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小話 2
猫ちゃんがやってきた
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「なんだか騒がしいけど、どうしたの?」
その日、千歳基地への訓練飛行を終え戻ってくると、なぜか基地内がざわついていた。そのへんのドアを開けるたびに、全員がびくついている。
「まだ昼間だけど、お化けでも出た?」
迎えに出ていた整備担当の空曹長が、目の前で恐る恐るドアを開けている様子に、あきれながら声をかけた。
「猫なんですよ」
ドアの隙間から向こう側をのぞき込む。そして「よし」とつぶやき、ドアを全開にした。
「ネコマタなの?」
「違いますよ。生きている野良猫です。あ、三佐、早くこちらへ」
「……はいはい」
手招きされたので建物内に入ると、その空曹長は素早くドアを閉めた。小牧基地の敷地はかなり広い。知らないうちに野良猫や野良犬が迷い込んでも、不思議ではなかった。
「野良ちゃん、建物内に迷い込んだの?」
建物から飛び出して、航空機に巻き込まれでもしたら大変。隊員達は、びくついてドアを開けているわけではなく、猫がいるかとうか慎重になっているというわけだ。
「小牧の野良ではなく、松島から来た野良猫なんですよ」
「え? どういうこと?」
「基地内でブルーを座布団がわりにするものだから、追い出されたみたいです」
「あらあら」
なんでも、ブルーの鼻先に居座っているところを沖田隊長につかまり、引き取り先を探すことになったらしい。
「小松の榎本司令が、御実家のほうで引き取ってくださるとのことでして」
「なるほど。で、輸送の途中なわけね」
「そういうことです」
雄介さんの実家はお寺。敷地も広く、お義姉さん達も猫好きだ。
「それで中継でうちに来たんですが、トイレの砂を入れ替えようとしたら、ゲージから逃げてしまって。いま、基地内で捜索中なんです」
「あらまあ、それは大変」
基地内のどこに隠れているのやら。手のあいた隊員達が、エサや猫じゃらしを片手に捜索中とのことだった。
「私も捜索に加わったほうが良いのかしら?」
「そうしていただけると助かります」
「外に逃げ出してないと良いんだけれど」
「それが一番心配で」
廊下の向こう側が騒がしくなった。どうやら見つかったらしい。
「あー、逃げたー!!」
「そっちに回り込め! 挟撃だ!」
「あああ、素早すぎる!」
「なんでそこでビクつく! はやく確保しろ!」
なにげに隊員達の声が殺気だっている。
「なんだか物騒なことになってない?」
「……なかなか苦戦しているようです」
「天下の航空自衛隊も、野良ちゃん相手だと形無しね」
「笑いごとではありませんよ」
クスクス笑っていると、向こうの通路の角から、茶色い塊が飛び出した。そしてこちらに向かって突進してくる。
「あら、チャトラなのね、可愛い」
「あ、空曹長、三佐! 猫の確保、お願いします!」
向こうから走ってくるのは、普段は航空管制をしている子達だ。
「三佐、そちら側の逃げ道をふさいでください。自分はこちら側を」
「急にそんなこと言われても、ちょっと困るわよ……?」
空曹長に言われて移動する。思っていたより大きい子だ。私に捕まえられるだろうか。
「かつお節かなにか、おみやげに持ってこれば良かったわね」
あいにくと今は手ぶらだ。立ち止まって身がまえる。すると猫は何故か私めがけて突進してきた。
「あら、ちょっと?」
そしてジャンプすると私にしがみつく。
「……ナイスキャッチです、三佐」
「キャッチというか、飛び込んできたわよ、この子」
プルプルと震えてながらしがみついている猫。落ちないように支えると、こっちを見てニャーニャーと鳴き始めた。
「あらまあ。よほど怖かったみたいね」
見知らぬ場所で、おおぜいの人間達に追い掛け回されたのだ。怖くないわけがない。あまりの必死な顔に、少しばかりかわいそうになってきた。
「三佐、お手柄です」
追いかけてきた管制隊の子が猫に手をのばすと、猫はすごい顔をしてシャーッと威嚇する声をあげた。その声に隊員達が飛びあがる。それと同時に猫を抱いていた手が生温かくなった。見下ろせば、ポタポタと水が落ちている。
「あら、猫ちゃん、おしっこもらしちゃったみたい。よっぽど怖かったみたいね、あなた達が」
「こっちは外に出たら大変と心配していたのに……」
管制隊の子達は心外だとぼやいた。
「三佐、フライトスーツ、すぐに洗濯をしませんと」
「これ、においとれるのかしら? うちのコックピット、窓があけられないんだけど」
「熱湯で洗濯すればとれますよ。根拠は実家の猫です」
管制隊の子の提案で、さっそく洗濯を頼むことにする。
「やれやれ。帰ってきて早々たいへんね。森田一尉を呼んでくれる? 猫ちゃんのおしっこのにおいをさせたまま、基地司令のところに行くわけにはいかないから」
