帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第三部 夏の小話

第四十二話 ゴロー二曹、ほえる

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 艦橋にあがると、窓辺で猫大佐が昼寝をしていた。へそ天状態のそのかっこうは、どこから見てもオッサンだ。

―― 神様としての、威厳もなにもあったもんじゃないよなあ…… ――

 しかし、見えているであろう艦長や航海長達は、よく気にならないなと感心する。幹部にとってふねに猫がいることは日常の一部で、もう慣れきってしまっているのだろうか。

―― 慣れって怖い ――

 俺は当分、慣れられそうにない。

「おう、清掃は終わったのか?」

 山部やまべ一尉が艦橋にあがってきた。

「はい。終了しました」
「しかし今日は暑いなあ。もう梅雨明けか?」

 副長用と書かれたうちわを手に、扇風機の前に立った一尉がぼやく。

「どうなんでしょう。天気予報では、まだ一週間ぐらいは雨降りが続くだろうって、言ってましたけどね」
「最近は、気がついたら明けていたって感じだからなあ。よし、エアコンつけるぞ。うちわと扇風機だけでは我慢ならん。寒いヤツはジャンパーを着ろ」

 一尉の言葉に、その場にいた全員が歓声をあげる。風が通りにくい停泊中は、計器類のこともあるので早めにエアコンをつけるのが常だった。しばらくして、艦橋内が心地よい涼しさになる。猫大佐はエアコンの風が当たるのが気に入らなかったのか、艦長席に移動して丸くなっていた。

「そういえば波多野はたの

 航海図をデスクにひろげ、これまでの航海訓練での航路を確認していると、一尉が俺を呼んだ。

「なんでしょう?」
「お前が掃除の時に話していたレインボーかき氷だけどな」
「え、そんなところから話を聞いていたんですか?」

 すでにそこから艦長達に話を聞かれていたと知って、心の中でかなりびびる。

「停泊中で静かだったんだ、あれだけ騒いでたら聞こえるだろ」
「そりゃまあ、今日はエンジンとまってて静かですけどね……」

 そこまで騒いでいたつもりはないんだが。とにかく評価に響かないことを祈るばかりだ。

「それでレインボーの件だが、みむろのオッカサンのところで、期間限定メニューに加わるらしいぞ?」
「マジっすか!!」

 「みむろのオッカサン」とは、俺が入隊するきっかけとなった「みむろカレー」を提供している喫茶店の奥さんのことだ。つまり徒歩圏内、普段の休みに行ける場所!

「なんでも娘さんが帰省していてな。期間限定だが、あっちで食べたのを再現してくれるそうだ」
「あれ、テレビで見て気になっていたんですよ。さっそく比良ひらを誘って行ってみます!」
「気が早いぞ、お前。まだ提供することが決まったぞって話だ」

 一尉が笑った。

「こっちでは提供している店がないから、半分あきらめてたんですよ。あそこなら普段の休みに行けるじゃないですか。いつから食べられるようになるんですかね? あ、サマーフェスタで提供とかないですかねー」
「さすがにサマーフェスタは、カレーだけで手一杯だろ。当日、どれだけの人数が来ると思ってるだ」

 空自の航空祭ほどではないが、ここの地方隊のサマーフェスタも地域のイベントとして定着しているせいもあり、毎年かなりの来場者がある。名物の海自カレーも、昼すぎには出店店舗すべてが完売になってしまうぐらいだ。そしてもちろん、みむろカレーも出店することになっている。

「とにかく、どんなレインボーになるのか楽しみです!」

 口コミで広がってしまう前に、なんとしてでも食べに行かねば!


+++++


「お疲れ様っす」
「おう、お疲れ。気をつけて帰れよ~」
「うぃーす」

 勤務時間が終わり、ふねをおりて空を見あげる。夏至がすぎて日は短くなっていくばかりだが、この季節、まだ外はかなり明るい。

「飯、なににしようかなあ……」

 そんなことを考えながら、ゲートへと向かう。なにをするにしても、今の白い夏の制服ではどこへ立ち寄るのも危険だ。まずは自宅に戻り、着替えてからどうするか考えよう。

「あ、壬生みぶ海曹、お疲れ様です」

 ゲートに向かっている途中、ゴローをつれた壬生三曹が歩いてたので声をかけた。俺の声に三曹は立ち止まったが、ゴローのほうはそれよりも先に気づいていたらしく、尻尾を激しく振っている。この地方隊には何頭か警備犬がいるが、それなりに関わりがあるせいか、俺にはゴローが一番かわいく見えた。

「ああ、波多野はたのさん。今日はもうあがりですか?」
「はい。これから帰宅して飯食って寝ます」
「だって、ゴロー。波多野さんはお仕事が終わったばかりなんだから、遊べないんだよ?」

