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本編 1
第六話 メトロ
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「おお、今日は雲が多いやーん?」
嫁ちゃんのおにぎりを手にハンガーから空を見上げると、珍しく大きな雲があっちこっちに浮かんでいた。ブリーフィングでも、今日は雲の多い一日になるだろうと報告があがっていたが、たしかにそんな感じだ。曇らないまでも、すっきりとは晴れそうにない。
「訓練空域はどないな具合なんやろうなあ……」
今日の一発目の飛行訓練は、基地上空ではなく海上にある訓練空域で、一番機から四番機がおこなう予定になっていた。気象レーダーである程度の天候はわかっているが、このへん一帯は霧がかかることも多い地形でもあるため、訓練前にはかならず気象確認のためのメトロ機が飛ぶことになっている。
「……はあ、せっかく飛ばんでええと喜んでたのに、よりによって今日は朝一メトロ担当かいな。俺じゃなくてもかまへんやんか、まったく隊長は鬼やで。お、今日の具はなんや新しいで? なんやなんや?」
今まで食べたことのない具に気づいて立ち止まる。そしておにぎりの中身を確認した。そこに入っているのは赤身の刺身のようだ。しかもかなり濃厚な味つけになっている。
「マグロの漬けかあ。昨日の夜にタッパに仕込んどったんは、これやったんか」
なにをしているのかと気になってのぞき込もうとしたら、見たらダメと叩かれて追い払われた。どうやらこれが、あの時に嫁ちゃんが仕込んでいたものらしい。
「なかなかうまいでこれ。嫁ちゃん、おおきになあ。ほんま、俺は果報者やなあ」
最後の一口を口にほうりこむと、御馳走さまでしたと手を合わせる。
本当に俺は果報者だ。築城に戻れば大歓迎してくれる人達が大勢いて、家にはこうやって、毎日おにぎりを持たせてくれる優しい嫁ちゃんと、可愛い息子が待っていてくれるのだから。
「これで飛ばんでええなら、言うことないんやけどな……」
そろそろあきらめて飛ぶ準備にかからなければ。あまりグズグズしていると、後ろから隊長がケツを蹴りに出てきそうだ。
そんなことを考えながら、いつもの五番機ではなくグレーのT-4のほうへと歩いていく。するとなにやらボソボソと言い合っている声が聞こえてきた。あの声は葛城、もう一人は六番機のキーパー、宮嶋か?
「……ですから今日の午後からの訓練には、もう一機の六番機を使ってください。あっちのはダメです」
「どうしてダメなんですか。昨日の段階では、どこにも異常はなかったはずです。機付長の大隅曹長も問題なく飛べると言っていたはずですよ?」
「そうですがやはり出せません。とにかく今日はダメです。気になるところがある以上、あの六番機は飛ばせません」
今のブルーのハンガーには、無印の他に六番機が二機いる状態だ。普段は交替で定期メンテに出していて、戻ってくるまでは無印君を使うんだが、今年度から新しいブルー仕様の機体が一機増えたお蔭で、機体運営のローテーションに余裕ができていた。
「だから、どこがどう気になるのか具体的に言ってもらわないと、俺も納得できませんよ」
葛城がしつこく食い下がっている。別にどの機体を飛ばそうが変わらないと思うんだが、そこは若い葛城、自分が納得できないのは我慢がならないらしい。
「葛城さんが納得できようができまいが関係ないんですよ。あの機体の整備をしている自分が、今の状態が気になってさっきの点検だけでは納得できないんです。それだけで飛ばさない理由としては十分です」
二人の言い合いはさらに続く。
六番機の整備担当をしている宮嶋は、そこそこ若いが職人気質の頑固者。自分が納得できなければ、誰がなんと言おうと飛ばさない。それは葛城が来る前から変わらなかった。長尾もよくそれで宮嶋とケンカをしていたし、長尾の師匠もそうだったらしい。
