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本編
第十二話 いざ南国の空へ
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新田原基地まで飛んで、すっかり長距離を飛んだ気分になっていてはいけないのが、我ら第401飛行隊のパイロット。なにせ飛行隊所属のC-130輸送機の航続距離は4000km。小牧から新田原までの距離なんて、この輸送機にとっては朝飯前の距離だ。
もともとC-130は航続距離と積載量から、PKOなどで海外に派遣されることが多い機体だった。そのせいか、三佐は、そろそろ天音も海外とまではいかなくても、長距離にチャレンジだよなあと物騒なことを言い始めている。つまるところ、三佐に言わせれば小牧・新田原程度の距離は、長距離ではないと言うことらしい。ある日いきなり海外に行くぞ!と三佐が言いだしても、私はもう驚かない。
+++++
「うん、だからね、今年の冬期休暇はそっちには戻らず、新田原のお知り合いのところに遊びに行く予定にしたの。で、あっちでは同期の子が訓練しているから、せっかくだし戦闘機の操縦課程がどんなものか、見学させてもらうつもりでいるんだ~」
電話の相手は実家の母親。
各務原市にある実家は、小牧基地から近い場所にある。だから夏期休暇やちょっとした休みの時は、いまだにグチグチと文句を言っている父親を大人しくさせるために、可能なかぎり帰るようにしていた。だけど今度の休みは、さすがにこちらの事情を優先させてもらうことにする。
『お知り合いねえ。もしかしてその人って、ボーイフレンドなの? 航空学生の同期の男の子とか?』
電話の向こうで、母親がニヤニヤしているのが目に浮かぶ。そしてその向こう側のソファでは、さり気無く新聞を読みつつ、耳を象さんみたいにこっちに向けている父親の様子も。
「私よりもベテランの上官さんだよ。教育群に講演で、何度か来ていた人なの」
本人が言っていたから嘘じゃない。それから、父親の耳に入って面倒なことになったらイヤなので、飛行適性検査のことは言わないでおく。
『ちはる、私の質問に答えてないわよ? そ・の・ひ・と・は・ボ・ウ・イ・フ・レ・ン・ド・な・の?』
「えっと、そうなるのかな。まだ付き合っているって感じじゃないんだけどね」
まあ五分間のキスで、あんなことやこんなことはされたけど。それも、父親の耳に入ったら大変なことになるので、黙っておこう。
『つまりは今度のお休みで、本格的にお付き合いを開始するってことよね。あらやだ、お父さん。なんそんなに動揺しているの? ちはるだってもう大人なんだもの、お付き合いする人が現われても不思議じゃないでしょ? いつまでも、飛行機を飛ばすことばかりにかまけていられないのよ。いい加減に女性としても、飛び立たなくちゃ』
電話の向こうで、なにやら父親がグタグタと言っている。
「お父さん、今なんて言ったの?」
『一体どこのどいつだって』
「聞いてどうするつもり? その人のところに挨拶にでも行くの?」
『お父さん、ちはるがその人のところに挨拶にでも行くのかって』
さらに父親が、グチャグチャとなにか言ったのが聞こえてきた。その中に、いくつか物騒な単語が混じっていたのは、気のせいじゃないはずだ。
「ねえ、今、ぶっ飛ばすって言わなかった?」
『そんなこと言ったような気がするわね』
「やめてよね。いくらお父さんのほうが偉くても、そんなことしたら大騒ぎになるから」
母親が私の言葉をそのまま伝えたようだけど、あまり効果はないみたい。まだなにやらブツブツと言い続けている。このしつこさ、風間君といい勝負かも。
「お母さん、お父さんのことちゃんと見張っててね? いきなり乗り込んでいったなんてことになったら、シャレにならないから」
