猫と幼なじみ

鏡野ゆう

文字の大きさ
上 下
29 / 55
ある年のGW

第二十九話 ある年のGW 2

しおりを挟む
 日が長くなってきたとはいえ、さすがに外は真っ暗だ。

 ホームや改札口は明るいけれど、そこにいるのは駅員さんと閉店作業をしている売店の店員さんだけ。お客さんは私と同じ電車から降りてきた人だけだった。構内はガランとしていて、私が知っている駅の雰囲気とはちょっと違う。たしかに、こんな状態ならば、市バスは走っていないかもしれない。

 駅から出ると、さらに人の姿は少なくなった。街灯もポツンポツンとしか立っておらず、薄暗いし、ちょっとどころかかなり怖い。

「待ち合わせの場所、反対側の交番の前にしてもらえば良かったかなあ……」

 あまりの暗さに少しだけ後悔しながら、ロータリーのほうへと歩いていく。ロータリーのはしに車が止まっていた。修ちゃんの車だ。急いで歩いていくと、助手席のドアを開けてくれた。

「お待たせ」
「お疲れ」
「明日も仕事なのにゴメンね」

 修ちゃんは、私がシートベルトをするのを待ってから、車をスタートさせる。

「かまわないよ。それよりまこっちゃんのほうが疲れたんじゃ? 仕事終わってから電車でここまで来るのは、さすがに疲れただろ?」
「たしかに市バスに比べると、かなり乗りごたえはあったかなあ」
「だろ?」

 普段の私の通勤時間は、バスで三十分たらず。だからこんなふうに、二時間近く電車に揺られるなんて滅多になかった。大阪に行くのですら一時間もかからないし、考えてみると、京都市内から日本海側に移動するのは思っている以上に大変だ。修ちゃんはその道のりを車を運転して戻ってくる。同じ府内でも、なかなか帰ってこられないはずだと、あらためて思った。

「でも大丈夫だよ、電車の中で爆睡してきたし。終点で良かったよ、気がついたら一つ前の駅だったもん」
「めちゃくちゃ熟睡してたのか」
「うん。お腹一杯であっと言う間に寝ちゃった」
「ま、イスで寝ているぶんには、寝相ねぞうが悪くて暴れる心配もないから安心かな」
「あー……」

 目を覚ました時の自分の状態を思い出して、複雑な笑みが浮かんでしまう。

「え、その、あーはなに? まさか暴れたとか?」
「暴れてはいないと思うんだけど、目が覚めたらさあ、座席から落ちそうになってた……」
「まったくまこっちゃんの寝相ねぞうときたら。こりゃ、寝る時は安全ベルトが必要だな」
「イスなら大丈夫だと思ってたんだけどねー……」

 私だって自分の寝相ねぞうの悪さにはうんざり気味なのだ。そのうちおとなしくなるだろうって思っていたけれど、どうやらそれはまだまだ先のことらしい。

「でも少なくとも熟睡はできてたんだ?」
「まあね」
「そっか。だったら疲れも少しは取れたのかな」
「ん~、なんとなく?」

 寝なさいって言われたら、まだまだ寝ていられそうだけど。

「それでみんな元気にしてる?」
「うん。人間も猫も元気だよ。ま、今頃はマツ達は大運動会だろうけどね。お母さんとお婆ちゃんが怒っているのが目に浮かぶよ……」

 私の溜め息まじりの言葉に、修ちゃんが愉快そうに笑った。

「二匹を連れてくるわけにはいかないもんな」
「修ちゃんちには、ヒノキとヤナギのお気に入りのお座布団もクッションもないしねー」

 つれて来たら安心ではあるけれど、そうなったら落ち着かない二匹のせいで、私と修ちゃんが眠れないことになりそうだ。

「考えてみたらさ、修ちゃんがいま住んでいる部屋って、座布団どころか、あんまり物が無いよね」

 修ちゃんの部屋を思い浮かべながらそんなことを口にした。初めて単身赴任先の部屋を見た時も、暮らす分にも泊まる分にも問題はないけれど、なんともあっさりした部屋だなというのが、私の感想だった。それは今も大して変わっていない。

「単身赴任中の男の家なんて、そんなもんでしょ。下手に大きなベッドとかクッションとか置いておくと、奥さんに浮気を疑われたりして大変らしいよ?」
「そうなの?」
「ああ。機関のヤツでさ、なんとなくクッションを買ったせいで、遊びに来た奥さんとすっごいケンカをしたらしいから」
「うわあ修羅場だねえ……それ、大丈夫だったの? もちろん浮気したってことはないんだよね?」

 その人の夫婦生活を心配しつつも、話の顛末てんまつがメチャクチャ気になった。奥様達との定例ランチ会合もまだ先だし、知りたくて好奇心がムクムクとふくれあがる。

一昨日おととい、なぜか俺達も呼ばれてさ。そいつが浮気なんて絶対にしてないですって、証言させられた。嫁さん、めっちゃ怖かった」

 その奥さん、艦長より恐ろしい存在が身近にいたと、艦内でちょっとした伝説になってしまったらしい。

「へえ……怖いけど、その奥様に会ってみたいかも。次の定例ランチ会合のメインは絶対のその話で決まりだね」

 普段の会合にはあまり乗り気にはなれなかったけれど、今度ばかりは楽しみかもしれない。

「きっと盛りまくった話が流れてると思うから、話半分に聞いといてくれよ?」
「わかってるって。でもさ、やっぱ単身赴任だと奥さんとしては心配だよね、旦那さんの浮気」
「もしかしてまこっちゃんも疑ったことあるとか?」

