帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第二部 航海その2

第三十七話 休暇日

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波多野はたのー、一年のほとんどを海ですごすのに、休暇日も海なのかー?」

 山部やまべ一尉が笑った。

「そういう航海長だって、こっちのツアーに参加したじゃないですか」
「そりゃあ、せっかくのハワイなんだ、シュノーケリングぐらいしたいだろ」

 俺達の仕事場は護衛艦。海には出ているが、海で泳ぐ機会はほとんどない。もちろん、訓練の中には泳ぐことも含まれているので、泳げないわけじゃない。だが外の人達が思っているほど、俺達には泳ぐ機会はなかった。

「奥さんには、遊びにいくんじゃないって言っていたくせに」
「これは臨時の休暇日だろ、任務の延長だ。休むことも仕事のうちだからな」
「よく言いますよ、そんなこと」
「ほら、イルカの背びれが見えたぞ」

 一尉が指をさす。その先には、船に近づいてくる背びれの集団が見えた。

「あれ、サメじゃないですよね?」
「お前、海に入って確かめてこい」
「イヤですよ、ちょ、押さないでくださいって!」

 一尉に押され、慌てて船のへりをつかむ。イルカがジャンプして宙を舞った。

「おお、間違いなくサメじゃなくてイルカだぞ、波多野」
「けっこう人馴れしてますね」

 船の周りでイルカ達がジャンプしたり、可愛く鳴き声をあげるのを見て、一尉は感心したようにつぶやく。

「毎日のように観光客が来ていたら、そりゃ、イルカも馴れてサービスするようになるさ。こいつら、かなり賢いって言われているし」
「たしかに」

 イルカ達がジャンプしているのを背景に、全員で写真を撮る。もちろんこれはおおやけには出すことができない写真になるが、乗員にとっては大切な思い出の写真だ。

「そう言えば伊勢いせがな」
「はい?」

 シュノーケリングのポイントに行く途中、一尉が口を開いた。

「どうせなら、みむろをダイビングポイント近くに停泊させて、そこで全員が楽しめば良いんじゃないかって、艦長に提案してきたんだ」
「そうなんですか?」

 たまに航海中にF作業を楽しむことはある。だが甲板から皆で飛び込んで泳ぐなんてことは、今まで一度もしたことがなかった。と言うか、海自史上、そんなことをした護衛艦はいないだろう。

「そんなことをしたら、伊勢曹長のことだから、ダイビングが余暇ではなく、訓練になりそうです」
「だよな。艦長もさすがにそれは却下したらしいが」

 少し離れた場所で、イルカがジャンプした。さっきのイルカ達がついてきているのだ。船と遊んでいるつもりらしい。

「仕事から離れた海ってのも良いですねー」

 イルカ達を見ながらつぶやいた。

「俺達が入隊したての頃は、イージスシステムを搭載した護衛艦が少なくてな。こんな風に海外に演習に出たり、乗員に休暇を取らせるのに、そりゃあ苦労したもんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。うちの艦長なんて二ヶ月海に出っぱなし、まともな年次休暇なしを何度か経験してるって話だからな」
「二ヶ月出っぱなし……年次休暇なし」

 採用試験を受けようとしていた頃、地本にいた担当者から、似たような話を聞いたことがあった。その時の俺は、てっきり大袈裟おおげさに話しているんだとばかり思っていた。だが、実はそうでもなかったらしい。

「まあ、今でも休みは取りにくいけどな。それもあってうちの艦長は、時間がある時は乗員を休ませることに積極的なんだよ」
「なるほど……」
「もちろん、どの艦長もそうだとは限らない。次の艦長も同じだと思ったら、大間違いだ。そこは覚悟しておけよ?」
「他にどんな傾向の艦長がいるんですか?」
「そうだなあ……」

 俺の質問に、一尉が首をかしげて考え込んだ。

「もちろん、大友おおとも艦長のような人も何人かいる。それから、やたらと外洋に出て訓練したがる艦長ってのもいた」
「うわ、それが一番大変かも」
「そのかわり練度は爆上げで、艦隊司令部からの評価は高くなるぞ。演習や派遣が増えて、休みは激減するけどな」
「評価より休みがほしいっす」
「お前、正直だな」

 一尉が笑う。

「逆に、外洋に出たがらない、訓練したがらない艦長っているんですか?」
「さすがにそんなのはいないな。っていうか、そんな人間は艦長になれんだろ」
「ああ、そうか、それはたしかに。あ、それから航海長は、女性の艦長や幹部と一緒になったことは?」

 どうせならこの機会に色々と聞いておこうと、さらに質問をした。

「ん? 前の艦艇勤務の時がそうだったな。って言うか、こんな男ばかりなふねは逆に初めてかもな。たいていは部署のどこかに女性隊員はいたし」
「どうなんですか?」
「どうとは?」
「いや、ほら、やはり女性ですから……うち、今現在は男ばっかじゃないですか」

 それもあってか、風呂に入った後なども非常に開放的だ。今の状況は、女性隊員にはとても見せられたものではない。それが幹部、さらには艦長となれば特に。

「特に変わらんぞ。仕事に関しては男も女もないし。日常に関しても、風呂の時間に多少の変更が加えられた程度で、特に困ったことはなかったな。ああ、でもそうだなあ……」

 なにか思い出したのか、一尉がニヤッと笑った。

「さすがに艦長が女性だった時は、艦長席のシートカバーはあの色で良いのかってなって、妙に浮き足立っている連中はいたな」
「カバーなんてどうするんですか」
「艦長が女性だとわかって、可愛いのにするべきか?ってなったらしい。あと、席の前に花を飾るべきかって真面目に話し合ったらしいぞ? 話を聞いた艦長に止められたらしいが」

