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本編
第五話 小牧の地にて再会
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航学の課程を修了して、気がつけば、いつの間にか三年が経っていた。
小牧基地に着隊して輸送機操縦課程に入ると、まずは自分が飛ばすことになる機体に関しての学習。そしてそれが終わると、操縦訓練が始まった。この操縦訓練で重点的に行われるのが、編隊飛行と戦術飛行の訓練だ。
編隊飛行とは文字通り編隊を組んで友軍機と飛行することで、よく航空祭などで披露される飛行形態だ。この飛行は、風やお互いの機体やエンジンによって生じる気流の影響を受けやすく、一定の距離を保ちつつ複数機で同じ速度で飛行を続けるのは、見た目以上に難しいものだった。しかもこの飛行の良し悪しで、投下作戦や降下作戦が成功するか失敗するかが決まるので、輸送部隊のパイロットを目指す者にとっては、非常に重要なものなのだ。
そして、戦術飛行はミサイル回避の方法や敵戦闘機との間合いの取り方など、相手からの攻撃を潜り抜けながら、物資や隊員を目的地に輸送するのに必要な操縦スキルだった。このへんは、民間貨物機とは違う自衛隊らしい訓練だと言える。
この頃になると私も空曹長へと昇任して、それなりに制服姿も様になるようになってきた、と自分では思っているけどどうだろう。
「機体を安定させて飛行する技術はしっかり身についているんだ。編隊を組む時の間合いの取り方に関しては、場数を踏んで体で覚えるしかないな」
そう言ったのは、私の指導教官である緋村三佐。この基地所属の輸送機隊のC-130輸送機で、機長を務めている人だ。
初級操縦課程で訓練をした静浜基地が風の強い日が多い場所で、強風に慣れていたこともあってか、気流が乱れている中で機体を安定させて飛ぶ技量に関しては、三佐から合格点をもらっている。あとは、一緒に飛ぶ他の輸送機との距離を、一定に保って飛び続けることができれば言うことなしってところなんだけど、C-130はそれまで飛ばしていた小型機とは比べ物にならない大きな機体。「これだ」という確かな感触をつかむのが難しく、いまだに苦労していた。
「そう言えば林原が、俺の可愛い姪っ子の訓練の様子はどうなっているんだって、毎日のようにうるさく電話してくるんだがな。どう答えておけば良い?」
「それは、教官が見た通りのことをおっしゃっていただければ……」
その日の飛行訓練の終了後、教官によるダメ出しタイム(私が勝手にそう言っているだけ)のデブリーフィングが終わると、それまで怖い顔をしていた三佐が、表情をゆるめてそう言った。
緋村三佐は私の伯父と航空学生時代の同期で、今はお互いに離れた場所で勤務しているから、話す機会も少なくなっていたらしいんだけど、私がこっちで訓練を受けることになってから、再び頻繁に連絡を取り合うようになったということだった。
「そうか。じゃあ、あいつが初飛行をした時より、ずっとうまく飛ばしていると言っておこう」
「それって本当なんですか?」
「実際にあいつが飛ばしているところを、俺が見たわけじゃないがな。当時の噂話によると、林原が輸送機課程で飛ばし始めた頃、教官に、そんな操縦じゃ積み込んだ貨物も人間も、目的地に到着する頃には団子になって大変なことになるぞって言われたらしい。その言葉からして、どんな操縦をしたか想像がつくってもんだろ」
「それはあまり考えたくないです……」
今ではC-1輸送機パイロットの神様とまで言われる伯父が、そんな乱暴な操縦をしていたなんて想像がつかない。しかも団子になるほどだなんて、なんと空中輸送員泣かせのパイロットだったんだか。
「実を言うとな、天音はオヤジさんより、林原に似ているんじゃないかと思ってるんだが」
