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本編 1
第十五話 レッドアローズ
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「おめでとう。おそらく10週目というところかな」
目の前に座っているのは、嫁ちゃん実家の近所にある産婦人科の先生だ。嫁ちゃんの実家とは昔からのつき合いがあり、親戚の女性陣の九割近くがここで世話になっているということだ。もちろんチビスケの時もこちらでお世話になった。しかし相変わらず年齢不詳の先生やな、数年前とまったく変わってへんやん。一体いくつなんやろう。
「おめでとう、真由美ちゃん、影山さん。二人目ですよ」
「おお、二人目確定か。やったな嫁ちゃん!」
嫁ちゃんの横で、ガッツポーズをしてからバンザイすると、先生と嫁ちゃんに笑われた。
「出産はどっちになるかな」
嫁ちゃん実家で留守番をしているチビスケを迎えに行く途中、嫁ちゃんがつぶやく。
「達矢君の異動、そろそろだよね? こっちにいるのは三年ってことだったから」
「そうなんやけどな。今のところなんも言われてへんねん。後藤田が錬成を始めたばかりやしな」
「そうなの? 長引く可能性もあり?」
「その可能性は限りなく低いけどなあ。こればっかりはなんとも言えんわ」
後継ライダーの指導は、現五番機ライダーの俺の大事な任務だ。万が一、後藤田がモノにならなければ、新たに五番機候補のライダーを決めなければならなくなる。まあそんなことはないとは思うが、少なくとも、後継パイロットに決まった後藤田が錬成を終えて、正規の五番機ライダーとして認められるまでは、こちらに留まらなくてはならないのは間違いない。
「でも、あっちに戻ってからやったら、それはそれで大変やで? ほんまのこと言うと、こっちに残ったほうがええんやないかって思うんやけどな。前の時も、出産はあの先生んとこで世話になったし、お義母さんとお義父さんの近くにおったほうが、真由美も落ち着くやろ?」
「そりゃあ、そうさせてくれたら嬉しいよ。でもそんなことをしたら、誰が達矢君のおにぎり作るの? さすがにこっちから、定期便でおにぎりを運んでもらうわけにはいかないじゃない?」
「まあそうなんやけどな」
嫁ちゃんのおにぎりがなくても、ちゃんと飛ぶでと言えないところが我ながらふがいない。インフルエンザでの一週間の不在でも大変だったのに、それが月単位となったら一体どうなることやら。俺、その間にほんまにパイロットやめるかもしれへん。
「もし達矢君が問題ないなら、出産はこっちでして、前みたいにお母さんに築城に来てもらいたいなって思ってるんだけど。どうかな?」
「そうなんか? 俺はかまへんけど、前みたいになったら、お義母さんが大変やないか?」
「二度目だし私もそれなりに経験値つんだから、前みたいな長期逗留にはならないと思う。だから、達矢君の仕事に支障が出ることはないと思うけど」
嫁ちゃんは、義母との一時的同居に、俺が居心地悪い思いをするのではないかと心配しているようだが、問題なのはそこじゃない。
「いやいや。俺は、お義母さんには、真由美がいてほしいだけおってもらったらええと思ってるで? せやけど問題なんはそこやのうて、お義母さんが大変やないかってことや。前の時も何度かこっちに戻ってたやん? お義父さんが心配やからって」
実家の近くには、嫁ちゃん兄夫婦もいれば親戚もいる。お義父さんもいい年した大人なんだからと言われていても、心配するのがお義母さんだった。東松島と築城は、俺達のようなパイロットでもない限り、ちょっと行ってくるね的な距離じゃない。しかもあの時は、こっちの都合で来てもらっているのだから、せめて交通費だけでもと言って渡そうとしたら、お金は私達にじゃなく子供のために使いなさいと言われて、受け取ってもらえなかったし。
