シャウトの仕方ない日常

鏡野ゆう

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本編 1

第十三話 デッシー

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「今日の午前の訓練はキャンセルだ」

 隊長がブリーフィングが始まると同時に、そう宣言した。現在の天候は、風はないもののかなりの濃霧。ここに来るまでに外の様子を確認したが、メトロを飛ばして天候確認をするまでもなく、離陸ができるような視界状態ではなかった。

「晴れ男も、霧には勝てないみたいですね」

 隣に座っていた葛城かつらぎが笑った。

「まあ、今まで天気予報をまったく無視して晴れすぎやったから、ちょうどええんちゃう? しかしやなあ、今日の午後は長尾ながおのラストフライトやん? 今度ばかりは晴れるように、お天道様てんとうさまに向かっておがんどいたほうが、ええかもしれへんな」
「ああ、そうでした。師匠のラストフライトのためにも、どうか晴れますように」

 葛城が、いきなり俺に向かって両手を合わせる。

「いや、そこで俺に向かって手を合わせてどないすんねん。あっちやあっち。おがむのはあっち」

 窓の外を指でさしたが、葛城は俺の言葉を無視して、こっちに向けて手を合わせ続けた。そしてそれを見た他の連中も、かしわ手をうって俺に手を合わせはじめる。まったく、俺はお地蔵さんやないっちゅーねん。

「ここは晴れ男として気合を入れないと」
「どう入れんねん。あんなあ、俺はお天気の神様でもテルテル坊主でもないんやで」
「三佐にとっても、長尾一尉と飛ぶ最後のデュアルソロなんでしょ? しっかり飛んで、送り出してあげたいと思わないんですか?」
「だからって、俺をおがむなっちゅーねん。おがむんはあっち!」

 そう言って窓の外をもう一度指でさした。

 長尾とは、葛城がくるまで訓練期間をふくめて一年以上、デュアルソロを飛んできた相棒だ。そんな相棒を、スカッと晴れた空で飛んで送り出してやりたいと思うのは当然のことだった。それに今日は地元テレビの取材もあるし、長尾のところの家族もやってくる。午後からは霧が晴れてくれれば良いんだが。

「まあ、俺は心配してませんけどね」

 おがんでいる連中をおかしそうに見ていた長尾が笑った。

「そうなんか?」
「だって、影さんが五番機候補として飛び始めてから、展示飛行も訓練も、ほとんど中止になったことないじゃないですか。雨でもくもりでも、ここぞという時は必ず晴れてる。だから今日も晴れるって信じてますよ。でも、念には念を入れておかないとね」

 そう言って、長尾が真面目な顔をしてかしわ手をうつ。

「お前までおがむんか。そんなことゆーて、実は天気予報のおねーちゃんが、午後からは晴れますって言ってたのを聞いたんちゃうんか?」
「天気予報では今日は終日こんな感じで、霧は晴れそうにないって言ってたし、気象隊の報告も同じこと言ってましたよ。だからここは、やはり晴れ男だのみってやつで」

 長尾の言葉に、おがんでいた他のライダー達が、ブツブツと言いながらさらに気合を入れて祈り出す。

「だから俺やのうてあっちやってゆーてるやん。おまえら人の言うことをちゃんと聞け。あ、隊長。まさか隊長まで俺のことをおがむつもりじゃ?」

 隊長がこっちにやってきたので、警戒しながらたずねた。

「いや、おがむつもりはない。だが影山、今日ぐらいは気合を入れて晴れるように念じておけよ。長尾のラストフライトなんだからな」

 そう言って、隊長は部屋を出ていった。

「念じろって……」

 これはおがまれるより厄介なんちゃう?