「え?! 私、そんなに操縦が荒いですか?!」
たしかに、ずっと事務方として空自を支えてきた父親と、輸送機を飛ばしてきた伯父なら、伯父に似ていると言われるのは理解できた。だけど、教官に貨物と人間が団子になるような操縦をしたと聞かされてしまっては、素直に喜べない。そしてそんなに荒い操縦をしていると評価されていたなんて、ちょっとショックだ。
私の顔を見て、三佐は違う違うと手を振りながら笑った。
「そこが似ているわけじゃなく、度胸があるところだよ。初めて回避行動の訓練をした時に、機体を旋回させた時のことを覚えているか? あれだけ大きな機体だと、最初は誰もがおっかなびっくりで操縦桿を操作するものだが、お前は初めからまったく迷いがなかった。それと悪天候で風にあおられた時も、意外としっかり操縦桿を握っているしな」
大したもんだよと、普段なら絶対に言わないことを三佐が口にした。もしかして、空から槍でも降ってきたりしてと、ちょっと心配になる。
「風に関しては、最初に練習機を飛ばしていた静浜のお蔭です。あそこでは、訓練中さんざん横風にあおられましたから」
「だが防府ではなく、風の強い静浜を選んだのは天音なんだろう? たしか静浜で課程を受けたいと、わざわざ希望を出したと聞いているが」
「静浜は、風が強い日が多いから訓練生にとっては難しいとは聞いてはいたんですが、悪天候の中で飛ばすことになっても慌てなくても良いように、早いうちから慣れておこうと考えて希望を出しました。でも、実際にあおられた時はやはり怖かったです」
「今も怖いか?」
「今は隣で怒鳴る教官のほうが怖くて、それどころじゃありません」
私の返答にワハハハと豪快に笑う三佐。こういうところが伯父とよく似ている。もしかして伯父と三佐は、類は友をなんとやらな関係なのかもしれない。
そこへドアをノックする音がして、普段はコーパイとして緋村三佐と一緒飛んでいる、山瀬一尉が顔を出した。
「失礼します。天音、面会人が来てるぞ」
「私に面会、ですか?」
「ああ。下で待ってもらっているから、早く行ったほうが良いと思う」
誰だろう。まさか父とか?
いやあ、まさか。だってあの人は、いまだに私がパイロットになることに反対していて、小牧にいることすら認めてないし。もしかしてここにきてついに諦めたとか? いやいやいや。あの人の性格からしてそれは有り得ない。きっと棺桶に入る瞬間まで、反対し続けるに違いないのだから。
「こっちの話は終わった。帰るまでに、今日の飛行訓練についてのレポートを提出するように。以上だ。明日は休暇日だったな。休むのも仕事のうちだから、しっかり休め。休み明けは、お待ちかねの遠征だぞ」
そうなのだ。今までは東海地方からそれほど離れることなく飛んでいた飛行訓練だったけれど、休み明けは定期便を飛ばすのを兼ねて、九州まで一気に足を伸ばすことになっていた。休めとは言われているものの、休みの間にもう一度ルート確認をして、頭の中にイメージを叩きこんでおこうと決める。
「ありがとうございます。では失礼いたします」
席を立って敬礼すると部屋を出た。そして急いで階段を駆け下りて玄関ホールへと向かう。ホールには背の高い男の人が、こっちに背中を向けて立っていた。
「お待たせしました、天音は私です、が? あ!」
こっちに顔を向けたのは榎本二尉だった。制服じゃなくて私服だから、一瞬誰だかわらなかった。
「よお、久し振りだな」
そう言いながら榎本二尉はこっちにやってきたかと思ったら、いきなり私の両頬を指でつまんで、ムニムニと二度ほど揺すってきた。
「い、痛いですっ、いきなりなにするんですか?!」
「なにって、まったく薄情なお嬢さんだな。ウィングマークを手にしたら、酒をおごるって言わなかったか?」
「あ……えーと……?」
