恩返し」という名前らしい。似たような名前の商品を、通販サイトで見かけたことがあるけど、神様の恩返しなんて見たことがない。私が思うに、課長愛用の指圧棒は、神様が作ったものではないか思われる。
「このまま、おさまってくれれば万々歳。おさまらなければ残業や。うちの嫁に、今年になって何度目やねんて、もんく言われる」
「え、課長の奥さんて、このハロワのこと、ご存じなんでしたっけ?」
「ご存じもなにも。うちの嫁、羽倉さんがくる前の年まで、ここで働いてた人やし」
「そうだったんですか!」
「課長と奥様は職場結婚なのよ」
珍しく鎌倉さんがニヤニヤした顔になる。
「いやー、はずかしいやん、てれるやん。みんなには黙っといてな?」
「お口チャックですね? 了解しました」
私と一宮さんは課長の前で、口の前でチャックを閉める動作をした。
「いつも鎌倉さんには迷惑かけたらあかん、羽倉さんや一宮さんを見習えって言われてるんや」
「私達をですか?」
鎌倉さんはともかく、いったい私達のなにを見習えというのだろうと、二人で首をかしげる。
「羽倉さんが紹介した神様の定着率、全国の八百万ハロワの中でも、かなり高いのよ。一宮さんも入省してからまだ日が浅いのに、かなりいい数字を出してるわ。そのことで課長、全国会議でいつも鼻高々なのよ」
「ここに優秀な人材がたくさん来てくれて、ほんまにうれしいわー」
課長は笑いながら、肩を指圧棒でぐりぐりする。
「あの、数字が出てるってことはもしかして、それぞれ支所や窓口でノルマってあるんですか? 羽倉さん、きいてました?」
一宮さんがおそるおそる質問をする。そう言えばそんな話、いままで一度も聞いたことがなかった。
「ううん。私も定着率の順位なんて、いま初めて聞いた」
「ですよね」
「ああ、それはあくまでも、神様への新しい仕事の斡旋をスムーズにするための、参考値ってやつね。別にノルマってわけじゃないのよ」
「ま、霞が関には、数値化しないと実情がわからへん、カチカチ頭な人が多いから」
「そうなんですか、あー、びっくりした!」
それを聞いて一宮さんはホッとした顔になる。
「ま、こういう時代だから難しいと思うけど、これからも頑張ってな?」
「はい」
「はい!」
本当にこういう時代だから難しいことも多い。井戸の神様のことなんて、その最たるものだ。神様はその場に残りたいのに、時代の流れがそれを許してくれない。
「さっき、井戸の神様のお宅の前を通ってきたんですけど、皆さん、いい人そうでした。お子さんも井戸の神様のこと、気にしてましたし」
「あー、あそこの井戸の神様な。どうなるやろうなあ」
「神様にとって、いい方向に物事が進めばよいんですけどね」
「こればかりは運やなー」
―― レアの缶コーヒーを当てちゃったし、今年の私の運はもう助けにならないよねー…… ――
あとは神様が持っている運と徳しだいだ。とにかくいい方向に転びますように!!
