貴方と二人で臨む海

鏡野ゆう

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東京・横須賀編

第十一話 自衛隊格闘術やってみる?

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 自衛隊格闘術とは、相手と近接戦闘になった場合や素手で戦うことになった場合の戦技として、自衛隊が独自に編み出したものであり、柔道や相撲、合気道など様々な要素が組み込まれたものである。

 その中には素手だけではなく、銃やナイフなどで戦う戦技も含まれており、近年ではゲリラや特殊部隊との近接戦闘等を想定したものも、多く含まれるようになっている。


+++


「……これは私には関係ないような気が。まだサスマタの方が現実的じゃないですか? たしかここにも、サスマタあるんですよね?」

 銃剣を使った場合の格闘術を見せてもらっている時に、犯人役の人が取り押さえられた状態になってから、隣に立っている篠塚しのづかさんを見上げた。

「駅や派出所の近くならともかく、町中で簡単にサスマタが見つかると思うか? 雨の日の場合なら傘を持っているだろ? あれだって突く動作では、それなりに武器として役立つ。大事なのは道具じゃなく、覚えた技をどう応用するかだ」

 ああなるほど、たしかに傘なら、今みたいに相手のことを突けるかも。

「だけど、下手したら過剰防衛になりそうですよ、これ」
「俺達がやったら間違いなくそうなるだろうな。だが門真さんは女性で一般人だ。特になにか段を持っているわけじゃないんだろ?」
「持ってたら習いにきませんよ」

 私の答えに、たしかにと篠塚さんはうなづいた。

「ま、門真かどまさんの場合だと、突きをする前に相手のことをメッタ打ちにしそうだけどな」
「そんなことないですよ。覚えたらそっちで応戦します」
「だと良いんだが」

 実際のところ、陸警隊の人達が重点的に訓練をしているのは、銃やナイフを使う格闘術の方ではなく、素手で相手とやりあういわゆる徒手としゅ格闘ってやつらしい。今は、自衛隊格闘術とはなんぞやでチンプンカンプンな私に、口で説明するより見る方が分かりやすいだろうと、色々なパターンを見せてくれているだけなのだ。

「だが、相手に捕まった時点でかなり不利だな、女性の場合。俺達からしたら、相手から逃げる手段を学ぶ方が、一番現実的なんじゃないかと思うんだがな」

 床に引っ繰り返っていた人が、そう言いながら体を起こす。

「今は、普段から俺達がやっているものを一通り見てもらったわけだけど、自衛官でない門真さんがいきなり身につけるのは、どう考えても無理だよ」

 そう言ったのは、取り押さえる側の人。お二人は篠塚さんの同僚さんで、近江おうみさんと長浜ながはまさん。篠塚さんとは違って、急なことだったろうに嫌な顔一つせず、色々な技を見せてくれている。それどころかニコニコと朗らかで、とっても親切な人達だ。篠塚さんみたいに怖い人ばかりだと思っていたのは、私の思い込みだったみたい。

「篠塚、後ろから門真さんをはがいじめにしてみろ」

 近江さんに言われて、篠塚さんが私の後ろに立つと、そのまま片腕を回してきた。

「どうかな門真さん、それをふりほどけるかい?」

 そう言われて、その場で体に回された腕から抜け出そうと試みたけど、当然のことながら篠塚さんはビクともしない。そりゃそうだよ、初めて会った時だって、私のことを片手で持ち上げて引き摺っていったぐらいの腕力なんだもの、そんな力持ちに本気で捕まえられたら、逃げられるわけがない。そしてその腕が今は首のところにあるから、ますます動くのが難しい。

「篠塚さん、私の首を絞めてますよ」
「実際のところ、相手の意識を失わせて無力化してから連れ去る場合もあるから、首を絞めるのはあり得る話だ。それと、騒がれないようにこんな感じで口をふさぐとか」

 そう言って篠塚さんは、私の口を塞いだ。ムムムとなりながら、両手でその手をつかんで引き下ろす。

「でも私が覚えたいのは、相手を捕まえようとした時に反撃された場合の対処法なんですよ。こういう場合のじゃないです」
「自分が襲われた時の対処法じゃなくて?」

 近江さんが目を丸くした。

「はい」
「本気か?」

 近江さんは篠塚さんを見る。篠塚さんはその問い掛けに、溜め息をつきながらうなづいた。

「どういうわけか、自分が襲われた場合のことなんて、まったく頭にないみたいなんだよな、このお嬢さんは。何が何でも、誰かが困っているのを助けるのが前提なんだそうだ。男が本気でかかってきたらやばいのに、その辺のことをこれっぽっちも考えてやしないんだ」
「だって私の仕事は、国民の財産と生命を守ることですから!」
「と言うことらしい」

