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番外小話 1
森永家のバレンタイン事情 1
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「森永三佐は、奥様からチョコレートをもらわないんですか?」
まだ寒いというのに、若い連中が何気にソワソワしだす二月。入ってきたばかりの……とは言え、すでに配属されてきて一年は経とうとしている若いのが三佐に声をかけた。その言葉に俺と下山、そして矢野はギョッとなる。そりゃ若い連中は、他の男が恋人や嫁からどんなチョコレートをもらうのか興味津々だろうが、何故そこで藪をつつくようにわざわざ三佐に話を振ってしまうのか。お前、この一年で何を学んだんだ、おい。
「後で特別な訓練メニューを追加するかぁ?」
そいつの直属の上官である矢野がつぶやく。
「もう少し部下の教育をしろよ、矢野ちゃん。あれの最終的な被害をこうむるのは十中八九、いや間違いなく俺なんだぞ」
「ちゃんと言ってあるはずなんだがなあ。三佐に嫁のことで迂闊に話をふると、大量の砂攻撃を受けるぞって」
「あいつ、もしかして分かっててふりやがったのか? けしからなん。だったら追加メニューを更に考えなきゃならん」
「安住、顔が極悪人になってる」
「やかましい、俺自身が甚大な被害をこうむるんだ、悪人面にもなる」
とにかく重光議員が訓練の視察に来て以来、それに同行した三佐嫁である奈緒さんのことは、隊内の若い連中にとって鬼の森永をいじる恰好のネタらしい。だがそういうのは裏でコソコソしていれば良いんだよ、何で本人に面と向かって質問するんだって話だよな。
まあ俺だって、実害が無ければ喜んで三佐をいじるネタにするんだが、いかんせん最終的なシワ寄せが何故か自分のところに回ってくるから迂闊に手が出せないのだ。この前だって、結局は腕立て伏せと懸垂が何故か百回増えたし。奈緒さんの足を撃った矢野はともかく、好きで奈緒さんと三佐の会話が聞えたわけでもないのに、どうして俺までが?って話だ。もちろん俺達二人に付き合うハメになった下山に関して言えば、完全なとばっちりだったしな。
「チョコレート? いや、その日は俺が何か用意する日だからな。特に何も渡されないと思うんだが」
「え?」
「ん?」
「御結婚されて何年目でしたっけ?」
「そろそろ三年目になるんだがそれが何か?」
まあ確かに意外かもしれんな。奈緒さんは若いし、バレンタインやクリスマス等のイベントはオジサンが辟易とするぐらいやりそうな雰囲気だし。俺も京子経由で話を聞くまでは、絶対に家であれこれ今時の女の子並に騒いで、三佐を困惑させているに違いないと思っていたクチなんだから。
「僭越ながら、三佐のお宅では世間とは逆ということでしょうか」
「……?」
三佐は何のことだ?と最初は分からなかったらしいが、やがて合点がいったという顔をした。
「いや、その日は妻の誕生日でな。バレンタインよりそっちが優先されるということだ」
「そうなんですか、じゃあホワイトデーも無しですか」
「いや、そっちは結婚記念日だ」
そう返事をしてから我に返ったのか、少しだけ目を細め、質問をしてきた相手だけでなく、興味津々な顔をして自分を遠巻きに見ている若い隊員達を軽くにらんだ。
「……お前達、他に何かすることは無いのか? 無いなら俺が何か考えてやるぞ」
三佐は、まだ未練たらしく根掘り葉掘り聞きたそうな顔をしている若い連中を見渡しながら、ニヤリと口元に歪んだ笑みを浮かべた。鬼の森永が考えてやるぞと言えば、それは地獄の訓練と決まっているわけで、それまで好奇心丸出しなアホ面をさらしていた連中は、慌ててクモの子を散らすようにその場から離れた……と言うより、あれはダッシュして逃げ出したという方が正しいか。
「おい、お前達」
かくして三佐の矛先は、年長者の俺達に向くことになるわけで。
「あいつらに無駄口を叩いているヒマを与えるな。それと、あれやこれや下世話な話をするようなことだけはさせるなよ」
「その点なら大丈夫ですよ。三佐が地獄耳だっていうの全員が知っていますから」
もちろん俺達も。
+++++
普通にご飯を作るのは問題ないけれど、お菓子とかケーキは、やっぱりプロに作ったものを買う方が、美味しくて良いと思うんだけどなあ……。大学に行く途中で買った雑誌のバレンタイン特集を眺めながら溜息をつく。去年は私の誕生日だからってケーキとお花を買ってきてくれたけど、やっぱり信吾さんも手作りを食べたいとか思ってるのかなあ。今年こそは旦那様のために、頑張って作ってみるべき?