「おいおい、朝っぱらからなにケンカしとるんや? あんまり大きな声で騒いでると、隊長と総括班長が飛んでくるで? もしかして飛ばんでもよくなったんか? それやったら大歓迎なんやけどな」
言い合いをしている二人に声をかけた。宮嶋が俺の顔を見てホッとした顔をしてみせる。
「ああ、影山さん。なんとか言ってやってくださいよ。葛城さんが納得してくれなくて」
「そりゃ納得しろっていうほうが無理な話でしょ。飛ばさない理由が、なんとなく気になるからだけで納得する人間がいるんですか?」
「ですからね、それは何度も言いましたけど」
また言い合いを始めてしまった二人の間に割り込んだ。
「あー、もう、ちょいまちって。二人とも落ち着け。宮嶋も葛城も静かにせえって。二人とも関西人の俺に静かにって言われるなんてよっぽどのことやで。恥ずかしくないんか?」
とたんに二人して黙り込んだ。自分で言っておいてなんだがこの反応、これはこれで腹が立つんだが。
「葛城、お前は操縦のプロで宮嶋は整備のプロや。そのプロがダメやゆーてるんや、ここはおとなしゅう宮嶋がOKを出すまで予備の六番に乗っとけ」
俺の言葉に宮嶋がウンウンとうなづく。それがまた葛城には腹立たしいことらしい。まだまだ青いなあ、オール君や。
「でもですね」
「なくとなくが納得できひんのか? せやけどそういう勘って、技術屋だけでなく俺らかて大事にしとることやろ? その道のプロである宮嶋が、勘だけではなく点検しても納得できひんと言っとるんやったら、飛ばすべきではないんちゃうんか?」
まだなにか言いたげな様子だったが、こっちの言うことに従うこと決めたらしく、わかりましたと短く答えた。
「名人は筆を選ばずってゆーやろ。どの機体でも変わりなく飛べな、ほんまもんのドルフィンライダーとは言えへんで。……なんや、その顔。なにか言いたいことでもあるんか? 言いたいんやったら黙ってんとちゃっちゃと言ったらどうや」
葛城が変な顔をして俺のことを見つめている。
「いつも飛びたくないって言ってる三佐に、お説教をされるとは思いませんでした」
「また失礼なことをずけずけと。あんなあ、飛びたないのと操縦技量やパイロットの心得は別なんや。ほれ、いつまでも六番機のことでウダウダ言ってんと。メトロをさっさと飛ばさな、隊長に必殺のかかと落としかまされるで?」
そう。今日のメトロは葛城が飛ばすことになっていた。そして俺はその後ろに座って、のんびりと空のお散歩を楽しまなければならない。なぜか隊長から、葛城のお守りをおおせつかったからだ。
「そういえば葛城の後ろに乗せてもらうんて、初めてなんちゃう?」
離陸前の点検をしていたところで気がついた。
「……あー、そうですね、三佐のことを乗せて飛ぶのは初めてです」
「そうやんな。ほなオール君の技量を、後ろからじっくり観察させてもらうとするわ」
そしてコックピットに乗り込むと、ブルーで訓練飛行に向かう時と同じ手順の点検とプリタクがおこなわれた。そもそもショーで見せているものは特別なものではなく、どの戦闘機も離陸前に行っている点検作業だ。葛城が前に立つ整備員とハンドサインのやり取りをしているのを後ろから眺めながら、それが終わるのをのんびりと待った。
待っている間に何気なく空を見上げると、さっきまであっちこっちに浮かんでいた大きな雲が消えていた。
「あかんやん、めっちゃ晴れてきよったで」
「……それって良くないことじゃないでしょ?」
「そうか? まあそういうことにしといたるわ。しかし今日は楽ちんやなあ、飛ばんでええならもっと楽ちんなんやけどなあ……」
そう言いながら溜め息をつく。
「キャノピー、クローズします。腕を引っ込めてください、三佐」
「了解了解」