 そう言って、再び口をふさいでくる。なんでそこで口をふさぐのか。

「そうなのか……それはどうしたものかな。じゃあ簡単なところからやってみるか? 小手返しとかそのへん? さすがに、回し蹴りで相手をノックアウトなんてのは無理だよな?」
「いっそのこと投げ飛ばすってのはどうでしょう? で、取り押さえる」

 しつこく人の口をふさいでくる、大きな手を再び引き下ろして提案してみた。

「背負い投げのこと? できるのかい?」
「今は無理です」

 私の答えに、お二人はだよねえとうなづく。

「まあ、コツをつかめば、小柄な女性でも男を背負い投げすることは可能だとは思うが、実際に、相手を背負って投げるところまで、もっていけるのかってやつだよな。力点と支点と作用点? これだけ小柄だと、相手の動きとそれを用いるだけでいけるものなのか?」

 篠塚さんが空いている方の手を、自分の顎にやりながらこっちを見下ろしてきた。それって、暗に私のことをチビだと言っているのでは?

「私に聞かないでくださいよね、物理なんて、もう遥か彼方の学問なんですから」
「だよなあ……とりあえずものは試しだ、俺のことを背負ってみるか?」

 篠塚さんは私の体に回していた腕を解くと、おんぶのようりょうで後ろから覆いかぶさってきた。ぐっと一気に体に篠塚さんの体重が加わる。大きな荷物を持っている時のような重さじゃなくて、体全体にずっしりとし掛かってくるような重さだ。

「し、篠塚さん、お、重いぃぃぃぃ」
「当り前だ、全体重をかけてるからな」

 なんでそこで、いきなり全部を乗せてくるの?!

「も、もう少し手加減とかしませんか、普通?!」
「手加減なんかしたらあんたのことだ、自分は力持ちで凄いとか早合点しそうだからな。だからその手の手加減は、しないことにした」
「それいつ決めたんですか!」
「いま」
「いま?! ってか身長が縮むーーーっ 足が床にめり込むーーーっ」

 筋肉質の人は見た目より重たいとは聞いたことあるけど、篠塚さん重すぎ!! なんとか踏ん張ってその場で立ち続けるのが精一杯で、担ぐとか投げるとか言ってる場合じゃなくなってしまった。

 そんな私の様子を、長浜さんと近江さんは呑気に笑いながら眺めている。あの、お二人とも笑いごとじゃないんですが!!

「この三人の中では、篠塚が一番でかいけどそれでも特別こいつが大柄ってわけじゃない。篠塚、お前の体重はどのくらいだ? 七十五はないよな?」
「ない」
「篠塚ですら重たくて身動きが取れないってことだと、他の男を投げ飛ばすなんてとても無理だよ、門真さん。いくらコツがあるとしても、人一人を投げ飛ばすのは簡単なことじゃないんだから」

 長浜さんがそう言って、気の毒そうに笑った。

「ちなみに、さっきみたいに後ろから羽交い絞めにされた場合の反撃方法としては、まずは足を踏みつけるだな。俺達みたいな生地の厚い靴でなければ、間違いなく相手は怯む。特に女性はヒールを履いていることが多いから、かなり有効な手段ではある。今はスニーカーみたいだが、スニーカーでも先端をかかとで踏めば、それなりにスキはできる」

 近江さんがそう言いながら、私の足を指でさす。

「それと口をふさがれた時は、噛みつくのが一番かな。先端になるほど痛いらしいから指先とかね。まあ、見知らぬ男の指を口に入れるなんてしたくはないだろうけど、そこは緊急手段ということで」

 さらに長浜さんが、そんなアドバイスをしてくれた。

「だから覚えたいのは、私が襲われた時の対処方法じゃなくて……い、いい加減に重たいんですってば、篠塚さん!」

 文句を言ったら、背中から覆いかぶさっていた重さがあっという間に消えた。だけど、その反動で後ろに引っ繰り返りそうになって、篠塚さんの手が支えてくれなかったら、派手に引っ繰り返っていたかもしれない。なんだか最近の私って、こんなのばかりだ……。

「こんなフラフラしているのに大丈夫なのかね。制圧術とか護身術とか、言ってる場合じゃないのでは?」
「今のは篠塚さんが急に体を離したからじゃないですか。別に普段からフラフラしているわけじゃないですよ」
「そっちがどけと言うからどいたというのに、まったく文句の多いことだな」