+++


「はー、ほんまに晴れよったで」

 あきれるほど澄みきった青空を見上げながら声をあげる。一時間ほど前まであった霧はどこへ行ったのやら。まったくその名残さえ見えない。

「葛城、もしかして基地のどこかに、親父さんが隠れとるんやないやろうな?」
「うちの父親は、今日は横田よこた基地で、偉い人達にかこまれて会議中ですよ。昼間、連絡機に飛び乗ってどこかに逃げたいって、愚痴りのメールが来てましたから。この天気は間違いなく、三佐の御利益ですね。気合を入れておがんでおいて良かった」
「御利益……」
「では自分はこちらで待機してます。長尾一尉との最後のデュアルソロ、楽しんでください」

 今日の葛城は久し振りに六番機の後席だ。そして、ウォークダウンの出発点であるいつもの集合場所には、長尾が立っていた。

「久し振りやな、こうやって並ぶのも」
「本当に。ここ最近は葛城にまかせっぱなしでしたからね」

 きっと基地の外からカメラをかまえているマニア達も、最後の展示飛行を終えていた長尾が、久し振りにこの列に加わったことに気づいて騒いでいることだろう。カメラに向かって全員で手を振ってから、横一列に整列する。そして、横一列にならんだ俺達の前に隊長が立った。

「では午後からの飛行訓練を始める。ブリーフィングでも言ったが、この訓練飛行が長尾一尉のブルー最後の飛行だ。全員、いつも以上に気を引き締めて飛ぶように」

 隊長の号令と共に、横一列になって歩き出す。これまでも、他の機に乗っていたライダー達のラストフライトに立ち会ってきた。だがやはり、デュアルソロ相棒のラストとなると、少しだけ気持ちの持ちようが違うような気がする。

「……とはいえ、やっぱり飛びたないで、なんで晴れたんや」

 コックピットにおさまってからボソッとつぶやくと、長尾の笑う声が耳元で聞こえた。

「その愚痴りも、今日が聞き納めかと思うと、寂しいですよ」
「ほんまは、俺の愚痴りもこれが最後やって、ホッとしとるんやろ?」
「そんなことはないです。実のところ、最近は飛ぶ前に三佐の愚痴りを聞かないと、落ち着かない気分になるんですよ。だからその声をスマホに録音させてもらおうかって、真剣に悩んでいるんです」
「まったく。俺は君等のオモチャやないんやけどな」

 エンジンにが入り、ジェットエンジンの音が響き渡る。長尾は第11飛行隊を離任した後は、それまでいた飛行隊には戻らずに、新田原にゅうたばる基地の第23飛行隊で教官の任につくということだった。ヤツはここで身につけた技術と伝統を、違う形で若いパイロット候補生達に伝授していくことになるのだ。

―― 教官かあ、俺もそろそろそっちの道を考えてもええ時期やんな。……ってことは、またここに戻ってくる可能性もあるやんな ――

 松島まつしま基地では、ここに来る前に飛ばしていたF-2戦闘機の訓練課程がおこなわれていた。たまに訓練で教官にどやされている若い隊員を見かけると、自分もあんなふうに叱られていたなと懐かしい気分になる。それまで第一線から退いた後のことなんて考えたこともなかったが、長尾の話を聞くと、そういう道もあるんだなとあらためて思った。

―― 俺が指導教官なんて、いまいちピンとこーへんけどな。そもそも飛ばんでもええ役職を探さなあかんし、大変や ――

 まあそれもまだ先のことだ。ここでの任期もまだあるし、五番機の後継パイロットの指導も残っているのだから。

『キャノピー、クローズ』

 隊長の指示する声で我にかえる。

「はー、まったく飛びたないで」
「申し訳ありませんね。自分のラストフライトです、あきらめて付き合ってください」
「やれやれ。俺もはよう、かわりに飛んでくれるデッシーがほしいわ」

 滑走路に出ると、隊長機を含めた四機が離陸した。そして俺の五番機と長尾の六番機がならぶ。六番機のほうに顔を向けると、長尾が軽く敬礼をしてきた。

「そういう滅多にせんことをすると、フラグみたいでげんが悪いからやめときって。いつも通りでサラッと飛ぶのが一番やで、ラーズ君」
「了解です、シャドウ」

 おお、さらにはまともにタックネームを呼びよったわ。えらいこっちゃ。

「ほなラストフライトや、気合をいれていくでラーズ。ブレーキリリース、ナウ。05、レッツゴー!」
「ブレーキリリース、ナウ。06、レッツゴー!」

 じゃあ、長尾との最後のデュアルソロだから感慨深いものになるのかと言えば、実のところそうでもない。アクロをしている時は、とにかく正確に飛ぶことと、相手とのタイミングを合わせることしか頭にないので、その手のセンチメンタルな感情はお互いに皆無だ。そういう感情がわいてくるのは、すべての課目を終えて地上に戻ってから。こうやって、長尾に向けて容赦なくバケツの水をぶっかけてからだった。

