貴方と二人で臨む海

鏡野ゆう

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東京・横須賀編

第十五話 二人の距離は何海里?

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 私が一方的にそう感じている可能性も否めないんだけれど、お弁当を一緒に食べてから、私達の関係はちょっとだけ近くて親しいものに変わった、ような気がする。距離はともかく、明らかに態度は軟化したように感じられるし、篠塚しのづかさんの態度を軟化させてしまうなんて、ミクルミ亭さんのお弁当効果って凄いと思う今日の頃だ。

 とは言っても、篠塚さんがとても厳しい教官さんであることには変わりはなくて、いざ護身術のお稽古となると、まったく容赦がなかった。

「あ、篠塚さん、明日じゃなくてその次の月曜日なんですけれど、何か予定ありますか? お休みなんですよね?」

 その日、相手の勢いを利用していなしつつ組み伏せるなんて高等な技は、私にはできそうにないとうんざりしながら、気分を変えようと篠塚さんに尋ねてみた。

 篠塚さん曰く、いちいち頭で考えるから面倒なことになるんだ、体で覚えろってやつらしい。だけど、私としては頭で理解してからでないと体が動かないんだから仕方がない。人にはそれぞれの覚え方ってのがあるんだから。

「休みだが特に予定は入れてないが、なんでまた?」

 どうしたら私にすんなりと覚えさせられるんだ?と、頭を捻っていた篠塚さんがこっちを見下ろした。

「JJおじさんが、クリスマス休暇に入る前に在日米軍の視察で来日するんですが、その時に空母の見学に来ないかって、招待してくれたんですよ。で、もしそういうのに興味があるお友達がいるなら、一緒に連れておいでって。あ、これは任務じゃありませんよ。純粋な好意からの御招待ってやつです」
「空母って、あっちに停泊しているやつか」

 そういいながら窓の外を指でさす。その先には米国海軍の施設があって、そこには何隻かの軍艦が停泊している。

「はい。今年から新しい空母が任務にいたでしょ? 観艦式後に一般公開したら、思いのほか盛況だったらしくて。今は外洋に出ていますけど、おじさんが来日するのに合わせて戻ってくるそうです。クリスマス仕様になって、夜は電飾が綺麗なんだそうですよ」

 私の言葉に、篠塚さんはフムと考え込んだ。

「俺としてはその申し出は嬉しいが、そっちは他に誘いたい人間はいないのか? なかなか入ることのない米海軍の空母なら、見たいと言う人間はたくさんいるだろ」

 まあ確かに、ここに配備されてから初めて一般に公開された時は長蛇の列になったと言うし、そうなればあちらこちらから人が集まってくると思う。

 だけど今回は、一般公開ではなく関係者向けの限定公開となっているから、声をかけるのは誰でも良いってわけでもない。その点でおじさんは、私の交友関係を信用しているのか何も言ってこなかったけど、社会人一年未満の私にだってそれぐらい察することはできた。

「私の周辺には、この手の分野に興味がある子ってのがいないんですよね~。世間ではよく制服萌えと自衛隊萌えとか言われているのに、まったくいないんですよ、どう思います? だからこういう分野で心置きなくお喋りできるのって、職場の人か篠塚さんぐらいなんですよ」

 しかも私が所属しているのは情報部本部。なかなか職場のことで愚痴を話せる相手なんていない。……あ、いるじゃない、目の前に。

「なんだ、その目は」

 篠塚さんの顔が警戒感丸出しになった。

「え? ほら、私って情報本部勤務だから、職業柄あまり外の人に職場の愚痴とか喋れないんですよね」
「また聞きたくない方向に話が進みそうな気がするのは、何故なんだ……」
「聞いてくださいよ~。だって職場の愚痴を職場でするわけにもいかないでしょ? どこでどう広まるか分からないし」
「そうなのか?」
「その愚痴が上司の耳に入ったら、査定に響くじゃないですか。出世できなくなったら、篠塚さん達への出世払いもできないでしょ? だから愚痴を話すのは、今のところここしかないなあって。だからたまには聞いてください」
「……やっぱり」

 天井を見上げて溜め息をついている。

「あ、でもうちの堅田かただ部長は海自の人です。もしかして篠塚さんに話したら筒抜け?」
「……俺はお偉いさんとツーカーになるほど偉くないぞ」
「だったら安心ですね。そのうち愚痴を聞いてください。今のところないですけど」
「……分かった。聞いてやるかどうするかは考えておく。それで? 今のところ同僚にも行きたい人間はいないのか? それこそ上司の堅田部長とかどうなんだ。ごますりぐらいにはなるだろ」