「今からこんなの作れるかな……」
「なに憂鬱そうな顔してるのよ、なおっち」
「ああ、みゅうさん。これなんですけどね」
雑誌を持ち上げて開いたページをみゅうさんに見せる。
「なになに? 今からでも間に合う手作りのバレンタインスイーツ? これで彼氏の心と胃袋をゲット? 一体いつの時代の人よ、このコピー考えたの」
「胃袋をつかむのは大事なんですかね、やっぱり」
「なおっちの場合は心配ないでしょ、おじさんは、なおっちの体にすっかり参っちゃってるんだから」
「みゅうさん、なんだか言ってることがエロオヤジっぽいです」
「本当のことだし大事なんじゃないの? なおっちだって、まずはそこからだったんでしょ?」
「そんなことないですー」
とは言うものの、完全否定できないあたりが辛いところかな。そりゃさ、エッチの相性も大事だとは思うんだけどさ。だけど信吾さんってば本当に肉食系だから、たまに体もつのかなって心配になっちゃうんだよね、もちろん自分の体がってことだけど。
だからその代替え案として、胃袋をつかんでみたらどうかなって思ってるわけ。まあ最近は、午前中に講義がある前日の夜はダメって取り決めをして随分とましになったけど、本当に信吾さんてば体力あり過ぎで困っちゃうよ。今朝だって夜明け近くまで寝かせてもらえなかったし、それなのに、何で信吾さんは元気に仕事に行けるのか不思議で仕方がない。
「なに顔を赤くしてるのよ、なおっち」
「してませんー、みゅうさんの気のせいですー」
「またエッチなこと考えてたんでしょ」
「だからー、そんなこと考えてないですー」
「ほんと、なおっちったら急にふしだらな子になっちゃって。お母さん悲しいわ」
「だからー……」
いつの間に私のお母さんになったんだか、みゅうさん。
「それで? 今年はどういう風の吹き回しで、バレンタインのチョコレートを作ってあげようって気になった訳?」
「まだ決めたわけじゃないんですけどね。ほら、この日が私の誕生日だからウチではそっちがメインなんですよ。たまにはちゃんとしたチョコレートをあげた方が良いのかなって」
二人にとって最初のバレンタインは私と信吾さんが会った日。その日、信吾さんはホテルでケーキとお花、そしてシャンパンを用意してくれた。次の年もそうだったから、三度目の今年も多分そうだと思うし信吾さんもそのつもりでいると思う。誕生日もバレンタインもつい忘れちゃうけど、今回は偶然にも特集している雑誌が目についたことだし、今年は初めて作ってみようかなって思ったんだけどな。
「やっとなおっちも人並みな女の子になりつつあるのか。ふしだらな子だけじゃなくて安心したわ、お母さん」
「だからあ……」
なんでみゅうさんがお母さんなのよう……
+++
夜、キッチンで本番前の試行錯誤をしているとドアチャイムが鳴った。
「はーい、いま開けるー」
そう言って玄関に走っていくと、チェーンを外して鍵を開けた。ドアを開ければ案の定、信吾さん。
「お帰り~」
「ただいま」
信吾さんは帽子をフックにかけてから首をかしげた。
「チョコレートの匂いがしてる」
「うん。雑誌で簡単に作れるスイーツって記事の特集があってね。私でも作れるかな?ってことで試してるんだよ」
「へえ……もしかしてバレンタインのか」
「もしかしなくてもそうなの。あ、上手に作れたら持って行ってくれる?」
「誰に?」
「誰にって……安住さん達に決まってるじゃない。あ、まだ途中やりなの。ご飯の準備はちゃんとできてるから着替えてきて」
そう言うと、ちょっと面白くなさそうな顔をした信吾さんを残してキッチンに急いで戻った。
「液体チョコレートなんてのがあったら楽なんだけどなあ……」