 思わず吹き出した。むさ苦しい男連中が、艦橋にある艦長席を囲んで、真面目に悩んでいるところを想像してしまったのだ。

「笑うな」
「いや、だって」
「みむろにだって、そのうち女性隊員が乗り込むことになるんだ。そうなったらお前達、きっと同じように浮き足立つと思うぞ?」
「そこは否定しませんけど」

 今はまだ、まったく想像はつかないが。

「しかし、男ばかりというのも考えものだな。気楽で良いかもしれんが」
「いつ女性隊員が来てくれても良いように、艦内、特にトイレと風呂は清潔に保っておきます」
「そういう心がけは大事だ」

 シュノーケリングのポイントに到着すると、船はいかりをおろした。全員が着替えてゴーグルを手に海に飛び込んだ。浅い場所なので、そこそこ潜ってもサンゴや熱帯魚の鮮やかな色はそのままだ。まさに南国の海!

―― 海の中でも使えるカメラがあれば良いんだけどな ――

 もし、次にプライベートで来る機会があったら、その時は忘れずに水中でも使えるカメラを持ってこようと決めた。まあ今の仕事をしている限り、海外旅行ができるぐらいの休暇がとれる可能性は、かなり低そうだが。

―― そう言えば、あの船にもやっぱり猫神様、いたなあ…… ――

 あの船とはもちろん、俺達がいま乗ってきた船のことだ。そこそこ大きなクルーザーだったが、見かけたのは白猫だけで、お世話係がいる様子はなかった。そして当の猫神は、観光客に付き合うのに飽き飽きしているのか、俺達を見ても知らん顔で、船首に陣取り背中を向けて寝てしまっていた。

―― 考えたら大佐も基本的に素っ気ないし、猫神様って、全部があんな感じなのかな…… ――

 言葉が通じるのか試してみたかったが、あの背中はどう考えても『会話は断固拒否、お前と話す気はない』な態度だった。どうやら試すのは、あきらめたほうが良さそうだ。

 しばらく潜った後、少し休もうと船に戻った。上がろうとしたところで、目の前に猫神がいるのに気づいた。

「お、ねこが、み……!」

 驚く俺の額を前足で押しす。

『あがるのはまだ早い。まだ時間はある、もっと泳いでこい』
「日本語!」
『日本語を話しているわけではない。我々の言葉は、その人間が理解できるように聞こえるのだ』
「なるほど。それは便利だな」
『我の姿が見えるとは珍しいな』

 グイグイと俺の額を押しながら言った。

「見える人間は珍しいのか……うちの海自幹部のほとんどは、猫神様のことが見えてそうだけど」

 もしかしたら、見える海自幹部が珍しい部類なんだろうか。

―― ん? ってことは実は他の国の船乗りは、猫神の存在を知らないのか? なんてもったいない…… ――

 さらにグイグイと額を押された。

「てか、押すな。俺は休憩しに戻ってきたんだから」
『そうなのか』
「まったく。うちのふねの猫神もそうだけど、けっこう初対面から失礼だよな、猫神って」
『人間の事情など知らん』
「そういうところもそっくりだ」

 やれやれと首を振りながら、船にあがる。

「さっき、ずっと船首部分で寝てたよな? ちゃんと役目を果たさなくても良いのか? 船を守るのが猫神の仕事だって聞いたけど」
『この天気、この風、この波。天変地異でもおこらぬ限り、なにも心配はいらん』
「やっぱり。そういうところも、うちの大佐とそっくりだ」

 比良ひらに報告することが増えたな、と思いつつ、のんびりと海と空をながめた。


+++++


「波多野さん、これ、食べてみてください」

 その日の夜、俺達より後に帰ってきた比良が、俺を見るなり小さな袋を突きだしてきた。

「?」
「ツアーの途中で買ったミックスナッツなんですけど、めちゃくちゃうまいんですよ!」
「へえ、どれどれ」

 いくつかもらって口に放りこむ。塩となにかのスパイスが入っているのか、かなりうまかった。

「!! うまいな、これ」
「でしょ? 個人経営の小さな工場で作ってるやつなんですけどね。こっちのショップで売ってる店はないそうなんですよ」
「つまり、そこに行かないと買えないってやつなのか」
「そうなんです。しかも今どき、通販もしてないんですよ。良ければもっとどうぞ」

 袋を差し出されたので、ありがたくいただく。

「サンキュー。これ、やばいな。クセになりそうだ」
「ですよねー。そのお店、副長の奥さんおすすめらしいです」
「ってことは」
「副長、奥さん用のお土産に、たくさん買ってました。試食させてもらった時も、味が変わってないって喜んでましたよ」
「やっぱり」
「俺も、もっと買っておけば良かったって、後悔中です」

 比良が無念そうに言った。

「あ、ところで、ツアーの船に猫神様はいましたか?」
「いたいた。それがすごいんだ、外国の猫神もちゃんと日本語で会話できるんだよ」
「うわー、ますますうらやましいです。今度の猫神様は、どんな猫でした?」

 部屋に向かう途中も、周囲を気にしながらナッツを食べる。

「白猫だった。でも、うちの猫神と似てたよ。ものすごくえらそうだった」
「やっぱり猫神様は、神様でも性格は猫そのものってことで正解なんですね」
「そういうことみたいだ」
「頑張って俺も、みむろの猫神様を見られるようならなきゃ!」

 そんなわけで、俺達の棚ボタ的な休暇日も終わった。二日後には日本に向けて出港だ。
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