葛城の言葉に、それまでふんぞり返っていた姿勢を正すと、キャノピーが閉められた。そして機体が動き出す。
「今日はやけに静かですね」
前の葛城が話しかけてきた。
「なんや、いつもみたいに喋ってほしいんか?」
「そういうわけではないですけど、静かだと落ち着かないですよ」
こっちは葛城の気が散ってはまずいだろうと、気をきかせたつもりだったんだがな。
「ほな、遠慮なくいつもどおりにさせてもらうわ~。もーな、ほんまに飛びたないねん、後席でもイヤなもんはイヤなんやで。一回ぐらい、訓練飛行がある日に飛ばんでええ時があってもええんちゃう? 下で観察する役割が俺に回ってきてもええやん? なんで毎度毎度フルで飛んでるんや俺。絶対に飛びすぎやて。どう考えてもおかしいやろ。どうやの、葛城君や」
「……さあ、俺はなんとも言いようが。隊長には隊長の考えがあるとしか、言いようがありませんしね」
「ほんま君、優等生みたいな答えしかせーへんな、腹立つわ~~」
「そんなこと言われても」
俺の言葉に、葛城が大袈裟に首をかしげてみせた、ほんまムカつくわ~~。
「さーて。オール君のメトロ任務が無事に終わりますように」
いつものように柏手をうって拝む。
「ほな、いこか~~」
「了解です、シャウト」
「なあ、俺のタックネームがシャドウってこと絶対に忘れとるやろ……?」
「そんなことないですよ」
「ほんまかいな」
+++++
訓練空域を隅から隅まで飛んだ結果、本日も文句なしで晴天の飛行日和。第一区分を飛んで問題なしとの観測結果が出た。それを基地に伝えてから、俺達のT-4は帰還のルートに入る。
「あー、もしもし管制? こちらブルーメトロ、影山~~」
そろそろ葛城が管制と通信をして着陸態勢に入ろうとしたところで、横から割り込んで管制に呼び掛けた。
「どうかしましたか、三佐。メトロになにか問題でも?」
「いいや、こいつはいつものとおり絶好調で異常なしや。せやけどちょっとオール君が消化不良でなあ。着陸前に一回だけ運動させてやりたいんやけど、どうやろう?」
「……しばらく上空待機でお願いします」
管制のおねーちゃんがためらいがちにそう言うと、一旦通信が途切れた。
「了解。葛城君や、着陸態勢に入らず、そのままいつものコースで基地上空を周回しとき」
「良いんですか?」
「ええんや。ほれ、回れって」
「了解です」
管制塔からの返事が来るまで、T-4は松島基地の周囲を旋回し続ける。葛城は燃料メーターを気にしているようだが、許可が下りるにしろ下りないにしろ、そこまで時間がかかるとは思えなかった。
「しかしブルーメトロ影山って、なんやあやし気なホテルの名前みたいな響きやな」
「本当に良いんですか、三佐。こんなことして」
「ええやろ、たまには」
信じられないと言いたげに、葛城が首を横に振った。
「影山三佐、こちら管制」
管制からの通信が帰ってきた。
「どうやった?」
「タッチアンドゴーから一回だけアクロOKという条件ですが、許可が出ました」
時間にして二分足らず。えらく早い判断だな。ああ、こりゃダイレクトに隊長へと話がいったか。いやあ、あとで俺、なんか言われるかもな。ま、よしとするか。今回は、六番機のことでおとなしく引き下がった葛城への御褒美なのだから。
「いらん手間をとらせてかんにんやで~、芦屋でうまいもん、おみやげに買うてくるさかいかんにんな~。ってなわけや葛城。一回だけ好きにせえ」
「てなわけでって、本当に良いんですか?」
「ええもなんも。いま聞いた通りや。タッチアンドゴーからのロールオンテイクオフが妥当な線やな。滑走路の長さがあるさかい、タッチは早めにするんやで。ほないってみよー」
滑走路への進入ルートに入りT-4が高度を下げた。ランディングギアを出し着陸、と思わせたところで高度を再び上げていく。そしてバレルロール……っておい、回り過ぎや!