『そうね、あまり聞きわけがないようなら、一年ぐらい目を覚まさないように、麻酔薬をお尻に打っちゃおうかしら』
母親が楽しそうに言った。とたんに向こう側で騒いでいた父親が静かになる。
うちの母親、なにを隠そう自衛隊岐阜病院で医師をしてる。と言っても母親本人は自衛官ではなく、父親と結婚してこっちに来た時に、たまたま医師の空きがあったので働くことにしただけの、正真正銘の民間人だ。ただ、父親と父親の友人達家族と付き合ううちに、どんどん肉体的にも精神的にもたくましくなったので、今では民間人と言っても誰にも信じてもらえない。
「えっと、お母さんには先に言っておこうかな。相手の人は、新田原にいる飛行教導隊のパイロットなの」
『そう言われても、お母さんにはよくわからないから、後でこっそり調べてみるわ。お父さんにはしばらく内緒にしておくわね。さすがに私も、自分の旦那様のお尻に麻酔薬を突き刺すのは、娘のためとはいえ良心が痛むもの』
最後の言葉は口調からして、絶対に父親を見ながら言ったに違いない。
「本気で刺すつもり?」
『お父さんが、大人げない職権乱用をするつもりならね。病院の根回しは任せて。原因不明の病気で意識不明になって、長期入院ってことにしちゃうから。そういう事例って意外とたくさんあるから、誰も不審には思わないのよ』
うちの母親はやると言ったら本当にやる人だ。それを知っている父親も、これでしばらく大人しくしてくれるだろう。
「その調子で、入隊するって決めた時にも味方になってくれれば良かったのに。そうすればお父さんだって、もっと大人しくしてたんじゃないかなあ」
『仕事と恋の事情は別なのよ。でも、ちはるはどちらも頑張りなさいね』
母親は私の愚痴りに、ほがらかに笑った。
「どうなるかわからないけど、そのうちお母さん達に紹介できる日がくるかも」
『あてにせずに楽しみにしてるわ、お父さんと一緒にね』
してない!と思わず叫んだ父親が、その後どんな目に遭ったかは、聞かないでおいたほうが良さそうだ。
+++++
「那覇?」
「那覇だ」
「那覇って、あの那覇ですか?」
「その那覇以外になにがあるってんだ。この訓練飛行は、飛行距離が今までのものより一気に倍に伸びるぞ」
もちろん、私の飛行訓練だけのために、那覇まで輸送機を飛ばすわけではない。転勤で那覇基地に向かう隊員達の輸送も兼ねている。つまり重要な任務でもあるのだ。でも気になることが一つ。
「……」
「なんだ、嬉しくないのか? ある意味ここまでくると、すでに訓練生ではなく一人前あつかいなんだがな」
この手の訓練は、ある程度のレベルに達すると、教官の裁量と訓練生の自主性に任されるようになる。だから訓練中にも関わらず長距離の飛行を任されると言うのは、それだけ教官から実力を認められたということで、訓練生にとっては光栄なことだった。
「それはわかってますけどね……」
私がさらに黙り込んだので、緋村三佐は顔をしかめる。普段なら、今日の訓練は何処そこの基地へ向けての飛行だって言われるたびに、私が喜んでいるからだ。
「トイレ、我慢できますかね」
「したくなっても、機内にトイレがあるから大丈夫だろ。ずっと操縦席に貼りつけなんて、言うつもりはないんだからな」
「…………」
「だからなんだ、その顔は」
「男の三佐にはわかりませんよ、この気持ち」
「なんだよ、あのトイレのどこが悪いんだ」
「お忘れかもしれませんが、私はこれでも女性なんですよ?」
「そんなこと言われなくてもわかってるさ。間仕切りのカーテンもあるだろ」
今回の訓練の話を聞いて、真っ先に浮かんだのはあのトイレのことだった。那覇基地に異動になった隊員達を乗せていくってことは、後ろの貨物室にそれなりの人数の隊員が座っているということだ。そんな中で、たとえ間仕切りのカーテンがあったとしても、落ち着いてトイレができるわけがない。自衛官でも恥ずかしいものは恥ずかしい。男っていうは、そのへんの事情をまったく理解できないらしい。