 職場で観艦式のチケットを血眼になって探す同僚は多い。だけどそれは、純粋に護衛艦に興味があるってことじゃなくて、どちらかと言えば接待に利用するためっぽい人がほとんどだ。だからこの手の話で誘っても、わざわざ有給をとってまで一緒に行きたいという人は、なかなかいない。

「堅田部長は前は護衛艦に乗っていた人なので、空母なんて珍しくもなんともないみたいですよ」

 身内の方でも、それなりに興味がありそうな兄にも声を掛けてみたんだ。だけど警察官である兄は、年末の交通安全運動のシーズンに入るから忙しいらしく、見たい気持ちはあるけど、休みをとれそうにないってことだった。

「それでどうでしょう? もちろん、他に何か予定を入れるつもりでいるなら、無理にとは言いませんけど」
「まあ近くで見てみるのも悪くはないな。空母ってのにも興味はあるし」
「乗ったことないんですか? お隣同士だしほら、合同演習みたいなのでお互いの見学とか」

 たまに日米の合同演習でも、お互いに相手の護衛艦に乗り込んで見学をしているよね?

「俺達の仕事は、前にも言ったが基地の保安全般が主な任務だから、その手の演習に参加することはほとんどないんだ。もちろん、米軍との合同訓練がまったくないってわけじゃない。お互いに隣り合っているから、火災や災害時を想定した合同訓練はある。……それより月曜日なら、門真かどまさんの方が仕事なんじゃ?」

 普通なら私も平日だからとお断りするところなんだけど、何せ声をかけてくれたのは、現職の太平洋艦隊司令様なわけでして。

「お忘れかもしれませんが、私にも有給休暇ってのがあるんです。それに今後の日米関係のことを鑑みて、太平洋艦隊司令直々の御招待を防衛省職員がお断りするわけにはいかないという、私なりの配慮です」
「それ本気で言ってるのか?」
「もちろん……後付けです」
「だよな」

 篠塚さんがおかしそうに笑った。もちろん堅田部長にはそれとなく伝え、私用で休むと言ってある。有給休暇を許可してくれたあの様子からして、部長はわりかし本気で日米関係を鑑みて状態だったんじゃないかな。

「あ、篠塚さんのことはただのお友達じゃなくて、私の師匠として紹介しますから安心してください」
「師匠……」
「はい。護身術の師匠ですから」

 いくらチーズハンバーグ弁当を一緒に食べた仲と言っても、いきなりお友達ですなんて紹介したら、篠塚さんが気を悪くするかもしれないと思って考えたのが「護身術の師匠」だった。自分では、それなりにいい考えだと思ったんだけどな。篠塚さんの顔を見ていると、そうでもないみたい?

「ダメですか? 師匠をしていることは秘密とか?」
「まあ秘密でもないし師匠でかまわないが……」
「じゃあ決まりですね」

 何やら複雑な顔をしている篠塚さんだったけど、私の方は特に気にすることなく、電車の時間はどうしましょうかと話し続けた。


「おや、護身術の練習中かと思ったらデートの算段か? 篠塚が守勢に回っているとは、意外な展開だな」


 いきなりの声に、篠塚さんが背筋をピッと伸ばした。部屋に入ってきたのは、篠塚さんと同じ青色の迷彩服を着た年輩の素敵なおじさまだった。

「あの、篠塚さん?」

 どちら様?と尋ねるつもりで、篠塚さんの制服をツンツンと引っ張る。

「横須賀陸警隊を統率している大津おおつ三等海佐だ」

 と言うことは篠塚さんの上官さんで、護身術のことでは色々と便宜を図ってくれた人ってことだ。慌てて姿勢を正すと頭を下げる。

「初めまして。門真と申します」
「ここの陸警隊を束ねる大津です。最初に護身術を習いたいと仰っていると聞いた時は、まさかこんなに長続きするとは思っていませんでしたよ」
「長々と申し訳ありません。ですが、教えてもらうからにはきちんと最後までやり遂げたいので。当分は篠塚三尉をお借りしてご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「最近は物騒なご時世ですからね。自分の身は自分で守れるようにするのは大事なことですよ」
「はい」

