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新人秘書の嫁取り物語
新人秘書の嫁取り物語 第七話
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「幸太郎さんから、小日向さんのお引越し先を決める手伝いをしてほしいって、言われたんですけど」
幸太郎さんと杉下さんを送り出した後、持ってきていた着替えを旅行用のカバンに詰め込みながら、小日向さんに声をかけた。
小日向さんは、いつの間にか持ち込まれていたコーヒーメーカーとポットを、段ボール箱に片付けている。それ、竹野内さんが事務所から持ってきたもの。コーヒーを飲まない私の部屋に、なんでこんなものがあるかというと、二週間の間に何度かここで、重光先生と愉快な仲間達で会合が開かれていたから。幸太郎さんは、なんでここまで押し掛けてくるんだよって不満タラタラだったんだけど、だったら議員会館か自宅で遅くまでするか?って言われて、黙っちゃったのよね。
「今の場所は、奥様の御自宅から遠いですからね。こちらでお世話になるのをきっかけに、松平市内でいい物件があったら引っ越そうと思って」
「マンションですよね?」
「そのつもりです。影山さんが、知り合いの不動産屋さんを紹介してくれたので、そちらでお願いしようかと思っています」
影山さんのお知り合いってことは、黒猫のマスターのお知り合いってことね。だったら安心かな。
「なるほど。住みたい地域とか部屋数とか、目星はつけてあるんですか?」
「いくつかは。おヒマな時にお願いできますか?」
「おヒマすぎて退屈してますから、いつでも行けますよ」
私の言葉に、小日向さんは可笑しそうな顔をした。だってそれは脚色でもなんでもない本当のこと。大袈裟な入院生活のせいでここしばらくは、党議員の奥様達からのお誘いもない。それに学校はとっくに夏休みに入っているから、子持ちの奥様方は絶賛夏休みモードで旅行に行ったり実家に帰省したりだし、少なくとも八月いっぱいは、よほどのことがない限りヒマだと思う。
「お盆休みに入る前に決められたら良いですね。あ、賃貸を考えているんですか? それとも分譲?」
「一応、いま住んでいるところを売って、次を買う方向で考えています。資産に関しては問題ないんですよ。色々と臨時で入った分もありますし、頭金ぐらいは、すぐにでも払える蓄えもありますし」
「えっとお一人暮らし、なんですか?」
「お恥ずかしながらバツイチなりたてです」
この二週間のあいだ、旦那さんの気配を感じるような会話も気配もなかった。小日向さんは三十二歳でバリバリの現役SPさんだから、キャリアを積むのに頑張っていて、結婚はまだなのかなぐらいにしか考えてなかったんだけど。
「ごめんなさい、余計なこと聞きました」
「いえ。隠すようなことでもありませんから」
サバサバとした口調で言っているけど、きっと大変だったよね。うちの親戚にもそういう問題が起きたお宅があったけど、そりゃもう大変だったらしいから。あ、臨時で入ったっていうのは、もしかして慰謝料ってやつなのかな……。
「そういう臨時収入は、パーッと使っちゃったほうが、気持ちがすっきりするかもしれないですね……」
「それは影山さんも言ってましたよ。イヤな思い出につながるものは、さっさと使うか捨てるに限るって。……なんです?」
私がジーッと見詰めるものだから、小日向さんは不審そうな顔をして見詰め返してきた。
「影山さんと、そんなお話までされてるんですか?」
「え? 影山さんが離婚されているというのは御存知ですよね?」
「それは事前情報として目にはしてますけど、そういう話を、本人と直接したことないんですよ。あまり個人的なことは話さない人なので」
そりゃ個人的なことだから、根掘り葉掘り詮索することはないけど意外だな、影山さんが、そんな話を自分からしていたなんて。へえ……。