「了解です」
+++
『それは災難だったな』
「笑いごとじゃない。お蔭で洗濯物が乾くまで、私は猫ちゃんと一緒に監禁中なんだから」
事の顛末を聞かされた雄介さんが、電話の向こうで笑っている。私の着ていたものはすべて洗濯中だ。そのせいで私は今、トレーナー姿で猫と一緒に待機中なのだ。
「ひなた、今ごろブーブーもんく言ってるわよ、きっと」
『しかたないな、緊急事態なんだから。それで猫は? どうしてるんだ?』
「私の膝で爆睡中。この子、本当に野良ちゃん? すごくふてぶてしいんだけど」
『チャトラは人懐っこいと言うから』
「それにしても、野良ちゃんらしからぬ態度よ、これ」
寝ている野良猫をなでながらぼやいた。あまりのリラックスぶりにあきれてしまう。
『それで本当に良いのか?』
「だって、ひなたがつれてこいって言うんだもの。明日と明後日が私の休みだから、どちらかで獣医さんにつれて行く」
『だいじょうぶなのか? ひなたにちゃんと世話ができるのか? こっちは受け入れの準備は完了しているんだが」
自宅に電話して事情を話したら、ひなたが猫ちゃんをつれてこいと大騒ぎなのだ。まあ、最終的には雄介さんの実家に行くことになっているのだから、我が家でしばらく面倒を見ても良いかな?と思っているのだけれど、あの口ぶりからして我が家の猫にする気、満々だ。
「どちらにしろ、小松への定期便は明日以降だし、基地に置いておくわけにもいかなから、今日はつれて帰る」
『相手は生き物なんだ。飼うなら最後まで責任をもたないとダメだからな。わからないことがあったら、獣医か姉貴に聞けよ?』
「わかってる」
『やれやれ、我が家もとうとう猫友か』
雄介さんが軽くため息をついた。
「なに?」
『きっとスマホの写真ホルダーが、猫の写真でいっぱいになる日も近いってことさ』
「ああ、なるほど。私もがんばって、スマホでうまく撮れるようにしなくちゃ」
私がそう言うと、雄介さんはうめき声をあげる。
『俺に送ってくるのはかんべんしてくれよ?』
「雄介さん以外の誰に送るっていうの? ああ、悠太と颯太にも送らないとね」
『やれやれ、大変なことになりそうだな』
こんなことを言っているけれど、こっちに戻ってくる時には、猫ちゃんのおみやげをたくさん買ってきてくれるだろう。
そんなわけで、我が家に猫ちゃんがやってきた。名前は松島基地からやってきたので「ブルー」と名づけられた。名づけ親はもちろん、ひなただ。
その日、千歳基地への訓練飛行を終え戻ってくると、なぜか基地内がざわついていた。そのへんのドアを開けるたびに、全員がびくついている。
「まだ昼間だけど、お化けでも出た?」
迎えに出ていた整備担当の空曹長が、目の前で恐る恐るドアを開けている様子に、あきれながら声をかけた。
「猫なんですよ」
ドアの隙間から向こう側をのぞき込む。そして「よし」とつぶやき、ドアを全開にした。
「ネコマタなの?」
「違いますよ。生きている野良猫です。あ、三佐、早くこちらへ」
「……はいはい」
手招きされたので建物内に入ると、その空曹長は素早くドアを閉めた。小牧基地の敷地はかなり広い。知らないうちに野良猫や野良犬が迷い込んでも、不思議ではなかった。
「野良ちゃん、建物内に迷い込んだの?」
建物から飛び出して、航空機に巻き込まれでもしたら大変。隊員達は、びくついてドアを開けているわけではなく、猫がいるかとうか慎重になっているというわけだ。
「小牧の野良ではなく、松島から来た野良猫なんですよ」
「え? どういうこと?」
「基地内でブルーを座布団がわりにするものだから、追い出されたみたいです」
「あらあら」
なんでも、ブルーの鼻先に居座っているところを沖田隊長につかまり、引き取り先を探すことになったらしい。
「小松の榎本司令が、御実家のほうで引き取ってくださるとのことでして」
「なるほど。で、輸送の途中なわけね」
「そういうことです」
雄介さんの実家はお寺。敷地も広く、お義姉さん達も猫好きだ。
「それで中継でうちに来たんですが、トイレの砂を入れ替えようとしたら、ゲージから逃げてしまって。いま、基地内で捜索中なんです」
「あらまあ、それは大変」
基地内のどこに隠れているのやら。手のあいた隊員達が、エサや猫じゃらしを片手に捜索中とのことだった。
「私も捜索に加わったほうが良いのかしら?」
「そうしていただけると助かります」
「外に逃げ出してないと良いんだけれど」
「それが一番心配で」
廊下の向こう側が騒がしくなった。どうやら見つかったらしい。
「あー、逃げたー!!」
「そっちに回り込め! 挟撃だ!」
「あああ、素早すぎる!」
「なんでそこでビクつく! はやく確保しろ!」
なにげに隊員達の声が殺気だっている。
「なんだか物騒なことになってない?」
