貴方と二人で臨む海

鏡野ゆう

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東京・江田島編 GW

第七話 江田島に到着

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「てっきり瀬戸大橋みたいに橋が本州からかかっているのかと思ってた」

 広島から呉まで電車で移動した後、篠塚さんが借りている江田島のアパートまでどうやって行くんだろうって思っていたらなんと途中から船での移動になってビックリ。篠塚さんが広島駅まで迎えに来ると言い張った理由がなんとなく分かったような気がする。私、この道のりを自力で辿り着ける気がしない……。

「来る前にあれこれネットで調べてくるみたいなこと言っていたのに何も調べてなかったのか?」
「休みに入る直前になって色々とあって調べてる時間がとれなくて」

 調べようと思っていた矢先にあの事件が起きたものだからそれどころじゃなくなって今に至っていた。でも事前に何も知識を仕入れてなければ見るもの聞くものすべてが初めてばかりになるから、それはそれで楽しみではあるんだけれど。

 篠塚さんは私が何のことを言っているかすぐに分かったらしく、色々と大変だったなと言いながら頭を軽くポンポンとしてくれた。篠塚さんにしては珍しいそんな労いの仕草が嬉しくて思わず顔がヘニャッてなる。

 もしかして長く会えない期間が出来ると優しくなったりして? 今回の事件の詳細は部署内以外では誰にも話せないから察してくれて嬉しい。もちろん篠塚さんのことを疑っているわけじゃない。情報は何処でどう漏れるか分からない、だから本人のためにも話すわけにはいかないのだ。

 港を出港して島へと向かう船の窓から外を見ながら、今時どうして橋をわたさずにわざわざ船の移動なんだろうと考えていてふと一つの可能性を思いつく。

「ねえ、これってさ、まさか逃亡防止のためとか言わないよね?」

 そんな私の言葉に篠塚さんは首を傾げた。

「これって、とは?」
「もちろん橋がないこと」

 途端に「なに言ってんだお前は」という顔になる。前言撤回、やっぱり篠塚さんは相変わらず篠塚さんだ。

「その口振りからしてアルカトラズ島みたいなのを思い浮かべてるだろ?」
「え……」

 しかも相変わらず鋭い。まさに私の頭の中にはちょっと前にテレビでやっていたアメリカ映画で出てきたあの島が浮かんでいたから。

「そんなに小さな島じゃないのは見て分かるだろ? あの島はきちんとした行政区で普通の市町村並みに生活している人がいる。島の内側には湾もあって養殖業も盛んだし役所も学校もあってバスも普通に走ってる。海自の施設だけがあるわけじゃないんだからな。それに橋はないわけじゃない」
「そうなの?」
「南側にあるもう一つの島と本州が橋でつながっていて、その島とこっちの島が橋でつながっているんだ。だから遠回りにはなるが陸路だけで移動することも可能だ」
「へえ……ん?」

 でも江田島から本州には直接陸路では上陸できないってことだよね? それって……。

「なんでこの島と本州をつながないの? 瀬戸大橋がかけられるんだもの、本州とここぐらい簡単だよね? やっぱり逃亡防止っぽくない?」

 ああでも海上自衛隊の人ならこのぐらいの距離、その気になれば気合で泳ぎ切っちゃうかも? そんなことを考えた途端に何かを感じたのか篠塚さんが顔をしかめた。

「今その可愛い頭の中で何を考えているのかは敢えて聞かないが、島では普通に暮らしている人がいると言ったばかりじゃないか。それと橋をどうしてかけないのかは俺にだって分からない」
「ふーん……」
「なんだ、そのガッカリした顔は」
「別に。ガッカリしたわけじゃなくて何でなんだろうな不思議に思ってるだけ。ねえ、可愛いと思ってるのは頭だけ?」
「ああそうだ。その可愛い頭もたまにかち割りたくなるけどな」

 そう言いながら真顔で頭をゲンコツでグリグリしてきた。もう絶対に優しくなったかもなんて期待しない!!