板チョコを刻んで沸騰させた生クリームと混ぜて更に冷まして……こういうのって何だか私には向かない気がしてきた、ご飯づくりと違ってすごく面倒臭い。気に入ったチョコレートのお菓子をデパ地下で買った方が平和だよね、色々と。ああでも、バレンタイン前の洋菓子売り場って戦場なんだっけ。
「それで? どんなのを作ってるんだ?」
着替えた信吾さんがキッチンにやってきて、手元をのぞき込んできた。
「トリュフなんだけどね、普通のじゃ味気ないでしょ? だから、イチゴのチョコとホワイトチョコも買ってきて作ってみたんだ」
「……これはどう見ても猫に見えるんだが」
信吾さんが指さした先には、丸い形の猫や犬の顔をしたトリュフが並んでいる。
「あ、ちゃんと分かる? 面白そうだから犬とか猫にしてみたんだ。ちなみにイチゴのピンクのは豚さんね。髭とか鼻とかをつけるのって意外と難しくて、失敗作もたくさんできちゃった」
別のお皿に並んでいるのは、目がちぐはぐになったり髭が垂れ下がった子達。
「見た目はアレだけど味は同じだよ、食べてみる?」
「どれどれ」
横によけておいた猫を一つ摘まむとパクリと口に放り込んだ。
「どう?」
「うん、美味いよ」
「そう? 良かった」
それを聞いて一安心していると、信吾さんが何やら愉快そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
「なに?」
「奈緒、もしかして大学から戻ってずっとこれをしていたのか?」
「うん。どうして?」
「ちゃんと風呂に入らないと、かなりチョコレートくさいことになっていると思うぞ」
「え? 本当?」
慌てて服を鼻に当ててみる。ずっとチョコレートを温めたり刻んだりしているから全然分かんない。
「してる?」
「ああ、服だけじゃなくて奈緒自身もだと思う」
「それって摘まみ食いしていたからかな……」
「それもあるかもな。そう言えば今日、若い隊員に嫁さんからチョコレートをもらわないのかって尋ねられたよ。こんなチョコレートなら毎年もらっても良いかもな」
そう言いながら私の腰に腕を回して首筋に顔を寄せてくる。
「信吾さん、それって匂いだけだよ。チョコが欲しいならちゃんと作るから、ひゃっ」
カプリと首筋を噛まれて飛び上がってしまった。
「良いこと考えた。奈緒をチョココーティングして俺が美味しくいただくってのはどうだ?」
「やだよ、そんなベタベタしたの。ベッドが物凄いことになってきっと後で後悔するから却下」
「そうか、残念だな。なら……」
信吾さんは何を思ったのか、私のことを持ち上げてシンクの縁に座らせた。
「せっかくチョコレートのいい匂いをさせているんだ。ここで美味しくいただかせてもらうってのは?」
「え? ちょっと信吾さん、ここキッチン……」
「どうせ俺と奈緒しかいないだろ」
「だーめー!! あとで絶対に後悔するから、ここでエッチするのも却下、絶対に却下だからね!! そんなことしたら、みゅうさんちに泊まりに行って帰ってこないから。私、本気だからね信吾さん!」
「まったく……こういうところで真田の名前を出す知恵をつけるとはな。じゃあ、せめてこれぐらいで我慢してやるとするか」
そう言ってチョコレート味のするキスをしてくる。シンクのところに座っているせいで、いつもと違って顔の高さが同じくらいでちょっと変な感じがしたけど、相変わらず信吾さんはキスが上手なんだなあ。気がつけば頭がポヤンとした状態で信吾さんの顔を見つめていた。
「むぅ……エッチするのがイヤなんじゃなくて、キッチンでそんなことしようとするのが問題なんだからね」
「分かってるよ。ここで我慢した分は後で返してもらうから心配するな」
「信吾さん、なんだか言葉遣い間違えてる気がする……」
「そうか?」
