政治家の嫁は秘書様

鏡野ゆう

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本編

第一話 先生の私設秘書

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 はあ……仕事、クビになりました。退職金もガッツリいただいたので、正確にはクビというのは正しくないんだれけど。気に入っていた会社だけにちょっとショック。

 あ、申し遅れました、私、久遠くどう沙織さおりと申します。地元の短大を卒業後、都会に出ていく友達を見送って、地元の中堅企業に就職して慎ましくOL生活を楽しんでいたんですけどね、数ヶ月前までは。

 そこに何故か降って湧いた、身に覚えの無い不倫疑惑。しかも、よりよって相手はうちの部署のセクハラモラハラハゲ部長! まったくもって有り得ないっつーの! もちろん、奥様にもきっぱりと申し上げましたとも。結婚された奥様には大変申し訳ありませんが、こんなセクハラハゲ親父となんて、地球が1万回爆発しても有り得ませんって。そう、つまりはセクハラが乗じて、勝手にハゲの脳内不倫の相手にされていたということなのよね。

 この話にはうちの父親が大激怒。その会社をぶっ潰すとか言い出しちゃって、ハゲ親父の件よりも、そっちをなだめるほうが大変だった。ちなみにうちの父親、地元で愛される地方銀行の支店長です。しかも勤め先のメインバンク様。本来なだめる側に回るはずの母親まで、会社を潰すの手伝うわよってノリノリだし、お姉ちゃんは「二人の好きにさせておきなさい私は仕事の研修で忙しいから」と言って丸っと無視だし。うちの家族のほうが、会社やハゲ部長に与えたダメージが大きいと思う。

 そんなわけで。どんなわけか私自身イマイチ分からないまま、退職しました。きっと会社側はホッとしていたと思う。もちろんハゲ部長には、要らぬ誹謗中傷ひぼうちゅうしょうは口にしないようにと念書は取りましたよ。そのハゲ部長も、今や奥さんの実家がある地方の出張所に飛ばされたらしいんですけどね。ま、離婚されなかっただけ良かったじゃないですか、アハハハッ!

「はあ……」

 けど次の勤め先どうしよう。中途採用で雇ってくれるところがあれば良いんだけどな。色々と噂になったから難しいかも。二十二歳にして無職とか、せっかく念願の一人暮らしを始めたっていうのに、世の中うまくいかないものよね。


+++++


 そんなこんなで時間を持て余している私に、うちの仕事を手伝わないかって、声をかけてきてくれたのが遠縁にあたるおじさん。簡単な事務仕事だし、あまりお給料は払えないけどどうかなって声をかけてくれた。どうしようと悩んでいたところでのありがたい申し出だったので、面接にだけでもうかがいますって返事した。

 そして今、おじさんちの前に立っている。大きなお家、お屋敷って言ったほうが正しいかな……そう言えばおじさんって元国会議員だっけ? 『うちの仕事』って……何?

「ああ、よく来たね、沙織ちゃん。さあ入って入って」

 おじさんが玄関先まで出てきて迎えてくれた。

「ご無沙汰してます、おじさん」
「何年ぶりかな。最後に会ったのは、沙織ちゃんがまだ中学生の時だったかな」
「そうだと思います。たしかー……高校入学のお祝いをいただいた時だったと」
「ってことは五年ぶりぐらいか。そりゃ沙織ちゃんも大人になるはずだ」

 こっちも年をとるはずだよと、笑いながら応接室へと通してもらう。

「実はね、うちのせがれが国会議員をしてるだろ? こっちに残って、支援者との連絡係をしてくれる私設秘書がいるんだが、結婚することになって退職するんだ。で、その代わりの人員を探しているから、誰か信用できる人間はいないかって君のお父さんに話をしたんだよ。そしたら、うちの娘がヒマを持て余しているから、ちゃんとしたのが見つかるまでどうだって言われてね」

 ヒマを持て余しているって……。実際その通りではあるんだけれど、一体誰のせいだと思っているのかな、お父さん。しかも次が見つかるまでのつなぎってどうなの? なんだか私に、すっごく失礼な気がするんですけど!!

「もちろん、つなぎではなく正式な私設秘書として、雇うつもりでいるよ? ただお給料はそんなに高くないというのが現実だから、沙織ちゃんがそれでも良いよって、言ってくれたらの話なんだけど」
「逆に私、秘書の資格を持ってないんですけど、雇っていただいて良いんでしょうか? 簿記の資格は持ってますけど」
「問題ないよ。秘書と言っても、公設と違ってそんな派手な仕事もないし。きちんと仕事の引き継ぎはするから、安心して欲しい」
「でしたら、是非ともお願いします。あ、でも重光しげみつ先生の了解は、とってあるんですか?」
「うわー、他人行儀だよね、重光先生だなんてさ。昔はオニーチャンって呼んでいてくれたのにさ」

 思わず飲んでいたお茶を、噴き出しそうになった。不意打ちとは卑怯なり。

「やっと帰って来たか、バカ息子」
「お言葉ですがお父さん。俺は今日も本会議だったんですよ?」
「遠方ならいざ知らず、ここは目と鼻の先じゃないか。ミヤビさんの後任を、さっさと決めておかないお前が悪い」
「お父さんが、俺が連れてきた候補を次から次へと却下するんだから、仕方がないでしょう」

 応接室に入って来たのは重光しげみつ幸太郎こうたろう議員。私がずっと幸太郎お兄さんと呼ばせてもらっている相手だ。幸太郎お兄さんは、私の隣にドカッと腰を下ろすと溜め息をついた。