「奥様、なにか変なこと考えてませんか?」
「変なことってなんですか?」
「え、いえ、なんとなくそんな気が」
小日向さんが若干ながらもうろたえ気味なのを見て、クールなだけじゃないんだなって嬉しくなる。
「年も近いですし、同じ境遇だから話てくれたのかもしれません」
「そうなんですか。あ、同志みたいなものですね、きっと」
「そうだと思います」
私が納得したようにうなづくと、ちょっとホッとした表情をした。ふーん……なんだか怪しいよね。お互いに、お互いの痛みがわかる者どうしだから話しやすいのかな。そういうことって、時間もだけど、誰かに話すことで幾分か傷が癒えるとも言うから、影山さんと小日向さんがゆっくり話せる時間を、それとなく増やしてあげなくちゃね。
え? 顔が悪徳政治家っぽくなってる? これは、あくまでもうちのスタッフさんを大切に思いやっているだけで、そんな風に見えるのは絶対に気のせいだと思う。……多分ね。
「もしかして、願い紙の出番だったりして……」
「え? なんです?」
「いえいえ、こっちの話。私の荷物はまとまりました。そっちはどうですか?」
「終わりました。精算は済んでいますので、このまま御自宅にお送りします」
最後にもう一度、忘れ物が無いか確認してから病室を出る。
「その後の予定はなにか? もし無いようなら、お昼ご飯を食べた後に、せっかくだからお部屋選びしに行きませんか?」
「よろしいんですか?」
「おヒマすぎなので、出掛ける口実になってください」
小日向さんの運転する車で自宅に戻ると、家政婦の桧垣さんがお昼を用意して待っていてくれた。ホテル並みに豪勢な特別室はなにも不便は無かったけど、やっぱり我が家が落ち着く。
「お帰りなさいませ、奥様」
「ただいま。長々と不在してしまってごめんなさい、桧垣さん。それもこれも、幸太郎さん達のせいだから」
私の言葉に桧垣さんは心得顔で微笑んだ。
「まったく、高校生の時から変わりませんね、あの方達の悪巧み癖は。影山さんも早々に馴染んでしまったみたいですし」
「ほんと。重光事務所の、最後の良心の砦になってくれると期待していたのに、いつの間にやらよね」
「その点は小日向さんに期待しましょう」
「私、ですか?」
いきなり自分の名前が出たので、小日向さんはビックリした顔をする。
「そうですよ。まあ半年もすれば、どういうことか理解できると思いますから頑張って。お昼ご飯、こちらで食べていかれるんですよね?」
「ご飯を食べたら、小日向さんのお部屋探しに出掛けようと思ってます」
「ああ、そうでした。いいお部屋が見つかるといいですね」
部屋に荷物を置いて、桧垣さんが用意してくれていたお昼ご飯を食べてから、私達は出掛けることに。私が着替えている間に、小日向さんが不動産屋さんに連絡たらしく、担当の人が迎えに来てくれたので物件をいくつか回ることにした。
+++++
「それで? 小日向さんの引っ越し先を、早速決めてきたんだって?」
仕事から帰って来た幸太郎さんが、ネクタイを緩めながら尋ねてきた。
「うん。駅向こうにあるマンションで、角部屋があいているところがあってね。そこが良いかなって話になったの」
「へえ。そう言えば近くに、十月に完成するマンションってのもあったよな、あそこは?」
「あそこはとっくに完売だって」
他に見せてもらった、新しいところもそれなりに魅力的ではあったんだけど、小日向さん的には、今回決めたマンションが間取り的にも立地的にも理想的だったみたい。不動産屋さんの担当さん曰く、最上階ではないけど桜川の花火が見えるらしくて、新築ではないもののなかなかの好物件だとか。小日向さんの退職届が受理されたら、早速お引越し作業に入る予定だ。
「ところでさ、幸太郎さん」
「なに?」
「小日向さんと影山さんって、お似合いだと思わない?」
「……」
