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番外編 遠くても同じ空の下
第七話 夫婦の時間も大事です
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今回は、エンジン不調後にした初の長距離航路ということもあって、普段ならうるさくデブリーフィングにこだわらない緋村三佐も、真面目な顔をして井原三佐の話を聞いていた。
「なんにせよ、元々が中古品の集まりです。六番機は、今まで本格的なオーバーホールをしたことがありませんし、これまでなんの問題もなく飛んでいたほうが、珍しいぐらいですよ。今回の部品交換で、主要な部分のパーツはほとんど新品と入れ替わったので、当分は安心だと思いますが」
「飛行途中でなくて幸いだったな」
「それよりも、よくわかりましたね機長」
井原三佐が、感心したように言った。
エンジンが不調ではないかと、最初に気がついたのは三佐だった。那覇を離陸して途中の米軍基地に立ち寄った時に、エンジンの調子がおかしくないかと言い始め、離陸する前に何度も井原三佐に指示をして、現地の整備員達にエンジンの点検をさせていたのだ。
だけどその時にはまったく異常は見つからず、何箇所か経由して拠点基地に到着してから、エンジンの部品に小さな亀裂が入っているのが見つかった。海自の整備責任者である野口三佐の話だと、亀裂の具合からして、恐らくインド洋沖を飛んでいる時に入ったものだろうということだ。つまり三佐は、亀裂が入る前に気がついたということになる。
「そりゃあ、だてに六番機と長いこと飛んでるわけじゃないからな」
私がこの機体に乗るようになって十年だけど、エンジンの異変にはまったく気がつかなかった。三佐のように三十年近くこの機体に乗り続ければ、そういうことがわかるようになるのだろうか。
「自分が先に気がつかなければならないのに、お恥ずかしい限りです」
井原三佐が言う。
「いやいや。これは、長いこと六番機を飛ばしてきた俺の年の功ってやつだ、気にするな。さてと。俺達はこれで二十四時間の休息だな。今回はそれぞれ嫁さんが来ていることだし、ゆっくりすごせ。ああ、旦那とチビちゃん達ともな」
三佐が、私の顔を見てニヤリと笑った。
雄介さんが色々と手配をしてくれていたので、奥さん達の宿泊先も、ここからそれなりに近いところだ。出発前の所定の時間に戻ってきさえすれば、基地から出て、そこですごすことに関して問題はないということだった。
基地のゲートを出たところで、それぞれ奥さん達と連絡を取って、待ち合わせの場所を決めている。私も雄介さんに連絡を入れてみたら、まだ基地内であれこれと見学を続けているようなので、そっちに戻ることにした。
「お待たせ。皆、なに見てるの?」
子供達は滑走路が見える場所で、御機嫌な様子で私のことを待っていた。
「アメリカ軍のせんとーき!」
颯太が嬉しそうにそう言った。
「飛んでたの?」
「きれいな色のがとんだー」
その言葉に雄介さんをうかがう。
「ショットガンが所属している部隊ではなく、海軍のアドバーサリーが立ち寄ったらしい。行き先は恐らく太平洋に展開している空母だろうな」
「なるほどね。ねえ、そろそろご飯の時間にしない? 私、お腹すいちゃった」
「ちょっと早くないか?」
雄介さんが腕時計を見る。たしかにちょっと早いかな。でもお腹すいた……。
「そう?」
「そういう時にはだな、なにを渡せば良いんだっけな。大輔がなにかいいものを持っていると思うぞ。なあ?」
雄介さんが笑いながら、大ちゃんに声をかけた。
「大ちゃん、なにを持ってるの?」
「これ!!」
そう言いながら差し出されたのは、どこかで見たことのあるお店のロゴがプリントされた紙袋と。そして漂うのは、かいだことのある甘い匂い。
「これってもしかして?」
「オバちゃんが好きなサーターアンダギー。皆でここに来る前に買って食べたんだけど、一個残しておいたの」
「そうなの?」
「俺はなにも言わなかったんだが、子供達が絶対にちはるが食べたがるだろうって。作りたてでないのは申し訳ないが」
「まさか食べられるとは思ってなかったから、嬉しいな。これ食べたら、晩御飯まで十分待っていられるわ。皆、ありがとう」
そう言いながら大ちゃんが差し出した紙袋を受け取って、中身を取り出す。うんうん、この匂い。いつものサーターアンダギーだ。まだ制服のままだし厳密には仕事中ではあったけれど、我慢できずに一口かじった。ここにいても、なかなか買いに出る機会がなかったサーターアンダギー、やっぱりおいしい!