「おいおいおい、一回転やろそこは! 何回まわるつもりやねん!」
「せっかくもらったチャンスです、フルに利用しないともったいないですから!」
「まったくなあ……ってまだまわるんかい!」
後にこれは、オール君のダブルロールケーキとかいう妙な名前のついたオリジナル課目になった……わけないやろ!
嫁ちゃんのおにぎりを手にハンガーから空を見上げると、珍しく大きな雲があっちこっちに浮かんでいた。ブリーフィングでも、今日は雲の多い一日になるだろうと報告があがっていたが、たしかにそんな感じだ。曇らないまでも、すっきりとは晴れそうにない。
「訓練空域はどないな具合なんやろうなあ……」
今日の一発目の飛行訓練は、基地上空ではなく海上にある訓練空域で、一番機から四番機がおこなう予定になっていた。気象レーダーである程度の天候はわかっているが、このへん一帯は霧がかかることも多い地形でもあるため、訓練前にはかならず気象確認のためのメトロ機が飛ぶことになっている。
「……はあ、せっかく飛ばんでええと喜んでたのに、よりによって今日は朝一メトロ担当かいな。俺じゃなくてもかまへんやんか、まったく隊長は鬼やで。お、今日の具はなんや新しいで? なんやなんや?」
今まで食べたことのない具に気づいて立ち止まる。そしておにぎりの中身を確認した。そこに入っているのは赤身の刺身のようだ。しかもかなり濃厚な味つけになっている。
「マグロの漬けかあ。昨日の夜にタッパに仕込んどったんは、これやったんか」
なにをしているのかと気になってのぞき込もうとしたら、見たらダメと叩かれて追い払われた。どうやらこれが、あの時に嫁ちゃんが仕込んでいたものらしい。
「なかなかうまいでこれ。嫁ちゃん、おおきになあ。ほんま、俺は果報者やなあ」
最後の一口を口にほうりこむと、御馳走さまでしたと手を合わせる。
本当に俺は果報者だ。築城に戻れば大歓迎してくれる人達が大勢いて、家にはこうやって、毎日おにぎりを持たせてくれる優しい嫁ちゃんと、可愛い息子が待っていてくれるのだから。
「これで飛ばんでええなら、言うことないんやけどな……」
そろそろあきらめて飛ぶ準備にかからなければ。あまりグズグズしていると、後ろから隊長がケツを蹴りに出てきそうだ。
そんなことを考えながら、いつもの五番機ではなくグレーのT-4のほうへと歩いていく。するとなにやらボソボソと言い合っている声が聞こえてきた。あの声は葛城、もう一人は六番機のキーパー、宮嶋か?
「……ですから今日の午後からの訓練には、もう一機の六番機を使ってください。あっちのはダメです」
「どうしてダメなんですか。昨日の段階では、どこにも異常はなかったはずです。機付長の大隅曹長も問題なく飛べると言っていたはずですよ?」
「そうですがやはり出せません。とにかく今日はダメです。気になるところがある以上、あの六番機は飛ばせません」
今のブルーのハンガーには、無印の他に六番機が二機いる状態だ。普段は交替で定期メンテに出していて、戻ってくるまでは無印君を使うんだが、今年度から新しいブルー仕様の機体が一機増えたお蔭で、機体運営のローテーションに余裕ができていた。
「だから、どこがどう気になるのか具体的に言ってもらわないと、俺も納得できませんよ」
葛城がしつこく食い下がっている。別にどの機体を飛ばそうが変わらないと思うんだが、そこは若い葛城、自分が納得できないのは我慢がならないらしい。
「葛城さんが納得できようができまいが関係ないんですよ。あの機体の整備をしている自分が、今の状態が気になってさっきの点検だけでは納得できないんです。それだけで飛ばさない理由としては十分です」
二人の言い合いはさらに続く。
六番機の整備担当をしている宮嶋は、そこそこ若いが職人気質の頑固者。自分が納得できなければ、誰がなんと言おうと飛ばさない。それは葛城が来る前から変わらなかった。長尾もよくそれで宮嶋とケンカをしていたし、長尾の師匠もそうだったらしい。
