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キュウリ男と編集さん
キュウリ男と編集さん 3
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病院に到着すると、まっすぐ個室がある病棟に向かった。詰め所で名乗る前に「こんばんは、小此木さん」と言われる。どうやらすっかり顔を覚えられてしまったようだ。
―― 四人の兄弟がひっきりなしに見舞いに通っているんだ、そりゃ病院だって顔を覚えるよな ――
心の中で笑いつつ、看護師さん達に挨拶をしてから病室に向かう。ドアをノックすると母親の声が返ってきたので、ドアをそっと開けた。
「ああ、来たか」
「呼ばれたから来たさ。ゲラ刷りができたって?」
部屋に入ってドアを閉める。ベッドで体を起こしていた父親が、こっちを見てニッコリとほほ笑む。
「すっかり坊主頭が板についたね」
「そうか? まだなんとなく落ち着かないがな」
ツルツルになった頭をなでながら笑った。手術後の投薬治療では、副作用で髪が抜け落ちるという話で、父はどうせ抜けてしまうならと、治療前に坊主頭にしたのだ。その思い切りの良さには感心してしまう。
「この頭に慣れる前に、治療が終わってしまいそうなんだがな」
「それは良かったじゃないか。検査結果によっては延長の可能性もあったんだろ?」
「検査の結果は良好だよ。もう少し長生きできそうだ」
投薬のせいで少しやつれた印象はあったが、本人は実に前向きだ。
「少なくとも、お前が身を固めてくれるまでは、頑張らないとなあ」
「だったらせいぜい長生きしてもらうために、もうしばらくは独身生活を楽しむかなあ」
イスに座ると、母親がお茶を出してくれた。
「お客さんじゃないんだから、気をつかわなくていいよ、母さん」
「お父さんの相手ばかりじゃ退屈なのよ。このぐらいさせてちょうだい」
「最近は扱いが軽くなったんだ。どう思う?」
父親が少しだけ悲しそうな顔をする。
「それだけ経過が良好ってことだろ? いいことじゃないか」
「元気な時は逆にうるさくて困るわ。最近は彰のことばかりなのよ?」
「俺? なんで俺の話なのさ」
「だから、早く嫁さんをだなあ……」
「待った。もしかしてゲラ刷りは口実で、本題はそっちなのか? いい加減にしてくれよー」
お茶を飲みながら顔をしかめた。ここ最近の両親は、あの何とかという編集さんがお気に入りのようで、なにかと話題に出したがる。適当に話を聞き流していたが、どうやら本気で俺の相手にと考えているらしい。
「あのさ、俺はまあ適当に聞き流すからいいけど、そういうの、あの編集さんにしつこく言うのはよしてくれよ? 絶対にイヤがられるから」
「羽織屋さんだよ」
「ああ、羽織屋さんね」
はいはいと返事をして、横にあるお菓子を一つつまんだ。
「いい子だぞ?」
「二人が気に入ったのはわかった」
「実に真面目だ」
「はいはい」
「母さんとも話が合う」
そこまで聞いてため息をつく。
「あのさ、仕事上の付き合いと、嫁姑の相性とは別だから」
「だが俺と母さんの目が確かなのはわかってるだろ?」
いわゆる今までの実績というやつだ。父親があれこれお節介をやいて引き合わせた人達の多くが、今も円満な家庭生活を続けている。そこは認める。
「俺は父さんに長生きしてもらうために、もうしばらくは独身でいる」
「おい、孫は見せてくれるつもりはないのか」
「孫はもうたくさんいるだろ?」
「お前はまだ見せてくれてないぞ」
不満げな父の声に、どうしたものかと母親に目を向けた。
「元気になったと思ったら、さっそくあれってどうなんだよ、母さん」
「人生を振り返っていたら、まだ家庭を持っていないあなたのことが、心配になっちゃったのよ」
「回顧録を書くのも善し悪しだねえ……」
困ったもんだと笑うしかなかった。
「親が子供のことを心配してどこが悪い?」
「その子供はもう三十なんですが」
「三十だろうが四十だろうが子供は子供だ」
どうしたものかと考える。そりゃあ人生が終わるかもしれないと思った時に、自分のことで心配させてしまったことは申し訳ないと思う。だがそれとこれとは話が別だ。
「あのさ、前の時に羽織屋さんと話した印象だと、羽織屋さん自身にも、まったくその気はないみたいだけど?」
「そこはお前が押せ押せだろ」
「押せ押せって、一体どこでそんな言葉を覚えてきたのさ。その俺のほうもその気はないんだけど?」
「気に入らんのか?」
「そうじゃなくて、それ以前の話ってやつだよ。まあ、いい子だなとは思うけども」
「合コンで顔を合わせる相手よりは安全だろ」
その言葉に、お茶を噴き出しかけた。
「まったく。いいかげんゲラ刷りの話題にいかないなら、俺、帰るよ?」
「いい子なんだがなあ」
「はいはい、いい子なのは認めますよ。だけど俺にはまだ、その気はありません」
「どう思う、母さん」
「そうねえ。とにかく、ゲラ刷りの確認をしてもらったら?」
母親はあくまでもマイペースだ。だがその実、その母親のほうが父親より厄介なのだが。
