帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第五部 招かざるモノ

第六十九話 海の神様

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「昨日はありがとうございました。以後は基地に戻るまで、何事も起きませんように!」

 かしわ手を打つと、神棚の前でいつも以上に頭を下げた。なにがどう猫神や神様達が関わっていたのかわからないが、とにかく俺達は今日も無事に生きている。そして相波あいば大尉によると、夜中に仲司なかつかさ三佐がいる医務室に何人か行った以外は、いたって普通の夜だったらしい。

 神棚に向けてもう一度頭を下げると、甲板かんぱんに急いだ。全員が整列したところでラッパが鳴り響き、自衛艦旗が掲揚けいようされる。

「良かったよなあ、この光景がまた見れて」

 そんなことをしみじみとつぶやいている先輩達がいた。その中には、昨日の艦橋勤務だった先輩もいる。選抜された先輩でもそう感じるのだ。そりゃ、食欲不振や不眠症に悩まされる隊員も出るだろうと納得する。

―― まあ、あれを見たらそう感じるのも無理はないよな ――

 そう考えると、最後にゲロを吐きはしたが、俺と比良ひらはマジで図太いのかもしれない。

「昨日はゆっくり寝られたか?」

 艦内に戻る途中で山部やまべ一尉に声をかけられた。向こうでは比良が、副長から話しかけられている。これも幹部の仕事というわけだ。

「あ、おはようございます、航海長。おかげさまでぐっすりです。しかも夕飯の時には、コーヒーゼリーのおかわりをさせてもらったんです。航海中には甘いモノがめったに食べられなくなるので、すごくラッキーでした」
「らしいな。料理長が喜んでいたぞ。残すヤツが多い中で、お前と比良は喜んで食べていたって」
「だって艦長コーヒーのゼリーですよ? 食べなきゃもったいないじゃないですか」

 艦長はあと少ししたら異動になるのだ。もしかしたら二度と食べる機会がないかもしれないのに、食べないでどうするんだって話だ。

「あきれるほどお前達は図太いな。お前はともかく、比良は意外だったが」
「え、俺はともかくってなんすか、それ」
「お前はもともと、神経が太そうなヤツだなと思ってたんだよ。こいつは何が起きても動じないだろって」
「いや、動じますよ。昨日のアレだって、十分に動揺してました」

 まるで何も感じないような言い方はしないでほしい。俺だってあれには度肝どぎもを抜かれたのだから。

「そうかー?」
「そうです! あ、でも、あれを見てしまったら、次に何がどんなふうに飛んできても、驚かない気はしてます」
「ほら見ろ、じゅうぶんに図太いぞ、お前」

 一尉がゲラゲラと笑っていると、スピーカーがブツッと音を立てた。

「副長、および航海長は至急、艦橋にあがってください。その他は、すみやかに自分の持ち場につけ」

 艦橋で留守番をしていた船務長の小野おの一尉の声だ。めったにない指示に首をかしげる。

「朝から何事だ?」
「まさか何か飛んできたんですかね」
「さて、そうでないと良いんだがな」

 俺達は急いで艦橋へ上がる階段をのぼる。艦長は海図のところにいた。

「花火でもあがりましたか」

 副長がそう言いながら、艦長のほうへと歩いていく。

「ああ、あがったぞ。だが、こちらが展開している海域とは正反対の方角に、飛んでいった」

 艦長の言葉に、集まった一同がポカンとした顔をする。すでに話を聞いているらしい小野一尉は、苦笑いをして肩をすくめた。

「え? 打ち上げたはいいが、制御不能になって反対側に飛んでったわけではなく?」
「意図的に反対側に飛ばしたんだろうな」

 そう言いながら、飛ばした基地があるポイントに丸をつけ、そこから飛んだ方向を線で引く。たしかにいつもとは正反対の方角に飛んでいる。

「さすがに、我々が待ち受けている場所には、打ってこれませんでしたか」
「こっちでも太平洋側でも、我々と米海軍が展開しているからな。しかもアメリカさんは、まだかまだかと手ぐすね引いて待っている状態だ。さすがにあちらも飛ばしにくいだろ」

 太平洋側では空母を含む打撃群が、そしてこちら側では海自と連携している米海軍の潜水艦が展開している。

「飛ばさないという選択肢もあるでしょうに」
「それでも飛ばす選択肢を選んだということだな」
「でもこのコース、すごく微妙なラインですよね。狙って落としたのなら、きちんとコントロールされてるってことなので、逆に安心できないですけど」

 飛翔体が飛んだであろうルートは実に微妙なコースだった。日本のEEZにはかすりもしないが、下手をすれば隣国の領海どころか本土に、さらに下手をすれば某国の後ろ盾になっている国の領海に落ちかねない。落下予想ポイントは、その隙間にうまいこと入っていた。

「そのとおり。苦しまぎれに発射したミサイルが、幸運に恵まれてそこに落ちたとは考えにくい。となれば、彼らのミサイルの技術はかなり上がっていることになる」

 そこへ猫大佐が候補生達を引き連れて艦橋にやってきた。大佐は空いている艦長席に陣取り、朝寝を決めこむ。候補生達は……よりによって広げた海図の上に飛び乗ってきた。

―― おい、やめろって…… ――

 こっちは真面目な話をしているというのに、まったく気にする様子もなく、書かれた線を前足でチョイチョイとやっている。そして三匹は、そろって腹を見せてコロンと寝っ転がった。

「……」
「……」
「……」
「……」

 艦長達は、なんとも言えない表情をして黙りこむ。そりゃそうだろう。この三匹が見えていたらそういう反応になる。今までずっと、見えているくせにしらばっくれていたのだ。せいぜい困った状態になりやがれと思った。