あれ? どうしてそこで黙り込んじゃうのかな、しかも複雑な顔をして。
「ねえ、なんで黙っちゃうの?」
「いや……なんて言うかさすが血縁だなと」
「どういうこと?」
「お袋から電話があってさ」
なんでもお義母さんから、影山さんと小日向さんは独身同士だしどう思う?なんて電話があったみたい。幸太郎さん的には、いきなりどう思うって言われても困るって話で、いい年した大人に変な口出しをするなって返事をしたらしいんだけど、それと同じ日に、私が似たようなことを言ったものだから、ちょっと驚いているらしい。
「影山に、見合いの話をって考えていたらしいんだ、お袋。だけど小日向さんがうちに来たじゃないか。年が近いし独身同士だし、どうだろうって思ったらしい。で、帰ってきたら沙織がそんなこと言うだろ? 一瞬お袋と共謀しているのかと思ったぐらいだよ」
「私は単純に、二人が色々と親しく話をしているみたいだから、どうかなって思っただけなんだけど」
「それはわかってる。だけど思っただけで止めておいてくれよ」
「うん。だけど……」
「だけど?」
「今年の月読神社に奉納する願い紙に、こっそり書くぐらい問題ないわよね?」
「まったく、さーちゃん……」
幸太郎さんが笑いながら溜め息をついた。
月読神社というのは、この辺一帯の氏神様で、事務所と自宅の間ぐらいの場所にある古い由緒ある神社。で、願い紙の奉納というのは、夏祭の後に行われる神社の行事で、それぞれに願い事を書いた紙を月の形に折りたたんで、各町内会ごとに桐箱におさめて神社に奉納するもの。
他の地域では、夏の大祓いとか年越しの大祓いで、紙の人形に名前を書いて奉納したり、護摩木を焚いたりする習慣があるけど、それとはまた違った感じの行事で、この辺りの住人の間では、大切な夏の行事の一つなのだ。そして重要なポイントがもう一つ、その御利益が凄まじいってこと。
「別に名指しするわけじゃなくて、事務所の皆に良い御縁がありますようにって、書くんだけど」
実際に事務所スタッフの中には独身さんもいるし、御縁というのはそれだけに限ったことじゃな。美月さんから聞いたところによると、事務所から持っていく願い紙には、スタッフ全員がいつも健康ですごせますように的な感じで書いているらしいから、問題ないと思うんだけどな。え? やっぱり悪徳政治家みたいな顔になってる? 気のせい気のせい。
「今年から事務所の願い紙を書くのは、沙織の担当なんだからそれで良いけどさ」
「でしょ? で、今年の奉納の担当は、一番の新人さんにお願いするということで、とうぜん影山さんと小日向さんよね」
事務所代表分だけの時は、同じ町内会の担当さんにお願いしていた。だけどここ数年、御利益が抜群らしいという話がスタッフさん達に伝わって、御家族からの申し込みも増えていた。なので最近は、事務所単独で神社に奉納するようになっている。
私が書くのは、事務所として奉納する一枚。そして奉納するのが新人さんっていうのは、特に決まりというわけじゃなく、せっかくだから氏神様に御挨拶をしましょうということなのだ。ちなみに新しく入ってくる人が無い年は、幸太郎さんのお母さんが代表で行っていた。
「やれやれ。さーちゃんまでが、影山と小日向さんの縁結びに夢中になるとは」
「夢中っていう程じゃないんだけど。あ、それより幸太郎さん、あと三つは?」
そうそう、残りの御褒美のことが残ってた。今晩は遅くなるから夕飯は不要って電話があったから、晩酌は無しになちゃったのよね。だからリクエストを聞きそびれちゃったし。
「二つ目は決めてあるよ」
「なに?」
「花火大会の日、去年と同じ場所で俺と一緒に花火を観ること」
「え」
去年の花火大会のことを思い出して、ちょっと顔が熱くなった。だって花火を観るとか言いながら私、先生のせいでほとんど観れてないんだもの。この御褒美リクエストを呑むと、もしかして今年も見逃しちゃうことになるんじゃ?