私が言葉に詰まったのを見て、何気に不機嫌そうな顔になった。
「おい、まさかこの三年で、約束ばかりか人の顔も名前も忘れたとか言わないよな」
「忘れてませんよ、ちゃんと覚えてますよ、榎本二尉。……まだ二尉で良かったですか?」
「残念ながら今は昇任して一尉だよ。偉くなっちまって悪かったな」
「誰も悪いなんて言ってないじゃないですか。それよりその手を放してください。顔がのびちゃいます」
話している間も、ずっと私の頬をつまんで引っ張っていたので抗議する。だけど手を離す気配がまったくない。
「薄情な天音が悪いんだぞ。こっちは一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたっていうのに、まったくナシのつぶてで一体どうしたんだと心配して探りを入れてみれば、とっくにウィングマークを手に入れて小牧で訓練してるって言うじゃないか」
「だって、榎本一尉だってお忙しいでしょ? 飛行教導隊が全国の基地を回っているのは知ってますし、それに飲み会の席での約束だから本気かどうかわからなかった、いたたたたた、やーめーてーくーだーさーいーっ!」
さらにギュウッと頬をつままれた。そんな私達の様子を見て、通りすがりの先輩達が「おや、天音ちゃんの彼氏か? 仲良しでいいねえ」なんて呑気な声をかけていく。ちがう、断じて違ーう! って言うか、この状況を見て少しは心配するとか助けてあげようとか、そういう気持ちにはならないわけ?!
「随分と目上の者に可愛がられているようじゃないか」
天音ちゃんだと?と口元を歪めてニヤニヤしている。
「しかたがないじゃないですか、皆さんがそう呼ぶんですから。女性隊員が少ないせいか、すっかりマスコットあつかいですよ。広報に引っ張り出されないだけ感謝しなくちゃ。それで? 誰に探りを入れたんです?」
やっと離してもらえたので、痛む頬をさすりながら尋ねる。
「そりゃあ、君と同期の風間君に決まってるじゃないか。質問したら嬉々として答えてくれたぞ」
風間君、やっと榎本一尉と話せたんだ、良かった。あれからも、ずーっとブツブツとうるさく言っていたものね。
戦闘機操縦過程で新田原基地に行けば、榎本一尉だけではなく他の教導隊の皆さんを見る機会もあるだろうし、それぞれが訓練している様子を見ることもできるはず。きっと今頃は、厳しい訓練を受けながらも御満悦に違いない。眺めるのに夢中になりすぎて、訓練がおろそかになって叱られていなければ良いんだけど。
「てっきりC-1輸送機に乗りたいんだとばかり思ってたよ」
「それはまたどうして?」
「だって伯父さんが林原三佐なんだろ? 最初から度胸があって、大した腕だと思ったのは間違いなかったんだな。C-1パイロットの神様の姪っ子なら当然だ」
そう言われると嬉しい反面、うちの父親の血は一体どこに行ってしまったんだろうと、少しばかり父親が気の毒に思えてきた。
「まあ、色々と私も考えるところがあったんですよ」
「仲良しの風間君に給油してあげたいわーとか?」
「違いますよ! っていうかよく御存知ですね、C-130に給油ユニットが搭載されるかもしれないってこと。まだ噂話程度で、正式に調達が決定したわけじゃないのに」
「そりゃあ俺達だって無関係じゃないからな。給油機が導入されれば、そのための訓練も必要になるわけだし」
それにしても、なんでそこで風間君の名前が出てくるんだか。
「まあそのへんの話は酒の席で聞かせてもらうとするか。外出許可は取れるんだろ? さっさと着替えて出てこい。ゲート前で待ってるから」
「無茶言わないでくださいよ。今日の仕事はまだ終わってないんです。明日の休みがちゃんとすごせるように、きちんとやっておかなくちゃいけないことがあるんですよ。お忘れかもしれませんが、私はまだ訓練中の身なんですから」
