帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第三部 夏の小話

第四十九話 カレー愛

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「今週末のサマーフェスタだが、急きょ、海保の巡視船が一般公開に加わることになった。そのため、みむろは接岸場所をあけるために、当日は航空基地の沖に移動することになる」

 副長の藤原ふじわら三佐の言葉に、その場に落胆の空気が漂った。つまり当日は、終日、艦内に留まり続けなければならないということだ。つまるところ、サマーフェスタで出店される海自カレーを、食べるチャンスが消えたということになる。

「……カレー、食べられないなんて。せっかくのチャンスが」
「なにを言ってるんだ。出店されるカレーは、この近所の店のものばかりだろ。食べたければ、休みの日に行けるじゃないか」
「そういう問題じゃないんです」
「じゃあ一体どういう問題なんだ」

 俺達の言葉に、三佐は困惑した表情を浮かべた。

「あの雰囲気の中で食べるカレーが、良いんじゃないですか。あー、サマーフェスタでカレーが食べられないなんて、ガッカリです!」
「お前達、一般客気分になってどうするんだ」
「自衛官だってサマーフェスタを楽しみたいです!」

 パトロールや任務で不在ならあきらめもつく。だが今のところ外洋に出る予定はない。せっかく基地内にいるのに、沖で停泊していろとはあんまりだ。

「ほらー、だから言ったじゃないですか。艦長と副長が若いのを甘やかすと、ロクなことにならないって」

 困惑したままでいる三佐の横で、山部やまべ一尉が笑う。

「俺達は甘やかしてないだろ。こっちの権限の範囲で、快適な職場環境にしようとしているだけだぞ」
「それが甘いっていうんですよ。職場なんてのは、多少、窮屈ぐらいでちょうど良いんです」

 一尉はすました顔で言った。

「とにかく、だ。今年はあきらめろ。どうしてもカレーが食べたいなら、休暇中に食いに行け」

 その場の全員が「えーっ」と不満げな声をあげた。

「うるさいぞ、お前達。未練がましくピーピー言うな。こっちは、子供に働いているパパの姿を見せられないんだ。俺達だってつらいんだぞ。カレーぐらいなんだ、我慢しろ」

 一尉の言葉に三佐がうなづく。つまり、沖に出ることが不満なのは、幹部も同じってことらしい。

「カレーぐらいってなんですか、カレーぐらいって。海自カレーは大事でしょ、みむろカレーもあるんですし」
「とにかくサマーフェスタ当日は、終日、沖にて錨泊びょうはく。いくら部下思いの艦長と副長でも、内火艇ないかていは出さないからな。当日の食事は艦内だ。これは決定事項。以上」
「では今日も一日、しっかりと業務にはげめ。解散!」

 そう言って、その場は解散になった。


+++


「おおおお、いつもながら、たっけえ……」

 下を見下ろして、思わず声を上げた。

「初めてじゃないからわかっていると思うが、常に安全帯の確認はしろよ」
「了解でーす」

 先輩の指示に返事をしつつ、細いパイプの上を移動する。ここは艦橋窓の外側にある清掃用の足場、というには心もとないパイプの上だ。艦橋の窓にはワイパーがついているが、それだけでは隅々まできれいにならないので、たまにこうやって拭き掃除をするのだ。だがこの高さ、落下防止の安全帯をつけていてもかなり怖い。

「普段は意識してないけど、艦橋ってけっこう高い位置にあるよな……」

 できるだけ下を見ないようにして、窓ふきの作業にかかった。窓の向こう側には、なぜか猫神の候補生達がいて、俺を不思議そうにみつめている。

波多野はたのさん、なにをしてるんですかー?』
『波多野さん、あぶないです!』
『波多野さん、高いところ平気なんですねー』

「窓拭きだよ。それから安全帯つけてるから、とりあえずは安全だ。それと平気じゃないぞ、けっこう怖い」

 艦橋には他の先輩がいるから、ボソボソと答えた。それでも候補生達には聞こえるらしく、目を丸くして俺を見あげる。腰にぶら下げていたスプレーを窓に吹きつけると、窓のそばにはりついていた候補生達三匹は、驚いて飛び上がった。

「しかし、まさかの錨泊びょうはくとはなあ……がっかりだ」

 雑巾で窓を拭きながら、独り言をつぶやく。

『サマーフェスタというやつか。騒々しい場所から離れていられるとは幸いだな』

 そこへ大佐が出てきた。他の先輩達に見えないことをいいことに、細いパイプの上を危なげなく歩き、さらには俺の頭に飛び乗って向こう側へと渡っていく。そしてワイパーのモーター部分にあがるとそこに鎮座した。

