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アヒル事件簿
第一話
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僕の主治医さん第三部で、南山さんが一時帰国後、赴任先に戻った直後からのお話です。
++++++++++
そもそも大使館とは、海外に滞在中の邦人のサポートをしたり、外交活動の拠点になる役所の出先機関のようなものであり、金目のものがあるような場所ではない。たまに大使館に押し入ってくる人間もいたが、その多くは窃盗目的ではなく、政治的な目的をもった人間だ。
時には武器を持って車で突っ込んでくる過激な集団も存在するので、大使館警備を担当しているのは、武装した警官だったり民間の警備員だったりと、その国の治安状況によって様々だった。
「南山君、ここ最近この地域では窃盗が頻発しているらしいよ。君が住んでいるマンションのセキュリティは、大丈夫かい?」
日本からこちらに戻ってきてすぐ、真鍋大使に声をかけられた。
「うちのマンションは、二十四時間警備会社の人間が管理室につめているので、余程のことがない限り大丈夫だと思います。そう言えば、パトロールしている車両が増えたような気がしていたのですが、そんなことがあったんですか」
日本に比べると治安の悪いこの国も、在外公館があるこの一帯は、比較的安全とされている地域だった。それもあって、諸外国の大使公邸や大使館スタッフの住まいも、この地域に集中していた。
そのあたりの治安の良さもかんがみて、結婚したら雛子さんに来てもらおうと決めたのだが、考え直すべきだろうか? いや、そんなことを言って、思いとどまるような雛子さんじゃないよな。
「大使館のセキュリティも、しっかりとしておかないといけませんね。まあここに入っても、たいして盗るものはないでしょうが。ああ、パソコン機器を持っていかれる可能性はありますね。それは困るかもしれない」
そう言うと真鍋大使は、とんでもないと言わんばかりの顔をした。
「パソコンは盗られても購入すれば良いが、ここの正面ホールにある絵画と壺。あれがいくらするか知っているかい? 一つ一つ、僕達の一生涯かかって稼ぐ金額を、軽く超える値段だそうだよ」
「そうなんですか?」
おおよその金額を聞いて、正直驚いてしまった。具体的な金額に関しては、色々と問題になるだろうから伏せておく。
大きな声では言えないが、不可思議な画風の油絵と派手で大きな壺は、出勤して目にするたびに、ため息が出てしまう存在だった。同額の金を出すから受け取れと言われても、絶対にお断りだと断言できる代物だとは、口が裂けても言えない。
「いつも不思議に思っていたのですが、一体あれは誰が?」
「前任の長村大使だったかな。なんでもお知り合いの画商から、退任記念に寄贈されたとか」
だったら本人が、帰国する時に持って帰れば良いのにと思う。置いていったということは、長村大使も、あまり気に入らなかったということなんだろう。それこそ、大きな声では言えないが。
「あんな場所に置いておいて良いのですか? 壺なんて、割れたらそれまででしょうに」
それにこう言っちゃなんだが、日本大使館の正面玄関のホールの雰囲気には、似つかわしくないように思う。これも大きな声では言えないが。
「しかたがないだろ? たまに長村元大使と親しかったお歴々がここにやってくる。あの絵と壺がなかったら、それこそ大騒ぎさ。あと二十年ぐらいは、あの場所に置いておかなきゃいけないだろうね」
そう言いながら、大使はため息をついた。つまり大使としても、不本意な装飾品ということらしい。
「厄介な置き土産ってやつですか」
「まあ、そうとも言うね。もちろん今の話は、僕と君との秘密だ。で、壺と絵画の値段はともかく、思いのほか大使館には高価なものが多い。しかもその多くは、友好の証として、大使館に贈られた寄贈品だ。盗られても僕達の懐は痛まないが、外交上非常にまずいってことになる」
それがどんなに、こちらの好みでないものであっても。
「なるほど。念のために警備担当と、話をした方が良いかもしれませんね」
