帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第二部 航海その2

第三十八話 ハワイ出港 1

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 長い日程だと思っていたハワイでの任務も、あとは補給物資を搬入して帰路につくだけになった。砲雷科と戦務科の先輩達は、休暇日をすぎても魂が抜け気味だったが、そのうち元気を取り戻すだろう。

「おはよう、比良ひら。幽体離脱はおさまったか?」

 眠そうな顔をして朝飯を食いに出てきた、比良に声をかけた。

「おはようございます、波多野はたのさん。幽体離脱ってなんのことですか」
「砲雷科と船務科の先輩達がさ、テストが終わったとたんに、魂が抜けたみたいになってたから」
「俺は見ていただけですから。まあそれでも、テスト中は変な汗を何度もかきましたけどね」

 そう言って、比良は笑った。

「艦橋から見てたけど、どれもこれも、すごかったぞー」

 実のところ、一番感動したのは単装砲たんそうほうが連射しているのを見た時だった。性能は頭では理解していたが、あんなふうに連射するのを見るのは初めてだったのだ。自分が自衛官だということを忘れ、薬莢やっきょうが勢いよく甲板に転がるのに見入ってしまい、何度か航海長に注意を受けてしまったぐらいだ。

「いいなあ、波多野さん。俺も見たかったです、単装砲たんそうほうの連射」
「同じ砲雷科だと、なかなか見れないもんな」

 もちろん戦闘指揮所でもモニター越しに見えてはいるが、それと実際に自分の目で見るのとでは、迫力が雲泥うんでいの差だ。

「そうなんですよ。きっと伊勢いせ曹長、楽しんでぶっ放してたんだろうなあ……俺も、一度あれを連射してみたいです。スカッとしそう」
「比良、お前ってたまに過激なことをサラッと言うよな?」
「そうですか?」

 比良はキョトンとした顔をしてみせた。無自覚って恐ろしいと思いつつ、トレーに朝飯を乗せると、いつものテーブルに向かう。

「この席、すっかり俺達の指定席になったよなー」
「そう言えばそうですね」

 訓練が始まったころは、あっちに座ったりこっちに座ったりと、あいているテーブルについていた。だがここ最近、少なくとも母港を出港してからこっち、この席に海士長仲間や先輩達が座っている姿を見たことがなかった。つまりこの席は、俺と比良が座る席として定着したのだ。

「なんだか、正式にみむろの乗員として認められたみたいで、うれしいですね。波多野さんはどうですか?」
「そうだなー、気分的にはみむろ食堂の常連客になった気分?」
「それ、どういうことですか」

 比良が笑う。

「だってここ、食堂だろ?」
「そうとも言いますけどねえ」

 どちらにしろ、うれしいことに違いはなかった。


+++


 昼からは明日の出港に向け、ふねの点検と物資の搬入がおこなわれた。搬入される物資の多くは、俺達の腹の中に消えていくものだ。積み込み作業は所属している科に関係なく、手のあいている者が手伝うことになっている。俺と比良も、ちょうどあいている時間だったので、そのバケツリレーの列に加わった。

「すげー、ハワイなのに海苔のり佃煮つくだにがある」

 渡された段ボール箱に印字された文字を読んで驚く。佃煮つくだになんて、日本でしか売っていないと思っていたからだ。

「そりゃ物流に国境はないからな。特にハワイは日本人もいるし日系人もいる。佃煮つくだにがあっても不思議じゃないだろ」
「まあそうなんですけどねー」
「そんなことで驚いていたら米なんてどうするんだ。波多野の理屈でいったら、日本に到着するまで、俺達はずっとパン三昧ざんまいってことだぞ?」
「イヤです、俺は米を毎日食べないと死にます」

 俺がそう言うと、列で笑いが起こった。

「笑いごとじゃないでしょ。日本人は米ですよ米!」
「だろ? だからタクワンもあれば漬物もある。ほれっ」

 そう言って渡された箱はずっしり重かった。

「おっも!!」
「そりゃ水モノだからな。それは福神漬けのレトルトらしい。カレーには大事なお供だ、大事にあつかえよ?」
「カレーのために頑張ります!」

 そう返事を返すと、バカみたいな重さの箱を次のヤツに渡す。

 調理は艦内でおこなえるので、基本的に食材はそのままの状態で搬入される。だが漬物や海苔のり佃煮つくだになど、いくらうちの料理長が天才的コックでも、艦内で作るわけにはいかない。本当にレトルト様様だ。

―― でも、うちの料理長、こっそり梅干しを艦内で漬けているって噂があるんだよな…… ――

 その噂が本当なのかどうかは今のところ不明だか。

「あああああ!!」

 しばらくして、物資搬入の列とはまったく別の場所で声があがった。その声は甲板の前から聞こえてくる。なにやらわーわーと騒いでいる様子だ。

「どうしたんだ?」
「もしかして故障箇所でも見つかったんでしょうか?」
「ちょっと伊勢曹長!!」

 声の主が足早にこっちにやってきた。なぜなら、伊勢曹長も搬入リレーの列にいたからだ。

「どうした?」

 曹長はリレーの手を止めることなく返事をする。

薬莢やっきょうのせいで、甲板にへこんでいる部分ができてるじゃないですか!」
「なんだ、そのことか。だからテスト終了の日に報告しただろう。吐き出された薬莢やっきょうがクッションシートからはみ出て落ちたから、甲板にへこみができたって。聞いてなかったのか?」
「一箇所だけだと思ったら、三箇所もありましたよ!」
「いや、少なくとも五本はシートから外れたって言ったろ?」