 信号待ちで車が止まると、修ちゃんが少しだけ困った顔で私を見た。

「まさかまさか。疑うなんて気持ちチョロリとも浮かばないよ」

 学生時代の友達と会った時に、似たようなことを質問されたことがある。そんなに長い期間を離れて暮らしていたら、旦那さんが浮気してないか心配にならないのかと。世間では単身赴任あるあるなのかもしれないけれど、帰ってきた時の修ちゃんの暴れん坊ぶりを見ていると、とてもそんなことをしているように見えなかった。もちろん、そんな暴れん坊にならなくても、修ちゃんを疑う気持ちなんてまったく無いのだから、大人しくしてくれているほうが、私としてはありがたいんだけれど。

「そっか。それを聞いて安心した。感謝の気持ちをこめて、今夜もいつもと同様にサービスしますよ、奥さん」

 修ちゃんが悪い顔をする。まったく男子っていうやつは。

「いやいや、サービスしなくて良いから。明日も普通に仕事なんでしょ? 帰ったらお風呂はいって早く寝なさい」
「えー、せっかくまこっちゃん来たんだからさ、夜更かししようぜ。ゲーム機はないけど」
「だーめーでーすー。夜更かしより仕事のほうが大事でしょ?」
「えー」

 私の言葉に、修ちゃんが不満げな声をあげた。

「藤原二尉、もしかして停泊したままだからって、気持ちがたるんでませんかー? 明日だって見学にたくさんの人が来るんでしょ? なにかあったらどうするのー?」
「じゃあ、アイスを食べるのもなしで、風呂入って大人しく寝ることにする」

 ん? 今なんて言った? アイス? アイスと言いましたか修ちゃん?!

「え……アイスって、なに?」
「寝よう寝よう、明日も仕事ですから。お仕事大事。お給料は税金ですからね、しっかり働きませんと、俺」
「ちょっと修ちゃん、アイスって?」
「お風呂ですね。ご心配なく、帰ったらすぐに沸かすから。まこっちゃん、一緒にはいる? あ、でも二人ではいるにはちょっとせまいかなあ」
「修ちゃん、アイス……」

 こっちを見た修ちゃんは、ニヤリとした笑みを浮かべた。

「アイス、食べたい?」
「……食べたい」
「じゃあ、風呂はいってから、少しだけ夜更かししようか?」
「えー……」

 今度は私が不満げに声をあげる。すると修ちゃんは、わざとらしく首をかしげた。

「あれ、アイスいらないんだ」
「夜更かししなくても、アイスは食べられるよね?」
「アイス食べた分はカロリー消費しないと太るよ? それに、しばらくはこっちにいるんだし、食べるの別に今夜じゃなくても良いだろ?」

 そう言いながらニヤニヤしている。

「でも食べたい。もしかして、季節限定?」
「季節限定って書いてあったかな、たしか。まこっちゃんの好きなオレンジとマンゴーだった気が」
「あああああっ、絶対にアレだ! 私が密かに食べたいなって思ってて、ずっと買い損ねてたやつ!」

 修ちゃんがなにを買ったのかがわかり、口の中がオレンジとマンゴーになった。

「修ちゃん、ひどい!」
「なんでひどいのさ。まこっちゃんが好きなアイスを買っておいたんだから、優しいだろ、俺」

 まったく性格が悪い。アイスがあると聞かされたら、私が我慢できないの知ってるくせに!

「だけど、交換条件に出してくるなんてズルい!」
「それが戦術ってやつです」
「そんな戦術ありえない! 国民は守るべき対象なんだから、大事にしなさいって言われなかった?!」
「ちゃんと大事にしてるでしょー? まこっちゃんの好きなアイスを、この日のためにわざわざ買っておいたんだから。俺って、本当に優しい旦那さんだよねえ」

 修ちゃんは自画自賛しつつニヤニヤしている。

 そしてアイスと夜更かしで交渉している間に宿舎に到着。修ちゃんの交換条件にブーブー言いながら歩いていると、修ちゃんのお知り合いらしい若い隊員さんとバッタリ出くわした。その人は、修ちゃんの姿を見ると、立ち止まってサッと敬礼をする。

「お疲れ様です!」
「お疲れ」
「失礼します!」
「おう、気をつけて出かけろよ」
「はい!」

 修ちゃんも立ち止まって敬礼をした。その隊員さんが行ってしまってから、ちょっとだけ感心して修ちゃんのことを見上げた。

「なに?」
「今の修ちゃん、自衛官さんみたいだなあって思って」
「みたいって。俺、正真正銘しょうしんしょうめいの自衛官なんですけど」
「そうだっけ? ただのずる賢くてエロい人だとばかり思ってました」
「ひどい言い草だね、まこっちゃん」
「エロいのは事実だと思うんだけどなあ……」

 しかも、かなりずる賢いと思う。

「エロいのは否定しないけどさ。今夜も食後の運動で、まこっちゃんをおいしくいただくつもりだし」

 どうやら勝手に交渉の勝敗を決めてしまったようだ。こういうところは本当に狡猾こうかつなんだから。

「夜更かしは駄目だって言ってるのに」
「アイス、食べたくないわけ?」
「食べたい」
「だったら、おとなしく俺にも食べられなさい」
「えー……」
「えーじゃない。等価交換だろ、こういうのって。ちゃんと駅にも迎えに来てあげたし?」

 どこがどう等価交換なのか、私にはさっぱり理解できない。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...