「…………」
「だからなんなんだ、その軽蔑し切った眼は。これでも俺は、お前の教官で三佐で偉いんだぞ?」
「わかってますよ」
「本当に?」
「はい」
疑わしげな顔をしていた三佐は、溜め息をつくとまあ良いかと呟いた。
「とにかくだ。九州を越えたら眼下は海ばかりで、目印なんてないに等しいんだからな。これまでとは違って、有視界だけではなく、花山が作った飛行計画書と計器類を頼りに飛ぶことになる。今までに学んだことの集大成みたいなもんだ。当日までに、きちんと頭の中で整理しておけよ」
私にとっては初めての長距離飛行でも、航続距離が4000kmのC-130輸送機にとっては余裕の距離だ。そして海外派遣ともなれば、その那覇基地が国内の拠点基地となり、そこから任務のある海外へと出発する。つまり、那覇まで飛ばすのも苦労するようなら、海外派遣任務のパイロットなんて、とても任せられないということになる。
「飛行予定は来週の水曜日だ。ああ、それと。こっちを飛ぶのとは違って、招かれざる客とも遭遇する可能性も高くなることを忘れるなよ?」
招かれざる客。つまりは領空侵犯まがいなことをしてくる、どこぞの国の航空機のことだ。東西冷戦時はどちらかといえば、北からやってくる航空機に対してのスクランブルが多かった。だけど最近は、西南の空も色々ときな臭い。今のところ、船舶関係でのトラブルが圧倒的に多いので、海保が対応しているけれど、今後はどういう事態になるかは不透明な状態だった。
「はい」
+++
そのあたりの話はさておき、那覇までの訓練飛行が決まった私の元には、なぜか基地のいたるところの部署から「ちんすこう」やら「紅イモタルト」やらの、お土産リストが届くようになっていた。
「あのもしもし! 誰ですか、この泡盛十ダースとか頼んできたのは! しかもメーカーまで指定して!」
食堂でお昼ご飯を食べている時に、なぜか手渡された集計リストに目を通していて、思わず声をあげた。その声に、何人かのお兄さん達が手をあげる。手をあげた人数からするに、一人一ダースってことらしい。
「お酒なんてダメに決まってるでしょ! なに考えてるんですか!」
「別に任務中に飲むわけじゃないから良いだろ?」
「そういう問題じゃありません。飲みたいなら、自分でお取り寄せしてください」
「えー、緋村三佐はかまわないって言ってくれたぞー」
「ちゃんとメーカー名も書いておけよって言ったのは、緋村三佐なんだけどなあ」
「あのオッサンはまったく……!」
あ、しまった、とうとう本音が。
実際のところ、お土産を頼まれたところで、私達クルーに買いに行く時間的なゆとりはない。だから、あちらに勤務している某部署の隊員に、お土産リストを秘密裏にファックスして、商品をあらかじめ用意してもらい、それを貨物の一部として載せて帰ってくるのだ。自衛官であれば、里帰りや旅行で利用できるのだから、任務に支障がなければお土産ぐらい載せるのは問題ないとは言うものの、自由すぎるところも考えものだと思う今日この頃だ。
「谷口一曹、復路の貨物、こんなに増えちゃいましたよ」
リスト化されたお土産一覧を差し出す。
「どれどれ。ふむふむ。まあ、車輛を積み込んだり空挺部隊を同乗させることに比べたら、この程度は取るに足らない量だね。ほうほう、泡盛十ダースか。これは事前にあっちと打ち合わせしておかないと、搬入時にビンが割れそうだな。梱包の時に緩衝材をきちんと入れて、割れないようにしてもらわないと」
「積み込む気でいる……」
「せっかく持ち帰ったのに、フォークリフトで出し入れする時の衝撃で割れちゃったら、なんにもならないからね」
空中輸送員としては、物資のすべては完璧な状態で目的地に運ばないとねえと、うなづきながら言っている。