「ここのは、冷めていてもおいしいね~~」
「残しておいて良かったな。これがなかったら、空腹でちはるは暴れていたかもしれないな」
雄介さんの言葉に、子供達全員がそろって親指を立ててサムズアップをした。
「お父さん達は?」
一口かじって我慢できるはずもなく、二口目をかじりながらたずねる。
「ああ。昨日お義父さんの知り合いが、こっちの病院で手術だったんだ。さっき目が覚めたらしく、医者であるお義母さんが一緒なら問題ないだろうって、面会が許可されたらしくてな。そっちに行かれた」
「そうだったの。お父さんの知り合いってことは、当然、空自関係者よね。雄介さん達の時と同じように、ヒマなら自分のところで働かないかって、引っ張るつもりじゃないかしら。病人相手に、無茶なことを言わなければ良いんだけど」
私がそう言うと、雄介さんはニヤリと笑ってうなづいた。
「かもな。後輩だと言っていたから、自分の後釜に座らせるつもりなのかもしれない」
「まったくもう。本当にうちのお父さんてば、抜け目がないんだから」
「そのお蔭で俺は、今も自衛官をしていられるんだ。文句はないだろ?」
「そこには異論はないけどね」
だけど、本当に父親の抜け目のなさには感心する。もしかしたら教導隊の一本釣りよりも、素早くて精度が高いんじゃないかしら。
「さて、皆、ちはると合流したことだし、そろそろ基地から出て、小松の爺ちゃん達へのおみやげ探しをするかー?」
「「「「さんせーい!!」」」」
その提案に、子供達は嬉しそうな声をあげた。
+++++
久し振りに皆で賑やかな夕飯の時間をすごした後、お風呂に入った子供達が眠ってしまって、やっと雄介さんと二人でゆっくりと話す時間ができた。両親が気をきかせて自分達の部屋で寝かそうか?と提案してくれたんだけど、それを断ったのは私のほうだった。だって、次にこうやって子供達の寝顔を見ることができるのは、三ヶ月後なんだもの。せっかく子供達と会えたのだから、我が子達の寝顔を見る時間は大事にしたい。
雄介さんは内心どう思っていたかはわからないけれど、私がそう言うのだからと快く賛成してくれた。
「悠太は夏休みの絵日記に美ら海で見た魚を描くべきか、基地で見た戦闘機を描くべきか悩むだろうな」
「私は美ら海の絵を描いたほうが良いと思うな」
「どうして?」
「どうしてって、そっちのほうが夏休みの絵日記らしいから」
そうは言ったものの、実際はもっと複雑な事情がある。
いくら基地近くの小学校だからって、教師と保護者すべてが、自衛隊に対して理解があるわけじゃない。その手の思想的なことを、子供達に押しつけるような教師がいるとは思いたくないけれど、実際のところ皆無でないことは、全国の基地関係者同士の話で耳に入ってきていた。私達は自分達の仕事に誇りを持っているけれど、子供達が自分達の言いたいことをちゃんと言い返せない間は、そのことであれこれと辛い目に遭わせたくないというのが、親としての正直な気持ちだった
「ま、たしかにそうだな。夏休みらしいのはそっちかもしれない。悠太が悩むようなら、そうアドバイスをすることにしよう」
私の気持ちを察したのか、雄介さんは少し考えてからそう言ってくれた。
「おねがいします。それで写真は撮ったの?」
「もちろん。帰ってくるまでにはきちんと現像して、見られるようにしておくから楽しみにしていてくれ」
もう一度、子供達がちゃんとお布団をかけて寝ているかどうか確かめてから、部屋を出る。そして緋村三佐が言った、KC-767への機種転換課程を五年後に先延ばしにするという提案を、雄介さんに話すことにした。
「良いんじゃないか? 五年後でもちはるはまだ四十一だろ?」
雄介さんは、私が話し終えるとしばらく考えてから口を開いた。
「でも、機種転換するなら若いうちのほうが良いって言ったのは、雄介さんよね?」