―― 母さんが気に入ったって、まったく厄介だよなあ……あの編集さんに迷惑かけなきゃいいんだが ――
そんなことを考えつつ、ゲラ刷りを受け取った。
―― 四人の兄弟がひっきりなしに見舞いに通っているんだ、そりゃ病院だって顔を覚えるよな ――
心の中で笑いつつ、看護師さん達に挨拶をしてから病室に向かう。ドアをノックすると母親の声が返ってきたので、ドアをそっと開けた。
「ああ、来たか」
「呼ばれたから来たさ。ゲラ刷りができたって?」
部屋に入ってドアを閉める。ベッドで体を起こしていた父親が、こっちを見てニッコリとほほ笑む。
「すっかり坊主頭が板についたね」
「そうか? まだなんとなく落ち着かないがな」
ツルツルになった頭をなでながら笑った。手術後の投薬治療では、副作用で髪が抜け落ちるという話で、父はどうせ抜けてしまうならと、治療前に坊主頭にしたのだ。その思い切りの良さには感心してしまう。
「この頭に慣れる前に、治療が終わってしまいそうなんだがな」
「それは良かったじゃないか。検査結果によっては延長の可能性もあったんだろ?」
「検査の結果は良好だよ。もう少し長生きできそうだ」
投薬のせいで少しやつれた印象はあったが、本人は実に前向きだ。
「少なくとも、お前が身を固めてくれるまでは、頑張らないとなあ」
「だったらせいぜい長生きしてもらうために、もうしばらくは独身生活を楽しむかなあ」
イスに座ると、母親がお茶を出してくれた。
「お客さんじゃないんだから、気をつかわなくていいよ、母さん」
「お父さんの相手ばかりじゃ退屈なのよ。このぐらいさせてちょうだい」
「最近は扱いが軽くなったんだ。どう思う?」
父親が少しだけ悲しそうな顔をする。
「それだけ経過が良好ってことだろ? いいことじゃないか」
「元気な時は逆にうるさくて困るわ。最近は彰のことばかりなのよ?」
「俺? なんで俺の話なのさ」
「だから、早く嫁さんをだなあ……」
「待った。もしかしてゲラ刷りは口実で、本題はそっちなのか? いい加減にしてくれよー」
お茶を飲みながら顔をしかめた。ここ最近の両親は、あの何とかという編集さんがお気に入りのようで、なにかと話題に出したがる。適当に話を聞き流していたが、どうやら本気で俺の相手にと考えているらしい。
「あのさ、俺はまあ適当に聞き流すからいいけど、そういうの、あの編集さんにしつこく言うのはよしてくれよ? 絶対にイヤがられるから」
「羽織屋さんだよ」
「ああ、羽織屋さんね」
はいはいと返事をして、横にあるお菓子を一つつまんだ。
「いい子だぞ?」
「二人が気に入ったのはわかった」
「実に真面目だ」
「はいはい」
「母さんとも話が合う」
そこまで聞いてため息をつく。
「あのさ、仕事上の付き合いと、嫁姑の相性とは別だから」
「だが俺と母さんの目が確かなのはわかってるだろ?」
いわゆる今までの実績というやつだ。父親があれこれお節介をやいて引き合わせた人達の多くが、今も円満な家庭生活を続けている。そこは認める。
「俺は父さんに長生きしてもらうために、もうしばらくは独身でいる」
「おい、孫は見せてくれるつもりはないのか」
「孫はもうたくさんいるだろ?」
「お前はまだ見せてくれてないぞ」
不満げな父の声に、どうしたものかと母親に目を向けた。
「元気になったと思ったら、さっそくあれってどうなんだよ、母さん」
「人生を振り返っていたら、まだ家庭を持っていないあなたのことが、心配になっちゃったのよ」
「回顧録を書くのも善し悪しだねえ……」
困ったもんだと笑うしかなかった。
「親が子供のことを心配してどこが悪い?」
「その子供はもう三十なんですが」
「三十だろうが四十だろうが子供は子供だ」
どうしたものかと考える。そりゃあ人生が終わるかもしれないと思った時に、自分のことで心配させてしまったことは申し訳ないと思う。だがそれとこれとは話が別だ。
「あのさ、前の時に羽織屋さんと話した印象だと、羽織屋さん自身にも、まったくその気はないみたいだけど?」
「そこはお前が押せ押せだろ」
「押せ押せって、一体どこでそんな言葉を覚えてきたのさ。その俺のほうもその気はないんだけど?」
「気に入らんのか?」
「そうじゃなくて、それ以前の話ってやつだよ。まあ、いい子だなとは思うけども」
「合コンで顔を合わせる相手よりは安全だろ」
その言葉に、お茶を噴き出しかけた。
「まったく。いいかげんゲラ刷りの話題にいかないなら、俺、帰るよ?」
「いい子なんだがなあ」
「はいはい、いい子なのは認めますよ。だけど俺にはまだ、その気はありません」
「どう思う、母さん」
「そうねえ。とにかく、ゲラ刷りの確認をしてもらったら?」
母親はあくまでもマイペースだ。だがその実、その母親のほうが父親より厄介なのだが。
―― 母さんが気に入ったって、まったく厄介だよなあ……あの編集さんに迷惑かけなきゃいいんだが ――
そんなことを考えつつ、ゲラ刷りを受け取った。
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