「倉島と奥さんが、無事にアメリカに戻れなくても良いのか?」
「いつの間にか奥さんまで含まれてるし……」
「せっかくできた外務省とのパイプが……」
「わかったってば。花火大会の日はあのマンションで花火デートね!」
私の返事に、満足げに笑っている幸太郎さん。影山さんと倉島さんの分がこんなんだったら、杉下さんと竹野内さんの分は、一体どんなことを要求されるのか今から怖いよ……。
「もっと簡単なことだと思ってたのになあ……美味しいもの食べたいとか」
「大事な公設秘書の命運がかかってるんだ、それ相応の要求に決まってるじゃないか」
「悪代官みたいだよ、幸太郎さん」
「そりゃ、俺は政治家だから」
「笑えない」
クッションを抱き締めながら、恨めし気に幸太郎さんを睨んでみたけど効果なし。悔しい。
「シャワー浴びてくるよ。一緒にどう?」
「それも御褒美リクエスト?」
「まさか。杉下と竹野内の分は、もう少しじっくり考えてからにする」
「じゃあ行かない」
寂しいなあと呟きながら、寝室へと向かう幸太郎さんの背中を見送りながら、もし、影山さんと小日向さんがそういうことになったら、竹野内さんの時と同じように、匿名でイカ飯が事務所に届いたりするのかな?なんて考えてしまった。
幸太郎さんと杉下さんを送り出した後、持ってきていた着替えを旅行用のカバンに詰め込みながら、小日向さんに声をかけた。
小日向さんは、いつの間にか持ち込まれていたコーヒーメーカーとポットを、段ボール箱に片付けている。それ、竹野内さんが事務所から持ってきたもの。コーヒーを飲まない私の部屋に、なんでこんなものがあるかというと、二週間の間に何度かここで、重光先生と愉快な仲間達で会合が開かれていたから。幸太郎さんは、なんでここまで押し掛けてくるんだよって不満タラタラだったんだけど、だったら議員会館か自宅で遅くまでするか?って言われて、黙っちゃったのよね。
「今の場所は、奥様の御自宅から遠いですからね。こちらでお世話になるのをきっかけに、松平市内でいい物件があったら引っ越そうと思って」
「マンションですよね?」
「そのつもりです。影山さんが、知り合いの不動産屋さんを紹介してくれたので、そちらでお願いしようかと思っています」
影山さんのお知り合いってことは、黒猫のマスターのお知り合いってことね。だったら安心かな。
「なるほど。住みたい地域とか部屋数とか、目星はつけてあるんですか?」
「いくつかは。おヒマな時にお願いできますか?」
「おヒマすぎて退屈してますから、いつでも行けますよ」
私の言葉に、小日向さんは可笑しそうな顔をした。だってそれは脚色でもなんでもない本当のこと。大袈裟な入院生活のせいでここしばらくは、党議員の奥様達からのお誘いもない。それに学校はとっくに夏休みに入っているから、子持ちの奥様方は絶賛夏休みモードで旅行に行ったり実家に帰省したりだし、少なくとも八月いっぱいは、よほどのことがない限りヒマだと思う。
「お盆休みに入る前に決められたら良いですね。あ、賃貸を考えているんですか? それとも分譲?」
「一応、いま住んでいるところを売って、次を買う方向で考えています。資産に関しては問題ないんですよ。色々と臨時で入った分もありますし、頭金ぐらいは、すぐにでも払える蓄えもありますし」
「えっとお一人暮らし、なんですか?」
「お恥ずかしながらバツイチなりたてです」
この二週間のあいだ、旦那さんの気配を感じるような会話も気配もなかった。小日向さんは三十二歳でバリバリの現役SPさんだから、キャリアを積むのに頑張っていて、結婚はまだなのかなぐらいにしか考えてなかったんだけど。
「ごめんなさい、余計なこと聞きました」
「いえ。隠すようなことでもありませんから」
サバサバとした口調で言っているけど、きっと大変だったよね。うちの親戚にもそういう問題が起きたお宅があったけど、そりゃもう大変だったらしいから。あ、臨時で入ったっていうのは、もしかして慰謝料ってやつなのかな……。
「そういう臨時収入は、パーッと使っちゃったほうが、気持ちがすっきりするかもしれないですね……」
「それは影山さんも言ってましたよ。イヤな思い出につながるものは、さっさと使うか捨てるに限るって。……なんです?」
私がジーッと見詰めるものだから、小日向さんは不審そうな顔をして見詰め返してきた。
「影山さんと、そんなお話までされてるんですか?」
「え? 影山さんが離婚されているというのは御存知ですよね?」
「それは事前情報として目にはしてますけど、そういう話を、本人と直接したことないんですよ。あまり個人的なことは話さない人なので」