「もうこの際や、お義父さんにも来てもらったらどうや?」
「それは私がイヤ」
「あ、そう……」
男親っちゅうのは、なんとも切ない存在やで、ほんま。
「この先いろいろと、考えなきゃいけいなこと山積みだね。でもまずは、両方の両親に報告することからだよ」
「ああ、そうやった。まだなんも知らんのやもんな。お義母さん達にとっては何人目の孫やっけ? 六人目か」
「達矢君のところもでしょ?」
「うちにとっては四人目の孫か。こっちもえらいこっちゃやで。まーた大騒ぎして大変なことになりそうや」
自分の実家に知らせるのは今から憂鬱だ。
「かんにんな、やかましいオカーチャンで」
とにかく、口から生まれたんじゃないかってぐらいやかましいのが、うちの母親だった。父親が寡黙なせいか、よけいにそれが際立っている。母親いわく〝オトーチャンがしゃべらへんからウチがその分も補ってるんやで〟ということだったが、別に補わなくても問題ないと思うんだがな。父親とは、今のままでも十分に意思の疎通ができているんだし。
「真由美ちゃんのところは、いいお舅さんとお姑さんで良かったねって、皆に言われてるよ。私もそう思ってる」
「でも典型的な大阪のオバチャンで、超絶やかましいからなあ……」
「私は好きだけどな、お義母さんのにぎやかなおしゃべり」
「あれはちょっと、にぎやかすぎやで」
電話をしたら、きっと機関銃のように際限なく質問が飛んでくるに決まっている。メールで知らせるか……? ダメだ、メールなんてまどろっこしいと言って、絶対に電話をかけてくるに違いない。
「なあ」
「なあに?」
「うちの親には、生まれるまで知らせへんってのあかんかな」
「ダメに決まってるでしょ? 今日、家に帰ったらちゃんと電話してあげてください」
「……はい」
+++++
―― 今度は男やろうか、女やろうか、どっちやろな…… ――
翌日、一昨日の訓練の様子を録画した映像を見ながらも、頭の中は生まれてくる子供のことで占められていた。
―― 今度は女の子でもええやんな。……ああでも、男兄弟ってのもええよなあ……いやしかしそれやと、俺んちみたいに家がカオスになるか? ――
毎日のように、母親が仁王立ちになって俺達兄弟をしかりつけていたことを思い出して、顔をしかめる。
―― いやいや。生まれたばかりで大変なんは、女も男も関係あらへんやん。俺、ちゃんと嫁ちゃんと育児ができるやろうか? ――
ここから築城に戻れば、再び防空任務に戻ることになる。ブルーのように全国展開をすることはないが、それでも帰宅が遅くなることはしょっちゅうだった。
『せやから、そこは、ギュンと引いて、一気にドーンやで!』
『あかんあかん、そんなヘロヘロ旋回、笑うわ。もっとこう、ビジッ、バシッとメリハリつけな!』
『ここはな、オール君がグルングルンパッやから、こっちはそのタイミングでクルンでドーンやからな』
「しかしなんつーか、自分でしゃべっておいてアレやけど、ほんま擬音が多いな」
画面に気持ちを戻してつぶやいた。もともと、関西人の会話には擬音が多いとは言われていたが、そんなの都市伝説だと思っていた。だが、こうやってあらためて自分のしゃべりを聞いていると、たしかに多い。
「ギュンでドンとか、後藤田、これでほんまに理解できてるんやろうか」
「できてると思いますよ」
いきなり後ろから声をかけられて、椅子から数センチ飛び上がった。振り返ると葛城が立っていた。
「なんや葛城、驚くやん」
「二十分ほど前からここに立っていたんですが、まったく気づいてもらえそうにないので、あきらめて声をかけました」
そう言ってニッコリとほほえむ。
「そうなんか?」
「三佐、画面に顔を向けながら、ニタニタと百面相してましたよ。なにを考えていたんですか?」
「ん? この訓練のことやで? 明日の飛行訓練では、後藤田をどう指導したらええかを考えとったんや」