「私が言いたいのはそこじゃないです……」
「まあまあ。機長の三佐が良いって言ってるんだから、問題ないよ」
でも、なにもかも目立たず秘密裏に手配をするのだから、この物資輸送作戦は実に胡散臭いことこの上ない。
「でも、なんでいきなり那覇なんでしょう。距離的に次の行き先は、千歳基地だと思っていたんですが」
冬になり天気も荒れ気味になると、それも含めての飛行訓練になる。だから実のところ、次は千歳基地まで飛ぶのかなって思っていたんだけど。
「ああ、それか。緋村三佐が寒いのは嫌いだからだな」
「えええ? 好き嫌いで決めて良いんですか?」
「飛行訓練が、教官の裁量と訓練生の自主性に任されているのは知っているだろ? 天音がどうしても千歳に行きたいと言い張れば、行けるんじゃないかな……いや、あの人のことだから、教官権限で却下するかな」
「そりゃたしかにここしばらくは、南か西ばかりでしたけどね」
まさか三佐が寒がりだったせいで、私の飛行訓練のルートが決められていたなんて。
「だがあっちだって油断はできないな。南国に近いから、この時期にも台風もどきが発生する。時には大シケ中を飛ぶことだってあるんだから、しばらくは気象データに要注意だと思うぞ?」
「わかっています」
さすがに訓練で暴風雨の中を飛んだりはしない。だけど、民間機なら離陸を見合わせるような天気でも、任務なら飛び立つのが自衛隊の輸送機だ。
「だから泡盛も、きちんと梱包して割れないようにしないとな。せっかく用意してもらうんだから」
「ガタガタ揺れて、全部割れちゃえば良いのに」
思わずそう呟くと、谷口一曹がダメダメと言った。
「おい、それだと空中輸送員の俺の名に傷がつくじゃないか。こっちは俺が責任を持ってきちんと積み込むから、そっちはできるだけ安全航行で頼むぞ」
「えー……そういうことは、緋村三佐に言ってくださいよ」
「あの人のことだ。また山瀬一尉と天音に任せて、昼寝をするに違いない」
「まじっすか。今度こそお昼寝ができないぐらい、ガタガタ揺れれば良いのに」
私は本気でそう呟いた。
■補足■
国境付近の状況が少し古いのは書いているお話が少し前の設定だからです。
もともとC-130は航続距離と積載量から、PKOなどで海外に派遣されることが多い機体だった。そのせいか、三佐は、そろそろ天音も海外とまではいかなくても、長距離にチャレンジだよなあと物騒なことを言い始めている。つまるところ、三佐に言わせれば小牧・新田原程度の距離は、長距離ではないと言うことらしい。ある日いきなり海外に行くぞ!と三佐が言いだしても、私はもう驚かない。
+++++
「うん、だからね、今年の冬期休暇はそっちには戻らず、新田原のお知り合いのところに遊びに行く予定にしたの。で、あっちでは同期の子が訓練しているから、せっかくだし戦闘機の操縦課程がどんなものか、見学させてもらうつもりでいるんだ~」
電話の相手は実家の母親。
各務原市にある実家は、小牧基地から近い場所にある。だから夏期休暇やちょっとした休みの時は、いまだにグチグチと文句を言っている父親を大人しくさせるために、可能なかぎり帰るようにしていた。だけど今度の休みは、さすがにこちらの事情を優先させてもらうことにする。
『お知り合いねえ。もしかしてその人って、ボーイフレンドなの? 航空学生の同期の男の子とか?』
電話の向こうで、母親がニヤニヤしているのが目に浮かぶ。そしてその向こう側のソファでは、さり気無く新聞を読みつつ、耳を象さんみたいにこっちに向けている父親の様子も。
「私よりもベテランの上官さんだよ。教育群に講演で、何度か来ていた人なの」
本人が言っていたから嘘じゃない。それから、父親の耳に入って面倒なことになったらイヤなので、飛行適性検査のことは言わないでおく。
『ちはる、私の質問に答えてないわよ? そ・の・ひ・と・は・ボ・ウ・イ・フ・レ・ン・ド・な・の?』