 ま、まあ橋をかけない理由は色々とあるのかもしれない。たとえば橋脚で潮の流れが変わるとよろしくないと言う漁業関係者さんがいるのかもしれないし、本州と島をつなぐ船舶会社もあるから会社としては橋ができちゃったら困るって人もいるのかもしれないし。

「だが汐莉が抱いていたイメージもあながち間違いではないかもしれない」
「どういうこと?」

 グリグリされたところをさすりながら篠塚さんを見上げる。

「もともと術科学校の場所には海軍兵学校があったわけなんだが、この場所に作られた理由がここは世間から隔絶された場所で、学ぶことに専念するのに適しているからだったということだから」
「ほら、やっぱり逃亡防止なんじゃない」
「だからなんでそうなる」

 篠塚さんは呆れたように溜め息をついた。

「じゃあなんで総監部はこっちに置かなかないであっちの方に作ったの? 一箇所に集めた方が良くない? わざわざ船で行ったり来たりしなくて良いわけだし」
「俺にそんなこと聞くな。だいたいこっちに総監部を置くってことは護衛艦や潜水艦もこっちにくるってことだろ? 術科学校は島の湾内に面している。ということはそれらがそこを出入りするってことだ。そんな事態になったらここより奥まった湾内で養殖業を営んでいる人達が困るじゃないか」
「まあ確かに」

 今もこの船から離れた場所には生け簀のようなものが海面に浮かんでいるのが見える。確かに狭い場所に大きな護衛艦が頻繁にウロウロしたら気をつけていても困ったことが起きるかも。

「それにだ、あっちとこっちではやってることがまったく違うんだから別々の場所にあって簡単に行き来が出来なくても問題はないんだよ。話したいことがあればそれこそ電話でやり取りすれば良いことだろ? もちろん中には電話ではできないやり取りもあるだろうが」
「それはそうなんだけど」

 分かったような分からないようなイマイチスッキリしない気分。ただ江田島に学校があるのは逃亡防止ではなくて伝統的なことであることだけは理解した。でもさ、それだけ長い歴史がある学校だもの、その間に絶対に一人や二人はこっそりと学校から抜け出して遊んでいた人がいるよね……?

「いないから」
「へ?! なに?!」
「脱走した人間」

 あ、あれ?! もしかしてうっかり口に出してた?!

「一人や二人は脱走して遊びほうけていたヤツがいるに違いないって顔してたぞ? 図星だろ?」
「な、なんのことかなあ?」

 しらばっくれてみるけどどうやらお見通しの様子でニヤニヤしながら私の顔を見下ろしている。

「思ってることが顔に出るようじゃ情報本部あそこではやっていけないぞ。ベテランになれば海千山千の議員連中、更には海外の武官や文官、それにマスコミ連中と渡り合うことになるんだから。制圧術の前にポーカーフェイスを取得する必要があるんじゃないのか?」
「だ、だからなんのことかなあ?」
「無駄無駄、バレバレだから」

 私がポーカーフェイスを修得していないというよりも篠塚さんの察しが良すぎるんだと思うんだけどなあ。……でもさ、篠塚さんはああ言っているけど絶対に一人か二人は脱走した人、いるよね?


+++


 船が桟橋に接岸した。

 呉市に面しているこっち側はいわば島の勝手口のようなもので市役所などがある地域は島の中心部にあるらしく、ここは住宅はたくさんあるけど思っていた以上に静かな町並みだ。自分達が渡ってきた呉側を振り返ってみると遠くに造船所の施設が見える。そしてその横が海上自衛隊の呉地方総監部で、そこには灰色の護衛艦が何隻か停泊しているのが見えた。

「あそこの見学は出来る?」
「普段は事前の申し込みが必要だが連休中は一般開放されているはずだ。明日、くじらに行った後に行ってみるか?」
「うん」

 普段の篠塚さんはここから徒歩らしいんだけど今日は私がいるってことでバスに乗った。篠塚さんが借りているアパートは術科学校の敷地と隣接している小学校がよく見える場所。一軒家が多い中にいかにも単身者用のアパートがあるなんて珍しいなって思っていたら、入居者は全員が単身でこちらに来ている海自関係者なんだとか。

「へえ、本当に徒歩圏内なんだ」
「殆ど缶詰め状態でこっちに戻ってくるのは連休なんかで長い休みがとれる時ぐらいなんだけどな」
「ってことはもしかして引っ越してきてからまともに戻ってくるの今回が初めてとか」
「まあそんな感じだ」