シンクから私を下ろしながら信吾さんはニヤリと笑った。
まだ寒いというのに、若い連中が何気にソワソワしだす二月。入ってきたばかりの……とは言え、すでに配属されてきて一年は経とうとしている若いのが三佐に声をかけた。その言葉に俺と下山、そして矢野はギョッとなる。そりゃ若い連中は、他の男が恋人や嫁からどんなチョコレートをもらうのか興味津々だろうが、何故そこで藪をつつくようにわざわざ三佐に話を振ってしまうのか。お前、この一年で何を学んだんだ、おい。
「後で特別な訓練メニューを追加するかぁ?」
そいつの直属の上官である矢野がつぶやく。
「もう少し部下の教育をしろよ、矢野ちゃん。あれの最終的な被害をこうむるのは十中八九、いや間違いなく俺なんだぞ」
「ちゃんと言ってあるはずなんだがなあ。三佐に嫁のことで迂闊に話をふると、大量の砂攻撃を受けるぞって」
「あいつ、もしかして分かっててふりやがったのか? けしからなん。だったら追加メニューを更に考えなきゃならん」
「安住、顔が極悪人になってる」
「やかましい、俺自身が甚大な被害をこうむるんだ、悪人面にもなる」
とにかく重光議員が訓練の視察に来て以来、それに同行した三佐嫁である奈緒さんのことは、隊内の若い連中にとって鬼の森永をいじる恰好のネタらしい。だがそういうのは裏でコソコソしていれば良いんだよ、何で本人に面と向かって質問するんだって話だよな。
まあ俺だって、実害が無ければ喜んで三佐をいじるネタにするんだが、いかんせん最終的なシワ寄せが何故か自分のところに回ってくるから迂闊に手が出せないのだ。この前だって、結局は腕立て伏せと懸垂が何故か百回増えたし。奈緒さんの足を撃った矢野はともかく、好きで奈緒さんと三佐の会話が聞えたわけでもないのに、どうして俺までが?って話だ。もちろん俺達二人に付き合うハメになった下山に関して言えば、完全なとばっちりだったしな。
「チョコレート? いや、その日は俺が何か用意する日だからな。特に何も渡されないと思うんだが」
「え?」
「ん?」
「御結婚されて何年目でしたっけ?」
「そろそろ三年目になるんだがそれが何か?」
まあ確かに意外かもしれんな。奈緒さんは若いし、バレンタインやクリスマス等のイベントはオジサンが辟易とするぐらいやりそうな雰囲気だし。俺も京子経由で話を聞くまでは、絶対に家であれこれ今時の女の子並に騒いで、三佐を困惑させているに違いないと思っていたクチなんだから。
「僭越ながら、三佐のお宅では世間とは逆ということでしょうか」
「……?」
三佐は何のことだ?と最初は分からなかったらしいが、やがて合点がいったという顔をした。
「いや、その日は妻の誕生日でな。バレンタインよりそっちが優先されるということだ」
「そうなんですか、じゃあホワイトデーも無しですか」
「いや、そっちは結婚記念日だ」
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「……お前達、他に何かすることは無いのか? 無いなら俺が何か考えてやるぞ」
三佐は、まだ未練たらしく根掘り葉掘り聞きたそうな顔をしている若い連中を見渡しながら、ニヤリと口元に歪んだ笑みを浮かべた。鬼の森永が考えてやるぞと言えば、それは地獄の訓練と決まっているわけで、それまで好奇心丸出しなアホ面をさらしていた連中は、慌ててクモの子を散らすようにその場から離れた……と言うより、あれはダッシュして逃げ出したという方が正しいか。
「おい、お前達」
かくして三佐の矛先は、年長者の俺達に向くことになるわけで。
「あいつらに無駄口を叩いているヒマを与えるな。それと、あれやこれや下世話な話をするようなことだけはさせるなよ」