 本当に私が覚えたいのはそこじゃなくて、相手を組み伏せることなんだけどな。

「ところで私は篠塚から詳しい話は聞いていないのですが、どうして護身術を学びたいなどと?」
「あ、それはですね」

 よくぞ聞いてくれましたと、喜んで大津三佐の質問に答えようとしたところで、篠塚さんがいきなり口をふさいできた。

「むむむ?!」
「隊長、そこをこの人に語らせると長くて面倒臭いことになるので、省略ということでお願いいたします」
「そうなのか?」

 私は口をふさいでいる手を両手で引き離す。

「勝手に省略しないでくださいよ。隊長さんは私に質問したんですから。とにかくですね、私が本当に身につけたいのは護身術じゃなくて……っ」
「黙ってろって」

 また口をふさがれた。

「本当に身につけたいのは護身術じゃない……?」
「そうなんですよ、私がしたいのは国民を守ることで、覚えたいのは制圧術の方なんです。だけどそれをするなら、まずは自分の身を守れるようになれって、篠塚さんが言うものですから仕方なく護身術をっ」

 口をふさぐ手を引き剥がして、一気にまくしたてたところで再び口をふさがれる。隊長さんはポカーンとした顔をして、篠塚さんを見た。

「ですから、最初の時に言ったじゃないですか。妙な正義感持ちで、すぐに厄介ごとに首を突っ込みたがる困った女だと」
「なるほど。比喩でもなんでもなかったわけか」
「その通りです」

 何気に失礼なことを言ってますね篠塚さん! しつこく人の口をふさぐ手を引き剥がす。

「ちょっと篠塚さん、そんなことを隊長さんに言ったんですか? それって私に失礼では?」
「痴漢を捕まえようとして顔面を殴られたのは誰だ」
「顔面を殴られた……」

 隊長さんがまるでオウムのように、篠塚さんの言葉を繰り返しながら私を見ている。

「あ、大したことないんです。思いっ切り殴られたわけじゃなくて、振り回したゲンコツが顔に当たっただけなので!」
「ゲンコツ……」
「特に骨が折れたとかないので御心配なく」
「篠塚……」
「なんでしょうか」

 私の口をふさぐのを諦めたらしい篠塚さんに、隊長さんが声をかけた。

「門真さんには、しっかりと自分の身を守るすべを教えて差し上げろ。だが……実技よりも、自衛隊精神から話して聞かせた方が良いかもしれないな」
「え……」

 なんだかますます投げ飛ばすのが遠くなりそうなんですが?

「自分の言葉は右から左なので、話して聞かせても頭に残るかどうか」
「そうなのか」

 あの隊長さん、そうなのかじゃなくて。

「門真さん」
「なんでしょうか」
「あまり無茶はしないように。国防組織の一員として、国民の生命と財産を守りたいと思う気持ちは分かりますが、貴女も我々自衛隊が守るべき国民の一人です。護身術にしろ制圧術にしろ、篠塚三尉に教えることを許可したからにはこのまま続けることを認めはしますが、私にも貴女に対する責任があるのでね」
「……分かりました」

 篠塚さんみたいに怖い顔じゃないけど、重々しい口調で静かに言われたらうなづくしかなかった。

「篠塚、しっかり門真さんをお世話しろよ」

 大津三佐は真面目な顔でそう言うと、私に敬礼をして部屋を出ていった。

「ちゃんとお世話しなさいですって」
「言われなくてもしているだろ。稽古があった日には、新しくアザはできてないか報告までさせているんだぞ?」
「だって篠塚さん、報告しないと怒るじゃないですか」

 プッと膨れると、篠塚さんは隊長の言葉を聞いてなかったのか?と怖い顔をする。

 実技の訓練を始めた初日、お尻に大きな青アザができたという話をしてから、篠塚さんはお稽古の夜には必ず報告をしろとうるさく言い続けていた。報告をサボったら、次の週に二十分ぐらいお説教をされたので、それ以後は大人しく報告メールをしている次第。もしかしたら篠塚さんは、うちの母より心配性かもしれない。

「俺には、門真さんにたいする責任があるんだよ。非公式にしろ公式にしろ、格闘術を教えるってことは大変なことなんだからな。この手の技術は、自分の正義感を満足させたいだけのものじゃないんだから」
「ひどい。私そんなふうに、自己満足で守りたいとか制圧術を覚えたいとか言ってませんよ」

 ますますプッですよ!

「門真さんの場合、単なる自己満足じゃなくて、本気で国民を守るのが自分の使命だと考えているから、余計に厄介なんだろ」
「それの何処が厄介なんですか、国防組織の一員としては当然のことでしょ?」

 篠塚さんは、まったく困ったお嬢さんだよなと、溜め息まじりに呟いた。

「それで? ムカついた顔をしているってことは、空母への御招待は無しか?」
「そんな訳ないじゃないですか。私の心はそんなに狭くないです。ちょっとでも借りを間引きするために、特別に篠塚さんを連れていってあげます!」

 「特別に」を強調して言ったら、篠塚さんはやれやれと呆れたように笑った。
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