「……なかなか苦戦しているようです」
「天下の航空自衛隊も、野良ちゃん相手だと形無しね」
「笑いごとではありませんよ」
クスクス笑っていると、向こうの通路の角から、茶色い塊が飛び出した。そしてこちらに向かって突進してくる。
「あら、チャトラなのね、可愛い」
「あ、空曹長、三佐! 猫の確保、お願いします!」
向こうから走ってくるのは、普段は航空管制をしている子達だ。
「三佐、そちら側の逃げ道をふさいでください。自分はこちら側を」
「急にそんなこと言われても、ちょっと困るわよ……?」
空曹長に言われて移動する。思っていたより大きい子だ。私に捕まえられるだろうか。
「かつお節かなにか、おみやげに持ってこれば良かったわね」
あいにくと今は手ぶらだ。立ち止まって身がまえる。すると猫は何故か私めがけて突進してきた。
「あら、ちょっと?」
そしてジャンプすると私にしがみつく。
「……ナイスキャッチです、三佐」
「キャッチというか、飛び込んできたわよ、この子」
プルプルと震えてながらしがみついている猫。落ちないように支えると、こっちを見てニャーニャーと鳴き始めた。
「あらまあ。よほど怖かったみたいね」
見知らぬ場所で、おおぜいの人間達に追い掛け回されたのだ。怖くないわけがない。あまりの必死な顔に、少しばかりかわいそうになってきた。
「三佐、お手柄です」
追いかけてきた管制隊の子が猫に手をのばすと、猫はすごい顔をしてシャーッと威嚇する声をあげた。その声に隊員達が飛びあがる。それと同時に猫を抱いていた手が生温かくなった。見下ろせば、ポタポタと水が落ちている。
「あら、猫ちゃん、おしっこもらしちゃったみたい。よっぽど怖かったみたいね、あなた達が」
「こっちは外に出たら大変と心配していたのに……」
管制隊の子達は心外だとぼやいた。
「三佐、フライトスーツ、すぐに洗濯をしませんと」
「これ、においとれるのかしら? うちのコックピット、窓があけられないんだけど」
「熱湯で洗濯すればとれますよ。根拠は実家の猫です」
管制隊の子の提案で、さっそく洗濯を頼むことにする。
「やれやれ。帰ってきて早々たいへんね。森田一尉を呼んでくれる? 猫ちゃんのおしっこのにおいをさせたまま、基地司令のところに行くわけにはいかないから」
「了解です」
+++
『それは災難だったな』
「笑いごとじゃない。お蔭で洗濯物が乾くまで、私は猫ちゃんと一緒に監禁中なんだから」
事の顛末を聞かされた雄介さんが、電話の向こうで笑っている。私の着ていたものはすべて洗濯中だ。そのせいで私は今、トレーナー姿で猫と一緒に待機中なのだ。
「ひなた、今ごろブーブーもんく言ってるわよ、きっと」
『しかたないな、緊急事態なんだから。それで猫は? どうしてるんだ?』
「私の膝で爆睡中。この子、本当に野良ちゃん? すごくふてぶてしいんだけど」
『チャトラは人懐っこいと言うから』
「それにしても、野良ちゃんらしからぬ態度よ、これ」
寝ている野良猫をなでながらぼやいた。あまりのリラックスぶりにあきれてしまう。
『それで本当に良いのか?』
「だって、ひなたがつれてこいって言うんだもの。明日と明後日が私の休みだから、どちらかで獣医さんにつれて行く」
『だいじょうぶなのか? ひなたにちゃんと世話ができるのか? こっちは受け入れの準備は完了しているんだが」
自宅に電話して事情を話したら、ひなたが猫ちゃんをつれてこいと大騒ぎなのだ。まあ、最終的には雄介さんの実家に行くことになっているのだから、我が家でしばらく面倒を見ても良いかな?と思っているのだけれど、あの口ぶりからして我が家の猫にする気、満々だ。
「どちらにしろ、小松への定期便は明日以降だし、基地に置いておくわけにもいかなから、今日はつれて帰る」
『相手は生き物なんだ。飼うなら最後まで責任をもたないとダメだからな。わからないことがあったら、獣医か姉貴に聞けよ?』
「わかってる」
『やれやれ、我が家もとうとう猫友か』
雄介さんが軽くため息をついた。
「なに?」
『きっとスマホの写真ホルダーが、猫の写真でいっぱいになる日も近いってことさ』
「ああ、なるほど。私もがんばって、スマホでうまく撮れるようにしなくちゃ」
私がそう言うと、雄介さんはうめき声をあげる。
『俺に送ってくるのはかんべんしてくれよ?』
「雄介さん以外の誰に送るっていうの? ああ、悠太と颯太にも送らないとね」
『やれやれ、大変なことになりそうだな』
こんなことを言っているけれど、こっちに戻ってくる時には、猫ちゃんのおみやげをたくさん買ってきてくれるだろう。
そんなわけで、我が家に猫ちゃんがやってきた。名前は松島基地からやってきたので「ブルー」と名づけられた。名づけ親はもちろん、ひなただ。
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