「まったく、毎度のことながら容赦ないよな、このバケツシャワーってやつは……っ!」

 俺がぶっかけた水の塊が、長尾の顔を直撃した。

「影さんは特に! この仕返しができないのが無念すぎる!」

 長尾が頭をふりながら叫ぶ。

「俺のラストフライトの時に招待したってもええんやで? いつになるか知らんけど」
「絶対に来ますよ俺は! 葛城、影さんのラストフライトの日が決まったら、その時は絶対に声をかけろよな!」

 そう叫んだ長尾の顔に、もう一杯分の水をぶっかけてやった。



 全員で六番機の前にならんで記念写真を撮ってから、少し離れたところで、テレビカメラの取材に答えている長尾の様子を葛城と二人で眺める。

「いよいよ葛城もほんまに独り立ちやなあ。今度は自分が師匠になる番や。新しい弟子が来るまで精進せなあかんで?」
「はい。……ところで三佐」

 葛城がためらいがちに言葉を続けた。

「なんや?」
「今日、長尾一尉とデュアルソロを飛んでみてどうでした?」
「どうとは?」
「俺、いえ、自分は師匠と同じように飛べているでしょうか?」
「なんや、そんなことが気になるんかいな」
「そりゃあ気になりますよ。三佐は、自分より長尾一尉とデュアルソロを飛んでいた時期のほうが長いわけですから。自分は師匠の後継パイロットとして合格でしょうか?」

 その問い掛けに、あらためて葛城の顔をみつめた。どうやら冗談で言っているわけではなさそうだ。

「長尾はどう言っとったんや?」
「長尾一尉は、もうなにも教えることはないとだけ」
「それで十分やないのか?」
「……」

 葛城の技量に問題があるわけない。そうでなければ、これまでの展示飛行でこいつを飛ばすわけがないのだから。だが葛城はちゃんとした言葉が欲しいらしい。しかも、飛びたくない俺から。

「長尾はええ師匠やで。弟子であるお前に余すことなく六番機の技術を伝えた。そして弟子のお前もたいした弟子や。若いのに師匠の教えをちゃんと受け継いだ。最初は若すぎて大丈夫かと心配やったけど、隊長の目は確かやったな。お前は立派なブルーの六番機ライダーや」
「本当に?」

 葛城が嬉しそうな表情を浮かべた。飛びたくない俺からそんな言葉を聞いて嬉しいもんか? こういうことは、隊長から言ってもらったほうが、ずっとありがたみがあると思うんだがな。

「もちろんや。俺は飛びたない人間やけど、そのへんのことは嘘はつかへん」
「つまり合格ってことですか?」
「合格かどうかはわからへんな。独り立ちしてそれで終わりっちゅーわけやあらへんやん?」
「毎日がスタート地点でしたっけ?」

 葛城は、前に俺がテレビのインタビューで口にした言葉をあげた。

「そうゆうこっちゃ。これからも日々精進やで?」
「はい!」

「影山」

 そこで隊長から声をかけられた。振り返ると、隊長と一緒にライダー候補の後藤田ごとうだ一尉が立っていた。

「お前の後継パイロットが決まった。後藤田一尉だ。訓練開始は来週からの予定だ」
「やっと決まったんですか。なしのつぶてで、向こう一年ぐらい放置されるんやないかって、あきらめかけてましたわ」

 俺がそう言うと、隊長はかすかに口元をゆがめて笑った。

「お前の愚痴りを、至近距離で聴いても大丈夫なパイロットを選ぶのにてまどった。後藤田なら大丈夫だろう。五番機の技をしっかりと伝えてくれ。……ただし飛行技術だけだ。愚痴りは伝承するなよ?」
「なんや余計な一言がついてる気がするのは、気のせいっちゅうことにしときますわ。後藤田一尉、よろしく」

 手をさしだして握手をする。

「正式に訓練に入るのは来週からですが、よろしくお願いします。葛城一尉もよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします!」

 てなわけで、いよいよ俺のところにデッシーがやってきた。
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