「その点なら大丈夫ですよ。三佐が地獄耳だっていうの全員が知っていますから」
もちろん俺達も。
+++++
普通にご飯を作るのは問題ないけれど、お菓子とかケーキは、やっぱりプロに作ったものを買う方が、美味しくて良いと思うんだけどなあ……。大学に行く途中で買った雑誌のバレンタイン特集を眺めながら溜息をつく。去年は私の誕生日だからってケーキとお花を買ってきてくれたけど、やっぱり信吾さんも手作りを食べたいとか思ってるのかなあ。今年こそは旦那様のために、頑張って作ってみるべき?
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「みゅうさん、なんだか言ってることがエロオヤジっぽいです」
「本当のことだし大事なんじゃないの? なおっちだって、まずはそこからだったんでしょ?」
「そんなことないですー」
とは言うものの、完全否定できないあたりが辛いところかな。そりゃさ、エッチの相性も大事だとは思うんだけどさ。だけど信吾さんってば本当に肉食系だから、たまに体もつのかなって心配になっちゃうんだよね、もちろん自分の体がってことだけど。
だからその代替え案として、胃袋をつかんでみたらどうかなって思ってるわけ。まあ最近は、午前中に講義がある前日の夜はダメって取り決めをして随分とましになったけど、本当に信吾さんてば体力あり過ぎで困っちゃうよ。今朝だって夜明け近くまで寝かせてもらえなかったし、それなのに、何で信吾さんは元気に仕事に行けるのか不思議で仕方がない。
「なに顔を赤くしてるのよ、なおっち」
「してませんー、みゅうさんの気のせいですー」
「またエッチなこと考えてたんでしょ」
「だからー、そんなこと考えてないですー」
「ほんと、なおっちったら急にふしだらな子になっちゃって。お母さん悲しいわ」
「だからー……」
いつの間に私のお母さんになったんだか、みゅうさん。
「それで? 今年はどういう風の吹き回しで、バレンタインのチョコレートを作ってあげようって気になった訳?」
「まだ決めたわけじゃないんですけどね。ほら、この日が私の誕生日だからウチではそっちがメインなんですよ。たまにはちゃんとしたチョコレートをあげた方が良いのかなって」
二人にとって最初のバレンタインは私と信吾さんが会った日。その日、信吾さんはホテルでケーキとお花、そしてシャンパンを用意してくれた。次の年もそうだったから、三度目の今年も多分そうだと思うし信吾さんもそのつもりでいると思う。誕生日もバレンタインもつい忘れちゃうけど、今回は偶然にも特集している雑誌が目についたことだし、今年は初めて作ってみようかなって思ったんだけどな。
「やっとなおっちも人並みな女の子になりつつあるのか。ふしだらな子だけじゃなくて安心したわ、お母さん」
「だからあ……」
なんでみゅうさんがお母さんなのよう……
+++
夜、キッチンで本番前の試行錯誤をしているとドアチャイムが鳴った。
「はーい、いま開けるー」
そう言って玄関に走っていくと、チェーンを外して鍵を開けた。ドアを開ければ案の定、信吾さん。
「お帰り~」
「ただいま」
信吾さんは帽子をフックにかけてから首をかしげた。
「チョコレートの匂いがしてる」
「うん。雑誌で簡単に作れるスイーツって記事の特集があってね。私でも作れるかな?ってことで試してるんだよ」
「へえ……もしかしてバレンタインのか」
「もしかしなくてもそうなの。あ、上手に作れたら持って行ってくれる?」
「誰に?」
「誰にって……安住さん達に決まってるじゃない。あ、まだ途中やりなの。ご飯の準備はちゃんとできてるから着替えてきて」
そう言うと、ちょっと面白くなさそうな顔をした信吾さんを残してキッチンに急いで戻った。