「おいおい、朝っぱらからなにケンカしとるんや? あんまり大きな声で騒いでると、隊長と総括班長が飛んでくるで? もしかして飛ばんでもよくなったんか? それやったら大歓迎なんやけどな」
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「ああ、影山さん。なんとか言ってやってくださいよ。葛城さんが納得してくれなくて」
「そりゃ納得しろっていうほうが無理な話でしょ。飛ばさない理由が、なんとなく気になるからだけで納得する人間がいるんですか?」
「ですからね、それは何度も言いましたけど」
また言い合いを始めてしまった二人の間に割り込んだ。
「あー、もう、ちょいまちって。二人とも落ち着け。宮嶋も葛城も静かにせえって。二人とも関西人の俺に静かにって言われるなんてよっぽどのことやで。恥ずかしくないんか?」
とたんに二人して黙り込んだ。自分で言っておいてなんだがこの反応、これはこれで腹が立つんだが。
「葛城、お前は操縦のプロで宮嶋は整備のプロや。そのプロがダメやゆーてるんや、ここはおとなしゅう宮嶋がOKを出すまで予備の六番に乗っとけ」
俺の言葉に宮嶋がウンウンとうなづく。それがまた葛城には腹立たしいことらしい。まだまだ青いなあ、オール君や。
「でもですね」
「なくとなくが納得できひんのか? せやけどそういう勘って、技術屋だけでなく俺らかて大事にしとることやろ? その道のプロである宮嶋が、勘だけではなく点検しても納得できひんと言っとるんやったら、飛ばすべきではないんちゃうんか?」
まだなにか言いたげな様子だったが、こっちの言うことに従うこと決めたらしく、わかりましたと短く答えた。
「名人は筆を選ばずってゆーやろ。どの機体でも変わりなく飛べな、ほんまもんのドルフィンライダーとは言えへんで。……なんや、その顔。なにか言いたいことでもあるんか? 言いたいんやったら黙ってんとちゃっちゃと言ったらどうや」
葛城が変な顔をして俺のことを見つめている。
「いつも飛びたくないって言ってる三佐に、お説教をされるとは思いませんでした」
「また失礼なことをずけずけと。あんなあ、飛びたないのと操縦技量やパイロットの心得は別なんや。ほれ、いつまでも六番機のことでウダウダ言ってんと。メトロをさっさと飛ばさな、隊長に必殺のかかと落としかまされるで?」
そう。今日のメトロは葛城が飛ばすことになっていた。そして俺はその後ろに座って、のんびりと空のお散歩を楽しまなければならない。なぜか隊長から、葛城のお守りをおおせつかったからだ。
「そういえば葛城の後ろに乗せてもらうんて、初めてなんちゃう?」
離陸前の点検をしていたところで気がついた。
「……あー、そうですね、三佐のことを乗せて飛ぶのは初めてです」
「そうやんな。ほなオール君の技量を、後ろからじっくり観察させてもらうとするわ」
そしてコックピットに乗り込むと、ブルーで訓練飛行に向かう時と同じ手順の点検とプリタクがおこなわれた。そもそもショーで見せているものは特別なものではなく、どの戦闘機も離陸前に行っている点検作業だ。葛城が前に立つ整備員とハンドサインのやり取りをしているのを後ろから眺めながら、それが終わるのをのんびりと待った。
待っている間に何気なく空を見上げると、さっきまであっちこっちに浮かんでいた大きな雲が消えていた。
「あかんやん、めっちゃ晴れてきよったで」
「……それって良くないことじゃないでしょ?」
「そうか? まあそういうことにしといたるわ。しかし今日は楽ちんやなあ、飛ばんでええならもっと楽ちんなんやけどなあ……」
そう言いながら溜め息をつく。
「キャノピー、クローズします。腕を引っ込めてください、三佐」
「了解了解」
葛城の言葉に、それまでふんぞり返っていた姿勢を正すと、キャノピーが閉められた。そして機体が動き出す。
「今日はやけに静かですね」
前の葛城が話しかけてきた。