「えっと、そうなるのかな。まだ付き合っているって感じじゃないんだけどね」
まあ五分間のキスで、あんなことやこんなことはされたけど。それも、父親の耳に入ったら大変なことになるので、黙っておこう。
『つまりは今度のお休みで、本格的にお付き合いを開始するってことよね。あらやだ、お父さん。なんそんなに動揺しているの? ちはるだってもう大人なんだもの、お付き合いする人が現われても不思議じゃないでしょ? いつまでも、飛行機を飛ばすことばかりにかまけていられないのよ。いい加減に女性としても、飛び立たなくちゃ』
電話の向こうで、なにやら父親がグタグタと言っている。
「お父さん、今なんて言ったの?」
『一体どこのどいつだって』
「聞いてどうするつもり? その人のところに挨拶にでも行くの?」
『お父さん、ちはるがその人のところに挨拶にでも行くのかって』
さらに父親が、グチャグチャとなにか言ったのが聞こえてきた。その中に、いくつか物騒な単語が混じっていたのは、気のせいじゃないはずだ。
「ねえ、今、ぶっ飛ばすって言わなかった?」
『そんなこと言ったような気がするわね』
「やめてよね。いくらお父さんのほうが偉くても、そんなことしたら大騒ぎになるから」
母親が私の言葉をそのまま伝えたようだけど、あまり効果はないみたい。まだなにやらブツブツと言い続けている。このしつこさ、風間君といい勝負かも。
「お母さん、お父さんのことちゃんと見張っててね? いきなり乗り込んでいったなんてことになったら、シャレにならないから」
『そうね、あまり聞きわけがないようなら、一年ぐらい目を覚まさないように、麻酔薬をお尻に打っちゃおうかしら』
母親が楽しそうに言った。とたんに向こう側で騒いでいた父親が静かになる。
うちの母親、なにを隠そう自衛隊岐阜病院で医師をしてる。と言っても母親本人は自衛官ではなく、父親と結婚してこっちに来た時に、たまたま医師の空きがあったので働くことにしただけの、正真正銘の民間人だ。ただ、父親と父親の友人達家族と付き合ううちに、どんどん肉体的にも精神的にもたくましくなったので、今では民間人と言っても誰にも信じてもらえない。
「えっと、お母さんには先に言っておこうかな。相手の人は、新田原にいる飛行教導隊のパイロットなの」
『そう言われても、お母さんにはよくわからないから、後でこっそり調べてみるわ。お父さんにはしばらく内緒にしておくわね。さすがに私も、自分の旦那様のお尻に麻酔薬を突き刺すのは、娘のためとはいえ良心が痛むもの』
最後の言葉は口調からして、絶対に父親を見ながら言ったに違いない。
「本気で刺すつもり?」
『お父さんが、大人げない職権乱用をするつもりならね。病院の根回しは任せて。原因不明の病気で意識不明になって、長期入院ってことにしちゃうから。そういう事例って意外とたくさんあるから、誰も不審には思わないのよ』
うちの母親はやると言ったら本当にやる人だ。それを知っている父親も、これでしばらく大人しくしてくれるだろう。
「その調子で、入隊するって決めた時にも味方になってくれれば良かったのに。そうすればお父さんだって、もっと大人しくしてたんじゃないかなあ」
『仕事と恋の事情は別なのよ。でも、ちはるはどちらも頑張りなさいね』
母親は私の愚痴りに、ほがらかに笑った。
「どうなるかわからないけど、そのうちお母さん達に紹介できる日がくるかも」
『あてにせずに楽しみにしてるわ、お父さんと一緒にね』
してない!と思わず叫んだ父親が、その後どんな目に遭ったかは、聞かないでおいたほうが良さそうだ。
+++++
「那覇?」
「那覇だ」
「那覇って、あの那覇ですか?」
「その那覇以外になにがあるってんだ。この訓練飛行は、飛行距離が今までのものより一気に倍に伸びるぞ」