「明日が休みなのか、なるほど」
こっちの話を半分も聞かずに、頭の中でなにやらあれこれと計画を組み立てている様子だ。
「じゃあ明日、朝八時になったらゲート前まで迎えに来る。今ここで、上官権限を使って連れ出してやりたいのは山々だが、あいにくと俺も休暇中だからな」
「あのう?」
「まあなんだ、デートのお誘いみたいなもんだな。……なにか文句でもあるのか?」
きっとその時の私は、目を真ん丸にしていたに違いない。そんな私の様子に、榎本一尉は不機嫌そうな顔をして見下ろしてきた。
「デート、ですか」
「他になんて言えばいいのかわからないからな。せっかくだから、飯でもつきあえ」
「その言い方でデートって、変だと思います」
「そうか? なら、飯につきあってくれ。これで良いか? あと、行きたいところがあれば、今のうちに決めておくようにな」
「顔つきがまだ違う気がしますけど……まあ一応は納得しておきます。明日の朝ですね、わかりました。あ、まさか、今回も落ち込んで愚痴りに来たとか言いませんよね?」
前科があるので、なんとなく気になって尋ねてみる。
「心配するな、今のところ落ち込んじゃあいない。今年から腐れ縁の友人が同じ部隊に来たから、毎日が楽しくてしかたがない」
その笑い方からして、お友達のことを毎日のようにいたぶっているのではないかと、心配になってきた。あらためて明日にでも、どういうことか尋ねてみよう。
「それと行きたい所ならあります、名古屋水族館。こっちに来た時に行きたいと思っていたんですけど、今までまともに休暇がなかったから、行けずじまいなんですよ。デートに連れ出してくれるって言うなら、そこに連れてってください」
「わかった、水族館な」
「やった! じゃあ明日の休みが取り消しにされないように、残りの時間はしっかり自分の仕事をしてきますね!」
「わかった。明日を楽しみにしているよ」
そう言って榎本一尉は帰っていった。三年前の約束、ちゃんと覚えていてくれたんだ。そのことが物凄く意外で、物凄く嬉しかった。
小牧基地に着隊して輸送機操縦課程に入ると、まずは自分が飛ばすことになる機体に関しての学習。そしてそれが終わると、操縦訓練が始まった。この操縦訓練で重点的に行われるのが、編隊飛行と戦術飛行の訓練だ。
編隊飛行とは文字通り編隊を組んで友軍機と飛行することで、よく航空祭などで披露される飛行形態だ。この飛行は、風やお互いの機体やエンジンによって生じる気流の影響を受けやすく、一定の距離を保ちつつ複数機で同じ速度で飛行を続けるのは、見た目以上に難しいものだった。しかもこの飛行の良し悪しで、投下作戦や降下作戦が成功するか失敗するかが決まるので、輸送部隊のパイロットを目指す者にとっては、非常に重要なものなのだ。
そして、戦術飛行はミサイル回避の方法や敵戦闘機との間合いの取り方など、相手からの攻撃を潜り抜けながら、物資や隊員を目的地に輸送するのに必要な操縦スキルだった。このへんは、民間貨物機とは違う自衛隊らしい訓練だと言える。
この頃になると私も空曹長へと昇任して、それなりに制服姿も様になるようになってきた、と自分では思っているけどどうだろう。
「機体を安定させて飛行する技術はしっかり身についているんだ。編隊を組む時の間合いの取り方に関しては、場数を踏んで体で覚えるしかないな」
そう言ったのは、私の指導教官である緋村三佐。この基地所属の輸送機隊のC-130輸送機で、機長を務めている人だ。
初級操縦課程で訓練をした静浜基地が風の強い日が多い場所で、強風に慣れていたこともあってか、気流が乱れている中で機体を安定させて飛ぶ技量に関しては、三佐から合格点をもらっている。あとは、一緒に飛ぶ他の輸送機との距離を、一定に保って飛び続けることができれば言うことなしってところなんだけど、C-130はそれまで飛ばしていた小型機とは比べ物にならない大きな機体。「これだ」という確かな感触をつかむのが難しく、いまだに苦労していた。