 篠塚さんの部屋は二階にあるらしい。階段を上がろうとしたところで上から男の人が下りてきた。

「篠塚三尉」

 その人が敬礼をする。だけどその眼は篠塚さんではなく私の方を見ていた。

「今日から帰省か?」
「ええ。もしかしてカノジョさんですか?」
「ああ。汐莉、俺と同じところで訓練中の高月一等海曹」

 つまりこの人も将来の特別警備隊の候補ってことらしい。だけど小柄だし顔つきも厳つくないしとてもそんな任務に就きそうな感じには見えない。あ、これってもしかして失礼なことかも。ポーカーフェイスに徹しておかないと。

「初めまして」

 高月一曹さんはニパッと笑顔を見せてから篠塚さんを肘でつつく。自衛隊って上下関係が厳しいって思っていたのに随分と砕けた雰囲気でちょっとした驚きだ。

「こんな可愛いカノジョさんがいるなんて言わなかったじゃないですか、水臭いなあ、もう」
「今までカノジョのことなんて一度も質問されたことないからな」
「そんなことないでしょ、誰か待っている人はいるのかって話を皆でしてた時、その場に篠塚さんいたじゃないですか」

 そう言いながら更に篠塚さんのことをウリウリと肘で小突きまわした。そして私のことを見て一段と爽やかな笑顔を見せると、いきなり近寄ってきて肩に手を回してくる。

「?!」
「階級はまだ俺の方が下だけど、若い分お買い得だと思うよ? こんな怖い顔した篠塚さんより僕とどうかな? って、イテテテテッ!!」

 回された手を掴むと思いっ切りひねり上げた。うん、大津隊長さんのアドバイスは正しい。こういう時にもこの小手返しって技は使えそう。セクハラオヤジに遭遇した時には是非ともこの手でいこう。

「なんで小手返しを知ってるんですか、この人!!」

 痛がっている高月さんを見下ろしている篠塚さんは物凄く黒いニヤニヤ顔をしている。もしかして私がこうすることを分かっていて高月さんのことを止めなかったのかな?

「気をつけた方が良いぞ、彼女は自衛官じゃないが横須賀の陸警隊で護身術を学んでいる最中だから」
「そういうことは早く言ってくださいってーの! イタタタタッ、すみません、悪ふざけが過ぎました、許してくださいっ、お願いしますっ」
「汐莉、そろそろ勘弁してやれ、力の加減が出来ない状態でし続けると下手すれば骨が折れるから」
「もうセクハラまがいのことはしないと誓えるなら離してあげます」
「分かりました、誓います誓います!!」

 取り敢えず本気で反省しているっぽいので離してあげることにする。手を離すと高月さんはまったく酷いなあとぼやきながら手をブンブンと振った。そんな高月さんを篠塚さんは相変わらずニタニタしながら見ている。

「そんなわけで俺のカノジョはこんな感じだから変な気を起こすなよ?」
「もう二度と近づきませんよ、おっかないったらありゃしない」
「失礼な。私はいきなりのセクハラまがいな態度に自衛したまでです」

 そう言い放つと高月さんがしょぼんとした顔になった。

「ま、俺は今のは冗談だって分かってるけどな」
「篠塚さんのカノジョさん、冗談通じなさすぎておっかないですよ」
「冗談かどうかなんて初対面の人間には分からないです。あの、もしかして反省してませんか? だったら次は」

 何かないかなと口を開いたら高月さんは慌てた様子で後ずさっていく。

「あの、さすがに実家には五体満足で帰省したいので勘弁してください。では篠塚三尉、それから三尉のカノジョさん、失礼します!」

 敬礼すると文字通り脱兎のごとく走り去っていった。

「……面白い人が同僚さんにいるんだね」
「まあな。今期のムードメーカーみたいなやつだ。あれでも銃器の扱いはピカ一なんだぞ」
「へー」

 そして篠塚さんは私のことを愉快そうな笑みを浮かべて見下ろした。

「完璧な小手返しだったな、大したもんだ」
「大津隊長さんがこういう時の対処法として教えてくれたの。セクハラおやじに良からぬちょっかいを出されたら痛い目に遭わせてあげなさいって。まさか最初の実践相手が海上自衛隊の人になるとは思ってもみなかったけど」
「さすが隊長」
「そこは、さすが汐莉、じゃないの?」
「まあそうとも言うかな」

 うーん、納得いかない。
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