「あ、荷物出しをしてる……」
朝も早い時間だというのに、お引越し屋さんのトラックが止まっていた。家の中から、大きな家財道具を抱えた、業者のお兄さん達が出てくる。その様子からして、ちょっとしたリフォームではないらしい。
「本格的に建てかえするのかー。ま、見た感じ、そうとう古いもんね……」
段ボール箱を抱えた若いご夫婦が出てきて、トラックの後ろに停めてある軽自動車に運びこんだ。
「おー……家族総出でお引越しとは大変」
古いお宅だから、きっと家財道具やなにやら、あふれんばかりになっていることだろう。これはなかなか大変そうだ。奥さんと目が合ってしまったので、思わず頭を下げてしまった。
「朝からご苦労様です」
「すみません、朝から騒々しくて! ご迷惑をおかけしてますー!」
「あ、いえいえ。私は通勤途中で通りかかっただけなので、お気になさらず。お引越しですか? 大変ですねー」
「古い家なので、お爺さんお婆さんより昔の道具がいっぱいで。引越しより、大型ごみに出す費用のほうが高くついちゃって、もう大変!」
「あー、それは大変ですね。最近のゴミ出しは、分別もうるさくなりましたから」
その中にはきっと、神様がついている道具もあるんだろうなと、ぼんやりと考える。近々ここのお宅の神様達が、うちのハロワにやってくるかもしれない。
「思い出の品が多いので、残すものと処分するものを分けるのも大変なんですよ。お爺ちゃんお婆ちゃんが、あれもこれも残したいって言い張っちゃって。処分したくない気持ちはわかるんですけど、さすがに全部残すのはねー」
奥さんは苦笑いをした。
「おかーさん! 井戸、本当にうめちゃうのー?」
小学生ぐらいの子が、小さな箱を抱えながら出てくると、奥さんを見上げた。
「そうなるんじゃないかなー」
「夏、スイカ冷やすのできないじゃん!」
「冷蔵庫があるでしょー?」
奥さんがそう答えたけれど、お子さんは納得していない様子だ。箱を車に乗せながら、ブツブツとなにか言っている。
「なに?」
「ふぜーがないじゃん!って言ったの!」
「ちょっと、いつのまにそんな言葉、おぼえたの?」
「井戸があるんですか。今の時代、珍しいですね」
「ええ。モーターでくみ上げていて、見た目は水道とほとんど変わらないんですけどね」
「お爺ちゃんもお婆ちゃんも、井戸の神様にいつもお供えしてるの、もうできないじゃん?!」
お子さんが口をはさむ。
「そうなったら二人とも少しは楽でしょ? 年になって足を悪くしてるんだから」
「でも神様、いる場所なくなってかわいそうじゃん! お供えは私とお兄ちゃんでもできるのに!」
「神様なんだから、きっと他に行く場所なんて、すぐに見つかるわよ」
―― いやいや、なかなか難しいんですよ、次の場所を探すのも…… ――
お子さんの言葉を聞いて、井戸の神様が離れたくないと思う気持ちが、わかったような気がした。ここの井戸は、本当にこのお宅の生活に密着しているのだ。そしてお子さん達も、神様にとても親近感を持っている。
―― そりゃ、神様としても、離れたくないよね…… ――
言い合いをしながら家の中へ戻っていく二人を声をききながら、その場を離れた。
「風情がない、か。そりゃ井戸水でスイカを冷やして食べるなんて、今の子はほとんど経験できないよね。ほんと、もったいないなあ……」
そんなことを考えつつ職場に向かう。その途中で一宮さんと出くわした。
「あ、おはようございます、羽倉さん!」
「おはよー」
「あれ? バス停ってあっちですよね。なんでこっちから?」
一宮さんがバス停がある方向と、私が歩いてきた方向を指でさす。
「ん? なんとなく気分を変えてみたくて」
「そうなんですか」
「そのかいがあって、自販機でおもしろい缶コーヒーを見つけちゃったよ。ほら」
向こうの角にあった自販機で買った、イラスト入りの缶コーヒーを見せた。
「あ、これ。いま人気のアニメキャラですよね。しかもこれ、レアモノですよ?」
「そうなの? 私、スーパーの福引すら当たったことないのに」
こんなところでなけなしの運を使ってしまうなんて……と、本気で悲しくなってくる。今年はもう、宝くじを当てて豪邸を購入する夢は、あきらめたほうが良いかもしれない。