 三曹の横で、尻尾を降っていたゴローの顔つきがシュンとなる。

「ごめんなー、ゴロー。今日はさすがに走り回るの無理だ」
『クーン……』

―― ううう、本当にゴローはかわいいよな。うちの大佐とはえらい違いだよ……ちょっとぐらい相手をしてやろうかな…… ――

 しょんぼりした表情にほだされそうになった。だがその点は、壬生三曹のほうが厳しかった。

「ダメだよ、ゴロー。私達は今、パトロール中なんだからね。遊べるのはパトロール以外の時だって言ったよね?」
「ああ、そうか。今日は訓練ではなく、業務時間中なんですね、海曹もゴローも」
「そうなんですよ。なので、遊ぶのはまたあらためて」
「了解です」

 ハンドラーである壬生三曹の言葉は絶対だ。ここで俺が勝手にゴローを相手にしてしまうと、ゴローと三曹の間にある信頼関係が崩れてしまう。かわいそうだが、今日はがまんだ。

「あ、そうだ。今年のサマーフェスタ、ゴローも皆さんに、仕事ぶりを見てもらうことになりそうなんです」

 ゲートに向かって二人と一頭で歩いていると、三曹が突然、口を開いた。

「え、そうなんですか?」
「はい」

 サマーフェスタの当日、基地では様々なイベントが行われる。航空基地では機体の展示や飛行展示、護衛艦上では立検隊たちけんたいの訓練展示や隊員達によるファッションショー。そしてメイン会場では、音楽隊の演奏や警備犬の訓練展示、海自カレーの出店など。最近は警備犬達も知名度が上がってきたせいか、小さい子達のふれあいタイムがおこなわれるぐらいの盛況ぶりだ。

「おお。いよいよ、ゴローも展示デビュー」
「はい。ゴローがデビューってことは、私もデビューなんですけどね……もう今から緊張しちゃって」
「あ、そうか。ハンドラーと警備犬はペアですもんね。俺、あいてる時間が訓練展示とかさなるようなら、見に行きますよ、壬生海曹とゴローの展示」

 俺がそう言うと、三曹がとんでもないと首をブンブンと横に振る。

「やめてくださいよー、知ってる人に見られたら緊張しちゃうじゃないですか!」
「見えないようにこっそり行きますから。あ、でもゴローに見つかっちゃうかな」
「ああ、それは言えてます! ゴローの集中力がそれたら大変です! だから波多野さんは、別の警備犬の時に見に来てください!」
「えー……」

 あまりにハッキリと言われてしまい、ちょっとショックだ。俺だって、ゴローが頑張っているところが見たいのに。

『ウーーッ』

 それまでおとなしくしていたゴローが急に立ち止まり、いきなりうなり声をあげた。俺と三曹は驚いて、周囲を見渡す。だが基地に面した道路を車が走っているぐらいで、不審な人物は見えない。

「ゴロー、どうした?」
『ウウウーッ』

 三曹はゴローの横に膝をつき、注意深く周囲を見渡す。ゴローの目は俺の背後に向けられていた。だが俺の後ろは桟橋さんばしで、当然のことながら不審な人物がいるはずがない場所だ。

「トンビかカラスでも飛んできたのかな」

 たまにトンビが、隊員が売店で買ったパンをかっさらっていくことがあった。もしかしたら、そんな不届きなトンビが飛んでいたのかもしれない。

「それにしてはうなり方が普通じゃないですね。なんだろう」

 注意深く周囲を見渡しながら、無線機に手をのばす三曹。

『ワンワンワンワンッ』

 ゴローが思いっ切り吠えた。その声の大きさに、門に立っていた隊員や舷門当番げんもんとうばんに立っている隊員が、驚いた顔をしてこっちを見た。

「おいおい、ゴロー。もしかして、俺を不審人物認定したのか?」
「そんなことありませんよ。ゴローは波多野さんの顔とにおい、ちゃんと覚えてますからね」

 ひとしきり吠えたゴローは、急に吠えるのをやめ、俺の顔を見あげて尻尾を振り始める。気のせいか得意げな顔をしていた。この顔つき、一体どういう意味なんだ?

「……おい、なんで吠えたんだ、お前。しかもその顔、どういう意味なんだよ」
「すみません、波多野さん。もしかしたら私の教育が行き届いていないのかも」

 三曹が申し訳なさそうな顔をした。

「いやいや、壬生海曹のせいじゃないですよ。この顔、ほめてほしそうに見えるし。俺達が気づかなかっただけで、弁当狙いの不届きトンビが迫っていたのかも」

 もちろん、狙われるような食い物はなにも持っていないが。

「上に報告はあげておきますね。もしかしたら後日、波多野さんに事情を話してもらうかもしれません」
「問題ないですよ。その時は遠慮なくどうぞ」
「じゃあ、お疲れ様でした。気をつけて帰ってくださいね」
「そちらもパトロール、お気をつけて。じゃあな、ゴロー。あまりはしゃぎすぎて、壬生海曹を困らせるなよ?」

 一度だけ頭をなでると、俺はゲートから外に出た。
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