「おおおお、おい、危ないだろ、落ちたらどうするんだ」
吾輩わがはいをそのへんの猫と一緒にするな』

 わかっていても、実体が見える俺としては、そんなところに鎮座されると落ち着かない。

「お前、飛べないだろ?」
『だから、そのへんの猫と一緒にするなと言っている』
「候補生達がマネしたらどうするんだよ」
『案ずることはない』

 そして案の定、外に出た大佐を見ていた候補生達が、我も我もと外に出てきた。

『僕達もそこに行きます!』
『波多野さんを見守ります!』
『たかーい!』

「ほらみろー、どうするんだよ……」
『だから案ずることはない』
「いやいや、案ずるだろ、普通ー……」

 俺の心配をよそに、候補生達もワイパーのモーター部分によじのぼり、大佐と同じように鎮座した。

『たかいですー』
『遠くまで良く見えるー』
『あそこにいる比良ひらさんが、とても小さく見えますー』

 その言葉に振り返って下を見る。比良は先輩達と艦首部分にいて、ロープを腰に装着していた。今からいかりの錆を落とす作業に入るのだ。

「あれもなかなか怖そうだな……」

 体の向きを変え、自分の仕事を再開する。

「さっきの話に戻るけど、騒々しいと言っても、うちは一般公開はしないから、静かなもんだろ。そりゃあ、メインのイベント会場はここだし、音楽隊の演奏もあるけど」
『それはお前達の人間の耳での話だろうが。吾輩わがはい達はお前達以上によく聴こえているのだ』
「そんなに大声で騒いでいる人なんて、いないと思うけどな」
『しかも、余計なモノを連れてくる者もいる』
「あー、前に跳ね回っていた黒いヤツか」

『あ、カモメー!!』
『カモメ接近中ー!!』
『波多野さんの帽子を狙っています!!』

 後ろでバサバサと羽ばたく音がした。振り返るとカモメが一羽。間違いなくこちらの様子をうかがっている。

「なんでカモメ。俺はなにも持ってないぞ!」

 シッシッと手を振るが、カモメは艦橋の周囲を飛び回り離れようとしない。たまに異様に接近してくる様子からして、帽子でなくても俺を狙っているのは間違いないようだ。窓拭き用のスプレーで追い払おうかと考えていると、候補生達が騒ぎ出した。

『対空戦闘用意!!』
『対空戦闘用意!!』
『対空戦闘用意!!』

「え、ちょ、お前達、なにしてるんだよ!」

 候補生達が毛を逆立てて、シャーッと声をあげる。そして近づいてきたカモメに飛びかかった。カモメは予想外の攻撃に驚いたのか、のけぞって変な声をあげると艦橋から離れる。候補生達は素早く、カモメから元のモーター部分へと飛び移った。

「おいおいおい、お前達、危ないだろ」

『危ないのは波多野さんです!』
『僕達、波多野さんの護衛ですから!』
『あ、カモメ、今度は比良さんのところへ!』

 艦橋から離れたカモメが艦首をめがけて急降下する。

『対空戦闘用意ーー!!』
『対空戦闘用意ーー!!』
『比良さんを守れー!!』

 候補生達がモーター部分から下にめがけて飛んだ。

「お、おい! この高さから飛び降りて無事なわけないだろ!」

 子猫三匹の姿は、落ちていく途中でスッと消えて見えなくなった。

「?!」
『だから心配ないと言っただろう。吾輩わがはい達は猫神だ。候補生とは言え、そこは同じ。普通の猫とは違う』
「心臓に悪すぎだ……」
『お前が心配しすぎなのだ』
「そんなこと言ってもだな……」

 眼下では、カモメがまた変な鳴き声をあげている。ここからは見えないが、三匹がまた襲いかかったのだろう。

『カモメのことは案ずるな。お前はお前の仕事をさっさと終わらせろ』

 大佐は退屈そうに、耳の後ろを後ろ足でかきむしった。


+++


「お疲れさん。お前、カモメに狙われていたな」

 窓拭きを終え艦橋に戻ると、先輩が愉快そうに笑って俺り顔を見た。

「もー、食い物なんてなにも持ってないのに、なんでカモメが襲いかかってくるんすかねー……」

 高い場所にいた緊張と、候補生達のことを心配していた気疲れでグッタリだ。あれからカモメがこっちに来なかったところを見ると、もしかして狙っていたのは俺ではなく、候補生達だったのでは?と思わないでもない。

「次に窓拭きをする時は、対カモメ用に、なにか持って出ることにしますよ」
「あんなこと、滅多にないんだけどなあ」

 サイドパイプの音がした。艦長が下艦する合図だ。その音に艦橋の横に出て、下を見下ろす。

「艦長はどこに? また総監部から呼び出しですか?」
「一緒にいるのは料理長みたいだし、みむろのオッカサンのところじゃないかな。年に一度のカレー認定更新が迫ってるし」
「ああ、なるほど。金曜日でないのにカレーが食べられるのか。いいなあ、艦長と料理長」
「波多野、どんだけカレーが好きなんだよ」

 その場にいた先輩達が笑った。いやいや、カレーは大事だろ?
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