「まあそれは、葛城達がイーグルからF-2に乗り換えた時に感じたことであって、戦闘機と輸送機では、また事情が違うだろうからな。それに緋村三佐の言い分にも一理ある。ベテランがいっせいに現場を離れるのは、どこの飛行隊でも避けたい事態だ。ちはるの腕なら、五年後にずらしたとしても大して問題ないと思うぞ。……それにだな」
「なあに?」
雄介さんがニッと笑う。
「家族が一人増えるなら五年後の方が、ちはるも落ち着いて課程を受けられるんじゃないか?」
「……ねえ、それって本気?」
「俺が本気でなくても、悠太と颯太は間違いなく本気だぞ。今日の颯太の態度から見ても、それは明らかだろ」
お腹に〝もしもし〟をされたことを指摘されて、たしかにと納得した。
「そう言えば知ってるか?」
「なにを?」
「海外に派遣された妻帯者の隊員が、帰国してからまず直面する問題がなにか」
「なに?」
「嫁さんが妊娠していること」
「えっと、それってどういうこと? 浮気ってことじゃないのよね?」
私が顔をしかめてそう尋ねると、雄介さんは苦笑いして否定した。
「まさか。そういうことじゃなくて、出発前に嫁さんの腹に仕込んでいく隊員が多いってことだよ。言い方が下品で申し訳ないが」
「……そうなの」
「まあ俺達の場合は、ちはるが派遣される立場だったから、さすがに無茶はできなかったが……」
「できなかったが、なんなの?」
なんでそんなに意味深な顔をしながら、そこで言葉を切ったのか。
「俺が派遣される立場だったら、間違いなく仕込んでいったかもな。そうすれば今頃は、ちはるの腹で三番目の子供が育っていたわけなんだが」
そう言いながら、隣に座っていた私を自分の膝の上に座らせた。
「ちょっと。ダメだからね、まだ三ヶ月間は、あっちとこっちの往復が続くんだし」
雄介さんが言いたいことを察して、服にかけられた手を軽く叩く。
「だけど颯太の時は、三ヶ月ぐらいまで気づかずに飛んでたよな?」
「それは気づかなかったってだけで、わかってたら飛ばなかったわよ」
「だけど安定期に入ったとたんに、また飛び出したよな? 三佐達がわーわー心配するのを押し切って」
「あれだってちょっとの期間じゃない。それに乗るのは近距離の定期便に限定していたし、訓練生が来ていたから操縦はしてなかったわよ……ほとんど」
雄介さんがんん?と眉をあげてこっちを見たので、最後の一言をつけ加えた。
「それに国内と海外とでは事情が違うでしょ? 悠太の時も颯太の時も、うちの母親が近くにいてくれたから無茶しない程度に乗ってただけで、今回は往復一週間の長距離だもの。なにかあっても対処できないし、それこそクルーに迷惑がかかっちゃう。雄介さんとの子供は欲しいけど、こんな状況だもの、私達の子供を危険な目には遭わせられない」
なにもかもいつもとは違う状況だ。気づかずに飛ぶのと、わかっていて飛ぶのとでは全然、事情が違う。
「だからまだダメ」
「そうか、だったら残念だが、こいつを使うしかないよな」
そう言いながら取り出したのは避妊具。
「持ってきたの?」
「当り前だろ? 三ヶ月ぶりに嫁とこうやって顔を合わせられるんだ。夫としてなにもしないわけがないだろ」
そして悪戯っぽい顔をしてみせた。
「子供達と一緒にいたい気持ちは理解できるから止めはしなかったが、隣の部屋で子供達が寝ているんだ、あまり騒ぐなよ? ま、声をこらえているちはるの顔には大いにそそられるから、協力はしてやれないと思うがな」
「普通はそこで協力しようとか思わない?」
「思わない。では奥様、覚悟はよろしいか? You cleared for takeoff ?」
まったく。我が家のイーグルドライバーは本当に手に負えないんだから……。
「なんにせよ、元々が中古品の集まりです。六番機は、今まで本格的なオーバーホールをしたことがありませんし、これまでなんの問題もなく飛んでいたほうが、珍しいぐらいですよ。今回の部品交換で、主要な部分のパーツはほとんど新品と入れ替わったので、当分は安心だと思いますが」