「ここのメーカーの自販機、なかなかなくて。どこにあったんですか?」
「あそこの角を左に曲がったところ」
自分が歩いてきた方角を指でさす。
「いいこと聞きました。今日の帰りにでも寄って買います!」
「なにか特典でもあるの?」
「たしか貼ってあるシールのバーコードで、くじ引きができるらしいんです。うちの妹がこのアニメが好きで、見かけたら買ってくるようにって頼まれてるんですけど、私、コーヒーはあまり好きじゃないので」
それもあって、なかなか親身になって探せないらしい。
「じゃあ、缶だけでも持って帰る? 中身は休憩時間中に飲んじゃうけど」
「いいんですか?」
「うん。ああ、ちゃんと洗って渡すから」
「ありがとうございます!」
通用口から事務所に入る。八時ちょっと前なのに、すでに課長と鎌倉さんが仕事モードで話をしていた。
「おはようございます」
「おはようございまーす!」
私と一宮さんが挨拶をすると、二人は表情をゆるめてこちらを見る。
「ああ、おはようさん」
「おはよう」
「なにか問題ありですか?」
「さてー、どうやろうなー」
課長が愛用の指圧棒で、肩をぐりぐりしながら笑った。ちなみにあの棒、「神様の恩返し」という名前らしい。似たような名前の商品を、通販サイトで見かけたことがあるけど、神様の恩返しなんて見たことがない。私が思うに、課長愛用の指圧棒は、神様が作ったものではないか思われる。
「このまま、おさまってくれれば万々歳。おさまらなければ残業や。うちの嫁に、今年になって何度目やねんて、もんく言われる」
「え、課長の奥さんて、このハロワのこと、ご存じなんでしたっけ?」
「ご存じもなにも。うちの嫁、羽倉さんがくる前の年まで、ここで働いてた人やし」
「そうだったんですか!」
「課長と奥様は職場結婚なのよ」
珍しく鎌倉さんがニヤニヤした顔になる。
「いやー、はずかしいやん、てれるやん。みんなには黙っといてな?」
「お口チャックですね? 了解しました」
私と一宮さんは課長の前で、口の前でチャックを閉める動作をした。
「いつも鎌倉さんには迷惑かけたらあかん、羽倉さんや一宮さんを見習えって言われてるんや」
「私達をですか?」
鎌倉さんはともかく、いったい私達のなにを見習えというのだろうと、二人で首をかしげる。
「羽倉さんが紹介した神様の定着率、全国の八百万ハロワの中でも、かなり高いのよ。一宮さんも入省してからまだ日が浅いのに、かなりいい数字を出してるわ。そのことで課長、全国会議でいつも鼻高々なのよ」
「ここに優秀な人材がたくさん来てくれて、ほんまにうれしいわー」
課長は笑いながら、肩を指圧棒でぐりぐりする。
「あの、数字が出てるってことはもしかして、それぞれ支所や窓口でノルマってあるんですか? 羽倉さん、きいてました?」
一宮さんがおそるおそる質問をする。そう言えばそんな話、いままで一度も聞いたことがなかった。
「ううん。私も定着率の順位なんて、いま初めて聞いた」
「ですよね」
「ああ、それはあくまでも、神様への新しい仕事の斡旋をスムーズにするための、参考値ってやつね。別にノルマってわけじゃないのよ」
「ま、霞が関には、数値化しないと実情がわからへん、カチカチ頭な人が多いから」
「そうなんですか、あー、びっくりした!」
それを聞いて一宮さんはホッとした顔になる。
「ま、こういう時代だから難しいと思うけど、これからも頑張ってな?」
「はい」
「はい!」
本当にこういう時代だから難しいことも多い。井戸の神様のことなんて、その最たるものだ。神様はその場に残りたいのに、時代の流れがそれを許してくれない。
「さっき、井戸の神様のお宅の前を通ってきたんですけど、皆さん、いい人そうでした。お子さんも井戸の神様のこと、気にしてましたし」
「あー、あそこの井戸の神様な。どうなるやろうなあ」
「神様にとって、いい方向に物事が進めばよいんですけどね」
「こればかりは運やなー」
―― レアの缶コーヒーを当てちゃったし、今年の私の運はもう助けにならないよねー…… ――
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