「そう言えば林原が、俺の可愛い姪っ子の訓練の様子はどうなっているんだって、毎日のようにうるさく電話してくるんだがな。どう答えておけば良い?」
「それは、教官が見た通りのことをおっしゃっていただければ……」
その日の飛行訓練の終了後、教官によるダメ出しタイム(私が勝手にそう言っているだけ)のデブリーフィングが終わると、それまで怖い顔をしていた三佐が、表情をゆるめてそう言った。
緋村三佐は私の伯父と航空学生時代の同期で、今はお互いに離れた場所で勤務しているから、話す機会も少なくなっていたらしいんだけど、私がこっちで訓練を受けることになってから、再び頻繁に連絡を取り合うようになったということだった。
「そうか。じゃあ、あいつが初飛行をした時より、ずっとうまく飛ばしていると言っておこう」
「それって本当なんですか?」
「実際にあいつが飛ばしているところを、俺が見たわけじゃないがな。当時の噂話によると、林原が輸送機課程で飛ばし始めた頃、教官に、そんな操縦じゃ積み込んだ貨物も人間も、目的地に到着する頃には団子になって大変なことになるぞって言われたらしい。その言葉からして、どんな操縦をしたか想像がつくってもんだろ」
「それはあまり考えたくないです……」
今ではC-1輸送機パイロットの神様とまで言われる伯父が、そんな乱暴な操縦をしていたなんて想像がつかない。しかも団子になるほどだなんて、なんと空中輸送員泣かせのパイロットだったんだか。
「実を言うとな、天音はオヤジさんより、林原に似ているんじゃないかと思ってるんだが」
「え?! 私、そんなに操縦が荒いですか?!」
たしかに、ずっと事務方として空自を支えてきた父親と、輸送機を飛ばしてきた伯父なら、伯父に似ていると言われるのは理解できた。だけど、教官に貨物と人間が団子になるような操縦をしたと聞かされてしまっては、素直に喜べない。そしてそんなに荒い操縦をしていると評価されていたなんて、ちょっとショックだ。
私の顔を見て、三佐は違う違うと手を振りながら笑った。
「そこが似ているわけじゃなく、度胸があるところだよ。初めて回避行動の訓練をした時に、機体を旋回させた時のことを覚えているか? あれだけ大きな機体だと、最初は誰もがおっかなびっくりで操縦桿を操作するものだが、お前は初めからまったく迷いがなかった。それと悪天候で風にあおられた時も、意外としっかり操縦桿を握っているしな」
大したもんだよと、普段なら絶対に言わないことを三佐が口にした。もしかして、空から槍でも降ってきたりしてと、ちょっと心配になる。
「風に関しては、最初に練習機を飛ばしていた静浜のお蔭です。あそこでは、訓練中さんざん横風にあおられましたから」
「だが防府ではなく、風の強い静浜を選んだのは天音なんだろう? たしか静浜で課程を受けたいと、わざわざ希望を出したと聞いているが」
「静浜は、風が強い日が多いから訓練生にとっては難しいとは聞いてはいたんですが、悪天候の中で飛ばすことになっても慌てなくても良いように、早いうちから慣れておこうと考えて希望を出しました。でも、実際にあおられた時はやはり怖かったです」
「今も怖いか?」
「今は隣で怒鳴る教官のほうが怖くて、それどころじゃありません」
私の返答にワハハハと豪快に笑う三佐。こういうところが伯父とよく似ている。もしかして伯父と三佐は、類は友をなんとやらな関係なのかもしれない。
そこへドアをノックする音がして、普段はコーパイとして緋村三佐と一緒飛んでいる、山瀬一尉が顔を出した。
「失礼します。天音、面会人が来てるぞ」
「私に面会、ですか?」
「ああ。下で待ってもらっているから、早く行ったほうが良いと思う」
誰だろう。まさか父とか?