「飛行途中でなくて幸いだったな」
「それよりも、よくわかりましたね機長」
井原三佐が、感心したように言った。
エンジンが不調ではないかと、最初に気がついたのは三佐だった。那覇を離陸して途中の米軍基地に立ち寄った時に、エンジンの調子がおかしくないかと言い始め、離陸する前に何度も井原三佐に指示をして、現地の整備員達にエンジンの点検をさせていたのだ。
だけどその時にはまったく異常は見つからず、何箇所か経由して拠点基地に到着してから、エンジンの部品に小さな亀裂が入っているのが見つかった。海自の整備責任者である野口三佐の話だと、亀裂の具合からして、恐らくインド洋沖を飛んでいる時に入ったものだろうということだ。つまり三佐は、亀裂が入る前に気がついたということになる。
「そりゃあ、だてに六番機と長いこと飛んでるわけじゃないからな」
私がこの機体に乗るようになって十年だけど、エンジンの異変にはまったく気がつかなかった。三佐のように三十年近くこの機体に乗り続ければ、そういうことがわかるようになるのだろうか。
「自分が先に気がつかなければならないのに、お恥ずかしい限りです」
井原三佐が言う。
「いやいや。これは、長いこと六番機を飛ばしてきた俺の年の功ってやつだ、気にするな。さてと。俺達はこれで二十四時間の休息だな。今回はそれぞれ嫁さんが来ていることだし、ゆっくりすごせ。ああ、旦那とチビちゃん達ともな」
三佐が、私の顔を見てニヤリと笑った。
雄介さんが色々と手配をしてくれていたので、奥さん達の宿泊先も、ここからそれなりに近いところだ。出発前の所定の時間に戻ってきさえすれば、基地から出て、そこですごすことに関して問題はないということだった。
基地のゲートを出たところで、それぞれ奥さん達と連絡を取って、待ち合わせの場所を決めている。私も雄介さんに連絡を入れてみたら、まだ基地内であれこれと見学を続けているようなので、そっちに戻ることにした。
「お待たせ。皆、なに見てるの?」
子供達は滑走路が見える場所で、御機嫌な様子で私のことを待っていた。
「アメリカ軍のせんとーき!」
颯太が嬉しそうにそう言った。
「飛んでたの?」
「きれいな色のがとんだー」
その言葉に雄介さんをうかがう。
「ショットガンが所属している部隊ではなく、海軍のアドバーサリーが立ち寄ったらしい。行き先は恐らく太平洋に展開している空母だろうな」
「なるほどね。ねえ、そろそろご飯の時間にしない? 私、お腹すいちゃった」
「ちょっと早くないか?」
雄介さんが腕時計を見る。たしかにちょっと早いかな。でもお腹すいた……。
「そう?」
「そういう時にはだな、なにを渡せば良いんだっけな。大輔がなにかいいものを持っていると思うぞ。なあ?」
雄介さんが笑いながら、大ちゃんに声をかけた。
「大ちゃん、なにを持ってるの?」
「これ!!」
そう言いながら差し出されたのは、どこかで見たことのあるお店のロゴがプリントされた紙袋と。そして漂うのは、かいだことのある甘い匂い。
「これってもしかして?」
「オバちゃんが好きなサーターアンダギー。皆でここに来る前に買って食べたんだけど、一個残しておいたの」
「そうなの?」
「俺はなにも言わなかったんだが、子供達が絶対にちはるが食べたがるだろうって。作りたてでないのは申し訳ないが」
「まさか食べられるとは思ってなかったから、嬉しいな。これ食べたら、晩御飯まで十分待っていられるわ。皆、ありがとう」
そう言いながら大ちゃんが差し出した紙袋を受け取って、中身を取り出す。うんうん、この匂い。いつものサーターアンダギーだ。まだ制服のままだし厳密には仕事中ではあったけれど、我慢できずに一口かじった。ここにいても、なかなか買いに出る機会がなかったサーターアンダギー、やっぱりおいしい!