「で? そのお父さんが自ら引っ張って来たってことは、沙織ちゃんで決まりってことで良いんですね?」
「もちろんだとも。沙織ちゃんなら間違いない」
「沙織ちゃんも本当に良いのかい? こう言っちゃなんだけど、お給料は高くないし休みは不規則だし、地元の支援者との折衝せっしょうは、面倒臭いことが多いよ?」
「えっと……頑張ります」
「面倒なことはワシがやるから問題ない」
「それじゃあ、彼女を私設秘書にする意味がないでしょう」

 おじさんの言葉に、呆れたように呟く幸太郎お兄さん。あ、今日からはその呼び方も改めなくちゃね。重光先生なんだよね。だけど、心の中ではこっそりと幸太郎先生って呼ばせてもらおう。なんだか緊張しちゃうなあ、私設とは言え、国会議員の秘書だなんて。

「あの、頑張ってちゃんと仕事覚えますから、よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね。今から事務所に戻るから一緒に行こうか」
「はい!」

 おお、いきなり事務所にですね。服装は今ので大丈夫かな。事務所に顔を出すことになるって分かっていたら、もっと地味な色のスーツにしてきたのに。

「服装などで気をつけなければいけないことってありますか? なにぶん初めてなので、よく分からないんですが」
「その点も、ミヤビさんに聞くと良いよ。うちの地元はそれほど堅苦しい支援者はいないけど、やっぱり企業が相手になったりすると、色々とあるからね」

 車に乗る時に顔を合わせたのは、公設の第一秘書の杉下すぎしたさん。先生の後輩で、元々は大手の銀行員だったとか。

「こちら、ミヤビさんの後任の久遠沙織さん。うちの遠縁のお嬢さんなんだ」
「杉下です。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げた。車での移動中、助手席に座った杉下さんが、手帳を見ながら次の予定をどんどんあげていく。ひえぇ……国会が閉会しても議員さんって忙しいのね、驚いた。なんかこう、オフの時はゴルフ三昧ざんまいだとばかり思ってた。

「その様子だと、国会議員ってのは、国会がない時は遊んでいると思ってただろ?」

 幸太郎先生は、私の顔を見てニッコリと微笑んだ。

「まあ、当たらずとも遠からずってやつです」
「国会が無い時のほうが、あれやこれや忙しいんだよ、実は。な、杉下」
「ですね。私達は、先生が議会に出てくれているほうが静かで平和です」

 うわあ、そうなのか。

「あ、先生って結婚は?」

 私の問いに、ブハッと飲みかけの缶コーヒーを噴き出しかける幸太郎先生。

「なんだよ、その脈略のない質問は」
「え、ほら、よくあるじゃないですか。奥さんや恋人、下手すりゃ愛人にお花を贈ったり、プレゼントを選んだりするのを秘書がするっていうやつ。杉下さん、そんなお仕事もあるんですか?」
「え……いやあ、どうでしょうか、今のところ、私は頼まれたことはないですけど」
「それ、なにか本を読み過ぎだと思うよ、沙織ちゃん」
「え、そうなんですか?」

 あ、なんかガッカリした感じ。そういう秘密なお仕事もあるんじゃないかって、ちょっと期待したんだけどな。ん? 奥さんがいないならもしかして秘密の恋人とか愛人とか……。

「そんな期待した目で見られても、ないものはないよ、残念ながら」
「ま、まさか……」
「男が好きとかもないからっ」
「あ、そうですか……」

 でも、私の記憶が正しければ、幸太郎先生は非常にもてたはずなんだ。中学から水泳部に所属していて、国体に出たりオリンピックの代表に選ばれたりしていたし、なんとなくキャーキャー言われていた記憶があるんだよね。当時ご幼少だった私は、その騒ぎを『大人ってスッゲー』みたいな目で見ていたんだけれど。

 そんなもてもての幸太郎先生は、いつの間にか水泳選手から方向転換して政治家先生になり、今や三十五歳の立派な中堅議員。それなのにいまだ独身ってなんとも不思議な話だ。なんだろう、もしかして人妻に密かに恋をしていて、一生涯独身でいようだなんて決めてたりするのかな? それとも初恋の人が忘れられなくていまだ独身、なーんて。

 うはっ、すっごいロマンチック!!

「……絶対、変な物語を頭の中で組み立ててるよね、沙織ちゃん」

 物凄く嫌そうな顔で、私の方を見ている幸太郎先生。

「へ? なんのことでしょう? そんな顔に見えますか? 杉下さん、どうですか?」
「久遠さんの顔を見ていなかったので気がつきませんでしたが、きっと気のせいだと思いますよ?」
「ほら、気のせいですよ。ここしばらく、本会議が遅くまであったから疲れているんです。ですよね、杉下さん」
「それは言えてますね、今回は徹夜もありましたし」

 うんうんとうなずくと、手帳になにやら書きこんでいる。

「ほらほら、もう若くないんですから。今日は早く休まなくちゃ駄目ですよ?」
「残念ながら今夜は、こちらの市会議員の皆さんと懇談会です。明日は明日で、お昼から支援者の皆さんとお食事会です」

 つまり、国会が終わっても色々ありますよって話ですね、大変だ。

「栄養ドリンクの買い置きが必要な忙しさですね」
「その手のドリンクは、事務所の冷蔵庫にたんまりと買い置きがありますので、御安心ください」
「おお、素晴らしい」
「あ、ちなみに先生の御自宅のほうにもありますので」
「備えあれば憂いなし、ですね。さすが杉下さん」
「それほどでも」

 私達のやり取りを聞いていた先生が、ものすごーく嫌そうな顔をした。

「お前たち二人、本当に初対面なのか?」
「「そうですがなにか?」」


 そんなわけで、私、政治家先生の私設秘書になりました。
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