いやあ、まさか。だってあの人は、いまだに私がパイロットになることに反対していて、小牧にいることすら認めてないし。もしかしてここにきてついに諦めたとか? いやいやいや。あの人の性格からしてそれは有り得ない。きっと棺桶に入る瞬間まで、反対し続けるに違いないのだから。
「こっちの話は終わった。帰るまでに、今日の飛行訓練についてのレポートを提出するように。以上だ。明日は休暇日だったな。休むのも仕事のうちだから、しっかり休め。休み明けは、お待ちかねの遠征だぞ」
そうなのだ。今までは東海地方からそれほど離れることなく飛んでいた飛行訓練だったけれど、休み明けは定期便を飛ばすのを兼ねて、九州まで一気に足を伸ばすことになっていた。休めとは言われているものの、休みの間にもう一度ルート確認をして、頭の中にイメージを叩きこんでおこうと決める。
「ありがとうございます。では失礼いたします」
席を立って敬礼すると部屋を出た。そして急いで階段を駆け下りて玄関ホールへと向かう。ホールには背の高い男の人が、こっちに背中を向けて立っていた。
「お待たせしました、天音は私です、が? あ!」
こっちに顔を向けたのは榎本二尉だった。制服じゃなくて私服だから、一瞬誰だかわらなかった。
「よお、久し振りだな」
そう言いながら榎本二尉はこっちにやってきたかと思ったら、いきなり私の両頬を指でつまんで、ムニムニと二度ほど揺すってきた。
「い、痛いですっ、いきなりなにするんですか?!」
「なにって、まったく薄情なお嬢さんだな。ウィングマークを手にしたら、酒をおごるって言わなかったか?」
「あ……えーと……?」
私が言葉に詰まったのを見て、何気に不機嫌そうな顔になった。
「おい、まさかこの三年で、約束ばかりか人の顔も名前も忘れたとか言わないよな」
「忘れてませんよ、ちゃんと覚えてますよ、榎本二尉。……まだ二尉で良かったですか?」
「残念ながら今は昇任して一尉だよ。偉くなっちまって悪かったな」
「誰も悪いなんて言ってないじゃないですか。それよりその手を放してください。顔がのびちゃいます」
話している間も、ずっと私の頬をつまんで引っ張っていたので抗議する。だけど手を離す気配がまったくない。
「薄情な天音が悪いんだぞ。こっちは一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたっていうのに、まったくナシのつぶてで一体どうしたんだと心配して探りを入れてみれば、とっくにウィングマークを手に入れて小牧で訓練してるって言うじゃないか」
「だって、榎本一尉だってお忙しいでしょ? 飛行教導隊が全国の基地を回っているのは知ってますし、それに飲み会の席での約束だから本気かどうかわからなかった、いたたたたた、やーめーてーくーだーさーいーっ!」
さらにギュウッと頬をつままれた。そんな私達の様子を見て、通りすがりの先輩達が「おや、天音ちゃんの彼氏か? 仲良しでいいねえ」なんて呑気な声をかけていく。ちがう、断じて違ーう! って言うか、この状況を見て少しは心配するとか助けてあげようとか、そういう気持ちにはならないわけ?!