「防衛駐在官の東島一佐もまじえて、夕方に警備について話し合うことになっている。君も同席してくれ」
防衛駐在官とは、防衛省から派遣された、軍事や安全保障に関する情報収集や交流等を任務とする自衛官だ。大使館の警備状況等は、在外公館警備対策官の仕事であり、東島一佐の職務の範疇ではない。だが、相談できる相手は多い方が良いという大使の意見で、たびたび相談に乗ってもらっていたのだ。
「私もですか?」
「何事も経験だから」
体よく仕事を押しつけられた気がするのは、地球の裏側から戻ってきたばかりで、疲れているからだと思っておこう。
+++
「なるほど。本日の未明にイギリス大使館に忍び込もうとしたグループを、警備員と駐在武官のアボット大佐が、取り押さえたと聞いています。未遂に終わったので大きな騒ぎにはならなかったようですが、日本大使館も他人事ではありませんね」
「そうなのかい?」
意外な話に驚く。すでに他国の大使館で被害が出ていたとは。
「はい。今朝、大佐と顔を合わせた時に聞いた話ですので、間違いありません。富樫警部も、その場で話を聞いております」
「地元警察の話では、窃盗団の一味だということでした」
隣に座っていた富樫警部が、一佐の言葉にうなづいた。
富樫警部は、警察庁から出向している在外公館警備対策官で、大使館の警備計画などの立案を担当している人間だ。本来、防衛駐在官とは一緒に仕事をしないのだが、今では真鍋大使の意見を尊重し、組織の壁を越えて大使館、そして大使館スタッフの安全確保のために、一佐と情報共有につとめてくれている。
そして今回の件では、すでに情報を集めてくれているようだった。
「捕まったのは一部ということですので、まだ安心はできません。日本の窃盗団だと、一部が逮捕されるとほとぼりが冷めるまで、残りの連中はおとなしくしているのが常ですが」
「これはいよいよ、本気で対処しなくてはならないようだね。メンデス警部補、あなたの意見はどうですか?」
大使館の警備責任者として同席しているのは、地元警察のメンデス警部補だ。彼は大の日本びいきで、日本語も驚くほど堪能だった。お蔭で全員が日本語で話し合うことができるので、非常に助かっている。
「同じグループの人間は隠れるかもしれませんが、他のグループは逆にチャンスとばかりに、盗みに入る可能性は高いでしょう。今朝の事件を聞いて、私なりに警備の配置とシフトを考えてみましたので、みなさんに意見をお聞きしたいと思います」
警部は、机の上に大使館の大まかな地図を広げて、説明を始めた。
+++++
『やっと相談を始めたみたいだよ。人間ってのんきだよね』
『そういう君はどうなのさ。こんなふうにのんきに会議に出てきて良いの? パトロールとかしないの?』
とたんにパトロールとかかっこいいよねーと、うらやましがる声があちこちからあがった。
『それはキャンディ警部の仕事だよ。僕は関係ないねー』
『キャンディ警部ってなんだよー』
『だっていつも、ミント味のキャンディをなめてるんだよ』
キャンディ警部とは、たまに見かける警察官だ。本当の名前はメンなんとかって言うんだけど、忘れた。とにかく外国の人間なのに、信じられないぐらい日本語が上手なのだ。きっと生まれる前は、日本に住んでいたに違いない。
『甘いものばかり食べてたら、トーニョービョーになるって、ご主人様が言ってたよ』
『違うよ、甘いもの食べなくても、トニョービョーになるんだって、言ってたんだよ』
『トーニョービョー? トニョービョー? どっち?』
『トーニョービョーじゃない? たしかカルテってのに書かれてたよ、漢字だったからよくわかんないけど』
『へえ、僕、そこまで見てなかった。次からちゃんと見ておこう』
いつの間にか話題は、カルテの話で盛り上がっている。
『ところで今日の議題はなんなのさ』
『ああ、そうだった。外国に行くんだしさ、英語は覚えなきゃいけないんじゃないかって話でね。金ぴか君が英語が得意だから、英会話教室を開こうと思って』
その言葉と同時に、目がくらむような、まぶしい光に包まれた。
『まったくもう、このまぶしさはなんとかならないのー?』
『スミマセン。ご主人様ガ毎日ミガクモノデスカラ、マスマス光ッテシマッテ』
『みがくのって銀細工だよね? 金ぴかちゃんはみがかなくても良いんじゃないの?』