「なんや、いつもみたいに喋ってほしいんか?」
「そういうわけではないですけど、静かだと落ち着かないですよ」
こっちは葛城の気が散ってはまずいだろうと、気をきかせたつもりだったんだがな。
「ほな、遠慮なくいつもどおりにさせてもらうわ~。もーな、ほんまに飛びたないねん、後席でもイヤなもんはイヤなんやで。一回ぐらい、訓練飛行がある日に飛ばんでええ時があってもええんちゃう? 下で観察する役割が俺に回ってきてもええやん? なんで毎度毎度フルで飛んでるんや俺。絶対に飛びすぎやて。どう考えてもおかしいやろ。どうやの、葛城君や」
「……さあ、俺はなんとも言いようが。隊長には隊長の考えがあるとしか、言いようがありませんしね」
「ほんま君、優等生みたいな答えしかせーへんな、腹立つわ~~」
「そんなこと言われても」
俺の言葉に、葛城が大袈裟に首をかしげてみせた、ほんまムカつくわ~~。
「さーて。オール君のメトロ任務が無事に終わりますように」
いつものように柏手をうって拝む。
「ほな、いこか~~」
「了解です、シャウト」
「なあ、俺のタックネームがシャドウってこと絶対に忘れとるやろ……?」
「そんなことないですよ」
「ほんまかいな」
+++++
訓練空域を隅から隅まで飛んだ結果、本日も文句なしで晴天の飛行日和。第一区分を飛んで問題なしとの観測結果が出た。それを基地に伝えてから、俺達のT-4は帰還のルートに入る。
「あー、もしもし管制? こちらブルーメトロ、影山~~」
そろそろ葛城が管制と通信をして着陸態勢に入ろうとしたところで、横から割り込んで管制に呼び掛けた。
「どうかしましたか、三佐。メトロになにか問題でも?」
「いいや、こいつはいつものとおり絶好調で異常なしや。せやけどちょっとオール君が消化不良でなあ。着陸前に一回だけ運動させてやりたいんやけど、どうやろう?」
「……しばらく上空待機でお願いします」
管制のおねーちゃんがためらいがちにそう言うと、一旦通信が途切れた。
「了解。葛城君や、着陸態勢に入らず、そのままいつものコースで基地上空を周回しとき」
「良いんですか?」
「ええんや。ほれ、回れって」
「了解です」
管制塔からの返事が来るまで、T-4は松島基地の周囲を旋回し続ける。葛城は燃料メーターを気にしているようだが、許可が下りるにしろ下りないにしろ、そこまで時間がかかるとは思えなかった。
「しかしブルーメトロ影山って、なんやあやし気なホテルの名前みたいな響きやな」
「本当に良いんですか、三佐。こんなことして」
「ええやろ、たまには」
信じられないと言いたげに、葛城が首を横に振った。
「影山三佐、こちら管制」
管制からの通信が帰ってきた。
「どうやった?」
「タッチアンドゴーから一回だけアクロOKという条件ですが、許可が出ました」
時間にして二分足らず。えらく早い判断だな。ああ、こりゃダイレクトに隊長へと話がいったか。いやあ、あとで俺、なんか言われるかもな。ま、よしとするか。今回は、六番機のことでおとなしく引き下がった葛城への御褒美なのだから。
「いらん手間をとらせてかんにんやで~、芦屋でうまいもん、おみやげに買うてくるさかいかんにんな~。ってなわけや葛城。一回だけ好きにせえ」
「てなわけでって、本当に良いんですか?」
「ええもなんも。いま聞いた通りや。タッチアンドゴーからのロールオンテイクオフが妥当な線やな。滑走路の長さがあるさかい、タッチは早めにするんやで。ほないってみよー」
滑走路への進入ルートに入りT-4が高度を下げた。ランディングギアを出し着陸、と思わせたところで高度を再び上げていく。そしてバレルロール……っておい、回り過ぎや!
「おいおいおい、一回転やろそこは! 何回まわるつもりやねん!」
「せっかくもらったチャンスです、フルに利用しないともったいないですから!」
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