そりゃ個人的なことだから、根掘り葉掘り詮索することはないけど意外だな、影山さんが、そんな話を自分からしていたなんて。へえ……。
「奥様、なにか変なこと考えてませんか?」
「変なことってなんですか?」
「え、いえ、なんとなくそんな気が」
小日向さんが若干ながらもうろたえ気味なのを見て、クールなだけじゃないんだなって嬉しくなる。
「年も近いですし、同じ境遇だから話てくれたのかもしれません」
「そうなんですか。あ、同志みたいなものですね、きっと」
「そうだと思います」
私が納得したようにうなづくと、ちょっとホッとした表情をした。ふーん……なんだか怪しいよね。お互いに、お互いの痛みがわかる者どうしだから話しやすいのかな。そういうことって、時間もだけど、誰かに話すことで幾分か傷が癒えるとも言うから、影山さんと小日向さんがゆっくり話せる時間を、それとなく増やしてあげなくちゃね。
え? 顔が悪徳政治家っぽくなってる? これは、あくまでもうちのスタッフさんを大切に思いやっているだけで、そんな風に見えるのは絶対に気のせいだと思う。……多分ね。
「もしかして、願い紙の出番だったりして……」
「え? なんです?」
「いえいえ、こっちの話。私の荷物はまとまりました。そっちはどうですか?」
「終わりました。精算は済んでいますので、このまま御自宅にお送りします」
最後にもう一度、忘れ物が無いか確認してから病室を出る。
「その後の予定はなにか? もし無いようなら、お昼ご飯を食べた後に、せっかくだからお部屋選びしに行きませんか?」
「よろしいんですか?」
「おヒマすぎなので、出掛ける口実になってください」
小日向さんの運転する車で自宅に戻ると、家政婦の桧垣さんがお昼を用意して待っていてくれた。ホテル並みに豪勢な特別室はなにも不便は無かったけど、やっぱり我が家が落ち着く。
「お帰りなさいませ、奥様」
「ただいま。長々と不在してしまってごめんなさい、桧垣さん。それもこれも、幸太郎さん達のせいだから」
私の言葉に桧垣さんは心得顔で微笑んだ。
「まったく、高校生の時から変わりませんね、あの方達の悪巧み癖は。影山さんも早々に馴染んでしまったみたいですし」
「ほんと。重光事務所の、最後の良心の砦になってくれると期待していたのに、いつの間にやらよね」
「その点は小日向さんに期待しましょう」
「私、ですか?」
いきなり自分の名前が出たので、小日向さんはビックリした顔をする。
「そうですよ。まあ半年もすれば、どういうことか理解できると思いますから頑張って。お昼ご飯、こちらで食べていかれるんですよね?」
「ご飯を食べたら、小日向さんのお部屋探しに出掛けようと思ってます」
「ああ、そうでした。いいお部屋が見つかるといいですね」
部屋に荷物を置いて、桧垣さんが用意してくれていたお昼ご飯を食べてから、私達は出掛けることに。私が着替えている間に、小日向さんが不動産屋さんに連絡たらしく、担当の人が迎えに来てくれたので物件をいくつか回ることにした。
+++++
「それで? 小日向さんの引っ越し先を、早速決めてきたんだって?」
仕事から帰って来た幸太郎さんが、ネクタイを緩めながら尋ねてきた。
「うん。駅向こうにあるマンションで、角部屋があいているところがあってね。そこが良いかなって話になったの」
「へえ。そう言えば近くに、十月に完成するマンションってのもあったよな、あそこは?」
「あそこはとっくに完売だって」
他に見せてもらった、新しいところもそれなりに魅力的ではあったんだけど、小日向さん的には、今回決めたマンションが間取り的にも立地的にも理想的だったみたい。不動産屋さんの担当さん曰く、最上階ではないけど桜川の花火が見えるらしくて、新築ではないもののなかなかの好物件だとか。小日向さんの退職届が受理されたら、早速お引越し作業に入る予定だ。
「ところでさ、幸太郎さん」
「なに?」
「小日向さんと影山さんって、お似合いだと思わない?」
「……」
あれ? どうしてそこで黙り込んじゃうのかな、しかも複雑な顔をして。
「ねえ、なんで黙っちゃうの?」
「いや……なんて言うかさすが血縁だなと」
「どういうこと?」
「お袋から電話があってさ」
なんでもお義母さんから、影山さんと小日向さんは独身同士だしどう思う?なんて電話があったみたい。幸太郎さん的には、いきなりどう思うって言われても困るって話で、いい年した大人に変な口出しをするなって返事をしたらしいんだけど、それと同じ日に、私が似たようなことを言ったものだから、ちょっと驚いているらしい。