『ソウナンデスガ……』
僕達の言葉は、まだまだご主人様には届かないようだ。
そして今日は僕達に必要なのは、まずテキストよりもサングラスだよねという意見が出され、満場一致で可決された。
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そもそも大使館とは、海外に滞在中の邦人のサポートをしたり、外交活動の拠点になる役所の出先機関のようなものであり、金目のものがあるような場所ではない。たまに大使館に押し入ってくる人間もいたが、その多くは窃盗目的ではなく、政治的な目的をもった人間だ。
時には武器を持って車で突っ込んでくる過激な集団も存在するので、大使館警備を担当しているのは、武装した警官だったり民間の警備員だったりと、その国の治安状況によって様々だった。
「南山君、ここ最近この地域では窃盗が頻発しているらしいよ。君が住んでいるマンションのセキュリティは、大丈夫かい?」
日本からこちらに戻ってきてすぐ、真鍋大使に声をかけられた。
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日本に比べると治安の悪いこの国も、在外公館があるこの一帯は、比較的安全とされている地域だった。それもあって、諸外国の大使公邸や大使館スタッフの住まいも、この地域に集中していた。
そのあたりの治安の良さもかんがみて、結婚したら雛子さんに来てもらおうと決めたのだが、考え直すべきだろうか? いや、そんなことを言って、思いとどまるような雛子さんじゃないよな。
「大使館のセキュリティも、しっかりとしておかないといけませんね。まあここに入っても、たいして盗るものはないでしょうが。ああ、パソコン機器を持っていかれる可能性はありますね。それは困るかもしれない」
そう言うと真鍋大使は、とんでもないと言わんばかりの顔をした。
「パソコンは盗られても購入すれば良いが、ここの正面ホールにある絵画と壺。あれがいくらするか知っているかい? 一つ一つ、僕達の一生涯かかって稼ぐ金額を、軽く超える値段だそうだよ」
「そうなんですか?」
おおよその金額を聞いて、正直驚いてしまった。具体的な金額に関しては、色々と問題になるだろうから伏せておく。
大きな声では言えないが、不可思議な画風の油絵と派手で大きな壺は、出勤して目にするたびに、ため息が出てしまう存在だった。同額の金を出すから受け取れと言われても、絶対にお断りだと断言できる代物だとは、口が裂けても言えない。
「いつも不思議に思っていたのですが、一体あれは誰が?」
「前任の長村大使だったかな。なんでもお知り合いの画商から、退任記念に寄贈されたとか」
だったら本人が、帰国する時に持って帰れば良いのにと思う。置いていったということは、長村大使も、あまり気に入らなかったということなんだろう。それこそ、大きな声では言えないが。
「あんな場所に置いておいて良いのですか? 壺なんて、割れたらそれまででしょうに」
それにこう言っちゃなんだが、日本大使館の正面玄関のホールの雰囲気には、似つかわしくないように思う。これも大きな声では言えないが。
「しかたがないだろ? たまに長村元大使と親しかったお歴々がここにやってくる。あの絵と壺がなかったら、それこそ大騒ぎさ。あと二十年ぐらいは、あの場所に置いておかなきゃいけないだろうね」
そう言いながら、大使はため息をついた。つまり大使としても、不本意な装飾品ということらしい。
「厄介な置き土産ってやつですか」
「まあ、そうとも言うね。もちろん今の話は、僕と君との秘密だ。で、壺と絵画の値段はともかく、思いのほか大使館には高価なものが多い。しかもその多くは、友好の証として、大使館に贈られた寄贈品だ。盗られても僕達の懐は痛まないが、外交上非常にまずいってことになる」
それがどんなに、こちらの好みでないものであっても。
「なるほど。念のために警備担当と、話をした方が良いかもしれませんね」
「防衛駐在官の東島一佐もまじえて、夕方に警備について話し合うことになっている。君も同席してくれ」