 ブツブツと言いながら私がちゃんと立つのを確かめると、背中の手が離れた。なんだかムカつく。

「あの! 私、目標決めました! 最終目標は、篠塚さんを背負い投げすることにします!!」

 私の宣言に、その場にいた三人がそろって目を丸くする。

「おい。さっきと言ってたことが違うじゃないか。そっちが覚えたいのは、相手を取り押さえる技術だろうが」
「そこは変わってませんよ。人助けのために相手をのしちゃうようになれることが目的です。だけど最終目標は、篠塚さんを投げ飛ばすことにします。そこを目指して頑張ります!」
「ってことは、やっぱり月単位で通ってくるつもりなのか……」
「よろしくお願いします、教官!」

 そう言いながら、私が篠塚さんにではなく、目の前に立っている近江さんと長浜さんに向かって頭を下げると、篠塚さんが不満げな声をあげた。

「だからなんでそこで、俺じゃなくて近江と長浜に頭を下げるんだ」
「だってここまでの話の流れからして、お二人が教えてくれそうな雰囲気じゃないですか。そんな怖い顔で睨まないでください」
「どんな流れだ。こいつらは型を見せるために今回は来てもらっただけで、実際に教えるのは俺だろうが。つまり、門真さんが頭を下げるべきなのは俺だろう。それと顔は元からだと言ってるだろ、ほっとけ」

 私があからさまに不本意ですって顔をしたものだから、篠塚さんはさらに不機嫌そうな顔になった。そして、そんな私と篠塚さんを眺めていた長浜さんと近江さんは、何故かニヤニヤした顔をしている。

「そりゃどうしてもと言うなら頼んでやってもいいが、これ以上あっちこっちに借りを作ったら、出世払いどころじゃなくなるんじゃないのか? 退職するまで借金漬けだぞ?」
「う、それを言われると辛い……」

 この借りはちゃんと返せと言われている身としては非常に辛い。まだまだ新米の私としては、借りる先が今から複数になるのはよろしくない気がする。

「俺達は別にかまわないけど、三人同時に土日休みの門真さんに合わせて休みをとるのは、現実的に不可能だからね。篠塚に教えてもらうのが一番だと思うよ。少なくともこいつ一人だけなら、勤務時間を俺と長浜でカバーしてやれるから」
「つまりは教えてもらわなくても、二人に借りを作るってことだな。借金生活おめでとう、門真さん。晴れて三人からの借りができた」

 篠塚さんが厭味ったらしい顔をして、ニヤリと笑った。

「なに言ってるんですか、この場合の貸し先は私じゃなくて篠塚さんでしょ。だって篠塚さんのお仕事時間のために、お二人は協力してくれるんですから。だからその借金は私には関係ないです」

 私の言い分に、まったく懲りないお嬢さんだなと篠塚さんが呆れたように呟くと、近江さんと長浜さんが可笑しそうに笑った。

「まあ良いんじゃないか? 目標があれば、そこに向けて頑張れるし」
「ただし門真さんがそこまでいくには、相当なトレーニングが必要だと思う。筋力とか瞬発力とか。今のままだと国民を守るどころか、逆に怪我をするからね。篠塚、短期集中を目指していたのなら、やめておいた方が良いと思うぞ」

 それまで笑っていた長浜さんが、真面目な顔をして言い添えた。

「……だろうな」
「ってことは、月単位でお月謝制ですか?」
「おいおい、金をとるのか?」

 なんて奴だとお二人に言われて、篠塚さんが慌てて首を横に振る。

「まさかそんなことするか。それに関しては、彼女が勝手に言い出したことだ。払わないと気が済まないみたいだから、その時に考えてると言っただけで、特になにか報酬をもらおうだなんて思ってない」
「じゃあタダですか?」
「護身術を教えることに関してはな」

 つまりは貸しは貸しだということらしい。

「ではまず、目指せ背負い投げに向けての第一歩として、筋力アップのトレーニングから始めよう。千里の道も一歩からと昔の人が言うように、何事も基礎が肝心だからな。では篠塚教官、始めようか?」

 近江さんが元気よく、トレーニング開始の宣言をした。

 そんな訳で、初日は三人の教官さん達に囲まれて、普段は使わないような筋肉を使うことになった私。自宅に戻ってから判明したことなんだけど、これがまたとんでもなく大変なことだったんだよ……。
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