「影山に、見合いの話をって考えていたらしいんだ、お袋。だけど小日向さんがうちに来たじゃないか。年が近いし独身同士だし、どうだろうって思ったらしい。で、帰ってきたら沙織がそんなこと言うだろ? 一瞬お袋と共謀しているのかと思ったぐらいだよ」
「私は単純に、二人が色々と親しく話をしているみたいだから、どうかなって思っただけなんだけど」
「それはわかってる。だけど思っただけで止めておいてくれよ」
「うん。だけど……」
「だけど?」
「今年の月読神社に奉納する願い紙に、こっそり書くぐらい問題ないわよね?」
「まったく、さーちゃん……」
幸太郎さんが笑いながら溜め息をついた。
月読神社というのは、この辺一帯の氏神様で、事務所と自宅の間ぐらいの場所にある古い由緒ある神社。で、願い紙の奉納というのは、夏祭の後に行われる神社の行事で、それぞれに願い事を書いた紙を月の形に折りたたんで、各町内会ごとに桐箱におさめて神社に奉納するもの。
他の地域では、夏の大祓いとか年越しの大祓いで、紙の人形に名前を書いて奉納したり、護摩木を焚いたりする習慣があるけど、それとはまた違った感じの行事で、この辺りの住人の間では、大切な夏の行事の一つなのだ。そして重要なポイントがもう一つ、その御利益が凄まじいってこと。
「別に名指しするわけじゃなくて、事務所の皆に良い御縁がありますようにって、書くんだけど」
実際に事務所スタッフの中には独身さんもいるし、御縁というのはそれだけに限ったことじゃな。美月さんから聞いたところによると、事務所から持っていく願い紙には、スタッフ全員がいつも健康ですごせますように的な感じで書いているらしいから、問題ないと思うんだけどな。え? やっぱり悪徳政治家みたいな顔になってる? 気のせい気のせい。
「今年から事務所の願い紙を書くのは、沙織の担当なんだからそれで良いけどさ」
「でしょ? で、今年の奉納の担当は、一番の新人さんにお願いするということで、とうぜん影山さんと小日向さんよね」
事務所代表分だけの時は、同じ町内会の担当さんにお願いしていた。だけどここ数年、御利益が抜群らしいという話がスタッフさん達に伝わって、御家族からの申し込みも増えていた。なので最近は、事務所単独で神社に奉納するようになっている。
私が書くのは、事務所として奉納する一枚。そして奉納するのが新人さんっていうのは、特に決まりというわけじゃなく、せっかくだから氏神様に御挨拶をしましょうということなのだ。ちなみに新しく入ってくる人が無い年は、幸太郎さんのお母さんが代表で行っていた。
「やれやれ。さーちゃんまでが、影山と小日向さんの縁結びに夢中になるとは」
「夢中っていう程じゃないんだけど。あ、それより幸太郎さん、あと三つは?」
そうそう、残りの御褒美のことが残ってた。今晩は遅くなるから夕飯は不要って電話があったから、晩酌は無しになちゃったのよね。だからリクエストを聞きそびれちゃったし。
「二つ目は決めてあるよ」
「なに?」
「花火大会の日、去年と同じ場所で俺と一緒に花火を観ること」
「え」
去年の花火大会のことを思い出して、ちょっと顔が熱くなった。だって花火を観るとか言いながら私、先生のせいでほとんど観れてないんだもの。この御褒美リクエストを呑むと、もしかして今年も見逃しちゃうことになるんじゃ?
「倉島と奥さんが、無事にアメリカに戻れなくても良いのか?」
「いつの間にか奥さんまで含まれてるし……」
「せっかくできた外務省とのパイプが……」
「わかったってば。花火大会の日はあのマンションで花火デートね!」
私の返事に、満足げに笑っている幸太郎さん。影山さんと倉島さんの分がこんなんだったら、杉下さんと竹野内さんの分は、一体どんなことを要求されるのか今から怖いよ……。
「もっと簡単なことだと思ってたのになあ……美味しいもの食べたいとか」
「大事な公設秘書の命運がかかってるんだ、それ相応の要求に決まってるじゃないか」
「悪代官みたいだよ、幸太郎さん」
「そりゃ、俺は政治家だから」
「笑えない」
クッションを抱き締めながら、恨めし気に幸太郎さんを睨んでみたけど効果なし。悔しい。
「シャワー浴びてくるよ。一緒にどう?」
「それも御褒美リクエスト?」
「まさか。杉下と竹野内の分は、もう少しじっくり考えてからにする」
「じゃあ行かない」
寂しいなあと呟きながら、寝室へと向かう幸太郎さんの背中を見送りながら、もし、影山さんと小日向さんがそういうことになったら、竹野内さんの時と同じように、匿名でイカ飯が事務所に届いたりするのかな?なんて考えてしまった。
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