「まあ、そういうことにしておきます」
信じてないな、その顔。まあ、考えていたのは訓練とはまったく関係のないことなんだから、葛城のカンは正しいが。
「それで? 二十分も待ってたぐらいなんやから、なんや大事な用事なんやろうな?」
「面白い映像を手に入れたので、見ませんかって誘いにきました」
「面白い映像?」
葛城は手に持っていたCDを軽く振ってみせる。
「先週、父が空幕長のお供で英国に出張したんですよ。その時に撮ってきたものです。昨日の昼に帰国したらしいんですが、連絡機で自分宛にこれを送ってきまして」
「英国ってことは……レッドアローズか」
「はい。きっといい刺激になるだろうと」
レッドアローズとは、英国空軍に所属するアクロバットチームだ。9機編隊で、欧州スタイルと呼ばれるダイナミックなアクロを披露する。その飛行技術は非常に高く、そのレベルの高さから、ヨーロッパのアクロチームの御三家の一つと呼ばれていた。
「はーん。ここしばらく天気がぐずついていたのは、オヤジさんが日本にいなかったせいなんやな」
「そうかもしれません。で、どうですか?」
「そりゃ見るに決まってるやん。俺らとは違ったスタイルのアクロやもんな。他の連中にも声かけたらどうや? どうせなら会議室の大きな画面で見たいやん?」
「もちろんそのつもりです」
そして十五分後には、全員がブリーフィングに使う会議室に集合していた。テレビの大画面では、赤い機体が次々と離陸している様子が流れている。
「オヤジさん、よく一緒に飛びたいって言わへんかったな」
「言ったに決まってるじゃないですか。どういうわけか9番機の後ろに座っているの、うちの父親なんですよ。困ったもんですよ。遊びに行ったわけじゃないのに、空幕長をほったらかして、自分はちゃっかり乗せてもらってるんですから」
葛城が呆れたように笑った。
「はあーー……ほんま、大したオヤジさんやで」
「元気すぎて困ってますよ。そのうち防空任務に戻せって言いだすんじゃないかと、本気で心配してます。これ、榎本司令がブルーで飛べたんなら、自分もいけるはずだと言い出してのことなんですよ。本当に呆れます」
「あの元気さやったら、いけるんちゃう?」
俺の言葉に葛城はとんでもないと目をむく。
「勘弁してください。年寄りにこれ以上あれこれ口出しされたら、たまったもんじゃありませんから。もう少し大人しくすることを覚えてもらわないと、父の下にいる八神二佐が、そのうち過労で倒れてしまいます」
そうこうしているうちに、全機が空に上がり編隊を組んだ。話によると、レッドは常に9機で編隊を組んでアクロをするわけではなく、4機編隊、3機編隊、2機編隊と三つのグループにわかれてアクロを披露するとのことだった。その理由は、展示飛行の間に空白の時間をつくることなく、地上で見ている人達にアクロを披露するためらしい。その立て続けにおこなわれるアクロにも驚かされるが、9機編隊でのループもまた見ものだった。その動きは実に優雅で、まるで一羽の大きな鳥が、羽をひろげて飛んでいるように見える。
「9機でダイアモンドループなんて恐れ入るわ。まったく乱れてへんやん」
隊長の指示で一旦停止をして、スロー再生させながら、全員で食い入るようにそのシーンを見詰めた。自分達のアクロのスタイルとはまた違ったスタイルの曲技飛行。実に興味深い。
「三佐、やってみたいんじゃないですか?」
「アホぬかせ。6機でも頭おかしいって思うのに、なんで9機で飛ばんならんねん。あかんあかん、俺には今のブルーが限界や。試したことないから知らんけど」
「父はここにいるライダーなら、三人増えてもいけるんじゃないかって言ってましたよ」
「その三人のうちの一人に自分を入れろって言うんちゃうんか?」
「あー……そうかもしれません」