もちろん、私の飛行訓練だけのために、那覇まで輸送機を飛ばすわけではない。転勤で那覇基地に向かう隊員達の輸送も兼ねている。つまり重要な任務でもあるのだ。でも気になることが一つ。
「……」
「なんだ、嬉しくないのか? ある意味ここまでくると、すでに訓練生ではなく一人前あつかいなんだがな」
この手の訓練は、ある程度のレベルに達すると、教官の裁量と訓練生の自主性に任されるようになる。だから訓練中にも関わらず長距離の飛行を任されると言うのは、それだけ教官から実力を認められたということで、訓練生にとっては光栄なことだった。
「それはわかってますけどね……」
私がさらに黙り込んだので、緋村三佐は顔をしかめる。普段なら、今日の訓練は何処そこの基地へ向けての飛行だって言われるたびに、私が喜んでいるからだ。
「トイレ、我慢できますかね」
「したくなっても、機内にトイレがあるから大丈夫だろ。ずっと操縦席に貼りつけなんて、言うつもりはないんだからな」
「…………」
「だからなんだ、その顔は」
「男の三佐にはわかりませんよ、この気持ち」
「なんだよ、あのトイレのどこが悪いんだ」
「お忘れかもしれませんが、私はこれでも女性なんですよ?」
「そんなこと言われなくてもわかってるさ。間仕切りのカーテンもあるだろ」
今回の訓練の話を聞いて、真っ先に浮かんだのはあのトイレのことだった。那覇基地に異動になった隊員達を乗せていくってことは、後ろの貨物室にそれなりの人数の隊員が座っているということだ。そんな中で、たとえ間仕切りのカーテンがあったとしても、落ち着いてトイレができるわけがない。自衛官でも恥ずかしいものは恥ずかしい。男っていうは、そのへんの事情をまったく理解できないらしい。
「…………」
「だからなんなんだ、その軽蔑し切った眼は。これでも俺は、お前の教官で三佐で偉いんだぞ?」
「わかってますよ」
「本当に?」
「はい」
疑わしげな顔をしていた三佐は、溜め息をつくとまあ良いかと呟いた。
「とにかくだ。九州を越えたら眼下は海ばかりで、目印なんてないに等しいんだからな。これまでとは違って、有視界だけではなく、花山が作った飛行計画書と計器類を頼りに飛ぶことになる。今までに学んだことの集大成みたいなもんだ。当日までに、きちんと頭の中で整理しておけよ」
私にとっては初めての長距離飛行でも、航続距離が4000kmのC-130輸送機にとっては余裕の距離だ。そして海外派遣ともなれば、その那覇基地が国内の拠点基地となり、そこから任務のある海外へと出発する。つまり、那覇まで飛ばすのも苦労するようなら、海外派遣任務のパイロットなんて、とても任せられないということになる。
「飛行予定は来週の水曜日だ。ああ、それと。こっちを飛ぶのとは違って、招かれざる客とも遭遇する可能性も高くなることを忘れるなよ?」
招かれざる客。つまりは領空侵犯まがいなことをしてくる、どこぞの国の航空機のことだ。東西冷戦時はどちらかといえば、北からやってくる航空機に対してのスクランブルが多かった。だけど最近は、西南の空も色々ときな臭い。今のところ、船舶関係でのトラブルが圧倒的に多いので、海保が対応しているけれど、今後はどういう事態になるかは不透明な状態だった。
「はい」
+++
そのあたりの話はさておき、那覇までの訓練飛行が決まった私の元には、なぜか基地のいたるところの部署から「ちんすこう」やら「紅イモタルト」やらの、お土産リストが届くようになっていた。
「あのもしもし! 誰ですか、この泡盛十ダースとか頼んできたのは! しかもメーカーまで指定して!」
食堂でお昼ご飯を食べている時に、なぜか手渡された集計リストに目を通していて、思わず声をあげた。その声に、何人かのお兄さん達が手をあげる。手をあげた人数からするに、一人一ダースってことらしい。
「お酒なんてダメに決まってるでしょ! なに考えてるんですか!」