「ここのは、冷めていてもおいしいね~~」
「残しておいて良かったな。これがなかったら、空腹でちはるは暴れていたかもしれないな」
雄介さんの言葉に、子供達全員がそろって親指を立ててサムズアップをした。
「お父さん達は?」
一口かじって我慢できるはずもなく、二口目をかじりながらたずねる。
「ああ。昨日お義父さんの知り合いが、こっちの病院で手術だったんだ。さっき目が覚めたらしく、医者であるお義母さんが一緒なら問題ないだろうって、面会が許可されたらしくてな。そっちに行かれた」
「そうだったの。お父さんの知り合いってことは、当然、空自関係者よね。雄介さん達の時と同じように、ヒマなら自分のところで働かないかって、引っ張るつもりじゃないかしら。病人相手に、無茶なことを言わなければ良いんだけど」
私がそう言うと、雄介さんはニヤリと笑ってうなづいた。
「かもな。後輩だと言っていたから、自分の後釜に座らせるつもりなのかもしれない」
「まったくもう。本当にうちのお父さんてば、抜け目がないんだから」
「そのお蔭で俺は、今も自衛官をしていられるんだ。文句はないだろ?」
「そこには異論はないけどね」
だけど、本当に父親の抜け目のなさには感心する。もしかしたら教導隊の一本釣りよりも、素早くて精度が高いんじゃないかしら。
「さて、皆、ちはると合流したことだし、そろそろ基地から出て、小松の爺ちゃん達へのおみやげ探しをするかー?」
「「「「さんせーい!!」」」」
その提案に、子供達は嬉しそうな声をあげた。
+++++
久し振りに皆で賑やかな夕飯の時間をすごした後、お風呂に入った子供達が眠ってしまって、やっと雄介さんと二人でゆっくりと話す時間ができた。両親が気をきかせて自分達の部屋で寝かそうか?と提案してくれたんだけど、それを断ったのは私のほうだった。だって、次にこうやって子供達の寝顔を見ることができるのは、三ヶ月後なんだもの。せっかく子供達と会えたのだから、我が子達の寝顔を見る時間は大事にしたい。
雄介さんは内心どう思っていたかはわからないけれど、私がそう言うのだからと快く賛成してくれた。
「悠太は夏休みの絵日記に美ら海で見た魚を描くべきか、基地で見た戦闘機を描くべきか悩むだろうな」
「私は美ら海の絵を描いたほうが良いと思うな」
「どうして?」
「どうしてって、そっちのほうが夏休みの絵日記らしいから」
そうは言ったものの、実際はもっと複雑な事情がある。
いくら基地近くの小学校だからって、教師と保護者すべてが、自衛隊に対して理解があるわけじゃない。その手の思想的なことを、子供達に押しつけるような教師がいるとは思いたくないけれど、実際のところ皆無でないことは、全国の基地関係者同士の話で耳に入ってきていた。私達は自分達の仕事に誇りを持っているけれど、子供達が自分達の言いたいことをちゃんと言い返せない間は、そのことであれこれと辛い目に遭わせたくないというのが、親としての正直な気持ちだった
「ま、たしかにそうだな。夏休みらしいのはそっちかもしれない。悠太が悩むようなら、そうアドバイスをすることにしよう」
私の気持ちを察したのか、雄介さんは少し考えてからそう言ってくれた。
「おねがいします。それで写真は撮ったの?」
「もちろん。帰ってくるまでにはきちんと現像して、見られるようにしておくから楽しみにしていてくれ」
もう一度、子供達がちゃんとお布団をかけて寝ているかどうか確かめてから、部屋を出る。そして緋村三佐が言った、KC-767への機種転換課程を五年後に先延ばしにするという提案を、雄介さんに話すことにした。
「良いんじゃないか? 五年後でもちはるはまだ四十一だろ?」
雄介さんは、私が話し終えるとしばらく考えてから口を開いた。