「液体チョコレートなんてのがあったら楽なんだけどなあ……」
板チョコを刻んで沸騰させた生クリームと混ぜて更に冷まして……こういうのって何だか私には向かない気がしてきた、ご飯づくりと違ってすごく面倒臭い。気に入ったチョコレートのお菓子をデパ地下で買った方が平和だよね、色々と。ああでも、バレンタイン前の洋菓子売り場って戦場なんだっけ。
「それで? どんなのを作ってるんだ?」
着替えた信吾さんがキッチンにやってきて、手元をのぞき込んできた。
「トリュフなんだけどね、普通のじゃ味気ないでしょ? だから、イチゴのチョコとホワイトチョコも買ってきて作ってみたんだ」
「……これはどう見ても猫に見えるんだが」
信吾さんが指さした先には、丸い形の猫や犬の顔をしたトリュフが並んでいる。
「あ、ちゃんと分かる? 面白そうだから犬とか猫にしてみたんだ。ちなみにイチゴのピンクのは豚さんね。髭とか鼻とかをつけるのって意外と難しくて、失敗作もたくさんできちゃった」
別のお皿に並んでいるのは、目がちぐはぐになったり髭が垂れ下がった子達。
「見た目はアレだけど味は同じだよ、食べてみる?」
「どれどれ」
横によけておいた猫を一つ摘まむとパクリと口に放り込んだ。
「どう?」
「うん、美味いよ」
「そう? 良かった」
それを聞いて一安心していると、信吾さんが何やら愉快そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
「なに?」
「奈緒、もしかして大学から戻ってずっとこれをしていたのか?」
「うん。どうして?」
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「え? 本当?」
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「してる?」
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「信吾さん、それって匂いだけだよ。チョコが欲しいならちゃんと作るから、ひゃっ」
カプリと首筋を噛まれて飛び上がってしまった。
「良いこと考えた。奈緒をチョココーティングして俺が美味しくいただくってのはどうだ?」
「やだよ、そんなベタベタしたの。ベッドが物凄いことになってきっと後で後悔するから却下」
「そうか、残念だな。なら……」
信吾さんは何を思ったのか、私のことを持ち上げてシンクの縁に座らせた。
「せっかくチョコレートのいい匂いをさせているんだ。ここで美味しくいただかせてもらうってのは?」
「え? ちょっと信吾さん、ここキッチン……」
「どうせ俺と奈緒しかいないだろ」
「だーめー!! あとで絶対に後悔するから、ここでエッチするのも却下、絶対に却下だからね!! そんなことしたら、みゅうさんちに泊まりに行って帰ってこないから。私、本気だからね信吾さん!」
「まったく……こういうところで真田の名前を出す知恵をつけるとはな。じゃあ、せめてこれぐらいで我慢してやるとするか」
そう言ってチョコレート味のするキスをしてくる。シンクのところに座っているせいで、いつもと違って顔の高さが同じくらいでちょっと変な感じがしたけど、相変わらず信吾さんはキスが上手なんだなあ。気がつけば頭がポヤンとした状態で信吾さんの顔を見つめていた。
「むぅ……エッチするのがイヤなんじゃなくて、キッチンでそんなことしようとするのが問題なんだからね」
「分かってるよ。ここで我慢した分は後で返してもらうから心配するな」
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