帝国海軍の猫大佐

鏡野ゆう

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第一部 航海その1

第四話 猫大佐

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―― いる……猫がいる……間違いなくあれは猫だ…… ――

 俺が使っているベッドの上に、猫が鎮座していた。どう見ても、あれは枕ではなく猫だ。

―― まさか、紀野きの三曹が猫を連れ込んでいたのか? でも、今日までこの部屋で猫の気配なんて一度もしなかったし、三曹だって、そんな素振りは一度も見せてないよな…… ――

 自分の考えに心の中で笑いながら、そいつに触ってみようと指を近づけた。

 するとその猫は、鼻のあたりにしわを寄せてうなると、俺の指に猫パンチをしてきた。爪はたてられなかったが、かなり強いパンチだった。つまり幻覚でも幻影でもないということだ。

「……っ!! 猫パンチ! やっぱり猫だ!」

 思わず声をあげた。

『猫がいるのがどうした。吾輩わがはい達は、古来より航海する船の守り神として、お前達のような船乗りに大事にされているのだぞ』
「うおっ、しゃべった!! しかも吾輩わがはい!! 猫が吾輩わがはい!! はっ、さてはおまえ、夏目漱石なつめそうせきか!!」

 指をさしながら、思わずあとずさりする。

『誰が夏目漱石なつめそうせきなのだ。吾輩わがはいがしゃべると問題なのか? 〝ニャー〟や〝マオーン〟では、吾輩わがはいが話していることが、お前に通じないではないか』

 言葉の合間に出たのは、いわゆる典型的な猫の鳴き声だった。

「……つまりあれは、やっぱり猫語なのか」

 変なところで感心しながら、頭が現実逃避をしようとしているのが自分でもわかった。

―― これはきっと夢だよな。俺、教育訓練で思いのほか疲れているんだ。きっと本当の俺は、あのベッドで爆睡しているにちがいない ――

 そう考えると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。これが夢ならなんでもありだ。猫が人間の言葉をしゃべっても問題ない。こんなにリアルな夢は今までみたことないが、そういうことにしておこう。

「俺に通じないと、困ることでもあるのか?」

 そう言うと、目のまえの猫は不満げな声色で〝ニャウニャウマウマウ〟と声をあげはじめた。俺を見ながら声をあげているということは、猫語であれこれ話しかけているのだろう。たしかにこれでは、相手が不満を抱いていること以外はまったくわからない。

『どうだ。理解できたか』

 しばらくして、猫が俺に質問をしてきた。

「まったくわからない」
『では吾輩わがはいが、人間の言葉を話すことに異議はなかろう』

 うなづきかけて、いや待てとなる。

「ちょっと待て。別に俺とお前が会話できなくても、問題ないのでは?」
『そんなことはあるまい。互いの意思の疎通がとどこおると、なにかと不便だ』
「それにだ。ここは海上自衛隊の護衛艦だ。俺より年上の自衛官が、護衛艦に猫を乗せたなんて聞いたことがないって言ってたぞ」

 伊勢いせ曹長が言った言葉を思い出して、指摘した。

『だからなんだ』
「持ち込みが許可された私物の中に、ペットの猫なんて含まれていない。意思の疎通がどうのこうの以前の問題で、猫のお前がここにいるのは、どう考えてもおかしい」

 少なくとも、ペット系のものはいっさい認められていないはずなのだ。

『失敬な。吾輩わがはいはモノでもペットでもない』
「だったら密航者、じゃなく密航猫!!」

 指をさして叫ぶ。たまにネットのニュースで、米海軍の空母にツバメが迷い込んだとか、甲板にトビウオが飛び込んできたと流れている。もしかしたらこの猫も、出航時に艦内にまぎれこんでしまった野良猫なのかもしれない。

『まったく……』

 俺の言葉に、その猫は溜め息をついた。猫が溜め息をつくところなんて初めて見たが、あれは間違いなく溜め息だ。しかもあの目つきからして、俺のことをかなりバカにしている。

『お前は、自分の尺度しゃくどでしか物事を考えられない、残念な頭の持ち主なのだな』

 そう言われてムッとなった。

「それのどこが悪い。たいていの人間は、自分の尺度範囲で生きているだろ?」
『想像力が貧弱だと言っているのだ、バカモノめ』
「野良猫にそんなこと言われたくないけどな」

 とたんに猫が不機嫌そうなうなり声をあげ、しっぽをパタパタさせる。

『無礼者、吾輩わがはいは野良猫ではない』
「それよりいい加減にそこをどけよ、猫。そこはお前の寝床ねどこじゃなくて、俺の寝床ねどこなんだから。早く寝ないと明日のワッチに悪影響が出るだろ? なにかヘマでもしたらどうしてくれるんだ」
『それは、お前が単に未熟者というだけでは?』
「……」

 心なしか偉そうな顔をして、こっちを見ている猫を前に、どう言い返したものかと考えていると、誰かが俺の横を通りすぎていった。いや、正確には俺の横というより、俺自身をすり抜けてといったほうが正しいかもしれない。

「うおっっっっ?!」

 大丈夫か、俺の体?! 思わず自分の体に手をあてて、どこにも異常がないことを確認する。

『そろそろ勘弁してやってはいかがですか、大佐。航海当直がひかえている乗員の寝床ねどこを占領するなんて、少しやりすぎですよ』
『やかましい。お前は黙っていろ。せっかくこのふねで、お前以外に吾輩わがはいとまともに話のできる相手が現われたのだぞ』
「こんどは幽霊?!」