「でも、機種転換するなら若いうちのほうが良いって言ったのは、雄介さんよね?」
「まあそれは、葛城達がイーグルからF-2に乗り換えた時に感じたことであって、戦闘機と輸送機では、また事情が違うだろうからな。それに緋村三佐の言い分にも一理ある。ベテランがいっせいに現場を離れるのは、どこの飛行隊でも避けたい事態だ。ちはるの腕なら、五年後にずらしたとしても大して問題ないと思うぞ。……それにだな」
「なあに?」
雄介さんがニッと笑う。
「家族が一人増えるなら五年後の方が、ちはるも落ち着いて課程を受けられるんじゃないか?」
「……ねえ、それって本気?」
「俺が本気でなくても、悠太と颯太は間違いなく本気だぞ。今日の颯太の態度から見ても、それは明らかだろ」
お腹に〝もしもし〟をされたことを指摘されて、たしかにと納得した。
「そう言えば知ってるか?」
「なにを?」
「海外に派遣された妻帯者の隊員が、帰国してからまず直面する問題がなにか」
「なに?」
「嫁さんが妊娠していること」
「えっと、それってどういうこと? 浮気ってことじゃないのよね?」
私が顔をしかめてそう尋ねると、雄介さんは苦笑いして否定した。
「まさか。そういうことじゃなくて、出発前に嫁さんの腹に仕込んでいく隊員が多いってことだよ。言い方が下品で申し訳ないが」
「……そうなの」
「まあ俺達の場合は、ちはるが派遣される立場だったから、さすがに無茶はできなかったが……」
「できなかったが、なんなの?」
なんでそんなに意味深な顔をしながら、そこで言葉を切ったのか。
「俺が派遣される立場だったら、間違いなく仕込んでいったかもな。そうすれば今頃は、ちはるの腹で三番目の子供が育っていたわけなんだが」
そう言いながら、隣に座っていた私を自分の膝の上に座らせた。
「ちょっと。ダメだからね、まだ三ヶ月間は、あっちとこっちの往復が続くんだし」
雄介さんが言いたいことを察して、服にかけられた手を軽く叩く。
「だけど颯太の時は、三ヶ月ぐらいまで気づかずに飛んでたよな?」
「それは気づかなかったってだけで、わかってたら飛ばなかったわよ」
「だけど安定期に入ったとたんに、また飛び出したよな? 三佐達がわーわー心配するのを押し切って」
「あれだってちょっとの期間じゃない。それに乗るのは近距離の定期便に限定していたし、訓練生が来ていたから操縦はしてなかったわよ……ほとんど」
雄介さんがんん?と眉をあげてこっちを見たので、最後の一言をつけ加えた。
「それに国内と海外とでは事情が違うでしょ? 悠太の時も颯太の時も、うちの母親が近くにいてくれたから無茶しない程度に乗ってただけで、今回は往復一週間の長距離だもの。なにかあっても対処できないし、それこそクルーに迷惑がかかっちゃう。雄介さんとの子供は欲しいけど、こんな状況だもの、私達の子供を危険な目には遭わせられない」
なにもかもいつもとは違う状況だ。気づかずに飛ぶのと、わかっていて飛ぶのとでは全然、事情が違う。
「だからまだダメ」
「そうか、だったら残念だが、こいつを使うしかないよな」
そう言いながら取り出したのは避妊具。
「持ってきたの?」
「当り前だろ? 三ヶ月ぶりに嫁とこうやって顔を合わせられるんだ。夫としてなにもしないわけがないだろ」
そして悪戯っぽい顔をしてみせた。
「子供達と一緒にいたい気持ちは理解できるから止めはしなかったが、隣の部屋で子供達が寝ているんだ、あまり騒ぐなよ? ま、声をこらえているちはるの顔には大いにそそられるから、協力はしてやれないと思うがな」
「普通はそこで協力しようとか思わない?」
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