「別に任務中に飲むわけじゃないから良いだろ?」
「そういう問題じゃありません。飲みたいなら、自分でお取り寄せしてください」
「えー、緋村三佐はかまわないって言ってくれたぞー」
「ちゃんとメーカー名も書いておけよって言ったのは、緋村三佐なんだけどなあ」
「あのオッサンはまったく……!」
あ、しまった、とうとう本音が。
実際のところ、お土産を頼まれたところで、私達クルーに買いに行く時間的なゆとりはない。だから、あちらに勤務している某部署の隊員に、お土産リストを秘密裏にファックスして、商品をあらかじめ用意してもらい、それを貨物の一部として載せて帰ってくるのだ。自衛官であれば、里帰りや旅行で利用できるのだから、任務に支障がなければお土産ぐらい載せるのは問題ないとは言うものの、自由すぎるところも考えものだと思う今日この頃だ。
「谷口一曹、復路の貨物、こんなに増えちゃいましたよ」
リスト化されたお土産一覧を差し出す。
「どれどれ。ふむふむ。まあ、車輛を積み込んだり空挺部隊を同乗させることに比べたら、この程度は取るに足らない量だね。ほうほう、泡盛十ダースか。これは事前にあっちと打ち合わせしておかないと、搬入時にビンが割れそうだな。梱包の時に緩衝材をきちんと入れて、割れないようにしてもらわないと」
「積み込む気でいる……」
「せっかく持ち帰ったのに、フォークリフトで出し入れする時の衝撃で割れちゃったら、なんにもならないからね」
空中輸送員としては、物資のすべては完璧な状態で目的地に運ばないとねえと、うなづきながら言っている。
「私が言いたいのはそこじゃないです……」
「まあまあ。機長の三佐が良いって言ってるんだから、問題ないよ」
でも、なにもかも目立たず秘密裏に手配をするのだから、この物資輸送作戦は実に胡散臭いことこの上ない。
「でも、なんでいきなり那覇なんでしょう。距離的に次の行き先は、千歳基地だと思っていたんですが」
冬になり天気も荒れ気味になると、それも含めての飛行訓練になる。だから実のところ、次は千歳基地まで飛ぶのかなって思っていたんだけど。
「ああ、それか。緋村三佐が寒いのは嫌いだからだな」
「えええ? 好き嫌いで決めて良いんですか?」
「飛行訓練が、教官の裁量と訓練生の自主性に任されているのは知っているだろ? 天音がどうしても千歳に行きたいと言い張れば、行けるんじゃないかな……いや、あの人のことだから、教官権限で却下するかな」
「そりゃたしかにここしばらくは、南か西ばかりでしたけどね」
まさか三佐が寒がりだったせいで、私の飛行訓練のルートが決められていたなんて。
「だがあっちだって油断はできないな。南国に近いから、この時期にも台風もどきが発生する。時には大シケ中を飛ぶことだってあるんだから、しばらくは気象データに要注意だと思うぞ?」
「わかっています」
さすがに訓練で暴風雨の中を飛んだりはしない。だけど、民間機なら離陸を見合わせるような天気でも、任務なら飛び立つのが自衛隊の輸送機だ。
「だから泡盛も、きちんと梱包して割れないようにしないとな。せっかく用意してもらうんだから」
「ガタガタ揺れて、全部割れちゃえば良いのに」
思わずそう呟くと、谷口一曹がダメダメと言った。
「おい、それだと空中輸送員の俺の名に傷がつくじゃないか。こっちは俺が責任を持ってきちんと積み込むから、そっちはできるだけ安全航行で頼むぞ」
「えー……そういうことは、緋村三佐に言ってくださいよ」
「あの人のことだ。また山瀬一尉と天音に任せて、昼寝をするに違いない」
「まじっすか。今度こそお昼寝ができないぐらい、ガタガタ揺れれば良いのに」
私は本気でそう呟いた。
■補足■
国境付近の状況が少し古いのは書いているお話が少し前の設定だからです。
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