 つまり、見つかっていないへこみがあと二箇所あるということだ。

「ええええ! もう一度、確認してきます! ですけどもう、連射しないでくださいよね!」
「そんな無茶な。演習で連射しなかったらいつするんだ。それにだ、連射と言ってもみむろの砲台はそこまで速射してないだろ」
「とにかく! 点検してきます!」
「おう、頼むわ」

 怒っている先輩に対して、曹長はまったく気にしていない様子だ。

「一緒に行かなくても良いんですか?」
「良いんだよ。それがあいつの仕事だから」
へこむもんなんですねえ」
「けっこう勢いよく飛ぶし、それなりに重量があるからな」

 そして向こうから「ああああ、こんなところに!」という叫びが聞こえてきた。


+++++


 そしてその日の夕方、米国海軍の人間が何人かやってきた。その中には、なにやら怪しげで大きな箱を担いでいる四人の水兵の姿もある。

「なんですかね、あれ」
「さあ……俺達の知らない儀式か、それとも海軍さん特有のドッキリか?」

 たまたま甲板に出ていた俺は、近づいてくる集団を見て、当番に立っていた先輩に声をかけた。

「こんばんはー、みむろの皆さん! あらためて初めまして! ミムロ軍曹です!」

 彼等は桟橋までやってくると立ち止まり、先頭に立っていた女性が敬礼をしながら名乗った。つまり、彼女がタグボートを率いていたミムロ軍曹だ。ここしばらくずっと世話になっていたのに、こうやってまともに顔を見るのは今日が初めだということに気がついた。

「明日の早朝に出港だと聞いて、テストに同行していたこちらの皆さんが、farewell gift……えーと、日本ではお別れの時の贈り物をなんて言いますか? ああ、オセンベツ? それを届けたいと申しまして、お届けにあがりましたよ!」

 先輩から連絡を受けた艦長が慌てて出てきた。そして米国海軍の集団を見て目を丸くしている。

「どうした、こんな時間に」
餞別せんべつを持ってこられたらしいです。艦長は聞いておられましたか?」
「いや。藤原、お前、なにか聞いているか?」

 当番の先輩の言葉に、艦長は後ろから出てきた藤原ふじわら三佐のほうに目を向けた。

「いえ、特に聞いていませんが……」
「オオトモ艦長、急に押しかけてしまって申し訳ありません! 彼等は任務の関係上、明日の出港を見送りに来られません。ですのでこんな時間なのですが、オセンベツをお届けにきました、ということです!」
「……そうなのですか。わざわざのお越し、ありがとうございます」

 彼等が持ってきたのはかなり大きな箱だ。そして気のせいか、甘いにおいが漂っているような気がした。

「……イヤな予感がするぞ」

 三佐がつぶやく。そして艦長の腕に手をやった。

「艦長、あの大きさ、絶対にアレです。間違いありません」
「やはりアレ、なのか。ドーナツだけで十分だと伝えたんだがな」
「日本人は謙虚だと思われているようで……」
「あの、艦長?」

 俺はなんのことかわからず、その場で立ち尽くしていた。だが、やってきた彼等はニコニコしながら、桟橋さんばしを渡ってくる艦長と副長を見あげている。

『お忙しい中、わざわざのお越し、ありがとうございます』

 艦長が彼等の前に立ち、英語でそう言った。するとその場にいた海軍兵士がいっせいに敬礼をする。そして箱を担いでいた四人が艦長の前にやってきた。

『海上自衛隊では、こういうものを作る習慣がないと聞きましたので、お別れの贈り物として作りました。我々の気持ちを、ぜひとも受け取っていただきたい』
『ありがとうございます。このまま皆さんに、艦内に運んでいただいてもよろしいでしょうか?』
『もちろんです!』

 というわけで、その謎の箱はレクリエーションルームに運び込まれることになった。もちろんその騒ぎに気づいた他の連中も部屋に集まってくる。そのせいで、あっという間に部屋はすし詰め状態だ。

「せ、せまいぞ」
「しかたないだろ。俺達より大柄なアメさんが一緒なんだからさ」

 箱がテーブルに置かれた。

『では艦長、この場で私達からの贈り物を、確認、受領していただけますか?』
『もちろんです』

 箱の上蓋がとられる。贈り物が姿を現したと同時に、その場にいた俺達は思わず「おおー」と声をあげた。箱の中から現われたのは、海を航行しているみむろが描かれたケーキだった。

「ドーナツの青で驚いていたらダメだな。まさかグレーまであるとは」
「何色、使われてるんでしょうね」

 海と波しぶきの再現率もなかなかなものだ。

「本当は、立体にしたかったらしいのですが、こちらのコック長が挫折したらしいです。ですから、このような写真風になりました、ということです!」

 軍曹が説明をした。

『みなさん、ありがとうございます。食べるのがもったいないぐらいです』
『でも食べなければ、もっとモッタイナイですよ』

 そして俺達と、運んできた海軍さんは、そのケーキを囲んで記念写真を撮った。食べるのは、艦内の全員がケーキを見てからということになった。

―― 明日の朝飯に、このケーキがデザートとして出るのは決まりだな ――

 ハワイ入港した当日に贈られたドーナツも、甘すぎる点を除けばうまかった。きっとこのケーキもそうに違いない。

「補給物資のコーヒー豆、増量したが足りなくなるんじゃないか?」
「かもしれませんね」

 海軍さん達が引き上げた後、艦長がボソッとつぶやき、そのつぶやきに副長が笑う。

「こうなってくると、豆の増量だけではなく、艦艇予算で電動のコーヒーミルを購入すべきかもしれません」

 それに続いて補給科の大河内おおこうち一尉が、真面目な顔をしてそう言った。
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