 目の前に現われた相手に、変な声をあげてしまった。

「なんだよ、このふね! 猫の幽霊だけじゃなく人間の幽霊もいてるのかよ。ま、まあ、どうせこれは夢なんだから、なんでもありで良いんだけどな!」

 その男の幽霊は俺の言葉にふりかえると、少しだけ困ったように微笑む。

『ご迷惑をかけて申し訳ない。ところで私は間違いなく幽霊ですが、大佐は幽霊ではないと思いますよ』
「……大佐?」
『ええ、こちらはこのふねぬし、サバトラ大佐です』

 人間の幽霊が猫を指さした。とたんに猫がイヤそうな顔をする。

『その名前はやめろ。ちゃんとした名前を言え。吾輩わがはいを模様の名前で呼ぶな』

 だが男の幽霊は、その言葉に穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。

『申し訳ありませんが大佐の本名は長すぎて。私もですが、この人も覚えられないでしょう? ですから、通称サバトラ大佐ということでよろしくお願いします』
『あの若いのはともかく、お前は七十年以上も吾輩わがはいと一緒にいるのに、まだ覚えられないのか』
『申し訳ありません。私はサバトラ大佐という呼び名が、たいへん気に入っておりますので』

 だが猫は自分の呼び名に対して異議があるらしく、男の幽霊に対して文句を言い始めた。そのせいで放っておかれた状態になった俺は、その時間を利用して、猫の幽霊と人間の幽霊を観察させてもらうことにする。

 猫は、名前のとおりサバトラ柄と言われる猫だ。目の色は青。どのへんが大佐なのかは不明。人間の言葉をしゃべる以外は、いたって普通の猫に見える。今のところ。

 そして男の自称幽霊。俺達と同じデザインではないが、黒っぽい制服と制帽を身につけていた。襟元についている階級章からすると、一尉というか大尉?というやつだろうか。見るからに穏やかな性格っぽいので、幽霊といっても、恨みつらみをいだいている存在ではなさそうだ。今のところ。

―― この制服……どこかで見たことあるような…… ――

 どこで見たのだろうと記憶をたどっていくと、すぐにその場所にたどりついた。祖父の家の仏間だ。仏間の上に飾られていた写真。そこに、祖父の亡くなった父やおじ達の写真が飾られていて、その中にこの制服を着ている人物がいたはず。しかもさっき猫は七十年と言っていた。

「その制服って、もしかして旧海軍の制服?」

 俺の指摘に男はうなづいた。

『よくわかりましたね。その通りです。私は帝国海軍の軍人なのですよ。今の時代だと、こういう場合は元帝国海軍と言ったほうが、良いんでしょうかね』
「ってことは、あんた、本当に幽霊!!」
『そうなりますね。どうして自分が幽霊になって、ここにいるのかわかりませんけれども』

 俺は猫を見る。もしかしてこいつは化け猫で、この人は、その化け猫にとりかれて死んでしまったとか?

―― ちょっと待て。そうなると見えてしまった俺も危ないんじゃ? とりかれて幽霊になっちまう可能性が大いにあり? 塩?! 酒?! 御札おふだ?! 神棚に助けを求める?! ――

『ああ、ご心配なく。私が死んだのはサバトラ大佐のせいではありませんよ。私が死んだのは、乗艦していた戦艦が、敵国の潜水艦の攻撃で沈没したせいです』

 俺の心の中の声が聞こえたのか、男の幽霊はニッコリとほほ笑んでみせた。

「……つまり、戦死したと?」
『ええ、そういうことになります』
御愁傷様ごしゅうしょうさまです」
『いえいえ。お気遣いなく。もう昔のことですから』

 俺と男の幽霊が話しているところに、猫が割り込んでくる。

『とにかくだ、海上自衛隊ということは帝国海軍の流れを受け継ぐ組織だろう。であるならば、吾輩わがはいがここにいても不思議ではない』
「どこらへんが〝とにかく〟で〝不思議ではない〟なのかさっぱりわからない。どう考えても、護衛艦に猫がいるのは不思議だろ」
『やかましい。新米しんまいふぜいが、吾輩わがはいに向かって偉そうなことを言うな』
「俺だって、見ず知らずの猫に偉そうに言われたくない。とにかく俺はもう寝たいんだ」

 本当は、すでに夢の中なのかもしれないが。

『ああ、そうでした。久しぶりに人と話したので、つい長話をしてしまいました。さあ、大佐、行きますよ』
吾輩わがはいはここに残る』
『なにを言ってるのですか。この人の邪魔になります。行きますよ』

 そう言うと、男の幽霊は猫を抱き上げた。偉そうなことを言うわりには、抱き上げられた姿は猫そのものだ。猫は離せとジタバタしているが、男の幽霊は慣れたもので、さっさと猫の動きを封じてしまった。

『では、おやすみなさい』
「あんた達はどこで寝るんだ?」

 まさかあの神棚ってことはないよな?

『ご心配なく。私達には私達が落ち着ける場所というものがあるのですよ。ではまた』
吾輩わがはいはここで寝るのだ』
『いけません。乗員の邪魔をしてなにがふねの守り神ですか。はい、行きますよ、私達は私達の仕事があるのですから』

 文句を言い続ける猫を抱いたまま、その男の幽霊はドアから部屋の外へと出ていった。

「しかしリアルな夢だよな。……寝よう、もう寝てるかもしれないけど」

 しばらくその場に立ち尽くしていたが、気を取り直して寝る準備を始める。さっさと寝てさっさと起きて、明け方からの航海当直ワッチに備えなければ。これは夢で俺はとっくに寝ているのかもしれないが。

「……ん? あの人さっき、ではまたって言ったよな?」

 この夢、これで終わりってわけじゃないのか?
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