葛城の返事に、その場にいた全員が笑った。パイロットというのは何歳になっても飛びたいものらしい。飛びたない俺からしたらほんま、信じられへんことや。
目の前に座っているのは、嫁ちゃん実家の近所にある産婦人科の先生だ。嫁ちゃんの実家とは昔からのつき合いがあり、親戚の女性陣の九割近くがここで世話になっているということだ。もちろんチビスケの時もこちらでお世話になった。しかし相変わらず年齢不詳の先生やな、数年前とまったく変わってへんやん。一体いくつなんやろう。
「おめでとう、真由美ちゃん、影山さん。二人目ですよ」
「おお、二人目確定か。やったな嫁ちゃん!」
嫁ちゃんの横で、ガッツポーズをしてからバンザイすると、先生と嫁ちゃんに笑われた。
「出産はどっちになるかな」
嫁ちゃん実家で留守番をしているチビスケを迎えに行く途中、嫁ちゃんがつぶやく。
「達矢君の異動、そろそろだよね? こっちにいるのは三年ってことだったから」
「そうなんやけどな。今のところなんも言われてへんねん。後藤田が錬成を始めたばかりやしな」
「そうなの? 長引く可能性もあり?」
「その可能性は限りなく低いけどなあ。こればっかりはなんとも言えんわ」
後継ライダーの指導は、現五番機ライダーの俺の大事な任務だ。万が一、後藤田がモノにならなければ、新たに五番機候補のライダーを決めなければならなくなる。まあそんなことはないとは思うが、少なくとも、後継パイロットに決まった後藤田が錬成を終えて、正規の五番機ライダーとして認められるまでは、こちらに留まらなくてはならないのは間違いない。
「でも、あっちに戻ってからやったら、それはそれで大変やで? ほんまのこと言うと、こっちに残ったほうがええんやないかって思うんやけどな。前の時も、出産はあの先生んとこで世話になったし、お義母さんとお義父さんの近くにおったほうが、真由美も落ち着くやろ?」
「そりゃあ、そうさせてくれたら嬉しいよ。でもそんなことをしたら、誰が達矢君のおにぎり作るの? さすがにこっちから、定期便でおにぎりを運んでもらうわけにはいかないじゃない?」
「まあそうなんやけどな」
嫁ちゃんのおにぎりがなくても、ちゃんと飛ぶでと言えないところが我ながらふがいない。インフルエンザでの一週間の不在でも大変だったのに、それが月単位となったら一体どうなることやら。俺、その間にほんまにパイロットやめるかもしれへん。
「もし達矢君が問題ないなら、出産はこっちでして、前みたいにお母さんに築城に来てもらいたいなって思ってるんだけど。どうかな?」
「そうなんか? 俺はかまへんけど、前みたいになったら、お義母さんが大変やないか?」
「二度目だし私もそれなりに経験値つんだから、前みたいな長期逗留にはならないと思う。だから、達矢君の仕事に支障が出ることはないと思うけど」
嫁ちゃんは、義母との一時的同居に、俺が居心地悪い思いをするのではないかと心配しているようだが、問題なのはそこじゃない。
「いやいや。俺は、お義母さんには、真由美がいてほしいだけおってもらったらええと思ってるで? せやけど問題なんはそこやのうて、お義母さんが大変やないかってことや。前の時も何度かこっちに戻ってたやん? お義父さんが心配やからって」
実家の近くには、嫁ちゃん兄夫婦もいれば親戚もいる。お義父さんもいい年した大人なんだからと言われていても、心配するのがお義母さんだった。東松島と築城は、俺達のようなパイロットでもない限り、ちょっと行ってくるね的な距離じゃない。しかもあの時は、こっちの都合で来てもらっているのだから、せめて交通費だけでもと言って渡そうとしたら、お金は私達にじゃなく子供のために使いなさいと言われて、受け取ってもらえなかったし。
「もうこの際や、お義父さんにも来てもらったらどうや?」
「それは私がイヤ」
「あ、そう……」
男親っちゅうのは、なんとも切ない存在やで、ほんま。