―― 今の状態は間違いなく、ざまあ、だな ――

 三匹が耳をピクピクとさせて俺を見る。

波多野はたのさん、ざまあって、なんですかー?』
『さばのことー?』
『お魚のこと~~?』

 艦長達の視線がいっせいにこっちに向いた。

「なにか不審な点でも?」

 候補生達の声は聞こえても、俺の心の中の声までは聞こえない。あちらも散々しらばっくれたのだ。こっちもしらを切り通してやる。

「いや、特になにも」
「ま、そういうことにしておこう」
「優しい艦長と副長で良かったな、波多野」
「お前は実に運が良い」

 幹部の皆様方は、それこそなんとも言えない顔つきになった。

「なんのことでしょうか?」

 そんな幹部に対して俺は、真顔のまま礼儀正しく言い返す。

―― あとで候補生達には、人の心の声を勝手に聞くなと言い聞かせておかなくちゃな ――

「……これで今回の件は、収束ということで良いのでしょうかね」

 気を取り直したであろう副長が話を戻した。

「さて、どうだろうな。潜水艦の追突事故のこともある。あちら陣営にとっては、今回は踏んだり蹴ったりの状態だ。俺だったら、これ以上のゴタゴタに遭遇しないうちにほこを収めるがな」

『ふん、あやつらはもう少し痛い目を見れば良いのだ。毎度毎度、吾輩わがはいたちの海で好き勝手をしおって。今回のことは自業自得だ』

 凶悪な顔でアクビをしながら大佐が言った。艦長と副長が顔を見合わせる。そして艦長が軽く咳ばらいをした。

「ここ最近は、正体不明の物体との衝突事故が増えている。彼らも日本近海を航行する時は、我々の潜水艦以外にも注意すべきモノが存在すると思い知っただろう」

『性懲りもなくすぐにやってくるぞ、あやつらは。まったく。学習能力のない馬鹿者どもめ』

 大佐の忌々いまいましげな口調に、艦長は再び咳ばらいをした。


+++++


『起きろ、波多野』

 顔を猫パンチされ目が覚めた。目をあけると、目の前に大佐の鼻先のドアップ。

「なんだよ~~、いま何時だよ……えええ、三時じゃないかあ……起こすなよ~~寝かせてくれよ~~」
『いいから来い』
「ええええ……また着替えるのかよ……」
『そのままで良いから来るのだ。早くしろ、わだつみ殿を待たせるつもりか』

 俺はあくびをかみ殺しながらベッドから出ると、トレーニングルームで使用するために持ってきていたスニーカーをはく。

「もー……なんなんだよー……わだつみがなんだって~~?」

 目をこすりながら部屋を出ると、比良が同じように眠そうな顔をしながら、部屋を出てくるところだった。

「あれ、波多野さんも起こされたんですか……?」
「そうなんだよー……」
『おしゃべりは良いから、はやく来い、馬鹿者どもめ』

 俺と比良は、ボーっとしたまま大佐の後ろについていく。向かったのは艦橋だ。

「おいー、この服装で艦橋はいくらなんでもまずしだろ……」
『どうせ暗いのだ。人の目ではほとんどわからん』
「えー……」

 二人で階段をあがり、艦橋にはいる。当然のことながら当直とワッチに立っている先輩達がいた。先輩達は俺達が入ってきたのに気がついて、目を丸くする。

「あれ? 波多野と比良は今は寝てる時間だろ」
「そうなんですけど、ちょっと呼ばれまして……」
「用がすんだら、すぐに出ていきますので……」
「???」

 その質問に曖昧あいまいに答えながら、大佐の後を追う。大佐は艦橋横のデッキへと出ていった。デッキに出ると、冷たい風が吹き抜けていた。ジャンパーを着てこれば良かったと後悔する。だが、そのおかげで少しだけ眠気が飛んだ。

『わだつみ殿が、お前達を見たいと言ったのでな』
「わだつみって?」

 大佐は双眼鏡の上に乗ると、ニャーンと鳴き声をあげた。するとクジラの鳴き声のような声が返ってきた。この声、聞いたことがある。ハワイに向かう航海の途中で、不思議な生き物を見た時だ。

「波多野さん、あそこ」

 比良がさす方向を見ると、海面がぼんやりと光を発していた。その光がどんどん強くなる。光っている物体が浮上しているらしい。そして波柱の間から顔を出したのは、あの黒いかたまりを海に沈めたヤツだった。

「あれが、わだつみ」
『そうだ。日本の海を守る海の神。日本の周囲を回遊し、この海を守っているのだ』
「へえ……」

 それは歌を歌いながら、みむろの周囲を回っているようだった。そこにもう一つの光が浮上してきた。姿を現わしたのは、最初に黒いかたまりに食らいついたヤツだ。

「ハワイに行く途中で見たのと、ちょっと違いますね。もしかして、えーと神様ってこういう時ってなんて言うんでしたっけ? 一頭二頭じゃ失礼ですよね」

 比良の言葉に、大佐は鼻を鳴らす。

『今さらなんと言おうが些細なことだ。すでにお前達は、猫神の候補生達のことも、一匹二匹と数えておるだろうが』
「あ、そうでした」
『まあとにかく。わだつみ殿は単独ではなく、複数で日本の海を守護しているということだな』
「なるほど」
『しっかりと礼を言っておくのだな。今お前達が生きているのは、わだつみ殿たちのおかげでもある』

 たしかにそうだと手を合わせる。今回だけではなく、これまで日本の海を守ってくれたこと、そしてこれからも守ってくれることに対しても、心の中で感謝の言葉をのべた。 
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