防衛駐在官とは、防衛省から派遣された、軍事や安全保障に関する情報収集や交流等を任務とする自衛官だ。大使館の警備状況等は、在外公館警備対策官の仕事であり、東島一佐の職務の範疇ではない。だが、相談できる相手は多い方が良いという大使の意見で、たびたび相談に乗ってもらっていたのだ。
「私もですか?」
「何事も経験だから」
体よく仕事を押しつけられた気がするのは、地球の裏側から戻ってきたばかりで、疲れているからだと思っておこう。
+++
「なるほど。本日の未明にイギリス大使館に忍び込もうとしたグループを、警備員と駐在武官のアボット大佐が、取り押さえたと聞いています。未遂に終わったので大きな騒ぎにはならなかったようですが、日本大使館も他人事ではありませんね」
「そうなのかい?」
意外な話に驚く。すでに他国の大使館で被害が出ていたとは。
「はい。今朝、大佐と顔を合わせた時に聞いた話ですので、間違いありません。富樫警部も、その場で話を聞いております」
「地元警察の話では、窃盗団の一味だということでした」
隣に座っていた富樫警部が、一佐の言葉にうなづいた。
富樫警部は、警察庁から出向している在外公館警備対策官で、大使館の警備計画などの立案を担当している人間だ。本来、防衛駐在官とは一緒に仕事をしないのだが、今では真鍋大使の意見を尊重し、組織の壁を越えて大使館、そして大使館スタッフの安全確保のために、一佐と情報共有につとめてくれている。
そして今回の件では、すでに情報を集めてくれているようだった。
「捕まったのは一部ということですので、まだ安心はできません。日本の窃盗団だと、一部が逮捕されるとほとぼりが冷めるまで、残りの連中はおとなしくしているのが常ですが」
「これはいよいよ、本気で対処しなくてはならないようだね。メンデス警部補、あなたの意見はどうですか?」
大使館の警備責任者として同席しているのは、地元警察のメンデス警部補だ。彼は大の日本びいきで、日本語も驚くほど堪能だった。お蔭で全員が日本語で話し合うことができるので、非常に助かっている。
「同じグループの人間は隠れるかもしれませんが、他のグループは逆にチャンスとばかりに、盗みに入る可能性は高いでしょう。今朝の事件を聞いて、私なりに警備の配置とシフトを考えてみましたので、みなさんに意見をお聞きしたいと思います」
警部は、机の上に大使館の大まかな地図を広げて、説明を始めた。
+++++
『やっと相談を始めたみたいだよ。人間ってのんきだよね』
『そういう君はどうなのさ。こんなふうにのんきに会議に出てきて良いの? パトロールとかしないの?』
とたんにパトロールとかかっこいいよねーと、うらやましがる声があちこちからあがった。
『それはキャンディ警部の仕事だよ。僕は関係ないねー』
『キャンディ警部ってなんだよー』
『だっていつも、ミント味のキャンディをなめてるんだよ』
キャンディ警部とは、たまに見かける警察官だ。本当の名前はメンなんとかって言うんだけど、忘れた。とにかく外国の人間なのに、信じられないぐらい日本語が上手なのだ。きっと生まれる前は、日本に住んでいたに違いない。
『甘いものばかり食べてたら、トーニョービョーになるって、ご主人様が言ってたよ』
『違うよ、甘いもの食べなくても、トニョービョーになるんだって、言ってたんだよ』
『トーニョービョー? トニョービョー? どっち?』
『トーニョービョーじゃない? たしかカルテってのに書かれてたよ、漢字だったからよくわかんないけど』
『へえ、僕、そこまで見てなかった。次からちゃんと見ておこう』
いつの間にか話題は、カルテの話で盛り上がっている。
『ところで今日の議題はなんなのさ』
『ああ、そうだった。外国に行くんだしさ、英語は覚えなきゃいけないんじゃないかって話でね。金ぴか君が英語が得意だから、英会話教室を開こうと思って』
その言葉と同時に、目がくらむような、まぶしい光に包まれた。
『まったくもう、このまぶしさはなんとかならないのー?』
『スミマセン。ご主人様ガ毎日ミガクモノデスカラ、マスマス光ッテシマッテ』
『みがくのって銀細工だよね? 金ぴかちゃんはみがかなくても良いんじゃないの?』
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