「この先いろいろと、考えなきゃいけいなこと山積みだね。でもまずは、両方の両親に報告することからだよ」
「ああ、そうやった。まだなんも知らんのやもんな。お義母さん達にとっては何人目の孫やっけ? 六人目か」
「達矢君のところもでしょ?」
「うちにとっては四人目の孫か。こっちもえらいこっちゃやで。まーた大騒ぎして大変なことになりそうや」
自分の実家に知らせるのは今から憂鬱だ。
「かんにんな、やかましいオカーチャンで」
とにかく、口から生まれたんじゃないかってぐらいやかましいのが、うちの母親だった。父親が寡黙なせいか、よけいにそれが際立っている。母親いわく〝オトーチャンがしゃべらへんからウチがその分も補ってるんやで〟ということだったが、別に補わなくても問題ないと思うんだがな。父親とは、今のままでも十分に意思の疎通ができているんだし。
「真由美ちゃんのところは、いいお舅さんとお姑さんで良かったねって、皆に言われてるよ。私もそう思ってる」
「でも典型的な大阪のオバチャンで、超絶やかましいからなあ……」
「私は好きだけどな、お義母さんのにぎやかなおしゃべり」
「あれはちょっと、にぎやかすぎやで」
電話をしたら、きっと機関銃のように際限なく質問が飛んでくるに決まっている。メールで知らせるか……? ダメだ、メールなんてまどろっこしいと言って、絶対に電話をかけてくるに違いない。
「なあ」
「なあに?」
「うちの親には、生まれるまで知らせへんってのあかんかな」
「ダメに決まってるでしょ? 今日、家に帰ったらちゃんと電話してあげてください」
「……はい」
+++++
―― 今度は男やろうか、女やろうか、どっちやろな…… ――
翌日、一昨日の訓練の様子を録画した映像を見ながらも、頭の中は生まれてくる子供のことで占められていた。
―― 今度は女の子でもええやんな。……ああでも、男兄弟ってのもええよなあ……いやしかしそれやと、俺んちみたいに家がカオスになるか? ――
毎日のように、母親が仁王立ちになって俺達兄弟をしかりつけていたことを思い出して、顔をしかめる。
―― いやいや。生まれたばかりで大変なんは、女も男も関係あらへんやん。俺、ちゃんと嫁ちゃんと育児ができるやろうか? ――
ここから築城に戻れば、再び防空任務に戻ることになる。ブルーのように全国展開をすることはないが、それでも帰宅が遅くなることはしょっちゅうだった。
『せやから、そこは、ギュンと引いて、一気にドーンやで!』
『あかんあかん、そんなヘロヘロ旋回、笑うわ。もっとこう、ビジッ、バシッとメリハリつけな!』
『ここはな、オール君がグルングルンパッやから、こっちはそのタイミングでクルンでドーンやからな』
「しかしなんつーか、自分でしゃべっておいてアレやけど、ほんま擬音が多いな」
画面に気持ちを戻してつぶやいた。もともと、関西人の会話には擬音が多いとは言われていたが、そんなの都市伝説だと思っていた。だが、こうやってあらためて自分のしゃべりを聞いていると、たしかに多い。
「ギュンでドンとか、後藤田、これでほんまに理解できてるんやろうか」
「できてると思いますよ」
いきなり後ろから声をかけられて、椅子から数センチ飛び上がった。振り返ると葛城が立っていた。
「なんや葛城、驚くやん」
「二十分ほど前からここに立っていたんですが、まったく気づいてもらえそうにないので、あきらめて声をかけました」
そう言ってニッコリとほほえむ。
「そうなんか?」
「三佐、画面に顔を向けながら、ニタニタと百面相してましたよ。なにを考えていたんですか?」
「ん? この訓練のことやで? 明日の飛行訓練では、後藤田をどう指導したらええかを考えとったんや」
「まあ、そういうことにしておきます」
信じてないな、その顔。まあ、考えていたのは訓練とはまったく関係のないことなんだから、葛城のカンは正しいが。