「随分と目上の者に可愛がられているようじゃないか」
天音ちゃんだと?と口元を歪めてニヤニヤしている。
「しかたがないじゃないですか、皆さんがそう呼ぶんですから。女性隊員が少ないせいか、すっかりマスコットあつかいですよ。広報に引っ張り出されないだけ感謝しなくちゃ。それで? 誰に探りを入れたんです?」
やっと離してもらえたので、痛む頬をさすりながら尋ねる。
「そりゃあ、君と同期の風間君に決まってるじゃないか。質問したら嬉々として答えてくれたぞ」
風間君、やっと榎本一尉と話せたんだ、良かった。あれからも、ずーっとブツブツとうるさく言っていたものね。
戦闘機操縦過程で新田原基地に行けば、榎本一尉だけではなく他の教導隊の皆さんを見る機会もあるだろうし、それぞれが訓練している様子を見ることもできるはず。きっと今頃は、厳しい訓練を受けながらも御満悦に違いない。眺めるのに夢中になりすぎて、訓練がおろそかになって叱られていなければ良いんだけど。
「てっきりC-1輸送機に乗りたいんだとばかり思ってたよ」
「それはまたどうして?」
「だって伯父さんが林原三佐なんだろ? 最初から度胸があって、大した腕だと思ったのは間違いなかったんだな。C-1パイロットの神様の姪っ子なら当然だ」
そう言われると嬉しい反面、うちの父親の血は一体どこに行ってしまったんだろうと、少しばかり父親が気の毒に思えてきた。
「まあ、色々と私も考えるところがあったんですよ」
「仲良しの風間君に給油してあげたいわーとか?」
「違いますよ! っていうかよく御存知ですね、C-130に給油ユニットが搭載されるかもしれないってこと。まだ噂話程度で、正式に調達が決定したわけじゃないのに」
「そりゃあ俺達だって無関係じゃないからな。給油機が導入されれば、そのための訓練も必要になるわけだし」
それにしても、なんでそこで風間君の名前が出てくるんだか。
「まあそのへんの話は酒の席で聞かせてもらうとするか。外出許可は取れるんだろ? さっさと着替えて出てこい。ゲート前で待ってるから」
「無茶言わないでくださいよ。今日の仕事はまだ終わってないんです。明日の休みがちゃんとすごせるように、きちんとやっておかなくちゃいけないことがあるんですよ。お忘れかもしれませんが、私はまだ訓練中の身なんですから」
「明日が休みなのか、なるほど」
こっちの話を半分も聞かずに、頭の中でなにやらあれこれと計画を組み立てている様子だ。
「じゃあ明日、朝八時になったらゲート前まで迎えに来る。今ここで、上官権限を使って連れ出してやりたいのは山々だが、あいにくと俺も休暇中だからな」
「あのう?」
「まあなんだ、デートのお誘いみたいなもんだな。……なにか文句でもあるのか?」
きっとその時の私は、目を真ん丸にしていたに違いない。そんな私の様子に、榎本一尉は不機嫌そうな顔をして見下ろしてきた。
「デート、ですか」
「他になんて言えばいいのかわからないからな。せっかくだから、飯でもつきあえ」
「その言い方でデートって、変だと思います」
「そうか? なら、飯につきあってくれ。これで良いか? あと、行きたいところがあれば、今のうちに決めておくようにな」
「顔つきがまだ違う気がしますけど……まあ一応は納得しておきます。明日の朝ですね、わかりました。あ、まさか、今回も落ち込んで愚痴りに来たとか言いませんよね?」
前科があるので、なんとなく気になって尋ねてみる。
「心配するな、今のところ落ち込んじゃあいない。今年から腐れ縁の友人が同じ部隊に来たから、毎日が楽しくてしかたがない」
その笑い方からして、お友達のことを毎日のようにいたぶっているのではないかと、心配になってきた。あらためて明日にでも、どういうことか尋ねてみよう。
「それと行きたい所ならあります、名古屋水族館。こっちに来た時に行きたいと思っていたんですけど、今までまともに休暇がなかったから、行けずじまいなんですよ。デートに連れ出してくれるって言うなら、そこに連れてってください」
「わかった、水族館な」
「やった! じゃあ明日の休みが取り消しにされないように、残りの時間はしっかり自分の仕事をしてきますね!」
「わかった。明日を楽しみにしているよ」
そう言って榎本一尉は帰っていった。三年前の約束、ちゃんと覚えていてくれたんだ。そのことが物凄く意外で、物凄く嬉しかった。
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