「それで? 二十分も待ってたぐらいなんやから、なんや大事な用事なんやろうな?」
「面白い映像を手に入れたので、見ませんかって誘いにきました」
「面白い映像?」
葛城は手に持っていたCDを軽く振ってみせる。
「先週、父が空幕長のお供で英国に出張したんですよ。その時に撮ってきたものです。昨日の昼に帰国したらしいんですが、連絡機で自分宛にこれを送ってきまして」
「英国ってことは……レッドアローズか」
「はい。きっといい刺激になるだろうと」
レッドアローズとは、英国空軍に所属するアクロバットチームだ。9機編隊で、欧州スタイルと呼ばれるダイナミックなアクロを披露する。その飛行技術は非常に高く、そのレベルの高さから、ヨーロッパのアクロチームの御三家の一つと呼ばれていた。
「はーん。ここしばらく天気がぐずついていたのは、オヤジさんが日本にいなかったせいなんやな」
「そうかもしれません。で、どうですか?」
「そりゃ見るに決まってるやん。俺らとは違ったスタイルのアクロやもんな。他の連中にも声かけたらどうや? どうせなら会議室の大きな画面で見たいやん?」
「もちろんそのつもりです」
そして十五分後には、全員がブリーフィングに使う会議室に集合していた。テレビの大画面では、赤い機体が次々と離陸している様子が流れている。
「オヤジさん、よく一緒に飛びたいって言わへんかったな」
「言ったに決まってるじゃないですか。どういうわけか9番機の後ろに座っているの、うちの父親なんですよ。困ったもんですよ。遊びに行ったわけじゃないのに、空幕長をほったらかして、自分はちゃっかり乗せてもらってるんですから」
葛城が呆れたように笑った。
「はあーー……ほんま、大したオヤジさんやで」
「元気すぎて困ってますよ。そのうち防空任務に戻せって言いだすんじゃないかと、本気で心配してます。これ、榎本司令がブルーで飛べたんなら、自分もいけるはずだと言い出してのことなんですよ。本当に呆れます」
「あの元気さやったら、いけるんちゃう?」
俺の言葉に葛城はとんでもないと目をむく。
「勘弁してください。年寄りにこれ以上あれこれ口出しされたら、たまったもんじゃありませんから。もう少し大人しくすることを覚えてもらわないと、父の下にいる八神二佐が、そのうち過労で倒れてしまいます」
そうこうしているうちに、全機が空に上がり編隊を組んだ。話によると、レッドは常に9機で編隊を組んでアクロをするわけではなく、4機編隊、3機編隊、2機編隊と三つのグループにわかれてアクロを披露するとのことだった。その理由は、展示飛行の間に空白の時間をつくることなく、地上で見ている人達にアクロを披露するためらしい。その立て続けにおこなわれるアクロにも驚かされるが、9機編隊でのループもまた見ものだった。その動きは実に優雅で、まるで一羽の大きな鳥が、羽をひろげて飛んでいるように見える。
「9機でダイアモンドループなんて恐れ入るわ。まったく乱れてへんやん」
隊長の指示で一旦停止をして、スロー再生させながら、全員で食い入るようにそのシーンを見詰めた。自分達のアクロのスタイルとはまた違ったスタイルの曲技飛行。実に興味深い。
「三佐、やってみたいんじゃないですか?」
「アホぬかせ。6機でも頭おかしいって思うのに、なんで9機で飛ばんならんねん。あかんあかん、俺には今のブルーが限界や。試したことないから知らんけど」
「父はここにいるライダーなら、三人増えてもいけるんじゃないかって言ってましたよ」
「その三人のうちの一人に自分を入れろって言うんちゃうんか?」
「あー……そうかもしれません」
葛城の返事に、その場にいた全員が笑った。パイロットというのは何歳になっても飛びたいものらしい。飛びたない俺からしたらほんま、信じられへんことや。
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